第3話中編 彼は原点を思い出し、もう一つの物語は幕を開ける

 屋上に一人残った俺、笹瀬健斗は黄昏を眺めていた。

「別に親友のためとかじゃねぇよ……」

 そうだ。別に親友のためだからと言ってあんなふうに感情的になって話などしない。

 ただ、昔の苦い記憶と絡まって、ぶつけてしまったのだ。

「ただ、自分のためさ……」

 その呟きは誰に向けたものなのだろうか。

 過去の自分になのか、はたまた、あの人になのか……。



 昔の自分は、他人の考えていることが分からずに、誰と話すときでも、心のどこかで疑い、おびえていた。

 その日は、たまたま父親が弁当を忘れていたから病院に直接届けにいっていた。

「あら、笹瀬先生の息子さんですね。お父さんなら少し外に出ていますから、ここで待っていたらすぐに来るとおもいますよ」

 受付の看護師さんが笑顔で俺にそう言った。彼女は笑顔でそんなことを言っているけど、内心何を思っているのかなんてわかったものじゃない。気持ち悪いし、怖い。

 俺は言われたと通りに近くのソファーに腰かけて座っていた。そこで俺は気づいた。さっきの看護師に弁当を渡せば帰れていたのではないのかと。会話をしたくない一心で思わずソファーに座ってしまった。失敗だ。今更話しかけることはできない。

そんなことを考えていると隣に少女が座った。

「何かすごい顔で私のことを見ているけど、どうかしたの?隣に座られたくなかったとか?」

 どうやら無意識のうちに少女のことを見てしまったのだろう。いきなりずけずけと座られ、少し戸惑ってしまったのかもしれない。というか、誰も座っていないソファーまだたくさんあるだろ。

 僕の短い人生の経験則として、ふつうは隣に座るにしても少し距離を置く。なのに、この少女は全く距離を置かずに座ってきた。

 その少女の見た目は俺と歳はそう変わりはなく、控えめに言ってとてもきれいな見た目をしている。だからと言ってどうということはない。少女が何を考えているかわからないことには変わりはないのだから。

「ああ、すいません。別に嫌というわけではないです。どうぞそのままでいてください」

 僕は失礼を働いてしまったのでお詫びをし、もと見ていた方を向く。すると、今度は少女のほうから笑い声がした。

「あなた、とっても子供らしくない言い方をするのね。面白いわ」

 目頭に浮かんだ涙をぬぐいながら、少女は話しかけてくる。

 なんなのだ、この女は。初対面の相手に失礼な奴だ。しかし、自分の初対面で失礼をしてしまった。ここはおあいことしてひとまず水に流して置こう。

「すみません、大人と接する機会が多かったから、つい癖で……」

 父の知り合いと会うことが多く、こういった初対面の大人との接し方が身についているのか、つい癖でかしこまりすぎていたのかもしれない。

「いえ、私のほうも笑ってしまってごめんなさい」

「俺のほうこそ」

 そう言って、会話が止まる。

 この間。この間が嫌いなのだ。この間の間に相手が何を考えているのか想像してしまう。そして、その想像は必ずと言っていいほどに悪い方向にしか走っていかない。目の前に座っている少女のついてもそれは変わらない。

「その手に持っているものは、お弁当?」

「うん、そうだよ。父さんに届けに来たんだ」

 少女の疑問に僕は素直に答える。嘘をついても仕方のないことだから。

「へぇー、誰?お父さん」

 さらに問いかけてくる。そんなことを聞いてどうするのだろうか。ただ会話を長引かせたいだけなのだろう。

「私、入院歴長いから、この病院の人のこと大体知ってるのよ!」

 自慢げにしているが、何にも威張れることではない。というか、見た目はとても元気そうなのに、結構重い病気なのか……。

「笹瀬ですよ」

「ええ!?笹瀬先生!!」

 俺が答えると少女はとても驚いていた。

「私の主治医さんが笹瀬先生なの!」

 なるほど、すごい偶然だ。そして、いいことを聞いた。俺は早く帰って今日の分の勉強がしたいのだ。医者になるために。

 だから、俺は少女にお願いをすることにした。

「君、頼みごとがあるんだけど……」

「君じゃないよ、私は市原朱里」

 そんなことはどうでもいい。

「そうか、なら市原さん、お願いがあるんだ」

「何?」

「これを僕の代わりに父さんに、笹瀬先生に渡してくれないだろうか」

 そう言って市原さんの前に弁当を差し出す。すると、彼女はきょとんとした表情をした。

「どうして?君が渡せばいいんじゃないの?」

 もっともな意見だ。しかし、俺は帰りたい。

「俺には用事があるんだ、だから、お願いできるかな?」

 そう言うと彼女は少し考えるとうなずいてくれた。

「いいよ、その代わり、一つ聞いていい?」

「ああ、かまわないよ」

 どうせたいしたことは聞いてこないのだろう。すぐに終わらせて帰るとしよう。

「どうして、そんなに他人と話すのを怖がるの?」

 思わず彼女の顔を見る。心臓が止まるかと思った。

 俺の悩み事を話題に挙げられ、動悸が激しくなる。なぜ、なぜそんなことを言い出したのだろう。なぜ、分かったのだろうか。可愛らしい彼女の顔が黒く、どこまでも黒く感じてしまう。「なんで、そんな事を……」

「本でね、読んだのと一緒だったから。君が話すとき、私の目を見てるようで見てないの」

 本だと……!?そんな不確かなフィクションのことをうのみにして俺にそんなことを聞いてきたのか。図星をつかれてあせってしまったのが馬鹿らしく感じてしまう。だからと言って本当のことを話しなどはしない。

「そうなんだ、でも俺は違うよ。本の通りなんかじゃないよ」

 嘘だってことはばれているだろう。

「そうなんだ、変なこと聞いてごめんね。じゃあ、私がお弁当渡しとくね」

「ありがとう」

 そう言って彼女は僕から弁当を受け取った。

 俺はそのまま帰ろうとすると、彼女が後ろから声をかけてきた。

「今日はお話しできて楽しかったよ。またお話ししに来てね。それと、君の名前教えてほしいな」

 もう会うことなんてないだろうに、なんでそんなこと聞いてくるのだろうか、分からない。

「笹瀬健斗」

 くだらない、どうでもいいこと。無視してしまってもいいことなのに、答える。

「健斗君、また今度ね!」

 彼女はとびっきりの笑顔でそう言った。

 なんてことのない言葉。返すことが当たり前で、返せばいい簡単な言葉。なのに、俺は返すことができなかった。

 顔が熱い。何を考えているのか考えることができないぐらいに、熱いのだ。

 俺はこの熱を冷ます為に早足で外に出た。



 昔の思い出を思い出す。最初の出会い。

「俺の、初恋の相手が悲しむようなことはしたくないだけ……」

 気づいた時には目で追っていた。

 気づいた時には考えていた。

 気づいた時には想っていた。

 だから、何かしてあげたかったのだ。

 心から喜んでくれることを。

 自分が喜ばせられることはこれしかないのだから。

 あの時は何もなかったのだから。

「ただ、それだけさ……」

 そう、ただそれだけなのに、今も、心のどこかでは想っている。

 屋上から見えた桜は、昔とは変わらず、きれいで、はかないものだった。



 智樹君たちと別れた後、私、平岡涼香は陽菜ちゃんと一緒に家路についていた。

「大事な話って何なんだろうねー」

「そうだね。気になるけど、智樹君、いつか話してくれるって言ってたし、そのうち話してくれるよ」

 確かに気にはなる。でも、私は信じているのだ。彼とした約束を、小学校の頃の話をした日の。

 今日の彼の表情はその日の表情によく似ていた。きっと、健斗君との話とは小学校の頃の話のことなのだろう。

 そう思うと、彼の話を知っていないのは彼女、陽菜ちゃんだけでなんだか悪い気がしてしまう。

「まあ、二人とも変なとこですごく頑固だし、聞きだすのとかはあきらめてるけどね」

「確かに、二人とも頑固だね」

 彼女は二人の頑固なところを思いだしてかくすくすと笑っている。それにつられて私も笑う。

 ところでといって彼女は話しはじめた。

「久しぶりに女だけになったわけじゃない?」

「そうだね、ほんとに久しぶりだね。いつも四人でいるし、分かれたとしてもこの別れ方じゃないしね」

 いつも別れるとしたら、陽菜ちゃんカップルとあまりといった別れ方をする。なので、私と彼女と二人きりになるのは実は珍しかったりするのだ。

「こんな時だからできる話しようよ」

「こんな時だから?」

 こんな時だからできる会話というのはどんなものなのだろうか……。

「コイバナよ、コイバナ!!」

「へぇ!?」

 思わずどきっとした。コイバナ……、いつもは彼女たちのアツアツ話で終わっていたため何ともないが、今日はきっと違うだろう。矛先は私に向くのだ、きっと。

「涼香は、誰か好きな人とかいるの?」

「そ、そんな人、いないよ……」

 にやにやしながら聞いてくる。私は苦し紛れに答えるが、動揺していることは一発でわかってしまうだろう。どうしても、好きな人という言葉に反応してしまう。頭の中で勝手に彼のことが浮かんでしまうのだ。

「そんなこと言って~、智樹のことが好きなくせに~」

「なっ!?」

 ばれていた。いや、かまをかけられたのか?それはわからないが、露骨に反応してしまった。彼の名前を聞いただけで思わずどきりとしてしまった。ちょうど彼のことをかんがえていたからだ。

「涼香~、ばれてないとか思ってるのかもしれないけどさ、バレバレなんだよ?」

「えっ、ほんとに!?智樹君にも!?」

 驚いた声が出てしまう。もし彼にばれていたのなら、いろいろ話していた私がなんだか恥ずかしく思ってしまう。そして、あきらめなくてはいけなくなるから、認めなくてはいけなくなるから。

「いや、あいつはにぶちんだから、気づいてないよ」

「そうなんだ、よかったー」

 本当によかった。もし知られていたのなら、私は明日からどんな顔をして会えばよいのだろうか。いや、以前から知られていたのならいつもどおりにしていればよいのだろうが、嫌でも意識してしまう。

 私がほっと胸をなでおろしていると彼女はわなわなと震えはじめた。

「よくないよ!!」

「え、なんで?」

「あのにぶちんのバカはもっと攻めていかないとわかんないんだから、涼香からもっとがつがついかないと!!」

「ええー……、そういわれても、なんかやりづらいというか、照れ臭いというか……」

 昔の彼に何かがあったのは確実だろう。そして、それが今の彼にとってはとても大事で、彼の中を占めている大部分だと思うのだ。だったら、そのことが分かるまで、何かをするという気にはなれないのだ。それと、好きになってしまった相手にはなんだか素直に気持ちを伝えていくのはできない性格なのである。

「私にはそういうのは無理だよ……、陽菜ちゃん」

 泣き言をこぼしてしまう私に陽菜ちゃんは喝を入れる。

「涼香はかわいいんだよ!学校の誰よりもかわいいんだよ!」

「ちょっ!何言ってるの!?」

 なぜか私のことをほめてくる。あまりの恥ずかしさに彼女の口をふさごうとするが簡単に避けられてしまう。

「涼香に好かれてうれしいと思うことはあっても、嫌だと思う奴なんかいないんだよ!」

「そんなことないと思うけど……」

 彼女の言うことはあまりに飛躍しすぎている。どんなにかわいいアイドルがいても、人間好みがある。好きという人は当然多いだろうが、嫌いという人も少なからずいる。そして、その中に彼がいるかもしれないのだ。

 だがしかし、自信過剰なのかもしれないが、彼が私のことを嫌っているということはないだろう。しかし、好いているということもないのだと私は思っている。あくまで、友達として、私を見ているのだ。それ以上でも、それ以下でもないのだろう。

「智樹君は、私のことを友達としてしか見ていないと思うし、私の好意に気づいても智樹君はきっと、うれしいと思うだけで、それ以上は何も想わないと思うんだ」

 それに、と私は続ける。

「智樹君には、私達と知らないところで、とっても大切な人がいるんじゃないかって私は思っているんだ。だから、私は友達以上にはなれない気がするんだ」

 彼と話していると感じてしまうこと。勘違いだと思いたくて気にしないふりをしてきていたけど、あからさまにそう思わせるときがあるのだ。そんなときに私は「私を見てはくれないんだな」と思うのだ。

 私といても、私のことを見ていない。私が想っても、私を想ってくれない。それはひどく残酷なことだと思うし、ひどく自分勝手なことだと思うのだ。

 彼には彼にとって大切な人がいる。それが私と食い違っていても、何にもおかしくないことなのに、私は嫉妬し、ひがんでしまうのだ。それは、私の心が汚れているからだ。彼にふさわしくないから、そう思ってしまうのだ。

 でも、これは私の勝手な想像だ。これが事実かもしれないし、真逆かもしれないのだ。本当のことは彼から聞かなくてはわからない。だから、その時まで、私が想いを伝えるまで、そのことはわからない。そのことは認めなくてもいいのだ。

 私の言葉に彼女は訳が分からないといった表情をする。

「そんなこと分からないじゃない!想いの重さは時間に比例するの!どんなに智樹がその知らない女の子を想っていても、あいつの近くに今いるのは涼香なんだよ!」

 彼女は私の胸を指で刺しながら話を続ける。

「だから、あんたが今からいっぱい楽しい時間を過ごして、あいつの一番になればいいじゃない!」

「陽菜ちゃん……」

 私は彼女の言葉に勇気をもらう。そうだ、あきらめずに少しずつでいいから彼に振り向いてもらえるように頑張ろう。今からのそばにいるのは私なのだから。

「どうせ今もこれからも、私達はずっと一緒にいるんだろうからさ、いっぱいいろんな楽しいことして、近づいていこうよ!」

「そうだね!」

 私と彼女はそう言って笑いながら家路についた。帰り道に吹く春風は肌寒いながらも、どこか温かみを帯びていた。



 いつもの帰り道、いつもの風景。ただ違うのは一人だということ。いつもは隣にいる陽菜がいないことぐらいだ。

 俺は今日の智樹との会話を思い出しながら歩いていた。彼と初めて会ったのは朱里さんと二回目にあった時だった。その頃の彼は俺にないものを持っていて、まぶしかった。

 しかし、朱里さんが東京の病院に移り、彼とも合わなくなったまま、高校に入り、再会した。正直驚いた。見る影もなく変わっていたから。明るく、楽しそうな彼はなく、何もかもがどうでもいいと思っているように見えた。そんな彼のことが俺はどうしても許せなかった。自分にはないものを、朱里さんからの好意を受けているのに、答えない。動こうとしない。悲壮にくれているだけの日々。許せるはずがない。

 だから、俺は彼に近づき、彼を元に戻そうとした。あの頃に。そうすれば、彼は動き始めるはずだと思ったからだ。朱里さんのために。

 いや、ただ俺の自己満足だ。あの約束にも、この想いにも崇高なものなどは介在していないのだ。

こんな男になら負けてもしょうがなかったと思いたいからだ。あの頃の彼になら負けてもいいと思った。しかし、再会した彼は違う。あんな抜け殻に負けたなんて思いたくなかった。だから、むきになったのだ。朱里さんの名を使って自分の気持ちを、いら立ちを吐き出したなんて思いたくないし、絶対に違うのだ。

 初恋の患いはもう治ったはずだ。でなければ、今の彼女に対するこの気持ちは何になるのだろうか。

「遅かったね、健斗」

 帰り道にある公園のベンチのほうから声をかけられた。

 ぎょっとした。ちょうどこの声の主のことをかんがえていたからだろうか。それとも、彼との会話で、彼女に対しての罪悪感がぶり返したからだろうか。

「先に帰ってたんじゃないのか?陽菜」

彼女の顔はどこか悲しげだった。今の自分も、こんな顔をしているのだろう。

「うん、涼香と別れるまでね」

彼女は淡々と答える。

「どうしたんだ?俺が恋しくなった?」

「そうだね、健斗達が、朱里のことで話してたから、恋しくなったのかも」

 当然、気づいていたのか。なんだか、あの頃を思い出す。俺たちが付き合い始めたころを。

 お互いの、心の隙間を埋めるために利用しあっていたころを……。

思い出すたびに胸を締め付け、さすように痛む。

動き始めるための代償かのように、俺たちの痛いところをついてくる。

これは、仕方のない罰なのだ。

約束をたがわぬために支払った――……。



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