せんぱいはあほ

大宮コウ

せんぱいはあほ

 かの麗しき後輩は、やましきことを隠している。きっとそうであるに違いないと私は睨んでいた。

 いま、私は彼女の先輩として、その背後関係を探るための調査を独断で行っているのであり、これは間違ってもストーカー的行為ではないのだ。その点については風紀委員会の名誉のため、注釈しておきたい。

 その見目麗しさから美少女然とした彼女に対し、私がどのようにして疑問を抱くに至ったのか。どうして私が調査をするに至ったのか。何故私は電柱の陰に隠れているのか。その原因については、我らが高校について語らなければならない。

 我らが通う高校の校訓は、「自由」である。そこで我が校の大きな特色がある。「生徒の自主性」を名目とした校内でのある種の権力が、我らが風紀委員会と、そして憎き生徒会に与えられているのである。

 自由とはただ自由であるだけでは足り得ない。己の意志の下、行動を律することができて初めての自由である。少なくとも私はそうであるべきと意識していた。この思想は、我らが風紀委員に代々伝わる思想である。

 一方で、この思想と対立している組織がいる。それが他ならぬ「生徒会」であった。秩序を重んじる我々に対し、彼らがすることといえば、管理ではなく煽動、火付けに次ぐ火付け。生徒への協力とは名ばかりの無秩序。

 生徒会に任せてはこの学校は一夜で野放図の限りを尽くされてしまう。そう危惧する我々は、一般生徒たちの不評を省みずに代々対立しているのだ。

 話は戻る。我が風紀委員の疑惑の新人である。

 今からひと月前の九月、移ろう時。再始動の季節。彼女は転校生という看板を引っ提げ現れた。

 風気委員会への彼女の参加は、委員会の一部では動揺と困惑を呼んだ。風紀委員委員長である先輩から、風紀委員副委員長であるこの私は迅速に収集がかけられたのだった。

 学校から風気委員に割り当てられた部屋の一つは、応接間のような間取りだ。中央の机を挟むようにソファーが二つ置かれただけの部屋。私が来たときには委員長は既に座っていた。昼休みに入って間もないというのに迅速な行動、流石委員長であった。彼女は向かい合って座るように促す。しかし私は丁重に断った。敬愛する委員長の前に座るなど恐れ多いと言えば、彼女は眉間にしわを寄せて、それから本題に入るのだった。


「呼び出された意図は、分かるね?」

「ええ、かの新入生のことですね」


 委員長は、深く深く頷いた。事態は深刻であるのだ。


「ああ、そうだ。生徒会にも入っている、一年生の彼女のことだ」


 生徒会と風気委員、犬猿の仲として知られる両者に属する謎の少女。長い歴史の中でも前代未聞であった。こちらに来るよりも先に、生徒会に入っていたことから内通者の可能性も十分に考えられる。

 ここで入会を拒むことができれば話はだが、それを良しとはできない。学校を支える各組織は、原則自由参加である。また、よって万年役員不足なのであった。


「委員長は如何しようとお考えですか?」

「……委員長と呼ぶのはやめてくれと言っているだろう、ここでは2人きりだし、何より私とお前の仲じゃないか」

「え、嫌ですけど。急に何言ってるんですか委員長。それより新入生の話ですよ」

「……まあいい。でだな、彼女のことはお前に任せようと考えている」

「私に、ですか?」


 任せる、その言葉の意味するところは直ぐに察することができた。

 風気委員は、委員長の指示がない限り、常在戦場の気持ちで日々を送り、各自の判断の下で行動を行う。だが未熟な新入生に適切な判断を期待するのはどだい無理な話である。であるから、後輩の上に先輩が付くことにより、少なくとも半人前になるまで面倒を見る伝統があった。

 通例では、男子の面倒を見るのは男子、女子の面倒を見るのは女子であった。一方で、私がまだ初々しい一年生だった間は、現委員長である彼女に師事を受けた。私は常々、入学とともに目をかけていただいたことに自惚れぬよう省みようと心がけているのだが、これがまた難しい。

 副委員長としての仕事があることを踏まえ、今期での下級生への指導は免除されていた。しかしここに来ての委員長の頼みである。不審な後輩の面倒を見ろ、それも異性の。この

 指示は委員長との信頼なくしてあるまい。


「わかりました、私に万事、お任せください。必ずや望む結果を得てみせましょう」

「ああー、まあ程々に頼む。何より、だ。お前は融通が利かないところがあるからな。後輩の面倒を見て、少しはどうにかするといいだろう」

「なるほど、私もより一層精進しろと言うことですね! 委員長の深いお考え、感服いたします!」

「はあ……」


 委員長は深くため息をついた。私と話すとき、彼女はいつもこんな感じだ。きっとお疲れであるのだろう。委員長としての仕事のみならず、受験勉強も平行して行っているのだ。察するに余りある。だが、そのような弱味を見せても構わないと信用されているのだ。彼女を支えなければならないという使命感が湧きたつ。役立たねばと、行動をするべく気持ちが逸る。


「話は以上だ。で――」

「では、失礼いたします!」

「おい待て、お前、まだ昼食は食べていないな? 持ってきてもいないな?」

「はい! 昼休みに入るとともに参りました! 昼食はこれから購買で購入するつもりです! ただ余っているか不安です!」

「そうか、そうか」

「それでは失礼してよろしいでしょうか?」

「待てと言っているだろう! ではなくてだな……時間をとらせると分かっていたからな、久しぶりにお前のぶんの昼食も作ってきたのだ。よかったら食べてくれないか?」


 謹んでお断りさせていただきます。

 そう口にできれば、どれほどよかったであろうか。

 我が敬愛してやまぬ風紀委員長にも、欠点が一つある。料理が、得意ではないのである。得意ではない、というのは委員長の名誉を守るため、あえて用いた控えめな表現である。そして師弟時代の頃から、彼女は私に隙あらば施そうとするのである。

 大人しく食べる意志を示すと、彼女ははにかむように笑った。その笑顔を引き出すことができたなら安いものだと思いたい。

 過度な期待というのも、いささか考えものであった。





 このような流れで、面倒をみることになったのである。

 ということを、彼女に会って早々に話した。


「あの、せんぱい。一つ質問があるのですが、よろしいですか?」

「いいぞ。分からないことは遠慮せず聞くといい」

「そういう裏事情って、本人には黙っているものじゃないですか?」


 亜麻色のショートカット(おそらく地毛であろう)を揺らして、彼女は首を傾げていた。

 なるほど、的を射た質問であった。侮れない相手だと、心の中で警戒度が急上昇していく。


「確かに、その通りだ。そして包み隠さず言えば、私は今も君を疑っている」

「えー……」

「だがこのようなことは、隠していても遅かれ早かれ勘付くものだ。仮に君が無実だとして、その時、何故疑われているか分からないというのは、非常に不愉快なものだ。よって君にはあらかじめ打ち明けることにした」

「分かったような、分からないような……というか、生徒会と風紀委員の対立って本当だったんですねー」


 とぼけた返事だった。一年生にも周知のことだから知られていてもおかしくはない。それでも、疑問は湧く。


「君、そのことを知っていて入ったのか? ならどうして両者に入るなどという愚行を?」

「えっと……笑わないでくださいね?」

「聞いてみないとわからない、としか言いようがない」


 ちらりとこちらの顔を控えめに伺う。あざとい。


「その、友達が欲しかったんです」


 想定外の言葉に、虚を突かれて何も言えなくなる。彼女は私の反応を気にせず話し続ける。


「ほら私、転校してきたわけじゃないですか。こんな時期に。それでなんかちょっと馴染めなくって……委員会とかに入れば、友達ができるかなって。で、両方入っちゃいました。対立している、なんて冗談みたいな噂は後から知ったんですけど……」


 つい、目が潤む。確かにこの時期の転校生である。たとえ彼女が見目麗しかろうとも、いや見目麗しいからこそ既にできている輪には加わり辛いのかもしれない。

 だがぐっと堪える。もしかしたら彼女の話は演技や嘘かも知れない。美女は演技上手であるという私の経験則が、脆弱な良心を踏みとどまらせた。

 湧き上がる疑念を押しとどめて、努めて笑顔で彼女に向きなおる。


「君、万事任せたまえ。何も心配することはない」

「せんぱい……!」

「そのようなことに悩む暇がなくなるほど、君に風紀委員としての理念と仕事を叩きこんであげよう!」

「せんぱい……」


 私の本心からの言葉が彼女に通じた気がした。私が彼女を理解するためにも、まずは相互理解が大切である。その点において、良好なスタートを切ることができたと我ながら思ってしまう。

 その後、私の熱血指導の傍らで「うわ、あいつに教えられてるの? 大丈夫?」「アレのいうことは話半分に聞けばいいからね。ほら、一緒にアイス食べよ」「今度生徒会まで遊びに行くねー」「アイツが迷惑かけていないか? そうか……ところでお菓子を作ってみたのだが、食べるか? お腹いっぱい? そうか……」などと風紀委員内で打ち解けていったので、たいへんよいことであった。





 よいことであった、ではなく。

 由々しき事態であった。気付けば風紀委員の過半数が、彼女に篭絡されていた。ましてやあの委員長も絆されてしまっている。

 ひと月経っても、彼女は尻尾を掴ませることはなかった。このままではいけない。どうにかせねばならぬ。自由とは困難であり、そして自我とは脆いものである。いつ何時、私が篭絡されてしまうとも限らない。まだ正気である内に、何か手を打たねばなるまい。

 けれども、学校内では彼女は尻尾を掴ませることはない。悩みに悩んだが、強硬手段に踏み切ることとした。すなわち、学外での調査である。

 だが断じて尾行ではない。これは偶然同じ電車に乗り、偶然同じ駅に降り、偶然同じ方向に用事があるだけである。

 彼女は中々にいい場所に住んでいるのであろう。ここらで最も発展している都市の駅に降り、そしてバスに乗るでもなく、徒歩で移動している。

 彼女にバレないよう、物陰に隠れ、陰から陰へと身を移している最中のことである。

 見失ってしまった。

 大失態であった。委員長にどう顔向けすればいいか分からない。途方に暮れて路上のベンチに座っていると、視界が塞がれた。


「えっと……だ、だーれだ?」

「む……」


 生徒会からの襲撃かとパニックになりかけたが、親譲りの灰色の頭脳をフル稼働させ、速やかに正気に戻った。醜態を晒す事態を回避する、


「あの、もしかして本当にわかりません? これ恥ずかしいんですけど……」

「もちろん分かっているとも、我が後輩よ」

「はい、正解でーす」


 ぱ、と手が離され、視界が戻る。背後から彼女が回り込んでくる、と思いきや隣に座ってくる。近い。距離が近い。人間にはパーソナルスペースというものがある。ヒト―ヒト間の距離の近さは、心理的な親密度合いを意味する。彼女は他者のそれをいともたやすく破壊しに来たのである、このようにして風紀委員の各位を落としていると考えれば、末恐ろしささえ感じる。


「それにしてもせんぱい、奇遇ですね。どうしてこんなところにいるんです?」


 攻守逆転であった。不必要な黙秘を良しとしない私だが、この状況はいささかよろしくない。いかにやましさが一点もなかろうと、状況がよろしくない。

 こちらが黙り込んでいると、彼女は何もかもお見通しであるとばかりに、にっと笑う。


「なーんて、からかっちゃってすいません。言えないですよね。せんぱいも男の子ですし」

「む……」


 なんと、バレてしまっていたのか。冷や汗が背中を伝う。弱味を握ろうとして、逆に握られてしまう形になってしまった。

 だが脅しには屈しない。決心する私を他所に、彼女は話し続ける。


「じゃあせんぱい、せっかくですし、目的地も同じなら一緒に行きませんか?」

「何ィ……?」


 予想外の提案であった。彼女の本拠地への潜入。隠し事などなにもないか、あるいは私が踏み込んでも何もバレないと高を括っているのか。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、である。私は不退転の覚悟を決めた。


「よかろう、望むところである」


 そうして我々が向かったのは――居住区とは思えぬ、一軒の建造物であった。


「なんだここは」

「すごいですよねー。外装からして凝ってて。話題になるわけです。ほら、早く並びましょう」


 たどり着いた場所、そこは洋風建築の建物であった。人が並んでいることから、なんらかの店であることがわかる。


「それにしても、まだ暑いですよねー。もうちょっと夏服が良かったです」


 ぱたぱたと襟元を仰ぐ彼女。日焼けなど見られない、真白な首筋が覗く。このような手腕で各位を篭絡しているのだろうか。心の中で威嚇する私だったが、表面上はあくまで品行方正に努めている。


「つい誘っちゃいましたけど、せんぱいはこういうとこ、よく来るんです?」

「いや、初めてだが……」

「そうですか! ふふ、私もですよ。楽しみですよね、初、フルーツパーラー!」


 満面の笑みで彼女は言う。フルーツパーラー、というのから察される通りに、店に通されてメニューを見ると、確かにフルーツ尽くしであった。

 私はイチゴのパフェを、彼女は梨のパフェをそれぞれ注文する。やって来たものだが、なんとも甘美な味であった。


「せんぱい、これ、すっごく美味しいですよ! 一口どうぞ! せんぱいのも少し貰いますね!」


 有無を言わせぬ勢いで、彼女はあむあむと咀嚼し、食事を満喫している。梨は確かに美味であった。


「もしかしたら、恋人みたいに見えるんですかね、私たち」

「いや、それはないだろう」


 彼女の表情が固まるが、私は気にせず続ける。


「私自身は凡俗な見た目であると自覚している。見目麗しい君と並んだら、話題の店を理由に食事を奢ることでようやくデートにこぎつけた、必死な男にしか見えないに決まっている」


 一切の疑いなく言い切ってみせると、彼女は何故か驚いていた。


「せんぱいの自認についてはこの際置いておいて、私のことそういう風に見てたんですね。その、意外です」

「何を言っている。私が美醜の違いも分からない阿呆と馬鹿にしているのか」

「えと、そうではなく……」

「なんだ、はっきり言え。そもそも君が美人であるのが全部いけないのだ。目で追ってしまう亜麻色の髪、日本では浮世離れした青色の瞳、絵からそのまま出てきたような美少女が友達ができないィ? そんなこと信用できると思うか?」

「あ、はい……あの、目と髪についていままで一言も触れてこないので、もしかしなくても節穴かと思っていました」

「心配されずとも、私の視力は両方1.5であり、極めて正常である」

「そういうことじゃないんですけど……」


 よくわからん後輩であった。だが深追いすると、私が後をつけたことに問い直されてしまうかもしれない。それは都合が悪い。目の前のパフェを食べることに逃避することにする。


「せんぱいは、まだ私を疑っているんですよね? 一体どうしたら信用してもらえます?」

「そんなこと私が知るか」

「ええ……」


 知らないものは知らないのだ。私もいつまでも疑い続けたくはないのだが、私にさえどうしようもない以上、答えようがない。


「……そいえば気になっていたんですけど、せんぱいって委員長のこと、好きなんですか?」

「うむ、敬愛してやまないな。君も委員長の良さがようやくわかるようになったか?」

「そうではなく、恋愛的な意味でなんですけど」

「委員長に恋慕するなど、君、あまりに恐れ多いことを。いいかね、私の彼女に対する思いはそのようなやましいものではない。山よりも高い思想と、海よりも深い慈悲に感銘を受けてだな」

「あ、長くなりますよねその話。パスで」


 私の話を受け流し、彼女は梨に手を付ける。ひと月の間に、随分と図太くなったものだった。逞しく育って何よりである。





「せんぱい、今日は奢ってもらっちゃってありがとうございました。」

「いや、何、私こそ貴重な体験をさせてもらった」


 駅まで歩きながら、ある種の定型文的な会話をする。しかし貴重な体験をした事実に嘘偽りはない。一人ではこのような店に行く機会はなかっただろう。それに比べれば、後輩に奢るなど安いものだ。

 なにか忘れている気がしたが、今の私は甘味を食べた充足感に満たされていたので、きっと対した用事でもないだろう。

 話しているうちに、駅までたどり着く。彼女は件の店に行くために下りたのであり、本拠地は別らしい。


「じゃあ、気を付けて帰るんだな。まだ日が暮れるのが遅いとはいえ、警戒を怠るんじゃないぞ」

「はい……あの、せんぱいってお母さんみたいですよね」

「よく言われる」

「よく言われるんだ……」


 よく言われるのである。

 そして帰路に着くべく踵を返したとき、


「あの、せんぱい」


 呼び止められて、足を止めた。止めたというより、止まってしまったというのが正しい。呼びかけられたその言葉に、強い意志を感じたのは気のせいだろうか。


「私、どうやって信じてもらえるのか考えました」


 彼女が何かを決意して、言いたいことがあるのなら、こちらも向き合ってみせよう。改めて彼女に向きなおる。


「せんぱいはあほなので、もうこの際信じてもらうのは諦めることにしました!」


 すると突然手塩にかけた後輩に罵倒された。悲しみが胸を去来する。どこで育て方を間違えたのだろうか。いや、これもきっと生徒会が悪いのだ。きっとあることないこと吹きこまれているに違いない。おのれ生徒会。


「なので、せんぱいを落とすことにしました」

「落と……お……え、何?」

「やっぱりせんぱいはあほですねー!」


 再度罵倒され直した。誠に理不尽である。しかし彼女の透き通った声であほと言われても、まるで綺麗な言葉のように思えてしまうのが一番の理不尽であった。


「……よくわからんが、結局お前は、生徒会の内通者なのか?」


 単刀直入に聞いてみれば、彼女は口元に人差し指を立て、目を細めて言うのだ。


「ナイショ、です。そのほうが、せんぱいは私のこと、見ていてくれるでしょう?」


 彼女の宣戦布告に、不覚にもどきりとさせられてしまう。彼女の言葉の意味するところは正直よくわからなかったが、恐るべし、であった。やはり油断ならない後輩である。


「どうかしましたか? せんぱい」


 こちらの心の内を知ってか知らずか、再び目を向けたとき、彼女はいつも通りの笑顔を浮かべていた。

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