ユーレカ・ナイトメア
いち亀
Episode 0 of 「君の幸福と、私の冥福」
「ネタが浮かばないって顔してますねえ」
正面から投げかけられた
「むう……不本意ながら……」
彼氏である幸嗣の部屋、金曜日の午後九時。テーブルの向こう側からは軽快なキーボードの音が続いているのに対し、花歩の指は殆ど動いていない。
明日は講義がないのを良いことに、彼氏の部屋に上がり込んだはいいものの、彼はどうやら急ぎのレポート作成があるらしく。構ってもらえるアテがなくなった花歩は、かといって独り帰るのも寂しく、新しい小説のプロットを固めようとしていたのだが。どうも、思うように進まない。
「花歩さんがゲームしてても、僕は一向に構わないけど?」
「それは知ってるけどさ。幸嗣が頑張ってるなら、私も
「ふーん……ブレストも兼ねて、コンセプトを僕に開陳してくれるという案は」
「聞かせたのがボツになると二倍悲しいじゃん……」
「なるほど。まあ、どんなのできても僕は喜びますから」
一番の読者でもある彼の言葉は、いつだって温かくて。だから、身を委ねたくはないのも確かで。
「あんまり期待しないで、けど楽しみにしてて」
そう言ってから、花歩はパワポの画面に目を戻す。手書きメモや文書ファイルとしてまとめるよりも、テキストボックスを並べて図形的にアウトプットしていく方が、今の花歩には合っていた。
これまでの花歩が書いてきた小説は恋愛物や学園物ばかりで、それらは自分でも気に入っていたし、少ないながら好意的に受け取ってもらえる人もいたのだが。
読者としてのみ楽しんでいたバトルファンタジー物に手を出してみたいという欲求が、少しずつ募り。
幸嗣がその手の小説をウヒウヒしながら読んでいるおかげで、さらに燃え上がり。
現実で超能力が乱舞するのもいいが、社会との関係性とかを考えると気が引けて。あと物理法則も好きにデザインしたいし。
完全な異世界は、文化風俗歴史と固めるべき設定が多すぎるし。テンプレに乗っかるのも癪だし。後、やっぱり「戦う理由」は現実に見出したい。
仮想空間は……なんか既存作品の影響しか出なさそうだし。
などと、後ろ向きにジャンルを絞っているうちに。
現実とリンクした精神世界、ということで固まり。さらに悲恋厨という自身の好みを存分に生かすために、現実とつながった死後の世界を考えて。
そこで、足踏みが続いていた。
メインの舞台となる異次元と、「残された側」「守られる側」となる現実を上手くつなげるような設定が、いまひとつ上手く浮かばない。
画面に並んだワードは、どれもオリジナリティに欠けるというか、気分が乗りそうにないというか。
眉を顰めて睨めっこすること数分。冷蔵庫を開け、花歩が買い置きしてあるハイボールの缶を開封。
「……君、酔うと書けないって言ってたよね」
「執筆ならね。けど、ネタ出しだったら、こう、いい感じに脳がふわっとした方が」
「白旗にしか見えないなあ」
呆れ気味な幸嗣を他所に、花歩は缶を呷り。
「――しかも一気に行くんです!?」
三五〇ミリリットル、注入完了。
「うん、よし、ノッてきた」
「アルコールの作用で……まあいいや、うん」
とりあえず。設定気にしないで、描きたいシーンだけ直感で書いてみよう。
急死した主人公の少女。残された幼馴染の男子。失って初めて気づいた、ふたりの間の特別。
現世から見えない、しかし現世を守るために必要な、死者たちの闘い。
二度と叶わない両片思いと共に、少女の旅が始まる――。
*
「――ほさん、花歩さん! 朝だよ、ほら起きて」
幸嗣の声で目が覚める――あれ、寝落ちしたか。
彼の部屋、いつも通り、花歩はベッドの上。
「お目覚めですか」
「……うん、おはよう。あれ、今日土曜じゃないっけ」
「講義だるいのは分かるけど日付改竄しないで、金曜日です一限です」
「そうだっけ」
なんだか記憶がごっちゃな気がするが、寝ぼけているのだろう。
「トースト何塗る?」
「いいよ、自分でやる」
冷水で眠気を追い出し、トースターから食パンを……あれ、この部屋にトースターなんてあったっけ。
「――この事故で、軽自動車に乗っていた大学生のうち」
朝のニュースの音声。テレビ番組が苦手らしい幸嗣にしては、テレビが点いているなんて珍しい、と目をやると。
映っていた、事故で亡くなられたらしい女性の写真。
カメラへ明るいピースサインを向けていた彼女が、動き出し。
「――え?」
テレビからのそのそと這い出し。
「ちょ、ゆき」
テーブルでパンを頬張っていた幸嗣に、襲い掛かる。
「幸嗣!」
花歩はその女性――らしきナニカを幸嗣から引き離すべく手を伸ばすが。見えているのに触れられない、手はその影をすり抜けて、向こうにいた幸嗣の背中に触れる。
すると彼は、むくりとこちらを向き。
「ゆき――ひっ」
黒く塗りつぶされた、彼の瞳。反射的に後ずさると、彼はゆらゆらと歩み寄りながら私へ腕を振り上げ――。
うん、夢だな。
幸嗣が私を殴るはずがない。夢だな。
しかし。
「――ぐぅ!?」
幸嗣の腕に打たれた花歩を襲ったのは、痛みというより、身体の底から凍るような感覚で――夢でも嫌だぞ、これ!
ひとまず、外へ飛び出す。アパートの階段を駆け下りた先、視界に飛び込んできたのは。
「おじいちゃん!?」
十年前に亡くなったはずの祖父が、思い出のゴルフクラブを引きずりながら、花歩へと速度を上げ――。
「こら
さらに向かい側から、祖父の友人の
背後に気配を感じて振り返ると、幸嗣――だったナニカが、害意を剥き出しにして階段を駆け下り。
途中で躓き、転がり落ちる――変質してまで運動神経が悪いのか、しっかりしてくれ私の彼氏。
ともあれ。なんとなく、この悪夢の世界観は掴めた。
蘇った死者が、生者を襲う。襲われた生者も、怪物かゾンビかのように精神が変質。
一方で、生者を守るべく――かは分からないが、死者による攻撃を止めようとしている死者もいるらしく。
と、そこまで整理して。
「――あ、そうだ」
使えるじゃん。
さっきまで私が悩んでいた、小説の世界観。
死者による生者への攻撃――死者の霊魂の干渉により、変質する生者の精神。その結果としての現実社会への悪影響――暴力衝動。あるいは認知機能の変化。
しかし現世側からは、その変質の正体は不明――そうだ、夢だ。夢を介した干渉。
それを阻止する側の霊魂による、夢の世界をフィールドにした戦闘――来たぞこれ。
浮かぶ、書ける、絡められる――書きたい。こんな昂揚は、こんな熱は、久しぶりだ!
後は早く、この世界から覚めるだけだ。
大きく、息を吸い込んで。
「幸嗣、起こして――!!」
*
飛び出た声と共に、花歩はベッドから転げ落ちていた。
ソファに横になっていた幸嗣が、妙な声を上げながら体を起こす。
暗い部屋。時計の針は丑三つ時――寝落ちてから、思ったよりも長く経っていたらしい。
「……僕、さっき入眠したばっかり」
「ごめんなさい、その、悪い夢を見まして」
「はあ……」
謝りながらも。暗がりの向こうから私を見る、呆れた、けど優しい表情に、すごく、安心する。
「たとえ夢でもさ。幸嗣がおかしくなっちゃうの、怖かった」
「どんな夢だったの……」
「それはまた話すよ、それよりさ。なんで幸嗣もこっちで寝てないの?」
彼の部屋に来た花歩は、少なくない頻度で、何かの途中で眠ってしまう。そうなると彼は毎回、私をベッドに寝かせ、自分はソファで寝る。
それが申し訳なかった私は、「幸嗣も一緒にベッドで寝て」と言ってあるのだが。どうも彼は、そうしないことが多い。
「……花歩さんには広い所で寝てほしいですし」
「言い方を変えます、寝る時にそばにいて」
こういうときは、理由を私に求めればいい――というのは、付き合い出してすぐに分かった秘訣だったりする。
一人分のスペースに、身を寄せ合って。
窮屈なのは確かだから、貯めたお金で大きなベッドにするのも良いかもしれないが――もう少し、この近すぎる距離で、眠りたい。
*
目覚ましを掛けない、土曜日の朝。花歩は珍しく、自然に目が覚めた。
いい目覚めの理由は、すぐ隣にある安心感のせいか。まだぐっすりと眠っている幸嗣に、そっと身体を寄せる。
目が覚めて一番に、好きな人の存在を。一番大好きな人の温度を確かめられる、その幸せを。もう少し噛みしめていよう、そう思った矢先。
ぐう、と。
正直に食物を要求する胃袋――確かに、お腹空いてる。相当に。
早いとこ彼も起こそうかと思ったが、ふと別の考えが浮かぶ。
こういう日の朝食の準備は、目覚めの悪い花歩に代わり、たいてい幸嗣がやってくれる。
そのお礼も兼ねて。たまには、いい匂いで起こしてあげよう。
彼の反応をあれこれ思い描きながら、そして夢の中で見つけたアイデアを膨らませながら、花歩は冷蔵庫の中を検分しだす。
ユーレカ・ナイトメア いち亀 @ichikame
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます