第9話 お礼

 公園から歩いておよそ10分強。住宅街の真ん中に八重樫さんの自宅があった。俺は彼女の誘いを受けてお邪魔することになった。なにやら俺の話を八重樫さんが彼女の母に話すと久しぶりに会いたいと言っていたらしい。少しでも昔のことに関連することを思い出してもらおうという計らいらしい……いや、特に何か期待していたわけじゃないよ!?


「ここだけど……どうかな?」


 どうかなというのはおそらく俺の記憶のことだろう。引っ越しはしていないらしいので昔のまま存在しているはずであるが何も思い出すことはなかった。ここに来るまでもピンとくるようなものはなかった。


「うーん、あまり……かな」

「そっか……残念。まあとりあえず入ってよ」

「ああ。お邪魔します」


 靴を脱いで八重樫さんの家に入る。同年代の女の子の家にお邪魔するのは初めてだ。少し、いやかなりドキドキしている。昔は平気で来ていたはずなのに。


「お帰りー夜実ちゃん。あら! 崎人君? 大きくなったねー」

「あ、お、お久しぶりです……?」


 友達の親に久しぶりに会った時の対応としては間違っていないはずである。しかしどうしても実感が伴わない。出てきたのは八重樫さんの母、槍子さん。非常に若々しく姉と言われても普通に信じられるレベルである。特に目元がそっくりである。親子なのだから当然ではあるが。


「あのー。実はなんですけど……」

「もしかして記憶失っていること? それなら夜実ちゃんから聞いているわよ。大変だったのね。私にできることがあったら何でも言ってちょうだいね! 力になってあげるから」

「……ありがとうございます」


 親身になってくれる人がいてくれて俺は本当に幸せ者だな。両親を失ったハンデを背負ってもなお余りあるほどハッピーだ。だからこそできる限り記憶を思い出したい。


「せっかく来たんだし晩ごはんもここで食べていったらどう?」

「え? いやいやそんな悪いですよ。今日はちょっとした挨拶のつもりでしたし」

「そ、そうだよお母さん。崎人君だって……その、都合とかあるだろうし……」


 八重樫さんとともに申し出を断る。そもそも女の子の家に来るだけでもドキドキしていたのにそれが一緒にご飯を食べるなんてことになったら身が持たない。


「何言っているの夜実ちゃん。昨日言っていたことと全然……」

「わ、わーー! わーー! さ、崎人君! 明日も早いからこの辺で! じゃあ!」


 八重樫さんは俺の背中を押して半ば強引に玄関の外に放り出した。顔の赤さが熱となって彼女の掌にまで伝わっていた。


「? いきなりどうしたんだ」


 俺にとっては好都合だったが何が原因で突き出されたかは分からなかった。嫌われるようなことはしていないつもりだが……


「まあいいか。明日も学校あるし早く帰ろう」


 結局分かったのは昔のことを思い出そうとすると頭痛がするということと、八重樫さんが大食いということであった。何とか手がかりを見つけて彼女たちにかけてしまった指輪を外さなければならない。それが俺にできる唯一のことだ。薬指を握りしめて家路に着いた。




「……帰ったかな?」

「もー、折角崎人君来てくれたんだからご飯どころかお風呂も一緒にしたらよかったのに」

「お、お風呂……!? そんなこと……///」


 ついつい妄想してしまい顔が熱くなった。煙が出そうな私を見つめてお母さんは呆れて溜め息を吐いていた。


「全く……どうして普段家で出来ていることが本人目の前にするとできないの」

「だ、だって……恥ずかしいし」

「それにしても崎人君変わってなかったね。相変わらず誠実そうだし。あれじゃあ他にライバルが出てくるのも時間の問題ね」


 そう、彼が誠実で真面目なのはよく分かっている。私は……あのときから彼に夢中だった。北海道に転校したときは私も行きたかったけどそれは出来なかった。もしかしたら私の知らない内に付き合っている人もいるかもしれない。それでも……


「お母さん」

「ん? 何?」

「私、頑張りたい。もっと彼のこと知ってみたい。もし好きな人がいたとしても気にならなくなるくらい虜にしてみたい」


 本人に対してほどではないにしても誰かに自分の本心を吐露するのは恥ずかしい。それでも負けないって決めたから。


「……ふふっ。全力で応援するからね」


 娘の成長を見守る母の顔は慈愛に満ちあふれていた。がむしゃらに努力できるところが一番いいところであることを母は理解していた。


 

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空いた薬指とミレウサマントラ 海老の尻尾 @nattyannsann

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