幕間

 一刀斎いっとうさいが、千治せんじに捕まり、客引きのための置物にされていた頃である。

 絢爛豪華な大坂の街、その中心、あるいは象徴である大坂城の大間には、多くの将が集まっていた。

 その半数を占めるのは羽柴藤吉郎秀吉が、まだ若い頃から目を付け育て上げてきた子飼いの将達である。

 その中のひとりである大谷おおたに刑部少輔ぎょうぶのしょう吉継よしつぐは、最初は稽古がなくなったことについて頭を悩ませていたがしかし、すぐに豊臣の将としての顔に切り替わる。

 その隣にいるのは、石田いしだ治部少輔じぶのしょう三成みつなりである。平素と変わらず、真面目一辺倒過ぎた面立ちで、なにを考えているのか分からぬほどの無表情。

 そんな二人を睨み付けているのが、真正面に座っている男である。

 額は厚く眉が出て、鼻も硬そうに尖っているが、それでも、眉は凜々しく伸び、――凄みがありつつも――爛々と照る瞳は生気に満ちて好ましく、額より下を見れば美形で通る男である。

 福島ふくしま左衛門大夫さえもんのだいふ正則まさのり。若い頃から多くの戦を経験し、かつて賤ヶ岳しずがたけの戦いでは一番槍に一番首を取って見せた、豊臣家第一位の武辺者ぶへんもの

 石田治部や大谷刑部の「文治派」と二分する、武断派の代表的存在である。

「なんで、お前らまでここにいる?」

「豊臣のこれからについて論ずる場であろう。ならば殿下に忠心を誓う者ならば、参じて当然ではないか?」

「軍才がある刑部ぎょうぶはまだいい。だが、算盤はじくだけのお前らまでいるのはどういうことだ」

「豊臣のこれからについて論ずる場であろう。ならば殿下に忠心を誓う者ならば、参じて当然ではないか?」

 一言一句、全く同じ言葉を吐いた。まるで「お前は物分かりの悪い奴だ」と言わんばかりの言動に、福島の眉がピクリと動く。

 治部と一括りに「お前ら」と呼ばれた一人、長束ながつか大蔵大輔だいぞうのたいふ正家まさいえは、その圧と同僚どうりょうの遠慮ない言葉に、「はぁ」と小さく溜め息をした。無論、口の中で。外に漏らせばあの灼熱の目が、己に向くのが分かっていたからだ。

 長束は子飼いの将ではなく、羽柴藤吉郎が名字に羽の字をあやかった丹羽家にわけにいた将である。

 線が細く、困り眉にも見える眉付きから情けなく見えるが、丹羽家が財政不正をしていた疑いを、その算術で晴らして見せた知の豪傑である。その計算力と剛胆さから、藤吉郎の目に止まって引き抜かれた。

 それ故に、羽柴屈指の武辺者である福島相手の凄みにも動じない。

「言っておくが三度はないぞ」

「こらこら、佐吉さきちもそう言うな。市松いちまつもいったい佐吉とどれだけの付き合いだ? こいつはそういう奴だろう?」

「ここは公務の場だ。遠慮なくその名で呼ぶな、市正いちのつかさ殿」

「いやさ、それは失敬した治部殿」

 険悪な二人をたしなめたのは、片桐かたぎり市正いちのつかさ直盛なおもり。穏やかな面立ちだが、初めてその面構えを見た者は総じて「胡散臭い」「ろくな事を考えていなさそうだ」と語る。

 そして付き合いを経て、その二つに「忠義はあるが苦労人」が加わる。

 若い頃に主家しゅか浅井あざいが落ちたとき生き延びて、羽柴藤吉郎に仕官した若武者である。

 福島も活躍した賤ヶ岳では優れた槍働きを見せ、なおかつ吏官りかんとしての能力も有する男である。

 武功はあるが今は政が優先だと、文治側に立っている。

 いまのように二つの対立に挟まれながら、のらりくらりとかわして場をのが長束である。

 その場を納めているように見えるが、自分に火の粉が掛かる前に火元に布を被せるようなもの。決して中心にいるわけではない。

 故にこの通り、長束が二人を窘めても、空気が良くなることはない。

 あくまで「殿下の城の中である」という枷と、旧くから付き合ってきたことで少なからずある情と、同じ主に仕える身であるによって刃傷沙汰にんじょうざたになっていないだけ。

 なにが切欠で崩れ去るかも分からない、頼りない結束けっそくである。

 天下てんか盤石ばんじゃくとしようとする一団の家臣団ではあるが、この大間の畳は薄氷はくひょうのようであった。

「――――まったく、若武者わかむしゃどもは元気があるな。熱が冷めぬかそれとも熱に浮かれてか。戦の谷間だ、頭を冷やせよ若者たちよ」

 剣呑とした雰囲気が、ドロリとした気配に押し流される。

 それは泥と落ち葉をかき集めたような濁流だくりゅうであり、ぬるりと己の身を飲み込まれるような怖気が走る感覚が、その場にいる全員を襲った。

「おうおう、落ち着いたか。良きかな良きかな。羽柴家の家臣たる者、主のように明るく親しくが第一だぞ」

 先ほどまでの濁流はどこへやら。今度はカラリと渇いた温風。

 滴った汗は、その風に撫でられたからではないだろう。その変貌振りと底知れ無さに、「得体が知れない」と本能が出した冷や汗である。

 実の息子の補佐を受け、かつての幽閉生活で悪くした目は伏されがちで、不自由な足をよたよたと進ませる姿は情けなくも映るはずだが、この場にいる多くは、歴戦の将である左近であってさえ、誰ひとり侮らず、一種の畏敬の念さえ抱かせている。

 ――――黒田くろだ勘解由かげゆ孝高よしたか。通称官兵衛かんべえ

 羽柴藤吉郎が未だ織田家の一家臣であった頃からの付き合いであり、戦においては軍師として軍略を練り、軍監いくさめつけとして羽柴勢の軍事を統括する者である。

 その形姿と年長者ぶった口振りから年嵩としかさに見えるが、年はせいぜい親か叔父かといったころ。秀吉子飼いの将達と年も近い息子を抱えるからか、親のような目線で彼等と接しているのだろう。

 当の本人達は、警戒を隠していないが。

「皆様、遅れて申し訳ありませんでした。先ほどまで父の足が痛んでいたようで……」

「構わないよ、吉兵衛きちべえ殿どの。孝行を咎める者なんてここにはいないさ」

 長束が胡散臭い笑顔を向けたのは、官兵衛の息子、黒田くろだ吉兵衛きちべえ長政ながまさである。子飼いの将の中では年少に近いがしかし、賤ヶ岳に元服したばかりの身で功を上げ、先の大戦おおいくさでも活躍した才気溢れる将である。

 若輩であるためうやうやしいが、同朋達を見る目は時折ときおり陰鬱いんうつなものになる。

 かつて人質時代だった時代があり、父も晴らされたとは言え無辜の罪を被せられたことがあるからか、仲間に対しても猜疑心さいぎしんを抱いているらしかった。

 そんな来歴らいれきを知っているからか、そんな目で見られようが他の者達も気にしていない。

 むしろ、若武者にそんな目で見られた程度で腹を立てるほど血の気がある者はこの場にはいない。

 この場を荒らす種を持ってるのは――――。

「遅かったな、お二方。官兵衛殿がいなければ話も始まらない。早速さっそく始めよう」

「うん、まずは労いの言葉を掛けようか、治部」

「失礼した。ご足労そくろういたる、官兵衛殿」

 治部ぐらいである。

 刑部の言葉で取って付けたようなことばに、吉兵衛の治部を見る目が一層きつくなる。それと同じくして、武断派達の呆れ交じりの眼光が治部へと集まった。

 それを全く意に介してないのが治部である。

 本人は「失礼したと言ったであろう」と思っており、悪しと思っていないのがタチが悪い。

 事実、四角四面ながら素直である気質をしている治部である。当然謝意はあるのだが、それが周囲には全く伝わらない。それも、普段から合理を優先しているからである。

 治部を見た者は口を揃えて「なぜあんな人の心の分からぬ奴があの方に目を掛けられるのか」という。

 それほどまでに、石田治部は羽柴家の中での立場が上がってきている。

 羽柴秀吉が天下を統べるようになり、政治を優先しだしたことに、槍働きをしてきた武断派は納得し切れていない。

 なにせ、関東の覇者に九州の雄といまだ大敵は多いのだ。

 現にひとり、福島と肩を並べる武断派の英傑は、九州に残りこの場にはいない。

「さて、参議さんぎ殿は殿下のお相手でしばし遅れるらしいので、ある程度進めておこうか」

 上座のひとつ手前に据わった官兵衛が、しわがれた声で語り始める。

 それと同時に、その場にいた者全てが改めて気を引き締めた。

「――――今度の、九州平定について」

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