眠り姫を待つ

三谷一葉

いつもあなたの夢を見る

 何度も何度も、あなたの夢を見る。

 寝台に腰掛けたあなたは、窓から漏れる日の光に目を細めて、私に向かってにっこりと笑いかけるのだ。

「おはよう、今日も早いのね」

「おはようございます、お嬢様」

 私はあなたの寝癖を直して、今日のために用意をしたドレスをお着せして、最後に朝の紅茶について尋ねるのだ。

「今日の紅茶は、いかがなさいましょうか?」

「そうね、今日は────」

 そこで、窓から差し込む日の光が急に強くなる。眩しくて目を開けていられない。

「今日の紅茶は────」

 すぐそこにいるはずの、あなたの声が遠くなる。そんなことが起こるはずがないのに、あなたが光に攫われてしまうような気がして、私は慌てて手を伸ばす。

 目を開けても、真っ白で何も見えない。すぐ近くにいるはずなのに、私の手は空を切る。

 早く、早く捕まえなければ。あなたが光に攫われてしまう前に。あなたが何処かへ消えてしまう前に。

「お嬢様っ」

 だけど、私の手はいつもあなたに届かない。



 目が覚めた。

 身支度をして、お嬢様の部屋へと向かう。

 ノックをするのは二回。一拍置いてから、扉の向こうのお嬢様に声を掛ける。

「おはようございます、お嬢様」

 返事は無かった。構わず中に入り、カーテンを開ける。薄暗かった部屋に朝の光が入ってきて、明るくなる。

 お嬢様は寝台の上だ。まだ眠っている。起きる気配はない。

「失礼します」

 一言断ってから、私はお嬢様の脇に腕を差し入れた。お嬢様の身体を自分の上半身で支えるようにして、ゆっくりと寝巻きを脱がしていく。透き通るような白い素肌があらわになった。

 ぬるま湯に浸した布を固く絞り、お嬢様の身体を清めてから、新しい寝巻きに着替えさせる。最後のひとつのボタンを掛けて、私は小さく「よし」と呟いた。

「今日も良い天気ですよ。お嬢様」

 お嬢様からの返事はない。

 お嬢様に『眠りの呪い』が掛けられてから、もう五年が経った。

 あの日から、お嬢様はずっと眠り続けている。



 まだ、お互いの身分の差を知らなかった頃のこと。

 お嬢様と私は、よくごっこ遊びに興じていた。

 お嬢様は剣も魔法も使える勇敢なお姫様で、私はお姫様の相棒の王子様だった。

 姫と王子が二人揃えば向かうところ敵無しで、邪悪な竜も狡猾な魔法使いもバタバタとなぎ倒して行った。

「君を守るよ」

「僕がいるから大丈夫」

 架空の王子になりきっていた私は、お嬢様に向かって大真面目にそんなことを言っていた。

 周りの大人は、そんな私達を微笑ましく見守っていた。だが、年齢を重ねていくにつれて、使用人の子供が雇い主であるお嬢様に敬語を使わないのはいかがなものかという声が大きくなった。

 母からやんわりと注意され、私は言葉遣いを改めた。納得できなかったのは、お嬢様だけだった。

 姫と王子は対等なのだ。なのに王子が姫に敬語を使うのはおかしい。

 顔を真っ赤にして頬を膨らませるお嬢様を宥めるために、私は一生懸命知恵を絞った。姫に敬語を使っていてもおかしくなくて、一緒に冒険できる者。

「姫の騎士なら、どうでしょう?」

 その日から、私はお嬢様の騎士になった。



 お嬢様と私が、ごっこ遊びから卒業し、姫と騎士ではなく貴族のご令嬢と使用人になった頃。

 お嬢様に、『眠りの呪い』が掛けられていることがわかった。

 お嬢様が十二歳の誕生日を迎えた時、屋敷に招かれていた高名な魔法使いが、お嬢様を見るなり顔をしかめたのだ。

「この子には『眠りの呪い』が掛かっている。このままでは、十三歳になる頃に眠ったまま目覚めなくなるだろう」

 始めは誰も信じなかった。質の悪い冗談だと思い込もうとした。

 だけど、確かにその日から、お嬢様が眠っている時間が長くなっていった。目覚めている時間の方が短くなっていった。

 お嬢様は眠ることを恐れるようになった。だけど、人間はいつまでも起きてはいられない。

「傍にいて。私を一人にしないで」

 眠りに落ちる前に、お嬢様は私にそう言った。私はその手を握りしめて、お目覚めになるまでお傍におりますと固く誓った。



 お嬢様に『眠りの呪い』を掛けたのは、森の奥に住む魔法使いらしい。

 ところ構わず呪いを掛けて、解いて欲しければ金品をよこせと脅してくるのだと言う。

 旦那様は魔法使いの討伐令を出した。私はそれに立候補した。

 私はお嬢様の騎士なのだ。憎い魔法使いを倒せば呪いが解ける。お嬢様が目を覚ます。何を迷う必要があるだろう。

 だけどそれは聞き入れてもらえなかった。

 あの森には危険な魔獣がたくさんいる。常人では魔法使いの元にたどり着く前に力尽きてしまうだろう。それに、お前が森に行っている間、お嬢様のお世話はどうするつもりだ?

 年上の使用人にこんこんと諭されて、私は渋々引き下がった。



 ある日、屋敷に「勇者」を名乗る青年が現れた。

 彼は旦那様から森の魔法使いの話を聞いて、そのままふらりと森の中へ消えて行った。

 そしてその日の夕方、再び屋敷に現れた勇者は、旦那様に森の魔法使いを討伐したと報告する。証拠として、その手には魔法使いが持っていたであろう木の杖が握られていた。

 旦那様は喜んだ。勇者は旦那様から褒美を受け取り、現れた時と同じ唐突さで、気づけば居なくなっていた。

 これで呪いは解けたはずだ。これでお嬢様は目覚めるはずだ。

 誰もがそう期待していたのに、お嬢様は眠り続けたままだった。


 眠り続けているお嬢様は、食べ物を咀嚼することができない。

 だから、肉も野菜も原型を残さずどろどろに溶けるまで煮込んだスープを、少しずつ口の中に流し入れて、お嬢様が飲み込むのを祈るような気持ちで見守っている。

 その日、お嬢様のために用意されたスープの味見をしようと思ったのは、ただの気まぐれだった。お嬢様が普段何を召し上がっているのか、気になっていたのかも知れない。

「…………っ!」

 舌先に、嫌な痺れが走った。これは飲み込んではいけないものだ。反射的に吐き出して、私はそのまま料理長の元へと走った。

「お嬢様の食事に、一体何を入れた?」

「何って…………南の方のスパイスだよ。ほら、いつも同じじゃあ味気ないから、ちと変化をつけようと思ってな」

「何処のスパイスだ? それは舌に触れたら嫌な痺れが走るのか?」

 料理長は、深々とため息をついた。はっきり言われなくても、それだけでわかった。

「お嬢様の食事に、毒を入れたのか」

「…………冷静になって考えてみろ。魔法使いが勇者に倒されてから、もう何日経つと思う? 元凶の魔法使いは死んだ。でもお嬢様はまだ目覚めない。なら、もう無理なんじゃないか」

「だから、お嬢様を殺そうとしたのか」

「旦那様だって、本心ではそう望んでいるはずだ。呪いのために命を落としたのなら、悲劇の題材にでもできるだろうが、ただ眠り続けているだけじゃあな。お子様のお前にはわからないだろうが、貴族のご令嬢ってのは政略結婚の道具になってこそなんだよ。お嬢様はもう十六だ。もし目が覚めても、女としての旬が過ぎていたらどうしようもない。このまま静かに終わらせて差し上げるのが、使用人としての優しさってもんだろう」

「貴様…………貴様ぁっ!」

 料理長に飛びかかり、そのまま殴り合いの喧嘩になる。手の空いている使用人たちが集まってきて、大騒ぎになった。

 料理長は、その日のうちに暇を出された。

 それから私は、お嬢様の食事を必ず毒見するようになった。

 私自身が作るのが一番良かったのだが、それではお嬢様の傍にいる時間が減ってしまう。私がいない間に、料理長のように血迷った者がお嬢様に危害を加えたらと思うと、気が気じゃなかった。

 私がお嬢様をお守りするのだ。お嬢様が目覚めた時、一番最初に「おはようございます」と言うのだ。

 私は、お嬢様の騎士なのだから。



 今日も、いつもの夢を見る。

 寝台に腰掛けたあなたは、窓から漏れる日の光に目を細めて、私ににっこりと笑いかける。

 朝の挨拶をすませて、私はあなたの身支度を手伝って、今日の紅茶について尋ねて、

「そうね、今日は────」

 光が強くなる。あなたの姿が見えなくなる。

 早く、早く捕まえなければ。あなたが光に攫われてしまう。

「お嬢様っ」

 必死に伸ばした手を、誰かが確かに握り返した。



 目が覚めた。

 いつの間にか、お嬢様のお傍で居眠りをしていたらしい。

 こんなことではいけないと首を振って、私は立ち上がった。

 気づけばもう夕方だ。窓から差し込む夕日が眩しい。

「おはよう、エマ」

 不意に声を掛けられて、私は文字通り飛び上がった。

 寝台の上。そこに腰掛けたお嬢様が、窓から漏れる光に目を細めている。そして私ににっこりと笑いかけるのだ。

「お嬢様…………お嬢様っ」

 お嬢様の元に駆け寄って、その手を握り締めた。お嬢様も、その手を握り返してくれた。

「エマに、朝の挨拶をする夢を見たわ。エマは朝のお茶について聞いてくれるのに、いつもそこで終わっちゃうの」

 お嬢様も、私と同じ夢を見ていた。私の手は、確かに届いたのだ。

「今日のお茶は、ミルクティーが良いわ」


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