俺とあいつと魔女
東苑
俺がいない世界でも、それでもあいつに生きて欲しい。
同じ村で育った少女に恋をした。
今は深い眠りについてしまったあいつに。
「――なるほど、じゃあお前さんはその娘にかかった呪いを解いてあげたいんだね」
目の前の魔女はからかうようにそう言った。
俺やあいつと同じくらい歳の魔女だ。
しかし、見た目に騙されてはいけない。こいつは村の爺様や婆様が赤ん坊のときよりもずっと前から生きているのだから。
子供の頃本で読んだことがある魔女は実在した。
俺の目の前にいるこの魔女がその伝説の魔女だ。
しかしどうやら伝説に描かれているような人物ではないらしい。
天真爛漫で純粋無垢とされていたが、子供のような見た目ながら陰険さが滲み出ている。
その印象を裏切らず、こいつの屋敷に来るまでに何度か殺されかけた。
だが、何の問題もない。
「ああ、そうだ。あいつの目を覚まさせてやってほしい」
俺は端的に答える。
こいつの人格など些細な問題だ。
伝承通り、実力さえあればそれでいい。
今求めているのはいい奴ではなく、あの少女を目覚めさせられる奴なんだ。
「結論から言うと、できる。人間を起こすくらい朝飯前さ」
「本当か……!」
思わず感情がこもってしまう。
それだけ欲し続けていた答えだったからだろう。
これまで何人もの高名な魔法使いや医者に助力を乞うた。
しかし誰も幼馴染みにかかった呪いを解くことはできなかった。
それでも到底諦められず、可能性があるものなら噂話にまで縋って方々を回った。そして、ここまでやってきたのだ。
「でも、その娘の呪いは並の方法じゃ解けない」
「構わない。あいつに害を与えない方法ならなんだっていい」
「なら心配要らん」
魔女はそう言い残して部屋の奥に引っ込んでいく。しばらく待つと、その手に栓のされた小瓶を持って戻ってきた。
「それであいつの呪いが解けるんだな……!」
「そう慌てるな、薬は逃げない……その前にいくつか質問させておくれ」
「なんだ?」
「言ったであろう? 並の方法じゃ呪いは解けんと。だからお前さんの覚悟を問いたい」
「……なんだ?」
なんでもいいから早くしてくれ。こっちは一刻も早く、あいつの呪いを解いてやりたいんだ。
「娘の代わりにお前さんは死ねるか?」
* * *
あまりに突然のことだった。
好きになった幼馴染みの女の子は、一緒に出かけたその先で倒れた。
結びの湖という想い人と共に行けば願いが叶えられる場所でのことだった。
あとから知った話だが、その湖を訪れた男女には不幸が訪れる――そんな噂もある場所だったそうだ。
そんなところに俺はあいつを……。
後悔に苛まれる日々だった。
そこから先はさっき話した通り
俺は様々な方法を試した末、あの魔女と出会った。
幸運にもあの魔女と出会え、あいつにかかった呪いを解ける薬を手に入れた。
俺は今、あいつの家にいた。
ベッドの上ですやすやと眠っている少女の隣で椅子に腰掛けている。
あの魔女から受け取った薬を握りしめ、うなだれながら。
早くあいつの目を覚まさせてやりたい。
そう覚悟を決めて、あの魔女の屋敷を飛び出したのに。
あいつのことを思い出し、泣きそうになりながら、村まで休まず走ってきたのに。ここに着く頃には、固く誓ったはずの思いは消えそうになっていた。
そして久しぶりに少女を顔を見て、死ぬのが怖いと初めて思った。
「レーナ……」
震える声で、幼馴染みの名前を口に出す。
この薬を使えばレーナは目覚める。
でも、そのとき俺は死ぬ。
あの伝説の魔女を以ってしても、解決策はこれしかなかった。
「やれやれ、あのときの威勢はどこへ行ったのやら」
その声に驚いて振り返る。
そこにはあの伝説の魔女がいた。
「付いて……きたのか?」
「薬を渡した手前、結末は見届けねばな」
伝説の魔女はけらけらと笑う。どう考えてもただ見届けに来ただけではない。
人が真剣に悩んでいると言うのに、こいつは……。
「それで、薬飲ませないのかい?」
「……今からやるつもりだったんだ」
「朝からそこにいただろ、お前さん。もう陽が沈む」
お前こそ朝からそこにいたのか! と口を挟みたくなるが、この魔女の言う通りだ。
俺はここまで来てあと一歩踏み出せずにいる。
「お前さんの考えてることをこの魔女が当ててやろう」
「……当ててみろよ」
「その娘が目覚めたとき、自分がこの世界にいなくなることが恐いんだろう?」
「……ああ、恐いよ」
「自分以外の男がその娘と結ばれることが嫌なんだろう?」
「……当たり前だろ」
「その娘を自分だけのものにしたいんだろう?」
「……それの何が悪い」
「は、元はと言えば、くだらない噂話を信じてその娘をあの湖に連れ出したのはお前さんだろう? そのお前さんが多くを望むってのは筋違いじゃないかい?」
「…………」
「今ならまだ引き返せる」
魔女は俯く俺を覗き込み、耳元でそっと囁く。
「その薬を使わなければ、お前さんはその娘を自分だけのものにできるぞ」
それは喉から手が出るほど俺が欲していたこと。
なんて、なんて甘い響きなんだろう。
「眠っているかどうかなど些細な問題であろう? それにお前さん、その娘に告白してないのだろう。その娘がお前さんのことを好きかどうかも定かでないのだろう。そんな相手に命を賭けるなんて馬鹿げているよ。その娘が目覚めた後、他の男を好きになることは十分に有り得る。ひょっとすると想いを寄せる相手がもういるかもしれない……もしそうだとしたら」
魔女は俺の頭を抱くように、そのたおやかな腕を回してくる。
「無駄死にもいいところだ」
そうだ、この想いは一方的なもの。
あいつが俺のことを好きかどうかなんて――
「そんなことお前さんはしなくていい。誰もお前さんを責めたりしないさ。この魔女が保証しよう。この魔女がずっと、ずーっとお前の傍にいてやろう」
「……ありがとう。あんたがいてくれて助かった」
「なに、礼には及ばん」
「あんたのおかげでやっと気付いたよ」
「…………なに?」
「おかげでレーナの目を覚ます決心が付いた」
俺は顔を上げ、魔女をじっと見据える。
魔女は驚いたように目を開いていた。
「わしの話を聞いておらんかったのか? お前さんの行為は全て無駄になるかもしれんのだぞ」
「無駄じゃない。あいつが起きる」
魔女は口元を歪め、わなわなと震え出す。
「強がりじゃ! ほんとは恐くて仕方ないのだろう!」
「ああ」
「その娘がお前さんを好きかどうかなんて分からない! 例え好きでも、お前のためになにかしてくれるとは限らない!」
「分かってる」
「じゃあ!」
「俺は、レーナが俺のことを好きだからこんなことをしてるんじゃない」
「なっ……!? それが……気付いたこと、じゃと?」
「そうだ」
「…………そこまで言うなら、とっととやってしまえ」
「レーナが起きたらよろしく。事情を説明してやってくれ」
「娘が起きたらどうなるか……今から楽しみで仕方ないわ」
ふんと鼻を鳴らした魔女は、拗ねたように顔を逸らした。
俺は手にした小瓶の栓を引き抜き、一息に呷る。
そして口に含んだ液体をレーナの口へと流し込んだ。
間もなく、死んだように眠っていたレーナがゆっくりと目蓋を上げる。
そこまで見届けられた俺は幸せ者だ。
ごめん、レーナ。
レーナ、好きだよ。
どうか幸せに。
そう口にする前に、俺の意識は奈落の底に落ちていった。
そして。
「ん……」
「クリス! やった! クリス!」
「レー、ナ……?」
俺は目を覚ました……?
レーナがベッドに横たわる俺に覆い被さってくる。
重い。けど温かい。
「わたし……ぅう……魔女さんに頼んでクリスのこと……」
涙を流すレーナはつっかえながら続ける。
「でも、クリスを目覚めさせるためには、この薬でわたしが死ぬしかなくて……あれ、わたし何で生きてるの?」
ぽかんとした顔で首を傾げるレーナ。
それは俺が聞きたい。
しかし疑問はすぐに解消した。
レーナの手にある小瓶は、俺があの魔女からもらったものと全く同じものだったから。
あの魔女……嘘をついてたな。
そう言えば、あの魔女の伝説――その後日譚では魔女の失恋について記されていた。
想い人に裏切られた魔女は怒り狂って想い人を八つ裂きにし、人里を離れ、ひっそりと暮らすようになったと。
……そこは伝説通りなのかもしれない。
「お前さんたちには負けたよ」
気のせいか、魔女の声が聞こえた気がした。
俺とあいつと魔女 東苑 @KAWAGOEYOKOCHOU
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