夕暮れのカタルシス

空音ココロ

夕暮れのカタルシス

 常に轟音が鳴り響き大地は揺れ続けている。

 分厚い壁に遮蔽されている居住空間だったが嵐が来ていることを知らせるには十分だった。定期的に訪れるノイズとの共同生活に慣れたはずだったが、今日は妙に耳について離れない。

 目を閉じて息を整える。視界を遮断するだけでもノイズが弱まる気がした。


「どうしたサト、具合でも悪いのか?」


 ルームメイトのフリントがお茶を淹れて来てくれた。

 茶色い透き通った色をした飲み物のシミュレートドリンク。人工的なもので生命活動に不要ではあったが、人類はブレイクに飲み物をとるという習慣を捨てる気は無かったらしい。


「ありがとう。すぐに直る。大丈夫だ」


 地球は荒廃していた。

 宇宙からの影響を塞ぐものは無くなり、硬い砂が舞い灰色の濁った空を作っていた。水は宇宙線の放射により分解されて地表から消えてしまった。

 かつて栄華を極めていた生物も消えて、硬い外殻に覆われた無機質な生命体が地上を支配していた。それらは知能を持っているというよりは、ただ生きるために動いているだけの原始的な生命体に近かった。


 細胞には壊死などの「ネクローシス」と管理された自殺「アポトーシス」という死に方がある。

 地球を人に例えて話をするのはどうかと思うが、教科書的な一般論としてはアポトーシスの異常により今の状態が引き起こされたと考えられていた。

 身に照らし合わせて考えて見ると妙に説得力がうまれる。不思議なものだ。


「聞いたか、Ms.Yoshikaの論文のこと」


 フリントがカップを手に持ち机に腰かける。

 行儀が悪いので止めろと何度か言ったが一向に是正する気配を見せないのでもう諦めていた。


「あぁ、聞いてはいる」

「SYD計画どう思う? 本当ならこの生活ともおさらばできるかもしれない」

「確かにそうだが、本気でそれをやると思うか?」

「いや、無理だな。老人たちは地下生活が長すぎて保守的になり過ぎている」

「そうだな、だが何もしなければ何も変わらない」


 論文はアポトーシスではなく、心筋梗塞に近いというものだった。そして地球のコアはまだ生きている。定期的に続く微振動は心室細動と同じような状態だという。

 心室細動は心臓が痙攣して血液が正常に送液できない状態だ。これを解消するにはAEDのように強烈なショックを与えて一度停止させる。そして心臓マッサージのように外部から脈を復活させることが効果的だ。SYD計画とは、要はそれを地球に向って行うということだ。


「おい、ヘッドラインを見てみろ。Ms.Yoshikaは本気らしいぞ」

「まさか」


 慌てて自分の端末のモニターを起動させる。

 視界を遮るためにスイッチを切っていたせいか表示に時間がかかる。数秒の待機時間だったが嫌な汗が背中を伝うには十分だった。

 そして起動すると同時に芳香さんからのメッセージが飛び込んできた。


「時間無くてごめん。これから決行するね。おじい様たちへの説明はきみに任せたよ。時間さえあればこっちのものだからさ、よろしく!」


 一方的かつ無策極まりないメッセージ。

 ニュースを見なくても分かる。

 僕はため息をついた後に壁に掛けてあるジャケットを羽織った。


「フリント、出掛ける用事ができた。既にドッグは大騒ぎになっていることだろう。避難先は無い。この部屋に十分蓄えはあるのは知ってるだろ?」

「おい、サト。どうするつもりなんだ? 避難っていったい何のことだ」

「ちょっと若者に説教する爺さんの愚痴を聞きに行って来るだけだ」

「言ってることが分からん、気分悪いのはどうした? サトは何か知っているのか……」

「あぁ、目が覚めたから大丈夫だ。だから頼んだよ」


 フリントの言葉を遮り部屋を出た後にカードキーでロックをかける。

 悪いなフリント。ここから先へ連れていくわけにはいかないんだ。

 フッと笑ってみる。ちょっとキザだったか?


「さて、悪夢から目覚めるために一肌脱ぎますか……」


 SYD計画は元々僕と芳香さんが考えたものだった。

 学生のノリでふざけた仮説をでっち上げて面白半分に検証していた。すると現象と理論が合致する点を想像以上に多く見つけてしまったことに始まる。

 僕らは秘密結社を作ったつもりで計画を練り上げ楽しんでいた。

 計画の骨格を仕上げた後、僕は地表を調査する機関へ、芳香さんは研究所へと道を進めていた。

 芳香さんがやろうとしていることは分かっている。

 そのきっかけを僕が作ってしまったことも。


 どうしようか考えながら歩いていたが時間は全くない。もう芳香さんが動いてしまっている。くそぅ、こんな時に限って端末の電源を落としていた。

 ロック付きのドアを何枚か通り抜けるとドックの艦長室へ辿り着いた。


「失礼します」

「来たか」

「状況はどうなっていますか?」

「君がそれを聞くかね、まぁいいだろう。早い話は爺さんたちが大きな声を出すものだからドックの中も不安が蔓延して警備員もてんやわんやだ」

「情報はどれぐらい出ているのでしょうか?」

「表面だけだ。爺さんたちは自分たちが正しいと思いこんでいる。まったく何が正義かなど結果でしか語れないというのに。君もこうなる前にどうにかできなかったのか?」

「申し訳ありません」

「謝罪などいらん」


 艦長であってもこのドッグの命運を一人で握っているわけでは無い。評議会があり、おじい様こと議員と共に方針を決めていた。

 微かに残っている地球の営みを一回止めるということは、微かな希望も失ってしまうことと隣り合わせのように感じられるのだろう。保守的な彼らにして見れば真っ当な行動とも思えた。

 評議会へアクセスしようとするがここからはアクセスが遮断されてしまっている。


「評議会へ行き、直接話をしてきます」

「やめておけ。もう無駄だ。どのみち外は人で溢れかえってまともに向かえないだろう」

「いえ、私にはこれがありますから」


 取り出したのは地上探索用ポッドのキー、これを使えばドック内ではなく地表を伝って評議会まで移動することが出来る。


「芳香が行動を始めた後に外を出歩くなんて無謀すぎる」

「僕はこの計画の立案者ですよ、大丈夫です」


 僕は唖然とする艦長を取り残してさっさと部屋を出て行く。

 緊急用ハッチを開けて外へ出ると空は灰色が混ざった緑色に包まれていた。

 大気圏の変化により空模様は過去と全く変わってしまったという。時刻は午後5時、夕暮れ時だった。

 僕は慣れた手順で評議会のモニターへとアクセスした。


「おじい様、ご無沙汰しております」

「聡美か、いったいどうなっている。今どこにいるのじゃ」


 ざわざわとした声が聞こえる。ノイズ交じりだがアクセスできている。返事をしたのは議長のハヤト氏だろう。評議会からは音声しか聞こえないので推察するしか無かった。


「今は地表、ちょうど評議会の上辺りですね」

「なんじゃと! そこで何をしようとしている」

「何って、おじい様たちに話を聞いてもらうためです」

「芳香はどうした?」

「芳香さんは多分、地下遺跡に行っているんじゃないでしょうか」

「なんじゃと! 早く止めるんじゃ。勝手な行動は許されんぞ」

「その点はお詫びします」

「詫びなどいらん、早く芳香を止めるんじゃ」


 さっきも聞いたようなセリフだ。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「お言葉ですがもう時間は残されていないんです。このままでは完全に停止してしまいます。そうなれば地球は完全に死んでしまうでしょう。咎は受けます。ですが今は信じて下さい。遺跡をもう一度稼働させることで地球の鼓動を取り戻せるんです」


 電磁嵐が強くなる。これだけそばにいるのにアクセスが途絶えてしまった。


 外に出たのはこれだけが目的では無かった。

 芳香さんの行動プランとは別に必要な事がある。それは岩盤の下に眠る氷を地表にさらけ出すことで水を地表に取り戻すことだ。

 これは芳香さんに伝えていない秘密の計画。計画では6時に遺跡を稼働させるはずだ。そのタイミングに合わせて氷を覆う地表を爆破すればいい。


 探索ロボットの座標を北極へ合わせる。こんな計画になってしまった以上、爆破する手は一つしか残されていない。地表に空気が戻るのが先か、スーツのエアが切れるのが先か命がけになるだろう。


 6時予定通りの時間に地球は活動を停止した。そして2分後に強烈な振動と共に活動を再開し始める。


 北極から少し離れた場所でポッドから脱出する。

 北極で爆発したポットは上方に溜まった無機質な生き物を吹き飛ばして、強大なキノコ雲を作っていた。

 久々に現れた水蒸気は瞬く間に地表へ広がっていった。


 僕は少し遅れて爆風に吹き飛ばされ、緑色の夕日がゆっくりと赤く変わっていくのを見届けながら意識を失っていった。


 おじい様たちはどうしているだろう?

 フリントはちゃんと部屋に残っているだろうか?

 芳香さんは無事に帰れただろうか?

 メッセージだけでじゃなくてちゃんと話をしたかったな。


 朦朧とする意識の中、もう戻ることは出来ないと諦めていた。

 郷愁に浸っていたが、強烈な光により覚醒を促された。

 目を開けるとフィルター越しに燃えるような赤い太陽が地平線にいるのが見えた。そして目下には巨大な水面が広がっており表面が微かに波を打っていた。

 

 成功した実感を感じて良いのかは分からないが、灰色の混ざっていない空を見るのは初めてだ。

 地球は再び目覚めた。生命の息吹を感じられるまではまだ時間はかかるだろう。それでも僕らの道が間違っていなかったと信じていたい。

 目の前にはかつてあったはずの光景が確かに存在しているのだから。


 ザーザザーピー、耳元から端末に誰かがアクセスする音が聞こえた。


「きみは全く無茶をするね。いっぱい怒らないといけないからこれから迎えに行くよ」


 良かった。芳香さんは無事だったみたいだ。ただ怒るのはこっちもだけどね。

 残りのバッテリーとエアと到着時間、見比べて芳香さんに伝える言葉を選ばないといけないようだ。

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