44・仕事は探偵だ

 午前十時二十分。

 モランが姿を現した。

 見るからに度の強い眼鏡をかけ、意外と筋肉質だが、猫背。

 南国出身なのか黒い肌をし、髪も目も黒。

 神経質そうに周囲を窺いながら歩いている。

 ギャンブルに手を出すような印象は受けないけれど、しかし人は見た目ではわからないものだ。

 モランは簡易小屋の扉をノックした。

 扉が開き、コックス団長の姿が現れる。

 やや背の低い太った男性。

 脂ぎった顔に、頭はバーコードハゲ。

 キチンとした正装をしているが、短い脚を少しでも長く見せようとしてか、ズボンをお腹の部分まで上げていて、そのため出っ張ったお腹をベルトが締め付けている。

 なんというか、好色なスケベ親父という印象がある。

 いや、人は見た目とは違うものだ。

 さあ、モランは殺るつもり?

 私は周囲を見渡して他の皆の姿を捜す。

 キャシーさんとセルジオさまが、私とは別の場所で見張っているのを確認。

 勿論、少しでも目立たないように武器防具の装備は外しており、旅装束になって貰っている。

 少し離れたところではモランを見張り係の、いつもの赤い上着ジャケットのスファルさまの姿を確認。

 どうする?

 私が逡巡していると、コックス団長とモランは簡易小屋の中へ入り、扉を閉めた。

 まずい。

 今、モランが実行したら防げない。

 私は簡易小屋へ走った。

 しかし、足をすぐ止めることになった。

 コックス団長とモランが簡易小屋から出てきたのだ。

 私は慌てて天幕の陰に戻った。

 コックス団長に不自然な動きはなく、危害を加えられたという様子はまったくない。

 モランは殺る気はないの?

 コックス団長とモランはなにかを話しながらしばらく歩き、そして別れた。

 セルジオさまとキャシーさんはコックス団長を、スファルさまはモランの追跡を再開した。



 午前十時五十五分。

 何事もなくコックス団長が簡易小屋に戻ってきた。

 さらに三十分ほど経過した。

 花形道化師マーロウが現れた。

 道化師ピエロ姿のままだ。

 メイクで正確な年齢は判別できないし、身長は平均的だけど、体型は道化師特有のだぶついた服装で分からない。

 ラーズさまの姿はここからは見えない。

 コックス団長の簡易小屋の扉を叩いた。

 正装姿のコックス団長が扉を開けて、中に招き入れる。

 十分ほど経過し、マーロウが小屋から出てきた。

 それを見送るコックス団長に変化はない。

 なにを話してたんだろう?

 やっぱり、ショーの方針についてかな。



 さらに十分経過した。

 簡易小屋の小さな窓ガラスにコックス団長の影が映った。

 窓ガラスに倒れるようにぶつかり、手がガラスに張り付く。

 その手は血でべっとりしていた。

「そんな!?」

 私は簡易小屋へ走った。

 中には誰も入らなかったのに、いったいどうして?!

 私は扉を開けようとしたが、鍵がかかっている。

 強く何度も扉を叩いて、中にいるコックス団長に声をかける。

「大丈夫ですか!? しっかりして! ここを開けてください!」

 返事がない。

 もう意識がないのかも。

「誰か来てください! 様子が変です! 早く!」

 セルジオさまとキャシーさんがすぐに駆け付けた。

「クレアちゃんどうしたの?!」

 どうやら中の異変に気付いていないみたい。

「わかりません。でも、窓ガラスに血が」

 私の声を聞きつけて、曲芸団員も駆け付けた。

「こら! あんたたちなにやってんだい? ここは部外者立ち入り禁止だよ」

「それどころじゃないんです! 窓を見てください!」

「窓? うわ! なんだいこれ!? 血の手形が付いてるじゃないか!」

 セルジオさまが、

「そこを退くのである!」

 私はすぐに扉の前から退いた。

「ぬうん!」

 セルジオさまが体当たりして扉を破壊した。

「これは?!」

 簡易小屋の床は、大量の血で溢れていた。

 その血溜まりの中心にいるのはコックス団長。

 うつ伏せで倒れていて、その右脇腹から血が流れている。

 着替えの途中だったのか肌着で、正装は椅子に無造作に畳まれている。

 その正装は右脇腹部分が血でべっとりしている。

 セルジオさまが、コックス団長の容態を見る。

「まだ脈がある! 急げば助かるかもしれぬ!」

 でもスファルさまがいない。

 見張りの人選を間違えてしまったかも。



「いったい何事だ?」

「おい、どうやら君の出番のようだ」

 小屋の扉の所で、誰かが話をしている。

「どいてくれ」

 貴族の簡易服を着た男性が入ってきた。

「僕は医者だ。怪我人を診せてくれ」

 医者?



 偶然居合わせた医者の手当てによって、コックス団長は命を取り留めた。

 だけど、意識は戻っていない。

 出血量が多すぎたそうだ。

 出血の原因は右脇腹の刺し傷。

 出血で失った血は、治療キュア治癒ヒーリングの魔法では取り戻せない。

 達人級の魔法、再生リカバリーならば可能だそうだが。

 それでも、時間の経過でいずれ意識を取り戻すだろうと、手当をした医者は言っていた。

 これで殺人を防ぐと言う目的は一応果たせた。

 しかし、違う問題が起きた。

 私たちだ。

 曲芸団員が呼んだ衛兵に質問攻めにされた。

 それもそうだろう。

 部外者の人間が第一発見者だ。

 なんのために立ち入り禁止の場所にいたのか、本当の事が言えない以上、疑われて当然。

 曲芸団の裏側に興味があって、つい覗いてしまったと、嘘を吐いたけど、信じて貰えなかった。

 正直、このまま捕まってしまうかもしれないと思った。

 その窮地を救ってくれたのは、他ならぬ偶然 居合わせた医者と、その同行者だった。



 簡易な貴族服を着た三十代中頃の医者と、似たような簡易な貴族服を着た医者と同じ年頃のパイプを咥えた同行者は、私を見ていたそうだ。

 二人は曲芸団の裏側に興味を持ち、コックス団長に許可を貰い、曲芸団員が普段はどんな生活をしているのかなどを、見学していた。

 そこに天幕の陰にコソコソ隠れていた私を発見し、なにをしているのだろうかと見ていたそうだ。

 当然、コックス団長の簡易小屋も視界に入っており、事件発生の時まで私が入っていないことを証言してくれた。

 だけどさらに別の問題が発生した。

 花形道化師マーロウだ。

 コックス団長があんなことになる前に簡易小屋に入ったのは、マーロウだけだった。

 その証言も、医者とその同行者によるものだった。

 他に通りすがりの曲芸団員が二人。

 マーロウが簡易小屋に入ったのは私も見た以上、衛兵にそう証言するしかなかった。

 そして、マーロウ以外、誰も入らなかった。

 セルジオさんとキャシーさんにも確認したけど、私の目を確かなものとしてくれるだけだった。

 どういうこと?

 現実じゃ、モランじゃなくてマーロウがコックス団長を殺そうとしたの?

 でも、マーロウが簡易小屋を出た時、コックス団長が見送っていて、その時はなんともなっていなかった。

 だけど、衛兵隊はマーロウを容疑者として捕えた。

 コックス団長の意識が戻り、確認を取り次第、裁判に移行する。

 それまで、留置所の中に入る事となるそうだ。



 私たちを詰問していた衛兵隊長のコリンさまが、医者とその同行者と親しそうに話している。

「ハッハッハッ、男爵たちのおかげで助かりました。人の命を救ったばかりか、危険な道化師を監獄に入れることができますからな」

 医者の同行者の方が、コリンさまに答える。

「レストレード君。そう決めつけるのは早急というものだよ。コックス団長の意識が戻り、その証言次第では、状況は覆るかもしれない」

「私の名前はコリンです。いい加減にそう呼ぶのは止めてください。

 まあ、それは良いとして。男爵、今回は貴方がたの出番はないと思いますよ。犯人はマーロウで決まりです。貴方たちも見ていたのでしょう。それに、目撃者は他に五人もいる。外部の人間が三人。曲芸団員が二人。揃ってマーロウ以外に出入りした者はいないと証言しているのです。犯人はマーロウで間違いなし」

「ふふふ、どうだろうね? レストレード君、僕は空白の十分間が気になるんだ」

「だから私はコリンです。

 まあ、それは良いとして、時間など些細なことでしょう。刺されてから十分間、意識を失っていたとか、そういうことではないですかな」

「ははっ。まあ、いいだろう。君はマーロウを調べると良い。僕は他の事を調べることにする」

「無駄骨だと思いますが。ねえ 先生、貴方もそう思うでしょう」

 衛兵隊長は医者の方に話を振るが、医者は思案気に沈黙していた。



 医者とその同行者は衛兵隊長のコリンさまとの話が終わると、私たちの方へやってきた。

 医者の方は、中肉中背の体格。茶色の髪と目をしていて、簡易貴族服を丁寧に着こなし、落ち着いた雰囲気を醸し出しており、それは紳士という言葉が自然と浮かぶ。

 パイプをくわえた同行者の方も簡易貴族の服を着ており、長身痩躯の男性で、黒い髪をオールバックにし、藍色の瞳で私たちを興味深そうに見ている。

 医者の方が私に、

「一つ訊いても良いかな。どうしてあんなところにいたんだい?」

 返答に困る質問をしてきた。

「えっと……だからそれは……」

「待ちたまえ」

 同行者の方が、私が返事をするのを遮った。

「ふむ。三人とも旅装束か。大柄で筋肉質な男性マッチョマン性的魅力セクシー溢れる女性に、麗しき女の子。三人とも動きからして鍛えている。

 なるほど、わかった。なぜコックス団長の簡易小屋の前にいたのか。

 君たちは曲芸団入団希望者だね。大柄な君は怪力を魅せるショーをしたいのだろう。性的魅力セクシーな君は空中曲芸エアリアル。麗しき君は雑技といったところか。旅装束をしているということは、長旅に自信があると団長に印象付けようとしたのだろう。どうだね?」

 スゴイ。

 感心するほど大ハズレだ。

 医者の方が、

「いや、旅人が建国祭に立ち寄って、曲芸団サーカスを見に来たと考える方が自然じゃないか。それに腰に巻いてあるベルトは帯剣用だ。鍛えている人間が仲間を組み、普段は武器を佩びて旅をしていることから、彼女たちは冒険者だろう」

「……」

 パイプを咥えている人はしばらく沈黙した後、

「ハッハッハッ、君も推理が身に付いて来たじゃないか」

 不自然に朗らかな笑い。

 なんなの この人?

 私の疑念に答えるように、パイプを咥えた男性が、

「おっと。そういえば自己紹介をしてなかったね。

 僕はシャーロック・ホームズ。仕事は探偵だ」

「……」

 ……

「……」

 シャーロック・ホームズですって!?

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