第2話中編 そうやって彼は物語を再開する

「ただいま……」 

 いつも通り返事は帰ってこない。

 母親はまだ帰っていないようだ。

 俺は自分の部屋に道具を置き、ベッドに寝転がり涼香との別れ際の会話を思い出す。

 自分自身になることが俺の、この後悔の解決方法か……。

 改めて自分自身がどんな奴かと考えるとよくわからない。でも、そんな中でただひとつわかることがある。いや、それしかない気がしてくる。

 それは、朱里のことを何よりも大切で、大好きだということだ。きっとこれは本当の自分だ。

 朱里が去ってしまってからはただ後悔して、自己嫌悪と朱里に対する申し訳ない思いで押しつぶされていた。

 朱里にしてやれることを考えもしないで……。


 ――なんで考えなかった?


 昔のことをかんがえているとたまに問いかけてくる、自分の中のもう一人。

 ただ冷静に、俺を責め立てる。問いかける。

 こいつはきっと、俺の心の奥にある本当の言葉を言っているのだと思う。

 だから、俺は正直に答える。


 情けない……自分が全部悪いから……!

 一度の拒絶で、朱里の本心からじゃないってわかっていても、怖くて今までの自分でいられなかった!

 何よりも大切な存在からの拒絶で、自分らしさが揺らいでしまった!

 そんな自分が全部悪いから……。

 俺にとっては朱里がすべて。

 そのすべてを明確に、逃避することもできずにまじまじと、目の前で失うことに俺は、恐れてしまった。

 知らなければっ!見なければっ!聞かなければっ!会わなければっ!

 どんなに都合のいいことでも考えられる、思っていられる、望んでいられる!

 そんな風に、あの頃から考えていた。

 それも無意識に。

 そんな自分が、どうしようもなく、憎かったからだ!!


 ――どうせ朱里は死ぬ。結果は変わらない。なら、見届けてやろうと思うべきなんじゃないのか?


 そんなのは、分かっている!

 ただ俺に、受け止めきれるだけの強さと、覚悟がなかった。

 それだけなのだ……。

「くそっ……!」

 自問自答をしているうちに自然と涙がこぼれてしまう。

 情けない。

 ただただ、自分が情けない。

 ずっと前からわかっていたことだが、再確認して、なお思う。

 俺は朱里との楽しかった思い出を思い出すことが極端に少なくなった。それは思い出してしまったら、無性にやるせなくなってしまうからだ。無くしてしまったものの大きさを、どうしようもないくらいに教えられるから。

 自分を守るために。

 俺は今までの自分に戻れることができるのだろうか……。自分らしくなるために、俺は朱里と向き合わなくてはいけない。朱里とのすれ違いで俺は自分らしさを失ってしまったのに……。

 もう一度朱里としっかりと向き合えるのだろうか……。今更俺から歩み寄っても、迷惑にしかならないのではないのか……。

 そんなことばかり俺の頭の中に浮かんでくる。

 一度ついた負け癖はなかなか治らないようだ……。このままではだめだ。気持ちを入れ替えないと……。

 変わらなくてはダメなのだ。今更かもしれないけど、ずっと後悔していた。変わりたいって、思っていた。

 なら、変わって、朱里に会って、謝りたい。

 ずっと一緒にいてやれなくてごめんって!

 あの頃からずっと、変わらず大好きだって!

 なら、今の俺ができることは……!

 昔やっていたことをしたら……、どんなのだったか思い出せばいいのか……?自分らしかった自分なら、なくしていない自分なら何ができるのだろうか?

 いや、失敗した昔の自分を想像してもだめなのか?

また、繰り返してしまうのか?

 なら今の自分にできることは何だ?失敗した今の自分だからこそ、たどり着けるのであろう答えはっ……、何だ!?

 目を閉じ、じっくりと、考える。

 その結果、たどり着いた答えは――……






「ない……。今まで俺は何もしてこなかった。……何もないんだ、俺には」

 たどり着いた答えは、単純明快、無だ。

 いくら考えようが、俺には解は用意されていなかった。

 当たり前だ、本当に何もしてこなかったのだから。

 変化どころか、停滞し、よどみ、腐っていたのだから。都合よく、最適解が見つかるわけがない。変化を求めなかった者、変わる意志のない者に、なにかが与えられるはずもない。

「……はは……はっ……!」

 乾いた笑いしか出てこない。

 当然だ。どうしようもないほどに空っぽの自分にはそれぐらいしかないだろう。

 そんな当然のこともわからないようなめでたい自分には、それがお似合いだ。


 ――わかっただろ?あきらめちゃえよ。


 ……うるさい……。わかったように問いかけてくるな。俺はあきらめない……!もう、あきらめないんだ!


 ――お前には何にもない、ないんだよ。だから、何もできない。自分らしくとかさ、無理なんだよ。


 ……うるさい。そんなのわかってる。


 ――簡単に会えて、話せていたあの頃に何もできなかった。なら、簡単に会えも話せもしない今のお前に何ができる?してやれる?今まで何もしてこなかったお前が今更!何ができる!


 なにか、今は思いつかないだけで、今の俺にしかできないことがあるはずだ!


 ――過程を飛ばして結果だけを求める。なんて怠惰で、傲慢なんだ? 


 うるさい!


 ――お前は勘違いしている。何かと口を開けば、朱里のため、朱里のことが、朱里だけが!薄っぺらくて気持ち悪いんだよ。


 なにが!何が薄っぺらいんだ!?俺にとって、朱里はすべて!すべてなんだ!


 ――それだよ、それ。朱里に何かをする、一緒にいる、会う、話す、その理由を全部朱里に押し付けている!それが、薄っぺらくて気持ち悪いんだよ!


 っ――!!……俺にとって……、朱里がすべてで……それだけで……。


 ――お前に自分らしさは無い。昔も、今も、最初から。押し付けて、逃げていたんだよ。


 じゃあ!自分らしさってなんだよ!本当の俺って何なんだよ!! 


 ――自分で思い出せ。最初はあったはずさ。


 それを最後に、もう一人との自問自答が終わった。

「最初はあった……本当の俺?」

 もう一人が最後に行った言葉。それさえわかれば、俺は進めるのだろうか?変われるのだろうか?

 そのわからない問いの答えを見るように、ふと見た窓の外には光り輝く月と、桜が舞っていた。その光景が、朱里と会った最後の日をフラッシュバックさせる。正確には、最後に交わした、桜を見る約束を。

「結局、約束を破っちまったのか……。今まで破ったことなかったのにな」

 そうつぶやくと、なぜか涙が零れ落ちてくる。

「何者にでもなれるなら、俺は強い自分になりたいよ。朱里を抱きしめて、もう離さないぐらい強い、そんな自分に俺はなりたいよ……」

 そうこぼしても現実は変わることはなく、ただ弱い自分を自覚させるだけだ。ふと、現実から目をそらすように本棚のほうに目を向ける。そしてただ何となく一冊、本を抜き取った。するとくたびれたノートが一冊落ちてきた。

「やりたいことノート……」

 朱里と昔書いたノートだ。体が弱くてできないこと、病院からでれなくてできないこと、それを治ったらすると言って書いてたノートだ。たしか絵も一緒に書いてたな。最終的には飽きて「これ叶えてね」って渡されたんだっけ。

 思い出に浸りながら、ノートを開く。

「修学旅行に行けなかったから、智樹と一緒に修学旅行に行く。夏に智樹と一緒にキャンプに行く。智樹と一緒に沖縄でダイビングをする」

 そこに書かれているのはつたないながらに楽しそうに書かれた朱里の姿と、隣で笑う俺の絵だった。すべてのやりたいことが、俺といっしょに描かれていた。

「智樹と一緒に桜を見る……」

 そう書かれたページで俺は読むのをやめた。これ以上読むとノートを濡らしてしまうから。

 そして、どうしようもなくわかりきっていたはずのことに気付いた。俺は朱里のことが好きだということ。朱里がいないとダメなんだということだ。

 朱里が何と言おうと、俺がどれだけみじめで弱かろうと、朱里が必要なんだということだ。

 だからこそ、俺は変わらなければいけないのだ。このノートに書かれたことをかなえるために。最後に交わした約束を守るために。俺は彼女のもとに行かなければいけないのだ。

 そう決意して、窓から見える桜を見上げる。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る