第二十三話 跛行の士
「おお、では伊東様は
「もう二十年も前のことで、まるで相手にならなかったがな」
月白の構える診療所を出た道すがら。
一刀斎は瑠璃光で出会った異国生まれの武将、
曰く馬司が仕える
「馬司殿は
「ええ、お目に見たことがあります。いえなにを隠そう、私が新陰流を学びたいと思ったのは、あの方の技を見たときに感動を受けたからでござりまして!」
琥珀色の目を輝かせながら、身体で喋っているかのように身振り手振りも交えて語る。
慣れない言葉でところどころ誤りつつも、こうして積極的に用い、身体でも雄弁に語っている。馬司の
一刀斎は恐らく、他国に赴こうともこの国の言葉を使い続けるに違いない。そういう負の自身がある。
「技を見せた……とは?」
「去年ほどでしたか。殿下の息子様が、自分の客将として新左衛門様をお招きしたのでして、そこで我が主を含む
もう大の大人だというのに、子どものようにはしゃぐ馬司。
しかし、一刀斎の脳裡に刻まれたあの蒼天が如き剣の見事さを思えば、こうなるのも分かる話であった。
「その後、すぐさまに剣を教えて欲しいとお頼みましたが……残念ながら、断られてしまってそれは叶いませんでした。ところが、新左衛門様の付き添いで来ていたご子息、
「それは良かったな」
本当に、楽しそうに語っている。その口から絶え間なく放たれる言葉には相当な熱が込められており、この国のことをいたく気に入っているようだ。
それは話を聞く限り、良き出会いが重なり続けた結果だろう。
「こちらの兵法に魅入られたようだが、馬司殿の土地にはなかったのか?」
「いえいえ、そんなことはありません。私の祖国にも優れた剣士や教師はいましたし、剣を扱う術もありました。私も元々はあちらの軍人の家から生まれましたから、その剣も学んでいたのです」
「ふむ……」
馬司の話を聞き、ふと疑問が浮かぶ。
「つかぬことを聞くが、馬司殿はなぜこの国に?」
この日の本で旅をするのは楽である。歩いていればどこぞの国には辿り着き――一刀斎は乗りたくはないが――船を使えば更に遠く、島にも辿り着く。
だが、それは目に見える島の話である。
聞くに馬司ら南蛮人が住む国は、海の先にある明よりも遙かに遠いと聞く。一刀斎も速さだけは認める船であっても、数ヶ月を有するという。
まるで想像が付かないが、本当だとすれば、来るだけでも相当な労があるだろう。
「元々私は、故あってインド……ここでは
「ほう……司祭とは?」
「この国で言うと神社の主……いえ、
「ほう」
噂には聞いたことがある。遠い異国には、仏の教えとはまた違う教えがあるという。
過去に明からやってきた異国の武芸者と戦ったことがあるが、その者も、日に数度の
その祈祷はたしか正午ごろ、いま頃にやっていたはず。口振りからして馬司もそれなりの信仰心があるように見えるから、あの武芸者が信じていた教えとはまた異なる者なのだろう。
「それで私は、
「異国の教えにか」
「ええ、そういう
近年やってきただろう異国の宗教ではあるが、胸を打つなにかがあるのだろう。
「そもそもの話になりますが、月白さんと出逢ったのも――おっと、そろそろ付きますね」
「む、もうか」
話に耳を傾けている間に、もう住まいまでやってきていたらしい。
遠いと思っていた城が、もうすぐそこにあった。
「そうだ伊東様、まだ時間があるのでしたら、少し寄っていただいてはどうでしょう? 会わせたい方がいまして、きっと良き出会いになることかと!」
「うん?」
いきなりの誘いに、一刀斎は首を傾げる。
良き出会い、とはなにを差しての言葉なのか。
馬司の主である蒲生飛騨守が羽柴の将であるならば、恐らく大谷刑部や石田治部と同じく城での務めがあるはずだからから違うだろう。
ともなれば――――。
「まあ、おれは構わないが」
なんにせよ、まだ多少の
誰に会わせるつもりにせよ、そもそも断る理由がない。
「それは良かった! では、どうぞ、お入り下さい!」
「ああ」
勇ましい面立ちのままニカッと笑い、我が屋敷のように門に手を向ける馬司。
誘われはしたがしかし、よく考えれば主の許可がなくても良いものなのか。――――などと、門を潜ったあとに、悠長に考えるのであった。
「ただいま戻りました!」
「邪魔をする」
「おお馬司殿、お帰りで…………と、それと、伊東殿?」
「む、嶋殿?」
馬司の招きに応じて屋敷に入ってみれば、意外な先客がいた。
いま一刀斎が間借している石田家の重臣である、
左近は広縁に腰掛けているが、身体は庭ではなく、障子の方を向いている。
「なぜ、嶋殿がここに? 馬司殿と親しかったか」
「ああ、それもあるが――――」
「帰ったのか、ディエゴ」
左近が向いた障子戸の方から、幽かな声が聞こえてきた。
声自体は小さく、よく響くわけではない。だがしかしその声は、呼吸を知っている者が出す声である。重く鋭い息を吐く武芸者が、出す声である。
左近は片膝で立ち上がると、庇うように部屋へと手を伸ばす。
障子の影からゆっくりと現われたのは、
「師匠、ただいま戻りました。お客様をお連れ致しまして、いま、嶋殿も仰いました――――」
「ああ」
杖に続いて、身体がのっそりと広縁に現われる。
膝を曲げて、身を屈め、ふらふらと跛行する姿は老人のようだが、面立ちは精悍であり、年の頃は一刀斎と同じほど。
目付きは半眼ながら穏やかであり、その目鼻立ちは、いつか見た、大剣豪のそれと似ている。
「噂はかねがね、もう、かれこれ二十年近く耳にしていたが……こうして会うのは、初めてだったな。初めまして、
そう微笑む顔は、正しく一刀斎の知る、柳生新左衛門と全く同じものであった。
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