悪夢から覚め、俺は笑う

新巻へもん

誓い

 俺が師匠の家の門を叩いたのは5年前のことだった。


 山を越え、谷を渡り、ようやくたどり着いた森の中の一軒家。高名な割には質素な作りの家だと思ったのが最初の印象だった。偉大なる剣士ホルース。白き髭のホルースの家の前に立つ俺は満身創痍だ。もう何日もまともな食事をしていない。ほとんど眠ってもいなかった。


「誰?」

 まだ年若い女性の声が誰何する。

「ホルース様に弟子入りをしたくて来た」


 門の一部に細長い隙間ができる。そして、門がゆっくりとほんの僅かだけ開いた。門を開けたのは俺とそれほど年の変わらぬ女の子。右手は腰の小剣に油断なく添えられ、年に似合わぬ厳しい目をしている。そう思ったとたんに俺の意識は途切れた。


 意識を取り戻したときには、俺はベッドに寝かされていた。体のあちこちには薬草を煎じ練ったものが張り付けられ、その臭いが鼻を刺す。声を出そうとしたが砂を詰められたようでまるで声にならない。


 俺の動く気配を察したのか、部屋のドアが開き、眼光鋭い初老の男性とさきほど見かけた少女が入ってきた。

「これはお前の物か?」

 初老の男性が青銅製のメダルのついたペンダントを掲げた。


 俺は慌てて自分の胸を探る。そこには大切なペンダントが無かった。

「俺のペンダントだ。返せっ!」

 ベッドから跳ね起きようとして全身が痛みを訴える。

「ぐっ」


 初老の男性はフッと笑った。

「それだけ元気なら峠は越したようだな」

 そう言うとベッドの側に寄って来てペンダントを俺に返す。

「別に取り上げるつもりはなかった。ただ、少し昔のことを思い出したのでな」


「あなたは剣士ホルースですね。どうか俺に剣を。剣の使い方を教えてください」

「まずは傷を癒すのが先だ。ベッドから起き上がれるようになってから、またその話をしよう。今は眠れ」


 1週間もすると俺の傷も癒えた。その間、例の少女が俺に食事を取らせ、何くれと世話をやいてくれた。ただ、話しかけても返事をしない。その間、ホールスは姿を見せなかった。


 再び姿を見せたとき、ホールスが俺に問うた。

「私に弟子入りして何を望む?」

「強くなりたい。あなたは最強の剣士だと聞いた?」

「強くなってどうするのだ?」

 俺はその質問に答えなかった。


「私はもう現役を引退して何年にもなる。もう最強の名には相応しくないだろう。それでもいいと?」

「俺はそうは思わない」

「このように髭も白くなったジジイだぞ」

「それは若い頃からだろ」


「そうだな。若い頃から私はこうだった。若い頃、私には大切な友人がいた」

 ホールスは昔を懐かしむような眼をする。

「いいだろう。だが、私は一度に2人の弟子を取らぬ」

 傍らに立つ少女を顧みて言った。


「カーユラ。私の最後の弟子よ。お前がこの少年の面倒を見るがいい」

「なんだとっ?」

 叫ぶ俺にホールスは笑う。

「言っただろう。私は同時に2人の弟子を取らぬと。それにお前はまだ私が教えるに足る技量をもっておらん」


「馬鹿にするな」

 いきり立つ俺にホールスは言った。

「ならばカーユラと立ち会って見よ。カーユラに勝てたなら、弟子入りのこと、考えてやっても良い」


 俺とカーユラは刃を潰した小剣をもって向かい合う。ホールスの合図と共に間合いを詰めた俺はあっけなく剣を弾き飛ばされていた。まったく勝負にならなかった。


 それからというもの、俺はカーユラの弟子として修行に励んだ。弟子と言ってもカーユラ自身がホールスに剣を習っている最中なので特に何かを教えてもらったわけではない。カーユラの構え、足さばき、剣の振り方、すべてを真似した。


 1年が過ぎ、俺はカーユラに再び挑んだ。数合打ち合わせることができ、これならと思った時に腹に強烈な蹴りを受け吹っ飛び気を失う。気が付くと俺は自分のベッドの上だった。地面に落ちたときにぶつけた肩が腫れひどく痛んだ。カーユラが薬草を張り付け布を巻いてくれる。


「サーシャって誰?」

 カーユラが突然聞く。俺は体をビクっとさせた。

「どこでその名前を?」

「あなたが意識を失っていた間、譫言のように繰り返していたから聞いただけ」

 そう言うと、カーユラは部屋を出て行った。


 そして、更に1年が過ぎる。


 俺は相当強くなったはずだった。俺はホールスの家の門を叩いてから確実に腕をあげた。自分の腕に自信を持った俺がホールスの言いつけで近くの街に出かけたある日、俺は街でその男を見つけた。左手に黒い蜘蛛の刺青のある男。フードを深くかぶりなおし、俺はその男をつける。街から出て森に入ったの見て俺はほくそ笑んだ。


 しばらく見え隠れするその姿を追っていたが、急にその姿が見えなくなったので慌てて走り出した俺はすぐにその事を後悔する羽目になる。木の陰から、その男が長剣を握りゆっくりと歩み出る。

「俺に何の用だ? さっきからずっとつけていたな」


 俺は奇襲に失敗したことを認め腰から小剣を抜き、フードを脱いで顔を晒した。

「なんだ、まだガキじゃねえか。それで……」

「この顔を忘れたか」

「ん? なんだ? てめーなんぞ」


 男の顔に笑みが浮かぶ。

「ああ。あの時のガキじゃねえか。なんだ。仇でも取りに来たか? ははっ。笑わせるぜ。すぐにあの娘のところに送ってやる」


 男は長剣を巧みに操り、俺を切りたてる。俺は必死に小剣でその攻撃を防ぎながら隙を伺った。しかし、次第に俺は追い詰められていく。

「いい腕だな。どこで習った? だが、俺には勝てねえ」

「くそっ」


 俺は腕に深手を受けて小剣を取り落とす。

「残念だったな。あばよ」

 男が長剣を振りかぶる。振り下ろした長剣は、しかし、はじき返された。小柄な後姿の剣士が俺と男の間に割って入る。カーユラだった。


 カーユラは剣の長さの差など存在しないかのように縦横無尽に小剣を振るい男を防戦一方に追いやる。男からは余裕が失われていた。俺は剣を拾い、両手で柄を握りしめると男の背後からその広い背中に向かって小剣を叩きこむ。見事に小剣は男の左胸を貫通し、男は血を吐きながら地面に倒れた。


 その日、俺は全てを白状する。妹の復讐のために剣を身につけたいと思っていたこと、仇がブラックウィドウであることなどだ。ホルースは何も言わず、カーユラが悲しそうな顔をした。


 カーユラが口を開く。てっきり、復讐は何も生まない、妹さんはそんなことを望んでいない、そんなセリフを言うのだろうと思っていたが予想は外れた。

「私の師匠が決めた以上は、お前は私の弟子だ。一人で勝手な真似をするな。そのような気持ちでは本当の剣など学べない。私も手を貸そう」


 俺は耳を疑った。

 そして、それから3年が経ち、俺はカーユラとある村に出かけた。俺の故郷に似た平和な村。村で唯一の宿で荷をほどくとまだ明るいうちから眠りにつく。


 ***


 俺は夢を見ていた。

 懐かしい故郷の村だ。だが、その村の家々には火が放たれ、あちこちから怒鳴り声と悲鳴があがっていた。ブラックウィドウが村を襲ったのだ。黒蜘蛛を旗印とする騎士団。近隣国の村に出かけては襲撃を繰り返すクズの集団だ。


 その前の年、病気で父と母を失っていた俺は一つ違いの妹のサーシャを連れて茂みの中を進んでいた。もう少しで村はずれの森に逃げ込めるというところで、頬に十字傷のある男ともう一人の男が目の前に立ちふさがる。男達の服には点々と赤黒いものがこびりついていた。


「逃がさねえぜ」

 十字傷のある男は手を伸ばすとサーシャを捕まえた。

「お兄ちゃん。逃げて」

 必死でサーシャは叫ぶ。

「お兄ちゃん。逃げて。か。泣かせるなあ」

 男は甲高い声真似をしてせせら笑う。


「いてっ」

 男は叫び声をあげた。サーシャの手にはナイフが握られており、その刃を赤いものが彩っていた。

「このクソガキっ!」


 男が構える長剣にサーシャは自ら身を投げ出す。長剣に刺し貫かれながら絶叫した。

「お兄ちゃん! 早く! お願い」

 必死に男の腕に取り付きながらサーシャは叫ぶ。


 その声に俺は踵を返して走り出す。最後に振り返ったときに俺の目に映ったのはサーシャの体に長剣が振り下ろされるところだった。


 ***


 はっとして俺は目を覚ます。あれから何度となく繰り返して見た夢だ。息を掃き出し、全身の力を抜く。横を見るとカーユラが俺を見下ろしていた。薄暗闇の中で目がきらりと光る。

「時間だ」


 俺は頷き、ベッドから降りて身支度をした。そっと宿を出て村の入口に向かう。そこには十数人の人影が村の柵を越えて侵入しようとしていた。その中に十字傷のある男がいる。そして、そのさらに向こうの街道には月明かりを浴びて白い髭を生やした男が立っていた。


 今日で決着がつく。復讐のときを得て俺はいい気分だった。あの夢を見るようになってから最高の気分だ。俺は腰の長剣の鞘を払う。


 

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