序章へのプロローグ

維 黎

始まりの予感

「ふぅ~。風が気持ち良いわね」

「そ、そうですね。新垣あらがきさん」


 そう返事をしつつ、ドキドキとうるさいほどの心臓の音と、火照ほてって熱を帯び、おそらく赤くなっているだろう頬は、アルコールだけのせいではないと勇人ゆうとは自覚する。

 結婚式の二次会の帰り道。有馬 勇人ありま ゆうとは憧れである二つ年上の会社の先輩と肩を並べて歩いていた。

 オフィス街と四車線の大通りを挟んで、向かい合う場所にある飲み屋街の大衆居酒屋を出て、二人は地下鉄がある地下へと降りる階段を目指している。

  

「美奈子さん。とっても幸せそうだったなぁ」

「そ、そうですね」

「それにすっごい綺麗だった」

「そ、そうですね」

「もう! さっきから有馬くん『そうですね』ばっかり! ちゃんと私の話、聞いてる?」

「も、もちろん、聞いてますよ!」


 心持ち顔を寄せてきた新垣に、慌てて返事をする勇人の頬は、先ほどよりも熱量が上がり、もしかしたら顔全体まで広がっていたかもしれない。


(ち、近い、近い! 肩が触れて!――って、あぁ。なんか良い匂いがする……)


 頭がぼぅっとして半分夢心地でいた勇人は、


「――それじゃ、またね。有馬くん」


 という新垣の声に「はっ」とする。


「え!? あ、ハイ! そ、それじゃあ、またです!!」


 にこやかな笑顔で地下へと降りて行く彼女を、姿が見えなくなるまで見送る。どうやら気付かないうちに、いつの間にか地下への階段まで来ていたようだ。

 勇人は地下鉄ではなく、私鉄を利用している為、ここで分かれることになる。


(し、しまったぁ! せっかくの二人っきりだったのに、もっとちゃんと話とかしておけばよかった! 僕のアホー!!)


 はぁ、とため息をつきつつ駅へと脚を運ぼうとした勇人に、


「ねね、そこのお兄さん。ちょっと寄っていかないかな? 楽しい夢でちょーリラックス! 疲れた躰も心もリフレッシュしたくない?」


 勇人の目の前に一枚のチラシが差し出される。

 これがカタコトの日本語でムサイ男が声をかけてきたなら、速攻で無視する怪しいセリフ内容だったが、相手はフリル付きのピンクのドレス、頭にカチューシャをのせた可愛らしい女の子。つい警戒心のレベルがぐんぐんと下がっていく。

 手に取ったチラシを見てみると、


『あなたが望む夢の世界へご招待します。悪の犯罪組織から街を守る警察官が題材のアクション物。絶世の美女とのラブロマンス。世界統一を目指す武将、などなど。好きなあなたに夢の中で生まれ変ってみませんか? 夢の国への案内人"カタルシスドリーマー"があなたの願望ゆめを叶え、最高の目覚めをお約束します』


「なんだ。カタドリの案内チラシか。へぇ、この近くにもあるんだ」

「あら、お兄さん。お店のこと知ってるの? そうなの。半月前にすぐそこのビルの4階に新しいお店が出来たんだ。ね、これも何かの縁だし寄って行ってよ!」

「う~ん。そうだなぁ……」


(新垣さんとの仲を進展させるチャンスを逃しちゃったし。このモヤモヤを抱えたまま帰るのもなぁ。明日は休みだし――いっか)


「それじゃ、ちょっと行こうかな。どこにあるの? 近く?」

「じゃぁ、案内しますね。一名さまご案内~♪」


 キャッチセールスのフリフリドレスの女の子に勇人は腕を組まれ、文字通り『キャッチ』された状態で店まで案内された。




「いらっしゃいませ~♡ カタルシスドリーマーへようこそ♪」


 自動ドアが開いた瞬間、受付嬢が満面の笑顔で迎え入れてくれる。

 受付は特に珍しい感じはしない。いたって普通だ。カラオケBOXを想像してもられば、大体の雰囲気はつかめるだろう。


 睡眠暗示型夢想体験ヴァーチャルドリーム

 睡眠暗示治療という医療技術を応用した体験型アトラクションの名称である。

 カプセル型の睡眠装置に入り、特殊な薬品によりレム睡眠ともノンレム睡眠とも違う"トランス睡眠"という睡眠状態にして脳に電気信号伝達による暗示をかける――というものだ。これにより、被験者は自分が望む世界がんぼうを体験することが出来るのだ。


 勇人ゆうとは慣れた手つきで受付に会員証を渡す。


「どういった夢をご希望でしょうか?」

「えーっと。ラブロマンス物語ものを1時間コースで」

「オプションはお付けになりますか?」

「いえ、ノーマル――あ、やっぱり付けます。キャラクターオプションで、こ、恋人は二つ年上って設定で」

「はい。かしこまりました――では、ご案内しますね」


 そう言って案内されたのは、小さいが一つ一つ仕切られた部屋に設置された睡眠装置だった。

 案内係がパネル操作をすると、ウィーン、という音と共にカプセルの蓋が開く。パッと見は日焼け装置に見えなくも無い。

 勇人は躊躇ためらうことなく装置に身を横たえた。


「それでは良い夢を」







 辺りにはむせ返るような血の臭いと、まとわり付くような妖気が漂っていて、人の形をした人ならざる者――混沌の魔種ディーヴァと呼ばれる闇の住人のむくろがあちこちに転がっていた。

 混沌の魔種ディーヴァが人間界に侵攻を開始して二十余年。多くの村や町、いくつもの大都市、そして二つの国が滅ぼされてしまった。

 劣勢を余儀なくされた人々は、最後の望みを賭けていくつかの聖地で"勇者召還の儀"をり行った。


「ユート、大丈夫ですか?」

「あぁ、問題ない。召還の勇者がこんなところで、やられるわけにはいかないからな。マリアこそ、大丈夫か?」

「ええ。私も大丈夫です」

「ゲヒヒヒヒ。別れの挨拶は済ませたか? 人間ども。おっと、失礼。そっちの女は人間ではなくだったな。ゲヒヒヒヒ」

「黙れ、ギルティス!! マリアに対しての侮辱、万倍にして返してやるぞ!!」


 ユートはえると剣を構えて一気に間合いをつめる。マリアもユートと並列して全速力で駆け出した。構える武姫は大剣。

 迎え撃つのは八将軍が一人、三面六臂ろっぴの魔人ギルティス。

 三面により死角はなく、六腕から繰り出される攻撃は無限と思わせるほどの連続攻撃だ。

 ユートとマリアの左右からの同時攻撃も、ギルティスはその六本の腕で、余裕で対処出来る自身があった。

 しかし。

 二人は剣が届く少し手前で、並列で走っていた状態から、直列――ユートが前、マリアが後ろに隊列を変更する。

 三本の腕で、ユートとマリアのそれぞれに対応しようと構えていたギルティスは、突然、目標の一人を失った為、一瞬、戸惑いを見せる。


「おおおおぉぉぉ!!!」


 ユートが隙を突いて、上段に振り上げた剣を一気に振り下ろす。と、同時に後ろのマリアが飛び上がり、さらにユートの背中を蹴って勢いをつけてギルティスを飛び越えて背後を取る。


「なんと!?」


 ユートの上段からの一撃を防ぐのに手一杯で、ギルティスが気づいたときには、すでにマリアは大剣の横薙ぎの一撃を放っていた。

 ギルティスの上半身と下半身が斬り分かれる。


「トドメだぁ!!」


 ユートは一度は防がれた上段の一刀を、再び一直線に振り下ろした。

 

「ゴアァァ!!」

「闇へと還れ、ギルティス!!」

「――ゲ、ゲヒ、ゲヒヒヒ」

「!? なにがおかしい、ギルティス!」

「か、かかったな。お、俺はタダでは死なん。勇者ユート。貴様さえこの世界からいなくなれば、この世は我ら混沌の魔種ディーヴァのも……の……」


 ギルティスはそう叫ぶと、その躰が一瞬で真っ黒に染まり、ぶくぶくと膨らんで黒い球状に変化したかと思うと、ユートとマリアの二人を飲み込んだ。


『ゲヒ、ゲヒヒ。こ、この暗黒空間に囚われたら最後、永遠に彷徨うかどことも知れぬ亜空間の狭間はざまに跳ばされるのだ。ゲヒヒヒ……』


 どこからともなく、ギルティスの最後の言葉が聞こえた。


「マリア!」

「ユート!!」


 二人はお互いの声を頼りに相手の位置を探ろうとするが、ユートは段々と意識が遠くなっていく。


「くっ! マ、マリ……ア」

「ユート! ユート!! 必ず、必ず私はあなたを見つけ出してみせます! 待っていてください、ユート!!」







 ビーンというモーターの駆動音と共にカプセルの蓋がゆっくりと開いていく。


「――お疲れ様でした。夢加減はいかがでしたでしょうか? 最高の目覚めとなりましたでしょうか?」

「え? あぁ、うん。なんか思ってたのと違ったけど、剣と魔法の世界ってのも案外楽しかったよ。血湧き肉踊るって感じでよかったよ」


 んんー、と伸びをして勇人はすっきりとした顔で受付に答える。


「え!? 剣と魔法……ですか?」

「そう。異世界から召還された勇者って設定でさ。混沌の魔種ディーヴァって魔族を無双するって感じが、爽快だったよ」

「そ――そうですか。楽しんで頂ければ幸いです。あ、これ明細レシートです。受付の方までお持ちください」


 勝手知ったるなんとやらで、勇人は明細を受け取ると案内係を置いて受付に向かった。


「――おかしいな。夢の設定はゴリゴリのラブストーリー『宇宙歌劇スペースオペラ追憶の薔薇』のはずだったけど。血湧き肉踊るほどの物だっけかなぁ?」


 案内係がそう呟いたことは、勇人には知る由も無かった。



 

「ん? 何だアレ? なんかのコスプレか?」


 カタルシスドリーマーの店を出て、すっきりした気分で駅までの道を歩いていた勇人は、変な着ぐるみを着た人影を見つけて思わず呟く。

 下半身は人だが、上半身に左右三本ずつ、計六本の脚があるように見える。一瞬、"カニ人間"なる単語がふと頭をぎった。


 勇人が使っている私鉄の駅は、カニ人間の向こうにあるので、必然的にカニ人間に近づくことになる。


「――えっ!? あれ? な、なんでのコスプレがこんなとこにいるんだ?」

 

 近づいて分かったが、それはカニの脚ではなくだった。


「ゲヒヒヒ。見つけたぞ、勇者!!」


 ギルティスが六本の腕にそれぞれ剣を持ち、勇人目がけて振り下ろす。


「危ない! 有馬くん!!」


 間一髪、抱きかかえるように押し倒して勇人を救ったのは――


「あ、新垣さん!? え、なんで? ど、どうしてここに?」

「詳しい話はあとよ! それよりあなたも思い出して! 本当のあなたを!!」


(本当の僕?)


 どくん、と心臓が跳ねる。


「目覚めなさい、有馬くん! いえ、勇者ユート!!」


(――僕は……僕は。いや――おれは!!)


 有馬 勇人ありま ゆうとは覚醒する。勇者ユートとして――



                    ―了―

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