第六話 新しき旅路

 左衛門入道の身の回りの世話をしている小僧は、「また厄介なことになった」と舌打ちをしたかった。

 そんなことをしようものなら行儀が悪いと叱られるので、当然やらないがしかし、これには飽き飽きである。

「小僧、あれは何者だ!」

「はあ、あれとは」

 買い物帰り、道のど真ん中でとっ捕まったのは、左衛門入道に付きまとう武芸者たちである。

 武芸者と言っても素浪人すろうにん無頼ぶらい手前てまえ悪漢あっかんまがい。府中の人々にとっても鼻つまみ者たちだ。

 そんな連中に絡まれるのは、正直とても鬱陶うっとうしい。

 左衛門入道は行儀と礼儀を整えるよう口うるさいが、それ以外は丁寧で親身な好々爺こうこうや。口うるさいからと嫌いになれる方ではなく尊敬もしているが、その伝手つてでこうして絡まれるのはもの凄く嫌である。

「あの方の寺に寄宿している者だ」

「寄宿。ああ、あのお客人のことでございますね。あの方は宿が見つからなかったところを御坊様がお救いになられた方です。あ……武芸者のようですが」

 あなた達と違って、と言い掛けたが、そこは相手の神経を逆撫でするので我慢する。

 真正面から鉢合わせたので、きっとこの朝早くから迷惑も考えず寺に赴いた帰りなのだろう。だから、客が来たことを知っているのだろう。

「武芸者……!?」

「素性は、どこの武芸者だ!?」

 大の男が揃いも揃って、道のど真ん中で小僧を捕まえ騒ぎ立てる。

 こうも周りが見えていないから碌な職にも就けないのだと、小僧でも分かることをこの者らは気付かない。

 なんとも情けない話である。面倒見が良い左衛門入道も呆れて相手をしないのもよく分かる。

「素性は分かりません。名前も、名乗っては……」

 いなかった、と言い掛けて小僧はふっと思い出した。客人が風呂に入っている間に布団を敷こうと宿坊に入ったとき、看板が壁に寄り掛かっていた。

 小僧ではあるが寺で働く身。左衛門入道の教えもあって、文字の読み書きはそれなりに出来る。簡単で覚えやすい感じも揃っていたため、幼くても容易く読めた。

「たしか、伊藤いとう一刀斎いっとうさいとか。持っていた看板に書かれていましたけど」

「伊東、一刀斎……!?」

 名前を聞いた武芸者共は、みな一様に目を丸める。そして同時に、肩をわなわなと振るわせた。

 よもや、自分は言ってはならぬことを言ったかと、小僧は内心肝を冷やした。

「たしか、一刀斎とは……」

「ああ、間違いない……近江へと逃げた印牧の……」

 男達が顔を寄せ目を配せ、こそこそとなにかを話している。

 何度も言うがここは道のど真ん中である。こんなところで固まって立ち話をするなど、まるで道理を踏まえていない。

 客人は目付きが悪くとぼけているようにも見えたが、それなりの礼節は弁えていたので、こんな連中と同視されたのかと思うとどこか憐れにも思えた。

「あの、もう行っても良いでしょうか。これから食事の支度があります」

「どうする……」

「うむ、ここは改めて……」

 うん、まるで聞いていない。

 こちらを無視するというのであれば、用無しも同然だろう。

 小僧はひっそり身を屈め、武芸者達の横を抜けていった。


「そうでしたか……あなたがかの有名な」

「ここまで名が通っていたか」

 北陸に足を運んだことはなかったのだが。いつか破った廻国修行の武芸者が語り継いだか、話し好きな行商人が噂話を流したか。

 とかく、北陸ここまで伊東一刀斎の名が広まっているのはこそばゆくも誇らしい。

「俺の住む加賀は武も盛んなので、それなりに武芸者が集まります。その中に、伊東一刀斎の名前を語る者達が多くいました。みな一様に、「その太刀筋に乱れなく、崩すことすら適わない。寸隙すんげきだろうと見せてしまえば容易く打たれる」と言っておりました」

府中ふちゅうでも話を聞くことはあるの。武の巷では無いが越前の中心地、自然と人も集まっての」

 そこまで言って、左衛門入道は顔を上げる。

 目はつむったまま。しかし真っ直ぐと、一刀斎を

「太刀筋乱れず崩せぬと。なるほどその心ならば当然じゃろうて」

 やはりこの老人は、目が見えずとも形以外を認識している。

 目で見ることが出来ず、察し感じ取ることしか出来ないこころを、当然のように見て取っている。

 ひとしきりた、左衛門入道は、「ふむ」と髭の生えた顎を撫でる。

「伊東殿、お前さん、さかいに行く言っとったが、通家の所に寄るのかの?」

「うん?」

 通家というのは、左衛門入道が言っていた自斎のだ。

 恐らく今も自斎は近江の堅田にいるだろうし、久しく会っていない。越前から畿内を目指すのであれば近江も通るから、良い機会だろう。

「そうだな……顔を出すぐらいはすると思うが」

「ほう、そうか……。善左衛門もおるし、ちょうどいいかもしれんのう」

「爺様?」

 名前を出された善左衛門は、いぶかりながら祖父の顔を見る。

 はてさてなにがちょうどいいのかと、一刀斎と善左衛門は首を傾げたが。

「伊東殿。頼みがあるんじゃが、通家、いや自斎か。そこに寄るのであらば、儂も連れて行ってくれんかの?」

 開かれた口から放たれた言葉は、心底意外なものであった。

「爺様、いったいどうしたんだ? 藪から棒に」

「連れて行くと言っても……その目でか?」

 左衛門入道は目が見えない。目が見えないのに国を越えて移動するのは一苦労だ。

 実際、左衛門入道の家族が加賀に移ったのに付いていかなかったのも、この越前が慣れているからと言うこともあるだろうが、目の見えない中で国を越えるほどの移動を避けたかったからだろう。

「いやの、お前さんと話していたらどうにも通家のことが懐かしくなっての。元より、彼奴あやつが朝倉から消えたときから気に掛かっておったこともある。これもひとつの縁な気がしてな」

「だとしても爺様、帰りはどうするつもりだ? 伊東殿は堺を目指しているのだから、帰りは」

「なにを言っておる。ちょうどいいといったじゃろう」

「なにが」、と言いかけて、代わりに「はぁ」と得心したように手を打った。

「つまり、俺も同行する訳か。帰りは俺が案内すると……」

「ああ、なるほどな」

 一刀斎もそれで理解した。

 善左衛門も同行すれば、帰り道の心配は無い。元よりこの左衛門入道を敬愛している善左衛門である。行くという左衛門入道を放っておけはしないだろう。

「しかし、伊東殿は急ぐのでは……?」

「おれは構わない。あまり急ぐ旅ではないからな」

 なにせ遠回りしすぎて予定から遅れている。ならばこの際、どれだけ遅れようと大して変わるものではない。

 それに一宿の恩がある。それを返せるのであればどうってことはない。加えて、だ。自斎の若き頃を知るこの老人と、自斎を引き合わせてみたかった。

 感動の再会というものを期待しいているわけでは無く、自斎の反応を見れば、この剣に明るい老公ろうこうの正体を掴めるだろうというのが多分にある。

 ……あの傲岸不遜な自斎が、おきなを相手にどう出るか楽しみであるというのもあるが。

「しかし、急がぬと言えど明日には出ようと思う。出立の準備をするならば、今日の内になるが」

「すまんの、本当は今日にでもつつもりだっただろう」

 謝りながら、左衛門入道は嬉しそうに微笑んだ。

 国を越えて祖父の様子を見に来る孝行孫の善左衛門も、その笑みを見てしまえばもう反対する気も起きないようで。

「分かった。俺も同行しましょう。申し訳ない、伊東殿」

「いや、問題ない」

 ふと思えば、今までで誰かを連れ立って旅をしたことがあっただろうか?

 雲林院うじい松軒しょうけんと京から大和、柳生の郷へと赴いたことや、古藤田ことうだ勘解由左衛門かげゆざえもんと、常陸ひたち井手いで伝鬼房でんきぼうの元を訪ねたこともある。

 だが今回は、それら二つのように連れられてではなく、己が連れ立って行くものである。

 己が主となって旅をするのは、思い返してもなかったと思われる。

 たった一つの違いなのに、妙に腹の底に熱さが宿る。

 ああ、全く。いつになっても旅は飽きぬ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る