今日、職場の先輩と初めての営業に出る

温媹マユ

今日、職場の先輩と初めての営業に出る

「今日も遠いところ、よく来てくれたね。そちらは?」


 強面の大男を前にして、私はかなり緊張していた。

 付き添いとは言え、初めての商談で簡単なプレゼンを任されていた。

 その現場がここ、池上商事。ちょっと怖い人たちの多い会社だという。

 応接室に通された私は、池上商事の池上社長を前にして足が震えていた。


「はい、こちらは同じ部署の後輩で有田と言います。今年入社したばかりの新入社員です。今日はいつもお世話になっている池上社長にご挨拶をかねて、本日のプレゼンを彼女に任せようと考えています」

 私を紹介してくれたのは同じ部署の先輩、神谷さん。神谷さんは若きルーキー。いつも優良な仕事をとってくることで、一目置かれている。


 いわゆる出来る男。

 出来る男にはいろいろな噂が立つ。私が知る限り、営業トップだとか来年は課長だとか、幹部候補だとか。

 それにモテる。今日私が一緒に出張に出ると言うだけで、どれだけの女性社員からじろじろと見られたか。


 それに比べ、私はまだひよっこ。お客さんと会うことが多くなると言うことで服には気をつけているが、元々がダメ。

 いつも緊張しすぎて、大事なところでミスをする。

 今日も心配しかない。


「営業部、有田です。よろしくお願いします」 

 最初が肝心。初めての名刺交換もマニュアル通りに無難に済ませた。

 そして資料を渡し、早速プレゼンに入った。


 永遠にも感じる数分間のプレゼンは、なんとか無事に終わった。一通り間違いなく説明もでき、社長の表情から手応えを感じた。

 今までの私とは思えない、大成功のプレゼンだった。

 後は神谷さんが補足のプレゼンや質疑応答を行い、一時間ほどの商談は無事終わった。

 神谷さんのプレゼンは素晴らしいものがあり、終始見入っていた。


「池上社長、今日はお忙しいところありがとうございました」

「今日のプレゼンもとても興味深かったよ。また担当より連絡をさせる」

 私と神谷さんは深々とお辞儀をして応接室を出た。


 振り返ると、私たちと入れ替わりに、数人の社員と思われる人たちが応接室に入っていった。


「神谷さん、今日はありがとうございました」

 応接室から少し離れたところで神谷さんにお礼を伝えた。

 うまくいったと感じていたので、神谷さんが褒めてくれるかも知れない。

「お疲れ様。でも話はここを出てからにしよう。あ、資料の回収を忘れた。あれはまだ渡せない資料なんだ」

「それなら私が行ってきます」

 私は神谷さんからの返事を待たず、応接室に戻った。


「これがその資料だ」

 応接室の扉の前、中から何か声が聞こえた。

 扉をノックしようとしていた手が止まる。

「思ったよりもできがいい。これは我が社が先に作ったことにしろ。すぐに取りかかれ」

「はい」

 

 聞いちゃった……何か良からぬ話を。


「誰だ」

 いきなり扉を開けられ、私はその場で戸惑う。

「あ、あの、資料の回収を……」

「先ほどのお嬢さん。聞きましたね? つかまえなさい」


 逃げないと!

 そのとき、右腕を誰かに捕まれた感覚。振り向くと神谷さん。

「走れ!」

 その言葉とともに私たちは走る。


 振り向くと、今までいたのがスーツ姿のおじさん達だったのが、なぜか黒ずくめでサングラスの男達。

 洋画に出てくるエージェントみたい。

 もしかしてこの黒ずくめのエージェントが私たちを追いかけてくるのね?


 階段を駆け下りて、どこかの部屋に隠れる。黒ずくめの男達が通り過ぎたところを見て、部屋から出る。また黒ずくめの男達に気付かれると、違う部屋に隠れる。

 神谷さんとともに何かの映画に出演しているみたい。

 神谷さんが映画俳優に見えてしまう。ということは私はヒロイン?

 いやいや、そんなことはないか。


「がんばれ、もう少しだ」

 神谷さんに励まされながらやっとの事で一階の裏口。ここを抜ければ無事外に出られる。


 そのとき。


 急に目の前の扉が開き、黒ずくめが向かってきた。

 そして顔に冷たいスプレーのようなものを吹き付けられたかと思うと、目の前が真っ暗になった。


***


「有田、有田」

 どこからか神谷さんの声が聞こえる。

「有田、起きろ」

 やっぱり神谷さんの声。


 すると、顔に顔に何か温かい感覚、息を吹きかけられたような感じ。

 目を開けると、椅子に縛られた神谷さん。もちろん私も同じように椅子に縛られている。

 神谷さんのスーツがボロボロになっていて、顔中傷だらけ。

「神谷さん!」

 私は眠っていたの?


 最悪の目覚め。


 よく見ると私の一張羅もぼろぼろ。

「えっと、私はどうしてここに?」

「多分、池上商事を出ようとしたときにつかまったみたいだ。そこで催眠薬で眠らされてここに連れてこられたみたいだ」

 よくある映画のように、眠らされてボコボコにされたのだろう。そして椅子に縛られた。

 その後のよくある展開では、黒幕の声が聞こえて「おまえ達は動物たちの餌になれ」とか言われて、動物に食べられてしまう。

 やだ、やだやだ。


「お目覚めかね、諸君」

 振り返るとそこに池上社長が立っている。手にはスタンガンのようなものを持っていて、不気味に笑っている。

 気持ち悪い。


「俺たちに何をする気だ! 縄をほどけ!」

 神谷さん……

「そうよ! 縄をほどきなさい!」

 私も精一杯声を上げる。

「残念だが、秘密を知られた以上生かしておく訳にはいかない。私のかわいいシャークの餌になれ」

 そのとき背後からザーと水が流れ込む音が聞こえる。

「神谷さん、水が……」

 ああ、やっぱり、私は食べられる。


「水がいっぱいになるその前に、苦しまなくていいようこれで眠らせてあげよう。まずはおまえから」

 池上社長は動けない神谷さんに近づく。

 なんとか神谷さんを助けないと。


 そのとき、私の身体を縛っているはずの縄がほどけた。どうも椅子にこすられて切れたみたい。

 池上社長も神谷さんもこのことに気付いていない。

 チャンス、神谷さんを助けれるのは私しかいない。


 今だ。


 私は静かに椅子を持ち上げ、池上社長の頭上に降ろした。

 ガツン、と大きな音とともに、腕にしびれる感覚を感じた。

 カイカン!


 私にこんな力があったのだろうか。

 足下には池上社長が泡を吹いて倒れている。


「神谷さん、待っててください」

 神谷さんを椅子に縛り付けている縄をほどく。

 でもその間にも水が増えてくる。今はもうくるぶしの辺り。


 私はまだ先輩と何もしていない。恋人でなければ手もつないでいない。でも一緒に出張に出かけるだけで気分は恋人だった。

 私は何も悪いことをしていないのに。

 もしかして一緒に出張に出たことで、女性社員みんなを敵に回した?

 ごめんなさい、私だけがいい思いをして。


 気がつくと胸の辺りまで水が迫っている。このままだと溺れてしまうか、いつかはなされるサメに食べられてしまう。

「有田、もうダメだ。逃げられない」

 神谷さんは目の前にいた。涙が止まらない。

「神谷さん、私のせいでごめんなさい」

「そんなこと言うなよ。これも運命だ。二人で最後を迎えられるなんて、僕には出来すぎているよ」

 神谷さんはこんな状況だというのに、温かな目をしている。

「神谷さん、本当にごめんなさい」

「どの口がそんなことを言うんだ。もう最後だ。そんな口は塞いでしまえ」


 あっ


 唇に温かな感触。

 そしてだんだんと息苦しくなってきた。


***


「お姉ちゃん、いつまで寝てるの。遅刻するよ」


 苦しい……


「はっ、神谷さんは?」

「はぁ? 何言ってるの?」

 見渡すとここは私の部屋。目の前にいるのは神谷さんではなく妹。

 ということは、夢?


「息を吹きかけても腕を引っ張っても起きないし。遅くまで洋画を見てるから寝坊するんだよ」

 おっと、今日は初めての出張だった。急いで準備しないと。


 でも、夢だとしても唇に感じるあの暖かな感触。思い出すだけで胸がドキドキしてしまう。

 あまりにもリアルすぎる。夢と言え気分がいい。

 これはもしかしてこの後の出来事を予知している!?

 ふふふ、最高の目覚め。

 とても気分がいい。顔がにやけてしまう。


「お姉ちゃん、気持ち悪い。鼻と口を押さえてたから、酸欠で頭がおかしくなった?」

 なにをする、妹よ。

 どおりで苦しかったわけだ。

 って言うか、あの感触は妹の指!?

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