第3話前編 彼は原点を思い出し、もう一つの物語は幕を開ける

「そんなことがあったのか……」

 話し終えると、健斗はそう言葉をこぼした。

「今となってはつらい思い出でもあるけどな……」

 思い返すたびに後悔する。

 思い返すたびに死にたくなる……。

 思い返すたびにやるせなくなる……。

 思い返すたびに……。

「そんなこと言うなよ、智樹にとって大事な思い出だろ?」

「そうだな……」

 たしかに、どれだけつらいものであっても、朱里との思い出。

 大切で、かけがえのないもので、今は積み重ねることのできないもの……。

「智樹の朱里ちゃんに対しての想いも、考え方も大体わかったよ」

「そうか……分かってくれたなら、話が早いのかな?」

「そうだな」

 笑いながら、言葉を続ける。

「一番よく分かったのは、智樹が朱里ちゃんのことがどうしようもなく大好きだってことだけどな」

「当たり前だろ?」

 健斗の言葉に俺は笑いながら答える。

 そして「でも……」と俺は言葉を続ける。

「それよりも、俺は朱里のためになりたいんだ」

 決めたのに……。

 朱里のため……ためだけに生きるって……。

 俺は俺のすべてをささげると……。

「朱里が助けを必要とするなら、俺は助けたい」

 サインはあったはず……。俺はそれを見逃した、気づけなかった。

 だから、今度こそは見逃さない。気づいてやる。そして、絶対に助ける。

「朱里が望むなら、なんでも叶えてやりたい」

 理不尽を押し付けられた生。せめて、望むことはすべて叶えてやりたい。

「朱里が喜んでくれるなら、笑ってくれるなら、何でもする」

 俺がそれを見たいから。それが、俺の最大の幸せだから。

「朱里のために、朱里のためだけに生きていたいんだ!」

 それが、俺の後悔を消す方法。

 これが、朱里に対する俺の想い。

「何で……そこまで……?」

 意味が分からないという顔。理解できないという声。

当然のことだと思う。俺の言葉は重すぎるものかもしれない。

「……朱里がこぼしたんだ」

 朱里に会いに来る人が同じような顔ぶれになったころのことだ。

「『みんな……私のこと忘れちゃうのかな……』って、そうこぼしたんだ」

 その時の朱里の顔は忘れられない。

 もう、見たくない。

 もう、させたくない。

「俺は忘れない。絶対にだ」

 だから、宣言する。

 健斗にでも、朱里にでも、誰でもない、自分自身に。

「そして、理不尽を押し付けられた一生を、俺が変えてやりたいと思ったんだ!」

 俺が、俺だけができること。

俺が、しなくちゃいけないこと。

「朱里に与えられない当たり前の幸せがないんなら、俺がみんなには与えられない特別の幸せを与えたいって思ったんだ……!!」

 だから、俺は毎日会いに行った。

 だから、未来を語った。

 みんなに与えられるものよりも特別な未来を……。

「なのにっ……!なのにっ……!!」

 思い出す……あの時を。

 決めたこと、覚悟したことを守れなかったあの時。

 声を、手を伸ばせなかった、あの時。

 つかめば変わっていたはずのあの時をっ!!

「俺はダメだった……!!」

 頭によぎってしまった。

 朱里が目の前で苦しむところが……怖くて泣くところが……死ぬところが……。

 すくんでしまった……曲がってしまった。

 俺の声が、心が、覚悟が……。

「だからっ……!!俺は次こそは間違えない!!失敗しない!!曲がらない!!」

 今度はつかむ。

 つかんで絶対に離さない。

「絶対に!絶対にだっ!!」

 繰り返す。

 決意を強めるため、もう決意をたがわないために。

「俺は!俺のためにじゃなく!!朱里のために!!!朱里のためだけにっ!!!!」

 叫ぶ。

 今度は絶対にすくまないように、曲がらないように自分自身を鼓舞するために。

「そうしないと、ダメなんだ……」

「……わかった。わかったよ……」

 最後には泣きそうな、今にも消えそうな声になってしまう。

 そんな俺に健斗は呆れたような、そして悲しそうにつぶやく。

「……何が?」

「智樹が失敗した、間違えた理由だよ」

 俺の問いに返ってきた答えは、俺が追い求めた内容だった。

「っ!!本当か!頼む!教えてくれ!!」

「わかってるよ、落ち着けって」

「す、すまない……」

 思わずがっついてしまう。

 健斗は人差し指を立て、問いかける。

「教える前に、一つ質問に答えてくれ」

「ああ、いいぜ」

「『お友達』としてのか、『友達』としてのもの。どっちがいい?」

 奇怪な質問。

 ふざけているのか疑いたくなるが、健斗の真剣な表情からその心配はないと判断できる。

「……『友達』としてで」

 俺は迷わず後者を選ぶ。

「そういうと思ってたぜ」

 にかっと笑い言葉を続ける。

「じゃあ、早速言うか……」

 そう言うと空を仰ぎ、一拍おく。

「智樹……お前さ、気持ち悪いんだよ」

 友達から出てきた言葉は衝撃的で、予想外なものだった。

 冷たい、ただただ冷たい。

 そんな声だった。

「なっ!?」

 あまりの衝撃でとっさに声が出ない。

 驚きで固まっている俺に目もくれず、健斗は続ける。

「俺はさ、智樹のこと……いや、智樹たちのことを尊敬してたんだ」

 自嘲気味に笑いながらそういう。

「それも違うな……嫉妬してた」

 暗く、冷たい声。

 その負の感情は自分に対してなのか、俺に対してなのか、俺にはそれはわからない。

「俺が、ガキの頃からほしいと思っていたものを持っていたからな……」

「な、なにを言ってるんだ……?」

 健斗の昔に何があったのか俺はわからない。

 何を思っていたなんて俺にわかるはずがない。

 だから、この会話の意味も全くと言って俺にはわからないものだ。

「俺はさ……他人を信用しきれなかったんだよ、昔はさ」

 健斗は続ける。

 それはきっと意味のあることなのだろうから。

「だってさ、他人の考えてることなんてわかんなし、分かんないってことは怖いことじゃないか……」

 それは……よくわかる。

 何を考えているかわからないから怖い。

 目の前で、笑っているように見えてその実は全く逆のことを思っているかもしれない。

 そう考えると、とても怖く感じてしまう。

 俺も、朱里が笑っているようで内心、死の恐怖を感じていたのかもしれないと思うと怖くなってしまうことがあった。

 朱里が怖がっている前で気づきもせずにのうのうとただ、笑っているだけ。

 そして、俺はそれをしていたのだと思う。いや、させていたのだろう。

 考えるだけで気持ち悪くなってくる……。

「だから……お互いを信用しきってて、想いあってて……羨ましかったし、惨めだった……」

「惨め……?」

「ああ……他人を信用しきれない自分が、信用できる相手がいない自分が……」

 悔しそうに、苦しそうに、泣きそうにそう言葉を吐き出す。

「そして何より、周りが、他人が悪いんじゃなくて、自分の考え方が、心が悪いんだということを教えられたような気がしてな……」

 自嘲気味に笑う。

 俺にはそのことがそれほどまでに気になるものとは思えない。

 しかし、健斗にとっては違うのだろう。いや、違ったのだ。

「それなら……」

 だからこそ、分からない。

「それならなんで、気持ち悪いって言葉が出てくるんだよ!?」

 なぜ、嫌悪なのか……、羨望や、嫉妬ではなく。

「違うんだ……違うんだよ、智樹……」

 呆れたように、健斗は答える。

「お互いを信用しきって、想いあうことと、智樹のしてることは全く、全然、これっぽっちも違うんだよ……」

 健斗の目には、「お前じゃない、お前じゃなかったんだよ」と告げているように見えた。

「何が違うっていうんだっ!!」

「昔のお前にはあったんだよ。心底あこがれたし、悔しかったし、嫉妬もした」

 俺を見ているようで見ていない。

 きっと、昔の俺を見ているのだ。

「なのに……」

 呆れた声。

 ずいぶんと、変わってしまっているのだろうか。

「今のお前は何なんだ?」

 それは、何度も自分に問いかけた。

 しかし、その問いに答えは一度も返ってきたことはない。

「見る影もない、ただの木偶じゃないか……」

 失望と、失意の声。

 ヒーローに憧れをもつ子供が現実を見るときのように、健斗もまた、俺に見ていた過去の残像との相違に落胆しているのだ。

「信用して相手を想うってことはさ、何があっても相手のために想い、行動していくことなんだよ……それだけでよくて、それが難しいことなんだ」

 遠い昔を見ている。そう、俺は感じた。

 遠い昔しか見てないのだ。

 それほどに、俺は見る影もないのだろうか。

「そんで、智樹の今していることは相手に自分の想いを押し付けてんだよ。いや、想う理由を、想うことで出てくる責任を、なにもかもを相手に押し付けているんだ……」

「俺が……朱里に押し付けている……?」

 健斗の言葉が、俺の中にある何かに触れた。

 思う理由?責任?意味が分からない……。

 俺は背負おうとした。

 そして、背負いきれなかった。

 ただ、それだけだ。それだけなんだ。

「意味が分からない!!」

 何が、何が押し付けているだと?

 何も知らないくせに、何を知った風に!!

「俺は朱里のおもうことを!!朱里の助けになることを!!朱里のために!!朱里のためだけに!!それだけを望んでいるし、それだけしか望まない!!」

 そうだ、俺は朱里のためだけに、その為だけに生きる。

 それなのに、なぜ!!

「それの何がっ!どこがっ!!悪いっていうんだ!!!」

 俺は健斗に胸倉をつかみ、胸の中に渦巻いている想いをぶつけた。

「それだよ!それなんだよ!!それが気持ち悪いっていてんだよ!!」

 振りほどくでもなく、まっすぐと俺の顔を見て健斗は言い放つ。

「っ!?」

 思わず手を放してしまう。

「そうやって、想っていることを朱里ちゃんに押し付けてる!!」

 押し付けてなんていない。

 俺は、朱里が望むことを、喜ぶことをしたい、するだけだ。

「そりゃそうだよなぁ!そうしてりゃ楽だもんな!!」

 そんな、ことはない。

 一緒に入れないことのほうがつらい。

 死ぬなんて、決まったことじゃない……。

「いずれ死ぬ!自分よりも早く!望まない形で!そんな相手の近くに、自分の意志で一緒に居続けるのはつらいもんなぁ!惚れた相手ならなおさらだ!!」

 ……違う。

 俺は、一緒に居続けたい。

 ずっと、寄り添っていたい……はずだ。

「だったら、一緒にいる理由を相手に押し付けたら楽だよなぁ!!」

 違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う!!!!

「違うっ!!」

「違わねえよ……」

 あっさりと俺の言葉は否定される。

 なぜだか、否定されたはずなのにほっとしている自分がいる。

 きっと、分かっていたのだ。

 歪んでいる自分に。

 そして、気づかないふりをしていたのだ。気づいてしまうと、自分を責めるから。気づいてしまうと、もう気づかないふりをすることができなくなるから。

「お前は朱里ちゃんのことを想っているようで何も想っていない!考えているようで何も考えていない!助けようとしていて何も助けになっていない!!」

 やめてくれ……。

「一番怖くて、一番したくないことをお前は押し付けているんだよ!!」

「何のことだよ!!」

 悪あがきだ。

 気づきたくない、しかし、もう遅い。

「一緒にいるための理由だよ!」

 押しとどめていた事実を口にされる。

「朱里のため?ためだけに?何言ってんだよ!お前が楽したいだけだろ!?」

 そうだ。

 なにかするとき、その理由を他人に押し付けることはとても楽なことだ。なにか不具合があっても、言い逃れができる。

 俺は別に好きでいるわけじゃない。頼まれたから、求められたから、しているだけ。そうやって、逃げ道が用意できる。

「昔のお前はそんなんじゃなかったよ!朱里ちゃんのことが心の底から好きだから、一緒にいたい!一緒にいるって!そうだったんじゃないのかよ!?」

「お、俺は……」

 昔を思い出す。

 それは遠い、すごく遠いものに感じられて、おぼろげにしか思い出せない。でも、それでも、あの時の自分は自分の意志で、好きでいた。

 それだけは、確信できる。

「今のお前は!朱里ちゃんのことが本当に好きなのか!?」

 当たり前だ。一度たりとも忘れたことはない。

 うれしいときの顔、楽しいときの顔、悲しい時の顔、泣き顔、悔しそうにする顔。

 そして――

「好きだから一緒にいたいんじゃないのかよ!?」

 朱里の、笑顔を――。

「俺はっ……怖かったんだっ……!!」

 こぼれだす。

 隠していた想いが、言葉が、涙が……。

「朱里が死ぬかもしれないってことを周りから強く言われて……朱里の手術とか泣きそうな顔を見て、朱里のいない未来のことをかんがえちまったんだ!!」

 そのことだけは、鮮明に、色あせることなく、俺の中に巣くっている。

「そしたら……、急に怖くなった……」

 気を抜くと、考えてしまう。

 悪い方に、悪い方に。

 そして、怖くて怖くてたまらなくなるのだ。

「朱里と会えるから幸せだった……朱里と話せるから毎日が楽しかった……朱里が笑ってくれるから、朱里と一緒にいるから俺も笑ったし、うれしかった……」

 ただそれだけでよかった。

 ただそれだけがあればよかった。

 ただそれだけがあれば、俺は幸せなのだ。

「なら、朱里がいなくなったら……」

 その、すべてがなくなってしまう。

 そのすべては真逆になってしまう。

「そう考えてしまったら、もう止まらくなったんだ……」

 俺のすべてが、俺の前からなくなってしまったら、奪われてしまったら……。

 俺は俺でいられるのだろうか。

 俺は生きていけるのだろうか。

 俺は、これまでの人生を、出来事を、朱里のことを、恨んだりしないだろうか。それが、一番怖い。

「朱里が会いたくないって言ったから、会わないんじゃない……」

 もし恨んでしまったら……。

 自分よりも、何よりも大切な人を恨んでしまうことだけは、したくない。

 してはいけない。

「本当は……俺が怖いから会えないんだ……」

 心のどこかで、奇跡なんて起きないと思っている。

 朱里は、長くなく、死んでしまうと。

 なら、会えば、思い出を、時間を、想いを重ねてしまったら、それだけ俺の中に残ってしまうものが多ければ、それは俺に降りかかってくる。

 どうしようもない、重荷へと。

 俺はそれに耐えることができるのだろうか。

 俺はそれを飲み干せるのだろうか。

「失うのが怖い!目の前で苦しむのが嫌だ!笑顔だけ!笑った顔だけ見ていたい!!」

 上面だけの、きれいなものだけを味わうのなら、そんなことで悩むことはない。

 どうでもいい他人なら、上面だけのきれいなモノだけでいい。

 でも、朱里のこととなるとそうとはいかない。

 全部、なにもかも味わいたくなるのだ。

 なにもかもすべて、共有したい。負担したい。

 しかし、それは俺にとってはあまりにも重すぎるものだ。

 つらく、苦く、辛く、苦でしかなくなってしまうもの。

 いずれ、近くに訪れるのであろう終焉は、俺の甘美な蜜すべてを、苦汁へと変えてしまう。

 否、そうとしか感じ取れなくしてしまうのだ。

「覚悟していた!!知っていた!!わかっていた!!それなのに!!」

 その片鱗を、まじまじと見せつけられると、俺は潰れてしまった。

 耐えきれなかったのだ。

「俺は弱い……どうしようもないほど、心が弱いんだ……。自分の意志だけで、朱里に会いに行くことができない。朱里のためだとか、約束を守るためだとか、そんな理由がないと動けないんだ。ただ、俺が会いたい、好きだからって理由で会いに行けるほど、俺の心は強く、ないんだ……」

 情が深くなればなる程、それは自分に返ってくる。

「きっと朱里はそんな俺のことを見抜いていたんだと思う……」

 朱里も、俺と同じはずだ。

 いや、もっとつらいはず。

 なのに、朱里は自分のことだけにならず、俺に気を使った。

「だから、会わないようにしたんだ……俺のために」

 情けない。

 請け負うべきは俺なのに。

 与えるのはお互いなのに。

 つらいものは、ないはずなのに……。

「俺はわかっていた……気づいていた……知っていたのに、とぼけていたんだ……」

 つらいのは自分だけ。

 そんな風に考えてしまっていたのだ。

 残されることへの恐怖におびえてしまった。

「わからなければ、気づかなければ!知らなければ!!楽でいいから!!」

 これからの時は、楽しいことだけじゃなく、つらいことが多くなる。

 時を重ねれば、苦しいことが増えてくる。

「好きだから!!大好きだから!!一緒にいるのがつらいし、怖んだっ!!」

 なら、あの時の、楽しいばかりだった、二人の思い出のきれいな上澄みだけを掬い取ればいいと考えてしまった。

「俺には……朱里と一緒にいる資格なんてなかったんだ……」

 そうだ。

 資格なんて、俺にはなかった。

「あの頃から……ずっと……」

 そして、今も。

「今更、会いに……いかないほうがいいのか……」

「何言ってんだよ!!お前!!」

 健斗が驚いたといった感じで声を荒げる。

「何って……仕方ないじゃないか……。俺は根が弱い、弱すぎるんだ。こんな俺が近くにいても、互いに傷つくだけじゃないのか?繰り返すだけじゃないのか?」

 根が変わっていないのなら、性質が同じままなのなら、きっと繰り返すだろう。

 それは、してはいけないのだ。

 せっかく朱里が勇気を振り絞って選んだ妥協の今。

 それを覚悟も変化もなく俺が壊してしまうのはしてはいけないことだ。変わることのできない芋虫は這うことしかできない。失意と恐怖と、後悔のみの地面の上を。

「俺は自分が楽な方にいくために朱里に苦しくてつらい方を押し付けた……。そんな奴に……そんな奴に!!一緒にいていい資格なんてあるはずないだろっ!!」

「そうじゃないだろっ!!」

「じゃあなんで今更会いに行きたいって言いだしたんだよ!!なんで昔のことを思い出したいって!!昔の怖がってなかった自分に戻りたいって言いだしたんだよ!!」

「それは……」

 言葉が出てこない。

 少し前まで持っていた会いたい理由は、自分で否定した。

 でも、それでも!会いたい……。

「お前は朱里ちゃんに会いに行きたいんだろ!?会いたいんだろ!?だったらなんでそんな簡単にあきらめてんだよ!!」

「資格が……資格がないんだ……俺には……」

 何もない、無くしてしまった俺がいても、迷惑にしかならない。

「資格なんていらないんだよ!!」

 煮え切らない俺の胸倉をつかみ、叫ぶ。

「好きな人のそばにいるのに、資格なんていらないんだよ!!」

「好きだって想いが!誰にも負けないそんな思いがあればそれだけでいいんだよっ!!もう曲がらないって、覚悟があればそれでいいんだよ!!」

「お前にはないのかよ!!好きだって想いが!!誰にも負けないって想いがよ!!曲がらないって覚悟がっ!!」

 ……あった。覚悟なら、想いなら!

 いや、あるのだ。

 覚悟も、想いも!!

「お前の本当の想いを言ってみろよ!!飾らない!!本当の想いを!!!」

 あったのだ。

 自分のルーツに。

 朱里と初めて会った時から、変わらない。

 ただ一つの想いと、願い。

 いまだなお、色あせることなく、より一層鮮やかになっている想いが!!

「っ――……俺はっ……朱里のことが好きだ!!大好きだ!!」

 そうだ。

 最初から、何一つ変わらない。

 たった一つの大切な想い。

「だから!!一緒にいたいっ!!朱里のためとか……そんなんじゃなくて、俺が一緒にいたいから!!」

「そうだ!!相手に理由を押し付けるんじゃない!!自分がそうしたいからそうする!!それが、昔お前がやっていたことだろ!?」

「で、でも、それでも俺は動くことができないんだ!大切だから、愛しているから、失うのがどうしようもなく怖いんだよ!」

 だからこそ、俺はいまだにこんなところで弱く、みじめに生きているんだ。それだけでこの不安に、必ず来るであろう最悪の結末には立ち向かっていくことができない。

 そんなみじめな俺を見て、健斗はなお叫び、呼びかける。

「惚れた女の前でかっこつけれなくて何が男だよ!朱里ちゃんの方がお前よりもっと怖いに決まってるだろ!それでもお前のためを思って突き放したんだ!なsら、今度はお前が何かする番だろ!お前には何ができるんだよ!」

 その言葉に、自分の心臓が大きく高鳴ったのが分かった。あの時の朱里の言葉、声。それを思い出した。彼女の覚悟の強さ、そして心の強さを思い出し、今の自分と比べる。

 なんて弱い、なんてみじめなんだ。わかっていたことだが、なおさら思ってしまう。彼女が俺を想って突き放すのなら、俺は彼女を想って寄り添わなければいけないのだ。

「……何もかも、吹っ切れたよ」

 思い出した。

 昔の俺は、体裁とか、未来とか、そんなものは一切考えてなんかいなかった。

「怖さとか、未来なんてどうでもいい。ただ、一緒にいたい。朱里と、一緒にいたい!」

 ただただ、朱里といたい。

 好きだってことしか考えていなかったのだ。

「俺は朱里が好きだから、ただ好きだったから、ずっとそばにいたんだ……」

 いつから、隠れてしまったのだろうか。

 いつから、それ以外を考えるようになってしまったのだろうか。

「朱里がそう望んだんじゃない……俺がそう望んだから!!」

 もう、迷わない。

 ただまっすぐに、朱里を愛す。

「だから、今からは俺はそうする!!朱里がどうとかじゃない!!俺が一緒にいたいから!!」

 もう、揺るがない覚悟を持って。

「ありがとう……健斗!俺、思い出したよ!!昔の想いを!!」

「別にお前のためじゃないよ……」

 一瞬、寂しそうな顔をした後、当然だといった顔に変わる。

「俺は高校に入って、智樹と再会して、なんか悔しかったんだ」

「悔しかった?」

 嫌悪じゃないのか……?

「ああ、昔のお前たちは俺にとっての理想だったんだ」

 また、遠い目をした。

 当時のことは、健斗にとってはそれほどに大切なことなのだろう。

「そんなお前が見る影もなくてなんか悔しかったんだよ……。俺の理想が壊されたみたいで……」

 そうにかっと笑う。

「だから、俺がやったことは俺のためだ。だから、お礼なんていらないんだよ」

「そうか……なら、そういうことにしとくよ」

「ああ、そうしておいてくれ……」

 しんみりとした空気が流れる。

 それを嫌って俺は屋上を出るように促した。

「じゃあ、そろそろ帰るか」

「智樹、悪いが先に返っててくれるか?一人で風に当たってから帰りたい気分なんだ……」

「わかった、先に帰るよ。じゃあ、また明日な……」

「ああ、また明日」

「ありがとな、健斗……」

 そういって、俺は屋上を後にした。

 もう迷わない。

 もう戸惑わない。

 ただまっすぐに、俺の想いを貫くために、進むだけだ。

学校に咲く桜の木は、ただ堂々と、青い空の下で咲き誇っている。



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