孫娘の殺人悲願

かきはらともえ

『孫娘の殺人悲願』


 03:00


 ほんの僅かに意識が戻る。

『ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎり』『ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎり』と身体が奥から軋むような音が響いてくる。辺りは真っ暗で、果たして自分の目が開いているのか閉じているのか。それさえ判断できない。四肢はなくて、身体を動かすこともできない。それどこか自分が何者なのかさえ、曖昧で思い出せない。暗黒しか捉えていなかった目が光をわずかに捉えた。

 それは、赤く灯された文字だった。


 02:46


 それは、ぼんやりと、時間だけが表示されていた。それが何を意味するのか、わたしにはわかる。きっと、わたしはあのカウントが終われば、潰えてしまうのだろう。きっと、これがわたしの最期だ。ならば、せめて、最期くらい、わたしはどういうわたしなのか。思い出してみたいと思った。


 02:54


 昔々、あるところに。

 なんてふうに切り出す話を聞いたのは一体何年前になるだろうか。

 わたしはあまり昔話に対して教養があるわけではないが、人並みには昔話を知っている。

 これでもわたしは日本生まれ日本育ちだ。昔話を最低限度でも知っている者として、言わせてもらえば、わたし自身この『昔々あるところに』と切り出す言い方が好きではない。

 特に何の理由があるといったわけではないが、どの作品でも流用されていて、何だが気に食わない。

 ただのひねくれものなのだ。わたしは。

 流行や周知の事実を好まない天邪鬼な性格なのだ。

 そんなひねくれものなのだ。

 そんなひねくれものが語るものも、それはまた、所詮、凡庸なものでしかない。

 凡庸に塗れているからこそ、ひねくれる。

 異常が溢れているからこそ、凡庸を好む。そんなものだとわたしは思っている。

 だから聞いてもらいたい、凡庸で平凡な、ひねくれもののわたしのお話を。

 それは決して類を出ない――昔々のお話だ。


 01:52


 昔々、を言い換えると、ロングロングアゴーというらしい。

 どうにも響きが面白くて好きな言葉のひとつだが、ビジネス用語のあれこれに話が脱線する前に、本題に対して軌道修正をしたいと思う。

 昔々――というほど昔ではないが、わたしには祖父母がいた。

 過去形なのは、もう既に他界してしまっているからである。

 別にこれが叙述トリックに繋がるなんてことはない。わたしには祖父母がいて、わたしの祖父母が死んだというだけのことでしかない。

 些細なことでしかない。

 わたしには祖父母がいた。誰にでもいるとは思うけど、そんな類から脱することなく、平々凡々に、わたしにも祖父母がいた。

 お祖母ちゃんとお祖父ちゃん。

 この場合の祖父母は、母方のほうの祖父母だと思ってくれていい。

 父方の祖父母とは会ったことがない。そこにもあれこれ事情があるみたいだけれども、それはわたしの事情ではなく、わたしの父の事情である。

 いい加減、本題に入ろう。

 こうやって話が右往左往してしまうのはわたしの悪い癖だ。話をすることが好きだから、関係のないことをあれこれと話してしまう。

 わたしの祖父母。

 お祖母ちゃんと、お祖父ちゃん。

 そいつらは率直に言って屑だった。

 どうしようもない屑で、死んで当然とさえ思っている。死んでくれとさえ思っていたし、わたしの経歴において、あんな人間どもと関わっていたという歴史が刻まれることさえ不愉快とさえ思っていた。できることならばわたしの過去に関する情報をすべて抹消したいとさえ思える。そんな屑どもだった。

 きっと、あの屑らは、わたしの名前すら――孫であるわたしの名前すら憶えていないことだろう。

 ひたすら屑だった。

 一秒前に言っていたことと一秒後に言っていたことがまるで違う。

 指摘すれば激怒し、暴力に暴言を吐き散らかす。

 気に入らないことがあってもそれだ。

 しかも気に入らないのが、あれだけ年老いてになっていながらにして、頭がよかったことだ。

 歳相応にボケ始めてこそいたけれども、頭はよかった。頭がいいっていうのは勉強ができるといった意味も含めて、頭がきれるといった意味も込めてだ。

 一秒前に言っていたことと一秒後に言っていたことが相反していたのも、すべて考え抜かれた上で、激怒するときも暴力を振るうときも感情も任せてなんかいない。

 如何にすれば人が嫌な気持ちになるのか、そんな残虐的な方向に頭が働く祖父母だった。

 嫌われている人間は長生きすると聞いたことがある。

 その言葉の通りに、年齢が百十を迎えていた。

 この祖父母の死こそが、わたしの悲願だった。

 その望みが叶ったときの嬉しさは何よりも代えがたいものだった。この代えがたい喜びもつかの間だった。わたしは失念していた。


 わたしのお祖母ちゃんとお祖父ちゃんは、転んでただで立ち上がる輩ではないことを。


 それを失念していた。

 ただで転んで、ただで立ち上がるわけがない。

 死ぬにしても――ただ死ぬだけではなかった。

 死んでもなお、大きな影響をわたしに与えた。お祖母ちゃんとお祖父ちゃんが死んだ。

 そして、わたしはふたりを殺したとして罪に問われた。


 00:35


 病室の部屋でふたりは他殺させていた。

 お祖母ちゃんの首には点滴のコードが巻きついていたし、お祖父ちゃんの喉には呼び出しボタンが詰まっていた。お祖母ちゃんは、自分の首に点滴のコードを巻きつけて、お祖父ちゃんは呼び出しボタンを飲み込んだ。

 いわゆる自殺だった。

 明らかな自殺だったのにも関わらず、わたしが罪に問われたのは、現場からわたしの証拠が出てきたからだ。わたしが暴れるふたりを取り押さえて犯行に移った証拠が出てきた。


 そこまで、すべてお祖母ちゃんとお祖父ちゃんによる犯行だった。


 00:13


 わたしはそういうふうにプログラムされていた。わたしを作り出したお祖母ちゃんとお祖父ちゃんは、わたしがその行動を実行するプログラムを組み込んでいた。

 人工知能アンドロイド開発の第一人者の母方の祖父母が生み出したわたしの『母』――そして、その宿敵とも言える人工感情アンドロイド開発の第一人者の父方の祖父母が生み出したわたしの『父』が共同で生み出したアンドロイド、それがわたしだった。

 これを快く思っていなかったわたしの祖父母は、わたしのプログラムを改竄した。

 改竄して、自分たちは自殺させた。

 愛くるしい自分の娘と、忌々しい敵の息子によって生み出されたわたしを破壊することこそが、祖父母の悲願だった。わたしを木端微塵に破壊するというわたしの祖父母が抱いていたその願いは――その悲願は、ふたりの死と共に完遂したのだった。


 00:00



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