最後のはなむけ
宇多川 流
最後のはなむけ
宇宙ステーションに残された時間は一時間程度だった。
地球からは遠く離れた、テラフォーミングされた惑星の軌道上にある収容人数三百人程度の土星型のステーションだ。惑星もまだ開発途中で、拡大する文明の最先端に存在するような場所である。
それが今や、機能不全を起こし墜落しようとしていた。
大きな隕石が近くを通るというのは事前に判明していたが、隕石は大気圏突入前に小さな欠片を噴き出していった。空気中にあれば、大人の指先程度の単なる小さな石に過ぎないだろう。それが高速でステーションの隔壁をつらぬき、システムに重大な故障をもたらした。
生命維持に必要な機能が停止するまでが一時間ほど。駆け付けられる航宙機もなく、一時間の間に宇宙ステーションの監理局は住民の選別を始めた。脱出用の宇宙船に乗れるのは百人ほどだ。
「あり得ない。一体、どこにこんな差が生まれるっていうんだ? 僕よりセリナの方が努力家だし運動神経もいいし、たくさんの人を楽しませられるのに」
ジーノは配布された搭乗券を手に、絶望的な表情を浮かべていた。
「あなたは薬剤師で、シャトルのパイロット免許もあるでしょう。わたしはまだプロにもなっていない、ダンサーになる夢を見ているだけのアマチュアだもの。それに、あなたは惑星上に先週出張した両親がいるでしょう?」
ウェーブのかかった豪奢なブロンドをかき上げ、少女は肩をすくめた。その外見はすでに一流のスター並みに輝いていると、ジーノだけでなく多くの者が思っている。
「薬剤師の資格なんて最近取ったばかりで何の役にも立たない。これはキミが持っているべきだ」
「それは駄目よ、本人確認があるわ。そりゃね、わたしだって一度くらい大勢の前で踊ってみたかったわ。せめて、あと一週間ずれていたら良かったのに」
来週、ステーションの大ホールで彼女の通うダンス教室の公開発表会があり、観客もそれなりに入る予定だった。初めて大勢の前で踊れると楽しみにしていたのだ。
「でも、ダンスより薬剤師の知識やパイロットの技術の方が多くの人が必要とするもの」
自分のためだけに生かされるわけではない。
そう思い知ると、ジーノはともにこのステーションで育ってきた幼馴染みを前に、何も言えなくなった。
周りが寂しくなるほど、セリナはさばさばと「さようなら、みんな元気でね!」と友人たちを見送った。実際のところ人々には別れを悲しんでいる時間はなく、選ばれた百人が宇宙船に乗り込むだけでもそれなりの時間はかかった。
管理局は暴動が起きるのではないかと心配し、多くの警備隊員を宇宙船付近に配置したものの、残される人々は粛々と運命を受け入れた。この未知な部分も多い星域の閉鎖空間で暮らす以上、不測の事態も覚悟の上でここを選んだ者が多い。
準備が完了すると宇宙船に選ばれた百人ほどが乗り込み、残された二百人近くが見送りに来る。去り行く相手に贈り物をした者、泣きながら手を振る者、静かに見守る者、どうにかシステムを直そうと最後まであがこうという者、残された者もさまざまだ。
セリナは見送ってくれるだろうとジーノは思い、船内の窓から外を眺めていた。しかし、スペースポートのシールドの向こうに並ぶ大勢の姿の中に、目的の姿は見つけられない。
目を凝らして探しているうちに、出発時間が近づく。結局探し出せないまま、船はゆっくりと動き出した。
残念に思いながら、ジーノは窓の外を見続ける。乗員の多くもそうしていた。長年暮らした故郷であり、さまざまな思い出の詰まった場所だ。静かに涙を流す者も何人もいた。
宇宙ステーションの外部ハッチが開き、船の前方には深淵の闇が広がる。しかしパイロットたちを除く乗員は皆、遠ざかる後方を見ていた。見送りの人々の姿も小さくなり、やがては閉ざされているハッチに遮られる。このときにはもう、一時間調度を回っていた。
ジーノは溜め息をついた。最後に一目、あの姿が見たかったのだ。
しかし、彼はすぐに気が付いた。ステーション上部の広間に明かりがついており、人影が窓際に見える。セリナだ。
彼女からも、ジーノの顔は見えたらしい。少女はほほ笑むと、身軽にステップを踏み始める。曲は聞こえてこないが、その力強いダンスにジーノだけでなく、宇宙船の人々は見とれた。姿が見えなくなっても明かりに照らされたシルエットが窓に映り、皆がアップテンポな音楽まで想像できそうな彼女のダンスに夢中になっていた。
ステーションの明かりが消えた頃には、宇宙船はだいぶ宇宙ステーションを離れて加速を始めていた。正確には三分に過ぎない無音のダンスだったが、それは長丁場のきらびやかなステージのように見る者の心に刻みつけられた。
〈了〉
最後のはなむけ 宇多川 流 @Lui_Utakawa
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