第6話前編 彼と彼女の想いは立夏のごとく湧き上がる


「まさかそう来るとは思わなかったな」

 智樹と涼香と別れた後、隣を歩く健斗はそうつぶやいた。先ほどの智樹の発言は正直私も驚いた。智樹なりのけじめのつけ方だろうが、さすがにかっこつけすぎな気がする。

「まだ朱里に会うのが怖いのかもね」

 素直に会えないだけかもしれないが、きっとまだ怖いのだろう。空白の時間はその分だけ重みになっていくのだろう。

「そうかもな。でも、智樹なりに考えてのことだろ」

 健斗はそう言って遠くを見る目をする。近い未来に見ることのできるであろう、あの頃に酷似した光景を想ってだろう。

 私も同じように未来の光景を想う。その光景は、健斗とは異なるものなのは想像に難くない。それは涼香という存在だ。

 私たちの元の計画の中には彼女の存在はない。彼女は智樹を歩ませるのに使えるコマでしかないのだ。そう言った考えしか健斗は持っていない。もちろん、私もそうだった。

 高校で智樹と再会したときに、必然的に四人になった。その時に、私と健斗は彼女が智樹に好意を寄せていることに気が付いた。そこで私たちは話し合って彼女をうまく使うように計画したのだ。

 自分の鏡のような存在を間近で見ることで彼の背中を押すことになるだろうと。彼女はかならず智樹に告白する。そしてそれは必ず過去の智樹と被るものになるだろう。疑似的に、朱里の立場にさせる。そうすることで彼の中で大きな変化が生まれるだろう。

 けっして間違えない、振り返らない、突き進むと。彼が決めるであろう、決めただろう道をまっすぐに進む。その決心をさせるのに、涼香という存在は非常に役に立つのだ。

 我ながら最低な話だ。失笑とも、苦笑いともとれるような吐息を漏らす。

 これはこのくそったれなシナリオに対してではない。もちろん、これを考え付いた自分たちにでもない。中途半端でどこまでも卑怯でどっちつかずの自分に対してだ。

 私は心のどこかで、いや、半分ほど、涼香がうまくいってしまえばいいと思っていたのだ。それはこの先智樹に待っている結末を想ってではない。そう思ってならまだいいのかもしれない。

 ただ、私は涼香のことが好きになっていたのだ。ただただ純粋に、普通に、恋をしている少女のことを応援してしまっていたのだ。朱里には劇的ともいえる恋愛が用意されていて、私には敗北的な恋愛が用意されていた。

 別に今の恋愛に、健斗に不満があるわけではない。ただ、失恋の先に私たちの愛は用意されていたのだ。そしてその出発点と終着点は同じなのだ。そう、すべては朱里につながる。私たちの愛は朱里から始まって、朱里で終わるのだ。

すべては彼女から始まった。彼女はとらわれの姫。そこに救い出す王子様と、それを助ける小人か何かのわき役。そんな御伽噺。そんな世界に表れるのは普通の、シナリオにとらわれない少女。そんな少女を見て、このシナリオを壊してとらわれのない自由な即興劇に変えてくれないかと望むのは、小人には許されないのだろうか。

だが、所詮役者なのだ。決められた枠からは飛び出せない。私たちの脚本の中で生まれた異常は、脚本に取り込むことで正常に変える。涼香には決して実らないという、恋愛を用意したのだ。

そんな最低な私なのに、涼香の恋を応援してしまうのだ。押しつけがましい親友として、彼女を応援してしまう。その行為がどれだけ最低で、残酷で、親友とは真逆のことだとしてもだ。だからこそ、私は自分に対して笑えてくるのだ。

悪役に徹しきればいいものを、徹しきれずに中途半端に手を差し伸べようとする。これほどまでに悪役よりも悪になれることもないだろう。私の思い描く理想の未来は朱里も、涼香もともに笑いあっている世界。その真ん中には当然智樹がいる、そんな世界だ。

熱狂的な愛の交差する関係で、それはあり得ないことだろう。相手のために自分のすべてを捨てて愛し合うような関係に割って入るのだ。皆が幸せになるような結末は存在しない。するわけがないのだ。

私の望む未来は、すっかりと暗くなった周りのように、どこに行けばいいのかをわからなくなっているのだ。

「陽菜、どうしたんだ?」

 ぼーっと暗闇の先を見つめている私に、健斗は心配そうに声をかける。

「なんでもないわ」

 反射的に答える。実際は涼香のことで頭はいっぱいなのに、悩んでいるのに。すべて自分で仕組んだことで、心配したり悩むということは完全におかしな行為だ。

しかし、私はこの胸の中にできたしこりを取り除くことはできない。朱里にとらわれずにできた、私の物語でできた初めての親友。もう取り返しのつかないところまで来ていることはわかっている。しかし、それでも、私は彼女に何かしてあげたいと、彼女の手助けになれたらと考えているのだ。

 もちろん、朱里の力にはなりたい。朱里と智樹が結ばれることは望ましいことだし、全力で応援しているつもりだ。だがそれと同時に、涼香のことを応援してしまっているのだ。

「やっぱり、なんでもある」

「だろうな」

 私はぽつりと、言葉を漏らす。その言葉をわかっていたかのように掬い上げる。きっとわかっていたのだろう。私と彼とはあの誓いから一心同体のようだったのだから。互いに、かけたものを埋めあったのだから。

「涼香ちゃんのことだろ?」

「……私は選べなくなっているの」

 核心を最速でついてくる彼の言葉に、私はどきりと心臓を大きく跳ねさせ、目を一瞬見開く。だがそれはあくまでほんの一瞬のこと。彼なら私からしゃべらなくてもわかっていて当然なのだから。

 だからこそ、この後彼が私に言う言葉も容易に想像できるのだ。その言葉がどれだけ冷徹で、私の心を切り裂くナイフだということを。

「心配するな。ニコイチの俺たちだ。代わりに俺が選んどいた」

 あの誓いから私は彼の考えていることを外したことはない。それは私が彼と付き合うことになってからの誇りだった。私にとっての以心伝心の正確さは、強く想い合うあの二人に近づける唯一のことだったからだ。私たちの理想で、まぶしいところに手を伸ばせるところだからだ。

 だからこそ、私はこの予想が外れてほしいのだ。卑怯な私は、その言葉を曲げようともしないで、外れることを望んでしまう。だからこそ、この暗闇に先の見えない不安感を抱えているのだろう。

「もちろん、朱里を選んだよ」

 自分の足元から目の前まで、一気に暗闇が迫ってくる、そんな錯覚に陥るのを感じた。

「涼香は確かに大切な俺たちの友人だ。智樹の背中を押すのに大きな貢献をしてもらったと思ってる。そこには大きく感謝してるさ」

 そこで彼は少し言葉を区切る。その数瞬は私には長く感じてしまう。

「だが、あくまでそれだけだ。俺にとってはそこまででしかない。俺の唯一無二の親友たちには届かない。届くはずがないんだ」

 そう言い放った彼の眼が見ているのは今の世界ではない。もちろん、近い未来でもない。あの、幼い私たちが集まった、真っ白な部屋だ。

 私はその姿を見て、自分の考えが見当違いだったことに気づく。もちろんそれは彼の言葉が想像と違ったというわけではない。

 あの時にとらわれていたのは私たち四人だ。そこに違いはない。だが、そこに一番執着していたのは、智樹ではなかった。一番執着していたのは、彼、健斗だったのだ。

 彼のすべてがわかっているような気でいたが、ここで私は気づかされてしまったのだ。薄っぺらなうわべだけを知って、すべてを知った気になっていた。彼の中心で深く激しく渦巻く執着は、そんな浅はかな私がわかってしまうほどに大きくなっていたのだ。

「健斗は、どこを目指しているの?」

「それはもちろん、智樹と朱里がまたくっつくことさ。そんな未来を目指しているさ」

 それは薄氷のような答え。そんなうわべの考えでは私はわかってしまう。

「どこを目指しているの?」

 再びの問いに彼はにやりと笑う。その笑みはどこか歪。

「あの、真っ白の部屋さ」

 その瞳は暗闇よりも黒く、虚空を見る。目の前の私でさえ視界に入っていない。彼の眼前に広がっているのはその瞳とは対照的な光景。すべての光を集約しているような世界。

「俺が、俺たちがはじまったあの場所を目指してるにきまってるじゃないか」

「何をそこまで……」

 その続きの言葉を飲み込む。それは愚問なのだ。智樹は朱里への後悔と愛のはざまで苦しみ、身動きが取れなかった。健斗は失ってしまったあの世界と、似た世界を取り戻せるという可能性のはざまの激流に押し流されているのだ。その激流を渡りきるために、彼は不要なものはすべて捨てるのだ。それが、新たにできた友人だとしても。

 だからというわけではない。この胸の中に残る不安は。きっと彼が昔、初めてあったころに似てきたからだろう。あの頃の、何も信用していない、他人におびえ切った、冷たい目をしていたころに。

「陽菜なら、わかってくれると思っていたんだけどな」

「わからなく、なったの……。大事な親友を見捨てて、親友を救うのなんて……」

 私の見つめる彼は、何の感情も出さない。ただ、遠くを見つめるように私を見る。

「そうか。なら、仕方ない」

「?」

 短く、本当に短く息を吐くと、あっさりとしたように表情を和らげる。

「俺一人でやる。陽菜、お前は涼香のこと応援してろよ」

「え、なんで……」

 その言葉はあまりにも意外で、受け止めきれないものだった。

 うろたえている私に、彼はさも当然のように言葉を続ける。

「仕方ないだろ?お前は迷うっていうんだ。ためらうっていうんだ。なら、迷わない、ためらわない俺がするしかない」

「そういうことじゃないでしょ!?もう、裏から何かするってことをやめようって言ってるんじゃない!?」

 私の反論に彼は嘲笑に似た笑いを浮かべる。

「ん?何か勘違いしてるんじゃないのか?」

「勘違い……?」

「ああ、俺たちは別に裏から何かをしているわけじゃない。ただ、順序を正しているだけ。いや、それも違うな」

 彼は少し考えるように顎に手を当てる。そしてゆっくりとこっちを見て言い放つ。

「ただ、決められた台本通りに物語を進めているだけだな」

「何を言って……」

「だってそうだろ?智樹が朱里に会いに行くと決めたこと、それは俺たちが仕組んだことか?」

「それは……」

 何も反論することができない。私たちは大きく何かをしたわけでも、何かを変えたわけでもない。ただ、見ていただけ、見逃しただけだ。

「違うだろ?それはあいつが決めたことだ。途中に俺に相談もしたが、あの約束がなかっても俺は同じことを言っていた。つまり、これは台本通りってことだ」

 彼の言う通り、私たちは何もしていないというのだろうか。そんなはずはない。私たちは知っていて黙っていた。知っていて、応援したのだ。

 そう考えているのがわかってかのように、彼は言葉を続ける。

「なら涼香はって思うのか?それこそ愚問だ。涼香は自分からこの物語に入ってきた。智樹と何があったかなんて俺にはわからない。だが、それでも彼女は自分の意志で智樹のことを好きになって、智樹の近くにきた。それは俺たちがどうにかできたことでも、どうにかしたことでもない」

「そう、だけど……」

 伝えていれば、黙っていなければ結果は変わっていたかもしれない。こんな風にならなかったかもしれない。

 そんな甘い考えを叱咤するかのように、彼は鋭くにらむ。

「思いあがるなよ?陽菜。俺たちは別に物語を決める作者でも、他人を操れるような神様でもない。ただ、この物語のことをよく知っているだけでしかない。役者に対して何かできるほど偉くはないんだよ」

「そんなことわかって―」

 遮るように言い放つ。その言葉には怒気がはらむ。

「わかってない。わかってないんだよ、お前は」

「何がわかってないっていうの!?」

 彼の言葉に私はいら立ちを隠せない。

「全部さ。知っているようで、何も知っていない」

「健斗が、何を言いたいのか、私わからないっ……!」

 もどかしさと不可解さに思わず声を荒げてしまう。そんな私を遠い目で、悲しそうにはねのける。

「だろうな。陽菜、お前はこの物語の根幹には触れれていない。この物語は四人の物語だが、四人の物語でもあるんだよ」

「智樹、朱里、健斗、私でしょ?」

 何を当たり前のことを言っているのだろうか。あの病室から始まった物語じゃないのか?

 そんな私の疑問を煽るかのように、彼の憂い気な表情は変わらない。

「ああ、そして、智樹、朱里、俺、涼香の物語でもあるんだ」

「!?」

 その言葉は私の思考を一瞬止めるのには十分すぎるほどに強烈なものだった。

「いっただろ?お前は根幹には触れれていない。だから、わからないんだ」

「根幹っていったい何なの!?」

 さっきから言う、根幹というものに私は突っかかりを覚えてならない。私が外れるその理由が、わからない。四人にあって私にないものが、わからない。

 困惑と一抹の怒りに彩られた私を見ることはなく、淡々と彼は語る。

「この世界には変わらないものなど何もない。ただ、変わらないものに近いものは存在する」

 その表情はどこか悲しく、遠くを見るようだった。その声音は憂いを帯び、暗闇にしんと溶け込むよう。

「それは愛だ」

 数瞬の間が開けられて発せられた言葉には少しの強さが帯びている。

「どうしようもない熱量の愛は変わらないもんだ。それはこの物語の根幹であり、四人が触れて、今そのために動いている」

 彼の姿を、言葉を聞いて、私は一つの可能性が見えてきた。いや、可能性などではない。きっとそうなのだろう。彼にとっての彼女がそうであるように、目の前の彼にとってもまた、それは一緒なのだろう。すべての始まりは彼女なのだ。なら、見る先もまた、まだ彼女なのだろう。

「……もしかして、健斗はまだ」

「まだ、好きだ。どうしようもない熱ってやつは、いつまでも熱いままなんだ」

 彼は重く、その言葉を口にした。まだ肌寒いこの季節にそぐわない、立夏のような錯覚に見舞われた。


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