第二十四話 境地
「……では、新次郎殿はそのときに」
「ああ、十五年ほど前だったか。大和の国で、相当な戦があってな」
「あの戦のことは、俺も覚えている。大和の土地であれほどの戦は初めてだったからな」
そこに男三人が座っている。
一刀斎と、石田家家臣で一刀斎は過去に出逢ったことがある
そして、馬司に柳生の剣を教えているという、
「あの戦で、俺は敵方の放った弾が腰に当たってな。それで――」
パァンと、庭に響くほどの破裂音。
その張り手には、自分へのものであっても顔を顰めてしまうほどの力が込められていただろう。
しかしながらその
「この通り、下半身が全く感じなくなった。歩くのにも一苦労だ。足の裏で大地を掴むことも出来ず、杖がなくてはまともに歩けない。腰を据えようと思っても、体重が
事も無げに言っているが、しかしながらその発言が意味するところは、つまり。
「俺は、剣を
「なら…………」
「なぜ、と聞きたいいんだろう?」
一刀斎が
そこには
筋骨は隆々とし、一刀斎ら日の本の人間とは体のつくりが違って見える。
馬司が使っているのは、いつか柳生の郷で見た、竹を割って袋を被せた鍛練道具であった。
「父の武は、凄まじく研ぎ澄まされた武だ。ただ研がれた剣は脆くなるが、正しく、理由と意義を知った上で研がれた剣は、
「ああ」
それは、一刀斎も知っている。
才能がない、非才の身だと新左衛門は自称している。
それ故に、術理理合を窮極まで追求し、その剣の腕を、今世無双の領域にまで高めたのが柳生新左衛門という男だ。
極限まで、研ぎ澄まされた剣。そこにはさ
それは、かつて聞いた言葉。
「剣と同じだ。武も窮めれば、美しいモノが出来上がる」
「ディエゴは、その美しさを見抜いたんだよ」
相槌のような新次郎のその言葉には、誇らしさが溢れていた。
父が磨き上げた剣に対する誇らしさと、弟子と認めた異国の士の、武への
「きっと、彼の祖国の剣は理論によって構築され、体系が密に組まれているのだろう。だから、ディエゴも編まれた剣の理を直観的に理解することが出来たんだと俺は思う。興奮交じりで、覚束ないこの国の言葉で感動を語っていたが、――――その内容をよく聞けば、術理の多くを見抜き、
「あのときの父の顔を見せてやりたかった」と、新次郎が頬を緩める。
それはさぞ、愉快な顔をしていただろう。新左衛門は理を突き詰める剣士であるが、人柄は空のように
「たしか、御前で披露したと」
「ああ、
「一度できた縁だ。放っておくのも居心地が悪いものでな」
左近は人相は虎のようであるが、本性はよく出来ているらしい。
その采配や戦での振る舞いを見たことはないが、石田家内での扱いを見る限り果実兼備の良将なのは間違いないだろう。
「その席で、馬司殿は新左衛門殿に弟子入りを願ったと聞いているが。それで断ったとも」
「父はああ見えて、あまり弟子を取ろうとしない人だったんだ。剣を深めることを愛してはいたが、広めることに興味が無かった」
「たしかに新左衛門殿はそういうところがある。あの人は人当たりがよく外交上手に見えるが存外、他人よりも自分を優先させる方だ。俺も良い機会だと新左衛門殿を説得してみたが、あまり興味がなさそうだったのを覚えている。だが……」
「先生! 準備が完了できました!」
話の最中、
声のするほうを見れば、白い肌に玉の汗をいくつか浮かばせた馬司がそこにいる。
「では、始めるか」
「お気を付けて」
杖に体を預けながら、新次郎は立ち上がる。左近は新次郎を気に掛けるように腰を僅かに上げるが、新次郎は気にせず、跛行しながらも馬司へと近付いていく。
「いったい何をするつもりだ?」
「当然、稽古だよ」
一刀斎の質問に、新次郎は振り返ることなく答える。
まさか、と新次郎が向かう先を見てみれば、馬司が腰掛けを用意していた。
「……嶋殿、よもや新次郎殿は」
「まだ驚かれるのは早いぞ、伊東殿」
虎のような目を燃やし、左近は庭をしげしげと見る。武将としての獰猛な
新次郎が、馬司の助けを借りつつ腰掛けに座る。その腰掛けはやや高く、視線は五尺に届くか否かという高さ。新次郎の足は地面についておらず、ぶらりと浮いている。
あれでは、
それどころか、足を運ぶことさえ――――。
「今日は好きに打ち込め、ディエゴ。新しい手を教える」
「承知致しました。では…………
しかし馬司は全く意に介することなく。微塵の躊躇もなく。一切の容赦もなく。裂帛の咆哮と共に吶喊する。
運足は地面を滑るかのようであり、馬司の見事な巨体が、揺らぐことなく真っ直ぐ新次郎へと突き進む。
その迫力たるや、間に樹木があれば押し退けて、大岩があれば砕き壊し、獣がいれば
あの勢いのまま激突されれば、いくら一刀斎が足で地面をしかと掴み、腰に力を落としていようとも体勢を崩されてしまうだろう。
およそ、腰掛けに座る
残り二刀二足の間合い。あわやこのまま、動けぬ新次郎が吹き飛ばされるかと思った矢先――。
「
「もっと重く」
「――っ!」
勢いが存分に乗っていただろう馬司の剣は振り切る前に――――否、振ることさえ叶わずに、新次郎の杖に止められていた。
「拍子を狂わせようとした工夫は良い。だが、略打になっているぞディエゴ。拍子を一瞬遅らせれば、力はそこで留まる。まあ、お前ほどの怪力ならば、半分ほどの力でも昏倒させられるだろうが」
その怪力の持ち主をいとも容易く止めて見せ、その上でサラリと良い点悪い点を簡潔に
それは、剣の術理理合を重んじ、追究し続けてきた新左衛門の系譜に新次郎がいることを示していた。
それよりも、なにより驚嘆に値するのは。
(中心がまるで動いていなかった)
腰と足が浮いていながら、新次郎の上半身は全くぶれることがなかった。
杖を振り上げても体が引き摺られることはなく、馬司の竹刀を打ち留めても、押し返されることもなかった。
半身が効かぬ不随の身でありながら。
新左衛門から教わった剣は中途半端に終わってしまったと語っていながら。
新次郎のその剣は、一つの境地を見せつけた。
廻国を重ね、多くの武を見てきた一刀斎でさえ、見たことのない境地を見せ付けた。
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