第七話 ろくでなしのうた
「では、しばし寺を空けるでの。留守は頼むぞ」
「はい、
明くる朝、三人は、寺の坊主に朝飯代わりの握り飯と、要事のための干した飯を渡された。
それどころか。
「爺様も語っていた、印牧の達人。お会いするのが楽しみだ。技の一つや二つ見て貰いたいものだが……」
目が、爛々と輝いている。その輝きは間違いなく、武芸者が一様に灯している武への情熱であった。
「かっはっは、今から心躍らせていては身体が持たんぞ。では伊東殿、よろしく頼むでの」
そう止める左衛門入道であったが、止めた本人の心もまた躍っているのが感じ取れた。
なにせ、命を懸けた立ち合いをするわけでなし。喜楽を感じて表に出さぬ方が不健全というものだ。
実際一刀斎も、それがいいと思っている――一刀斎の場合は表に出さないのではなく、表情と言葉に出ないだけであるのだが――。
「あい分かった」
「皆様、道中お気を付けて」
礼儀正しく頭を下げた小僧の見送りを受けて、一刀斎達は寺を出る。
まだ朝は早いが、町人達も目を覚ましており、街には活気が宿り始めている。
「街道に出るには、このまま南に行けば良いのだな?」
「はい、一度
「内海の浜沿いに行けば良いな」
いま言ったとおり、越前から近江を通り京へ向かうなら訪れるだろう土地である。宿屋も多く港も備えているが、近くに大きい山があり、自斎にこてんぱんにノされた
仕事が遅くなれば湖賊退治を代金として、タダで宿屋で寝泊まりもしたが、そのときばかりは小次郎の作った
愉快な記憶を思い返せば、足取りが不思議と軽くなった。
「浜沿いに行っても良いが、海津ならば堅田までの船も出して貰えるんじゃないかの?」
爺様の一言で、軽くなった足取りが、大岩でも括り付けられたかのように重くなった。
そういえば――さきも思い返したとおり――、海津には港があり、内海を渡る船がある。さんざ乗った内海の船であるが、いやさ全く慣れていない。
とはいえ、左衛門入道はご老体。楽できるのであれば船に乗るのも………………大いに、我慢しなければならないだろう。
「なんじゃお前さん、どうしたんじゃ。虫でも口に入ったかの?」
目も見えないだろうにこの老人は、いや、目が見えないからこそだろうか。一刀斎の微妙な変化に聡く反応する。
急がぬ旅だとは言ったものの、遠回りをして予定よりだいぶ時間が掛かっていることもある。たった少しの時間ではあるが、船を使い急ぎ行くのは間違ってはいないだろう。
などと、つい先日まで「いくら遅くなってもよい」と思っていたのを反故にして、己の尻を蹴り、一刀斎は「なんでもない」と首を横に振る。
…………船に乗らずとも、果てまで歩き行ける日が来ないものか。
左衛門入道の寺は、府中の中心から離れたところにある。その分近江、京へと繋がる街道にも近く、四半刻としない間に街の外れへと辿り着く。
府中の外郭のそのまた遠くまで来れば、家屋も疎らですれ違うのも追い抜いていくのも、行商人ばかりである。
家屋のいくつかは建てっぱなしか中途半端な仕上がりであり、府中の発展に大工の数が足りていないのが見て取れた。
…………あるいは、だ。
「どうやら、楽には行かないようだ」
「そのようですね」
「全く、面倒じゃのう……」
一刀斎達は、肩を落とすかのように竦めると、三人同時に溜め息を吐いた。
この様子を見るに、善左衛門もこれについて知っているらしい。
「おいお主ら、そんなところでなにを遊んどるんじゃ。大工さんたちが仕事にならんじゃろうよ!」
まるで、悪童共を叱るかのような口調である。その裏にあるのは心の底から舌の根まで、溜まりに溜まったあの男達への呆れであった。
誰もいない家屋から、人がひとり、またひとりと現われる。
誰も彼も、先日見掛けた左衛門入道に詰め寄っていた男達だ。……だが。
「いやはやこれは……」
「ずいぶんと慕われているのだな、
十人そこらならいざ知らず、二十三十と現われて、最終的には
ただ頭数を揃えただけなのか。あるいは全員、左衛門入道を盲信している輩なのか。
だとすれば左衛門入道は、余程である。
「……一応聞くが、なぜこうもぞろぞろと」
「貴様、伊東一刀斎というのは
「かつて、
まるで話を聞いていない。自分達の用件ばかり先に立っている。
とはいえ、第一声が一刀斎のことであるのは意外であった。てっきり、左衛門入道に用があって現われたのだろうと思っていたのだが。
「ああ、如何にもそうだが?」
「ならば……一放殿を始末したのも貴様だな?」
「何十年前の話だそれは」
富田の一放……それは一刀斎がまだ
剣の振り方しか教わっていなかった一刀斎が、ただ剣を振り下ろしただけで仕留めた相手。今となってはどんな実力を持っていたのか、推し量ることも出来ない相手だ。
「やはり貴様が、あの一放殿を……!」
「富田流を常に思い憂いていたあの方を……」
ただ、目を血走らせている辺りあの男はそれなりにいいところにいたらしい。同時に、「あれ如き」を高みに置いているこの男達の性根が分かった。
こいつらは、ろくでなしだ。
なにを思い目指そうとも、己の理想に齧り付き、
――――そしてだが。
「おれもさして変わらんが」
一刀斎も、ろくでなしの類であろう。
理想の剣を手に入れまいと、天下一を押し上げんと、日がな一日剣を振るばかり。
それは決して
畑を耕すこともせず、戦で手柄を立てることもなく、死体を弔うこともせず、人を癒す術も知らない。
ただ自分のためだけに、剣を振るっているばかりの日々。自分でも、呆れるほどにろくでなしだ。
「伊東一刀斎、その二人をどこへと連れて行くつもりだ」
「
「な……、に……?」
素人が染め出した五色の
「な、なぜです、なぜ、印牧の死に損ないの元などに!」
「もはや印牧は富田となんら関わりのない、野に下った者に過ぎぬでしょう!」
「武を極めるなど
「奴の家は特にそうだった! 一部の印牧が朝倉に忠を尽くし文を持って修める中、武だけを求めて我らを
「潮目がまるで見えていない、目も頭も悪い阿呆共の一員でしょう!」
他の男達も、やいのやいのと散々自斎を―というよりその家を―罵倒する。
とはいえ自斎も自斎で越前のことを口にするたび、めためたに
「まったく、口が悪いのう……」
「聞くに耐えませんな。申し訳ない、一刀斎殿」
「いや、構わん。というより連中が言っていることになんの間違いもない」
実際自斎は武をこよなく愛し、それを鍛え、ときに他人に振るうのが好きな人間である。自斎も自斎で
「して、おれが伊東一刀斎で、御坊を近江へと連れ立つつもりだとなんの不都合がある?」
「ある!」
「貴様には、我ら一門の誇りを疵付けた罪過があろう!」
そんなものはない。
「我々にはそのお方が必要なのだ!」
「儂はお主らは要らんがのう……」
こうもバッサリ斬り捨てられているのに、男共は一切意に介していない。
しかし――――。
(やはり左衛門入道殿は……?)
このろくでなしぶり、ないし、武芸者と名乗るこの者らがこうも頼りにするのを見るに、この
いや、それはとかく。
「おれは行かねばならんのだが……」
「ただで行かせると思ったか!」
男たちが次々と刀を抜き放つ。外れとは言え、
この
「一刀斎殿、ここは協力し……」
「いや、御身は加賀で勤めがある身だろう。他の土地でこうも下らんことに付き合う必要はなかろう」
相手は四十余人。それなりに腕に覚えがある相手だろう。ここまでの大人数と相対するのはだいぶ久しぶりだ。
「騒ぎを起こせば左衛門入道殿たちに迷惑が
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