第三十二話 数日ばかりの旧故ながらも

「ああ、やっぱり一刀斎じゃあねぇか!? 久しぶりだな、おい!」

「千治、お前か?」

 堺の港を訪れた一刀斎であったが、意外な男と再会した。

 かつて尾張の商都で友人となった千治せんじである。偶然出会い友好を深めた男だが、義のためとはいえ盗賊をしており、一刀斎が成り行きで懲らしめた縁がある。

 悪辣あくらつな男にそそのかされたことや、盗んだものに手を付けず正しき場所へと納めたため、盗賊行為については不問、しかしながら大きな商家であった実家から縁を切られ、懇意こんいにしていた商人の元で一から出直ししていたはずである。

「ああ、そうだよ、あれからもう何年だ? 十年以上か?」

 あの頃の千治は女物の派手な羽織を身に纏い、昼間から遊び呆けていた傾者かぶきものであったが、心の底にあった真面目さがしかと表に出たのか、身に纏うものもちゃんとしており、一刀斎との再会も喜びつつ顔も引き締まっている。

「ああ、驚いた。ここでなにを?」

「当然、商売に決まってるだろ? これ、俺の船。んで、これはウチの積荷つみにだよ。美濃みのに腕の良い刀鍛冶達がいるんだが、その刀だ」

 千治が親指で指したのは、一刀斎が見ていた刀である。それは良い買い付けをしたものだ、と思いつつ。

「俺の船?」

「ああ、あれから十年コツコツやってよ、店ひとつ任されるようになったんだよ。いやあ、苦労したぜ」

 苦労したという割に、千治は心底愉快そうに笑っている。かつてのような戯けた言葉遣いは潜みつつ、言葉の調子は親しみやすいままである。

 会わない間に、多くの成長を経たのは間違いないようだ。面影はあるものの、驚くほどに見違えた。

「で、お前さんはなんでこんなとこに? 廻国修行続けてんのか?」

「何度か故郷くにに戻っているが、それなりにな。今回はこの街に所用が出来て立ち寄ったが、今日は暇だからこうしていちを見に来た次第だ」

「そういえば一刀斎、お前さん伊豆生まれっていってたな? そっちにいい商人いねえか? いたら紹介してくれよ。東には縁がねえからな」

「良いかは分からんが地元の友に一人いる。おれの育った村の対岸には相模の三浦があってな」

「三浦ねえ……関東屈指の港街じゃあねえか。今度行ってみるか」

 刀を見つつ、他愛も無い雑談を続ける。

 一刀斎にとっては何気ないものかもしれないが、千治にとっては商売のために役立つもの。商いについて知識のない一刀斎が見ているのは、あくまで刀である。

 しかし千治は、刀について全く触れようとしない。一刀斎はあくまで刀に興味を向けているだけで、買い求める気が無いというのを感じ取っているのだろう。

 だから商品について語り、売ろうとしないのだ。

「ところで所要ってのは?」

「羽柴藤吉郎の臣に剣を教えることになった」

「はあ、噂の天下人のねえ………………。噂の天下人の!?」

「臣にだ」

 一刀斎の言葉が余程よほど衝撃だったのか、一度相槌じみた復唱をしながら、二度目にはその意味を理解して目を剥いて口から多くのつばきを飛ばす。

 まあ、千治の驚きも当然である。なにしろ他の者も似たような反応をした。

「いやあ……まさかお前さんがそんなことになってたとは。お前さんに打たれた腹がなんだか今更になって痛み出してきたぞ。いや、いっそ自慢に思えてきた」

「誇るのは止めておけ。お前にとってもあまり良い過去ではないだろう」

 夜な夜な商人の家に入りこんで金品を盗み、通りすがりの男に叩きのめされたなど、胸を張って我褒われぼめすることではない。

 悪事というのは武勇伝として語るには向いていない。千治の悪事は義のためであるから、まあ、少しばかりは胸を張って良いだろうが。

「あ、そうだ。もし天下人に会うってならこの刀とか貢ぐのはどうだい? 天下人殿は刀集めが趣味って聞いたぜ?」

「残念ながらもう刀は贈った」

 急に商売気を出した千治の変わり身具合に、ため息をつきつつ心の中で苦笑する。

 まあ、その貢ぐはずの刀は羽柴藤吉郎の刀集めを諌めた石田いしだ治部じぶが預かっているのだが。

 だというのにここで一刀斎が刀を買って羽柴藤吉郎に贈ろうものなら石田治部の労が水の泡。いくら人でなしを自認してるとはいえそこまでの悪漢になるつもりはない。

「まあ、良いもん持ってきたとはいえ天下人んところに持ってくにはいま一歩か……もっと良いもん用意するんだったぜ」

「持ってきたとしても買わんがな」

「ひでえ友達ダチだなぁお前さんも」

 ひどいと言いつつ肩を竦める千治だが、気に病んでいる様子はない。

 駄目で元々言ってみただけなのだろう。

「それにしても、刀が多いな」

「ああ、なんせここは武将も集まる場所だからな。差料さしりょうにしろ褒賞ほうしょうにしろ、さっきも言った貢ぎ物にしろ、刀は御偉方おえらがたに需要があるもんでな。後ろに着いてくれる太い客探し、ってつもりでもあんだよ」

「なるほどな」

 この大坂には、これからも多くの将が集うだろう。

 その将には多くの臣がおり、一人一人に褒賞を渡すならば、刀を求める者も多かろう。

 中には治部のように武具に興味を示さぬ者もいるが。

「あとは茶器とかもあるぜ。最近、茶の湯が大坂じゃ人気らしいからよ」

「そういえば、おれはいま居候中で自分用の茶碗がない。あるか」

「ねえよそんなもん。茶屋で古びた鍋でも貰ってこい」

「おれもそこまで米は食わん」

「だったらどうやってそうなったんだお前さん」

 旧友との会話は、思った以上に続いた。別れてからの身の上話をしているわけでもないのだが、次から次へと会話が尽きない。

 人の流れなどないように、一刀斎は立ち止まり、それどころか腰をかがめて次々下ろされる荷を並べる千治と会話を続ける。

 と、そのとき、一刀斎の隣で一人の男が中腰になった。

 額の広いカエル顔の男である。奉公らしき供を二人連れているので、恐らくは商人だろう。

「なあ兄ちゃん、この茶器もろてええか?」

「ああ、そいつね、それなら……この値段でどうだい?」

「なんやマケてもらお思うとったのに下いかれたわ。しゃあない、買おたるわ」

「ああ、ついでに「良いもん安く買える市があった」なんて噂話広げてくれよ。その分勉強したからな」

「強かなやっちゃなあ。ま、ええやろ」

 特に値引きを求めるでもなく、カエル顔の男は赤い茶器を一つ買って行く。そのとき、傍らにいた奉公の一人が出した銭は相当な額であったが、売った方も買った方も「たいしたことない」といった顔である。

「……商売の邪魔だったか?」

「いや、一刀斎はそのままそこにいてくれて良いぜ。一日一人でも足止めてると他の連中の目に止まるからな。お前さんみたいに目立つ奴なら一番いい」

 …………どうやら一刀斎は、千治にちゃっかりと客呼びの偽客として使われていたらしい。

 商人として、思った以上に強かになった旧友に、今度は顔に出して、苦笑した。

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