最終話 山野に救世の光あり

 聖者の軍。その異形な出で立ちの集団は、流れ者であった。決まった住み処を持たず、ある日突然に人里離れた山野に現れては、仮の住まいを設けた。


 当初は眉を潜めた付近の住民たちも、彼らの偉業や志を知ると、たちまちに聖者の元へと訪うようになる。よく熟れた果実をひとつ。それが貢ぎ物に定められた唯一条件であり、陳情を届ける為の絶対条件であった。連日にわたって列は長く伸びる。人々の生に対する苦痛と、聖者への深い信頼が窺えるようだ。


 しかし、十分な貢ぎ物を携え礼を尽くしたとしても、聖者に謁見できるとは限らない。まず配下に話を通し、許可の下りたものだけが奥へと通され、助力を得ることが出来るのだ。惜しくも却下された者は手の品を抱え、肩を落としながら帰路に着く事となる。


 では、本当にそのまま家路を辿るべきなのか。答えは否、である。聖者の軍を養う狩猟や農耕技術は極めて抜きん出ており、困窮した狩人や農夫にとって良き学舎となるからだ。人々は教えを乞うた。その声に答えるのは妙齢の女であり、常に尊大な姿勢を崩さない事で有名であった。


「何だ貴様ら、病人のように痩せ衰えおって。仕方ない。私が農耕の何たるかを一から教えてやろう。そして全員を、出荷前の豚のように肥え太らせてやる」


 事実、彼女の授けた農法は画期的であり、革命的ですらあった。これにより新たな手法が浸透し、大陸各所で食余りの現象まで引き起こす事となる。


 さて、聖者への謁見が叶った人物はどうなるか。彼らは一様に緊張した面持ちで向かい、安堵した表情で退室してゆく。慈悲深き聖者は親身になって話に耳を傾け、嘆願を快諾し、約束通りに死力を尽くしてくれる。どのような難事であってもだ。ゆえに参上しようとする者は後を絶たないのである。


 ある日の事。聖者は配下に問うた。


「いつまで続けるつもりなの。本当にキリが無いじゃないか。流石に疲れたよ」


 臣の一人が答える。


「これも陰部様の人徳ゆえにございます! いやぁまっことに喜ばしいぃ!」


 もう一人の臣も答える。


「部隊を分けるべきにござろう。かようにして一所に集まれば、市井の者もこちらへと殺到いたしましょう」

 

 聖者は手を打って喜びを表した。


「確かにその通りだね。僕一人で相手してるから忙しいんだ。それで、もう一つの隊は誰に任せようか。グスタフが適任かな?」


 臣は首を横に振る。


「うーん、じゃあオリヴィエ?」


 再び首を振り、口を静かに開いた。


「聖者の軍を名乗るからには、聖者様の血族でならねばなりませぬ。すなわち御子にござる。さぁ急ぎ、まぐわいましょう。それがしは何時でも用意が出来てござる」


 今度は聖者がかぶりを振る。


「子孫繁栄は為政者の義務にこざります。それは貴方様とて同じこと。さぁいざ戦場へ。くんずほぐれつの眠れぬ夜へ!」


 瞬時に薄着となった配下は、主に迫る。居合わせる人が驚かないのは、これが日常の光景であるからだ。そして、聖者が仮居室を飛び出すまでが恒例なのである。


 一人になった聖者は友人の元へ訪った。その人物とは天下に比肩無き豪傑であり、旧知の仲とも言うべき間柄である。彼は聖者を見るなり輝かんばかりの笑顔で言った。


「おうリーダー、良いところに来てくれたな。物見の知らせによると、近くの森で巨狼の群れが見つかったみたいだ。これから退治に行こうぜ!」


 聖者は眉間のシワを揉み解しながら答えた。


「どうして僕が。こっちが忙しいのを知ってるでしょ」


 友は、語気の強い返事を前にしても、意に介さず続けた。


「最近鈍ってんだろ? たまには身体を動かさなきゃ折角の武術も錆びついちまうさ。さぁ行こう。早いとこ強くなって、年内にはアイツを娶るぞ!」


 聖者は強引に誘う友の腕を振り払い、もう一度駆けた。呼び止めようとする声に振り向きもせず、ただ駆けた。森の獣道を通り、坂を登り、そうして辿り着いたのは見晴らしの良い丘だった。後方には滝があり、重たい水の音が聞こえてくる。


「まったく……少しは僕に遠慮してくれないもんかな」


 見上げた空に雁行を見た。その優雅な動きに吸い寄せられでもしたのか、彼は心を重ねてしまう。聖者とはいえど生身の人間であれば、身体は疲れ、心も淀む。見通しのつかない多忙さによって、いよいよ追い詰められていたのである。


 そこへ1人の修道女が現れる。彼女こそ聖者を最も良く知る者であり、全服の信頼を寄せられている人物である。


「レインさん、どうかされましたか。お一人でこのような所へ」


 慈愛に満ち溢れた声色に、聖者も心情を吐露すした。来る日も来る日も嘆願があり、その合間に修行と討伐までやらされる。これでは身が保たない、と。彼女は言葉を遮る事なく耳を傾け、それから話が途切れたのを確認すると、徐(おもむろ)に口を開いた。


「すみません。あなたのお気持ちに気づいてあげられなくて」


 意図が伝わったとみるや、聖者の顔が明るく輝き出した。しかし、次の瞬間には真逆の心地へと落ちる事になる。


「そのように煩悩を抱いてしまうのであれば、修行を増さなくてはなりませんね。あなたの成長を見誤っておりました事をお詫びします。以後は滝行だけでなく、綱立ち業も加えましょう。木々の間に1本の綱を渡し、その上に直立する事で心身の統一を学ぶのです」


 聖者は抗議した。それではむしろ悪化しているだろう、と。しかし彼女も、必要な事だから頑張ろうと宥めるばかり。2人の静かな言い争いは、一進一退を繰り返しながらも延々と続く。するとその均衡を打ち破るようにして、臣下や友までもこの場にやってきてしまう。


「陰部様! 本日は嘆願がもう2件ありやす! どこまでも、ひたすらに敬愛されてございますなぁぁ!」


「今宵は孕みそうな気がしてござる。さぁ早う子作りに励み申そう。明朝まで少なく見積もって4発、いや5発はいけましょう!」


「リーダー。つれない事言わねえで狩りに付き合ってくれよ。一人だと張り合いが無くってダメなんだ」


「さぁレインさん。そろそろ滝行の時間ですので、準備を始めるとしましょう」


 狭い丘は早くも満員の騒がしさとなる。心を休めてくれた鳥たちの姿も遠のいており、あたりには「現実」しか残されていない。聖者はとうとう我慢の限界を突破し、口を空へ向けて開け放ち、あらん限りの声で叫んだ。


「君たち! 僕に無茶をさせすぎだよーーッ!」


 青空にひとしきり響き渡る声。吹く風に乗って、どこまで届いたものだろうか。


 それを知るものは、誰一人として居ない。 



 【終】

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【リメイク】平凡男子の無茶ぶり無双伝 おもちさん @Omotty

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