第三十一話 刀

 三日、という時間は思ったよりも長い。正しくは、残すところは後二日なのだが。

 昨日羽柴はしば藤吉郎とうきちろうと会うことが決まって明くる日の昼、剣を振りつつそう思う。

「まあ、剣を振っていればいつの間にか迎えているだろう」

 と答えを出して、真っ直ぐ前を見て剣を振るう。視界の上端うえはしに映るのは、深い青の空である。

 数日よりも、青が濃くなっている。吹く風にもどこか冷たさが宿りはじめ、いよいよ秋めいてきた。普段より、残暑は早く抜けそうである。

 日の傾きを見るに、そろそろ刑部ぎょうぶが帰ってくるころだろう。

 さて今日はなにをするかと思案すれば、ふと足音が聞こえてきた。

 とはいえそれは、刑部のモノではない。

「伊東殿、失礼します」

湯浅ゆあさ殿か。どうした?」

 刑部の家臣かしんである湯浅ゆあさ五助ごすけ。大坂に来た一刀斎を迎え、城にまで案内した男である。

 小柄で顔は愛嬌はあるが、戦働きを得意としているのだろう。整った服で最初は分からなかったものの、しっかりと鍛えている者の体付きをしている。

 肩幅は広く地面を踏みしめる音も強い。剣を習いたいといいつつも文官であり、足音が軽い刑部と比べれば、すぐに分かるものである。

「主から言伝ことづてを預かってきまして。少し抜けてきました」

 そういう五助の眉は寄っており、目尻に皺が寄っている。息を吸えば歯の間を通り抜け、スイと高い音が鳴った。

「実は今日の夕刻、武断ぶだん文治ぶんち問わずの合議……というより集まりが行われることになりまして、今日は帰れそうになく、鍛練が出来ぬと……歯痒そうに語っておりました」

「む……そうだったか」

「大変申し訳ない! 私もこの後すぐに戻らねばならず……」

「いや、構わない。刑部殿も勤めがある身だ。無茶をせぬよう伝えておいてくれ」

「承知しました。では、私はこれにて!」

 言葉を預ければ五助は大きく頷いて、あの大きな足音を立てて駆け戻っていく。

 だがしかし、となると暇が増える。時間を費やす宛てが一つ無くなって、一刀斎はふむと顎を撫でた。

 月白の元へ行こうかと思うが、そう何度も顔を出すのは気が引ける。

 柳生やぎゅう新次郎しんじろう馬司ばじ叡吾えいごがいるのは他の武将の屋敷。昨日も考えたとおり、招かれずに向かうのは、石田、大谷の客分格である以上控えた方が良いだろう。あちらにも守る体面というものがあるやもしれない。

 勘解由左衛門かげゆざえもんに厄介になっていたとき、武士には礼儀や守るべき面子が要るのを学んでいる。

 なんでも古くからある礼法れいほうがあるそうだが、はたしてとじに習ったものの中にあったかどうか。二十年はたとせと経つと学んだことなどすっかり忘れる。

 とすれば、一刀斎が行えることなど一つしか無く――――。


「やはり、相当な賑わいだな」

 一刀斎が訪れたのは、堺の港である。

 復興した京の街、東国随一の都市である小田原、織田おだ尾張守おわりのかみが築いた尾張の商都しょうと、人が無数に集まる場所は多々見てみたが、ここまでのは初めてである。

 それぞれ住む人々や行き交う人々、程度の差はあれ、みなひとつに纏まっており、いくら多くの人間が集まろうとも、街の雰囲気は整っていた。

 しかしながらこの堺は、渾然こんぜんとしている。

 人よりも背の高い一刀斎の目には、地面が一切映らない。見渡す限りに人がいる。お陰で、この港に集う人々の動きがよく見えた。

 彼等に纏まりはなく、それぞれ思い思いに、もとい、好き勝手に己が求めるままに行動している。人ひとりが持つ彩りは照り輝いており、彼等が織り成す民草という綾模様は、いままでかつて見たことのない絢爛けんらんさである。

 軽い気持ちで見物に来たがしかし、これほどまでに人と色と声とが溢れていると、一刀斎も目が回る。

 海は目に見えるほど近くにあるのに、人々の喧騒に波の音は掻き消され、潮の匂いも人々の汗と匂いで薄く感じる。

 少し戻るか……と振り向いたが。

「…………無理だな」

 気付けば人波に流されて、元来た道が分からない。ならば行くとこまで行くしかあるまいと、一刀斎は考えなしに、目の前にわずかに開いた隙間を縫って港を行く。

 一刀斎の形姿は、他と比べればよく目立つ方であるが、すれ違う人々は皆、一刀斎をまるで気にしていない様子。

 まあ、馬司ばじのような異国の者もいるのがこの大坂。ただ背が高いぐらいの男がいたところで、「それがどうした」と思うのがここの人々なのだろう。

 人混みに流されるまま、あれよあれよと海の方へと体が流れる。

 港には日の本中、更には大陸からさえも来ただろう様々な船が所狭しと並んでおり、どうやって出航するのか分からぬほどである。

 海の彼方にも船がいくつか浮かんでおり、港が空くのを待っているのだろう。

 船の下では多くの品が並べられており、ただ見物しに来ただけの者や、買い付けに来た奉公人でごった返していた。そして恐らく、見物人が大半である。

 商売目的出来た者らにとっては、見物人達は仕事の邪魔であろう。商売人たちも哀れである。まあ一刀斎もその迷惑な見物人の一人なのだが。

 あちらこちら見ている中で、一刀斎の目に入るのはやはり刀である。

世の中では、刀剣は恩賞として、あるいは下賜かし献上けんじょうするものとして、あるいは感謝の証としての贈答品など、価値ある宝として扱われることも多いという。

 ところが一刀斎にとって刀はあくまで使うものであって、愛でるものではない。だが、それを美しいと感じる心はある。

 今も腰に差している愛刀甕割かめわりを初めて見たとき、その刀身の力強さに目を奪われたものだ。

 あれより二十余にじゅうよねん、常に一刀斎の側にあり、多くの決闘、真剣勝負を斬り越えてきた相棒であるが、未だにその輝きは失われていない。

 いくら頑健とは言え少なからずきずも増え、その強靱さ故に研ぎも少なくて済んではいるが、厚みも僅かになくなった。

 しかし人によっては、これを「美点」と数えるものもいるのだろう。

 この大坂に来るまでの旅の最中、供することになった善左衛門ぜんざえもんも、「刀の誉疵ほまれきず」について口にしていた。

 ならば旅の最中使い続けたこの甕割は、一刀斎にとっては誉れに溢れた剣である。

 一刀斎に刀を愛でる趣味も、刀を審美する知識もないがしかし、己の愛刀は、自分にとって最も綺麗な剣である。

 故に刀を目に止めても、改めて欲しいわけではない。だが――――。

(刀か……)

 腰の甕割に手を乗せる。思い返すのは、越前で甕割と共に正宗の太刀を振るったこと。やはり名刀と名高いだけあって手に馴染み振るいやすかった。

 甕割に二心を抱くつもりはなく、まだ甕割も使用に耐えるだろう。しかし他の刀を手にし振るったことで、「違う刀を使う」という可能性が頭の中に生えた。

 使う刀にばかりこだわり他のものは使えない、というのは剣士としても未熟だろう。一刀斎とて甕割以外を主として振るったこともある。鈍刀なまくらならまだしも、木の枝どころか竹さえもある。

「他の太刀」。 それを意識しているのか、一刀歳の目は、気付けば刀を探してしまう。

 そんな中、荷下ろし途中の集団が目に付いた。男達が下ろしている場所には、他の船よりも刀が多く集まっている。

 恐らく作刀の地か、そこと懇意にしているのか。蒔絵まきえの凝った鞘に納まる刀が目立つのは先も言ったとおり贈答の品か刀集めが趣味の諸将のためのものなのだろう。

 しかし中には、実用のためであろう素朴な鞘のものがある。

 意識せず、心のままにそちらの方に引き寄せられた。

 広げられた布の上に、多く置かれた刀たち。恐らくまだ数をしかとあらためる前なのだろう、やたら綺麗に、大小や拵えごとに分けられている。

「な、おい、あんた!」

 腰をかがめて見ていると、頭上から……というより前方か。誰かしらから声を掛けられる。

 分捕るつもりなのだろうと誤解されたかと、一刀斎が顔を上げれば。

「おい、あんた一刀斎じゃないか!? 俺だよ、俺! 覚えてるか!?」

 そこに居たのは、やたら目鼻立ちが整った男である。顔は小さく、一瞬女かと見違えた。

 だが眉はキリと流れており、美麗ながらも精悍せいかんさが勝っている。その面立ちに、一刀斎は見覚えがあった。

 あの頃と違い女物の羽織を纏わず、男らしく強かな顔付きになったその男は。

「…………もしや、千治か? 尾張でかつて出会った」

「ああ、そうだよ! 懐かしいじゃあねえか!」

 草間くさま千治せんじ。かつて尾張の商都で出会った商家の息子で、影縫と名付けられる盗賊とうぞくを行っていた男であり、他ならぬ一刀斎が、その手で止めた男である。

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