第二十五話 集う縁

「天下一の剣術遣いと名高い伊東殿に、新次郎殿はどう映る?」

異才いさいきわまる。足腰を使わず、上体だけであれほどの剣捌きが出来るなど、考えたこともなかった」

 そもそも剣とは全身を使って扱うものである。少なくとも、一刀斎はそうやって刀を振るっている。

 それに対して新次郎は、不随の下半身を用いることなく、ただ腰掛けに据えているだけ。だというのに、振るわれる杖には力が能く通っている。

 多くの武芸者と相対してきた一刀斎であってもその出来は、今まで出逢ってきた武芸者の中でも相当上に位置するものに見えた。

 何より、新次郎が振るっている剣は我流では無い。かつて一刀斎が体験した新陰流の剣が――流石に、足捌きまでは再現できていないが――そのまま振るわれているのだ。

 下半身の自由を失った後、いったいどれほどの鍛練を注ぎ込めばあの境地に達するのか、五体満足である一刀斎は想像することが出来ない。

「そうか……、俺は兵法を身に付けているわけではないが、新次郎殿のあれが、尋常でないことは分かるが、それがどれほどなのかが分からなかったが、相当か」

「相当だ」

 新次郎に打ち込んでいる馬司の腕も、非凡であるからこそ余計新次郎の能力に舌を巻く。

 そう、馬司の腕も冴えている。

 備えた肉体は見事なもので、振る剣は剛力任せかと思いきや、余分な力を込めていない。

 剣に体を添えており、体を剣に添えている。故に竹刀は真っ直ぐ振るわれ、力の芯が出来ている。

 馬司の祖国にも兵法が存在しており、馬司自身もその技を学んでいたと言うことだが、それが素地となっているのかもしれない。

「ならばよかった。…………実は、新次郎殿が腰に弾を受けた戦だが、あのとき俺は新次郎殿とは敵だったのだ」

「そうなのか」

 左近の告白に、一刀斎は目を丸くする。

 先ほどまで二人きりでいて、今さっきまで、縁側に並んで会話していた姿からは、まるで遺恨を感じなかった。

「俺も柳生新左衛門殿や新次郎殿と再会したとき詫びたが、「お互い選んだ道だ」と許しをくれた。たしかに、戦の世というのはそういうものだ。かつての同朋でも戦で相対することもあるし、敵陣に友人がいることもままある。だから、許しを受けた以上引き摺るのもあちらも迷惑だろうと思ったが」

「しかしながら」、と、新次郎と馬司の稽古を見ながら、左近は呟いた。

「それでも、支援できることならしたかったのだ」

「だから、羽柴家中に柳生を紹介したのか」

「ああ。天下を取った殿下の元には、主のように幼い頃から忠誠を誓った子飼いの将や、他の国にいた将も集う。そのどこかしらに、兵法指南役として雇われればと思ってな。まあ、新左衛門殿は乗り気ではなかったが」

 恐らく左近も、兵法指南役として紹介しようとしたのは新左衛門の方だろう。

 なにしろ新次郎は足を自由に動かせないのだから、他者に柳生の剣を教えることを期待していなかったはずである。

「新次郎殿は腰の怪我の後、ずっと柳生の郷にこもりきりだったらしい。長男とは言え不随となり、家と新陰流を継げなくなってからは、離れに一人閉じこもっていたらしい。廃人と化したかと多くの者が思ったらしいが…………あの剣は、その離れの中で培ったのだそうだ。「継げなくなったので暇な時間が増えたから、鍛練にあてた」と、事も無げに語っていたよ」

「剛の者だな」

 はたして己は、足の自由を失ったとして、新次郎と同じく足を使わぬ剣を追い求めることが出来るだろうか。

 磨き上げてきたものを忘れ、もう一度、剣を振るうことが出来るだろうか。

 そう、思案を巡らせるように空を見上げる。

(――――続けるだろうな、何事があろうと)

 足が動かなかろうと、剣を握る手は残っている。ならば手放す必要など無く、最後まで、握っていれば良い。

 一刀斎にとって、もはや剣は生の中の一つである。

 飯を食う、疲れて眠る。それと同じく、剣を振る。

 何か一つを失ったところで、止められるはずがない。

「当の新左衛門殿も魂消たまげていたあたり、あれは見せずにいたんだろう。新左衛門殿が新次郎殿をこの大坂に連れてきたのも、天下の名医に足の症状を見せるため…………あ」

 目を細めて新次郎達を見ていた左近だったが、何かを思いだしたように「」を漏らす。

「名医と言えば、伊東殿。あの方には会ったか? あの、柳生の郷で一緒にいた」

「月白か? ああ、つい先ほどな。まさかこのような場所で会うことになるとは思ってなかったが……、嶋殿も月白が大坂にいることを知っていたか」

「まあな。相当腕が立つ女医がいると噂が立ってな。調べてみたら曲直瀬まなせ道三どうさん殿の義娘子むすめごで、かつて一目見たあの佳人かじんだったわけだ。伊東殿とは親しげだったから、知っているのかと思って昨日訊こうとしたんだが……」

 そう言えば、昨晩の席で左近は一刀斎になにか言いたげだった。そこにちょうど五助がやってきて、宴が始まったのでそのまま聞けずじまいだったが。

「なるほど合点がいった。馬司殿はあの女医殿に熱を上げている様子だったからな。彼女の診療所で馬司殿と出会った訳か。なんというか、縁というのは本当にられた縄のようだな」

「全くだ」

 左近、月白、新陰流。大和の山中、柳生の郷で出会った顔とに、こうして立て続けに出会うのだから。

 多くのものが集まるこの大坂という街には、因縁さえも集まるのだろうか。

「新左衛門が新次郎殿を診せようとしていた名医というのは曲直瀬殿か? 医者のひじりと呼ばれるほどの医術の達者だったと聞いている」

「ああいや、曲直瀬殿も確かに名医だが、新左衛門殿があてにしていたのは、その弟子だ」

「弟子?」

 というと、月白の兄で同じく養子にしたという、玄朔げんさくだろうか。

 しかし左近は先ほど、月白を「義娘子むすめご」と呼んでいた。ならばそれと同じく「義子息しそく」と呼ぶのが自然であろう。

 と、なれば、別の……。

「お疲れでありまする!」

 そんな思案を遮るように、庭から妙な日本語の朗らかな声。

 一通り稽古を終えた小休止か、額に浮かんだ大粒の汗を腕で拭いながら、大股で馬司がよってくる。

 行った鍛練は初歩の初歩のように見えたが、この汗の大きさを見るに、意識を体中の深くまで巡らせていたのだろう。

 兵法を修めようという、強い願いがなくてはこうはなるまい。

「どうでしたか一刀斎殿。師匠の剣は」

「見事だ。相当に練られている」

「そうでありましょう! その振りは鋭く、確かで、そして穏やか。ああ見事な剣を使えるとは私も」

「思っていなかっただろう。なんせこんななりだ」

 馬司のあとからゆっくりと、杖をつきながらやってくる新次郎。

 さすがに上半身だけで剣を振るのは相当な疲れがあるのか、新次郎もどこかくたびれた様子である。

 なるほど、切り上げるのが少し早いと思ったが、長く無理は出来ないのだろう。

 だからこそ馬司もいっそう集中して稽古に臨んでいるというわけだ。

 一度の時間は短いとはいえ、鍛練の密度は並みではない。

「いい刺激になった。これからある刑部殿への稽古にも身が入る」

「そういえば、大谷様に招かれて大坂ここに来たのだったか。……今後、顔を合わせることもあるだろうな。剣について語れる者が近くに居るのはありがたい。話し相手は左近殿ぐらいしかいないものでな」

「おれも同じく。おれがいた場所では剣士などいなかったからな」

 話をしている間でも、一刀斎の手は今にも腰の甕割に伸びそうであった。

 無性に、剣を振りたくて仕方がない。

 ――――ああ全く、この大坂という街は、集う縁には、しばらく飽きそうもない。

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