第五話 爺冥利

 薄い障子を通った光が頬を撫で、一刀斎は目を覚ました。

 布団の中で四肢に力を込めれば、滞ることなく先まで通った。

 昨日、風呂に入って身体がよくほぐれた。山の中で彷徨さまよい通し、思っていた以上に疲れが溜まっていたらしい。

 布団を剥いで起き上がり、肩を軽く回してみる。驚くほど軽く動きはなめらか。普段以上に調子が良。

 差し込む光の様子も見るに、今日も快晴。気分の良い朝である――――。

「――――――!」

「――――!?」

「む?」

 だがしかし、なにやら外が騒がしい。それも愉快なものでなく、爽快な朝に水を差すがなり立てる声である。

 一体何事かと襖を開ければ、昨日一刀斎を拾った左衛門入道の姿がある。

 門を前に立つ入道は何者かと相対しているようだが、立派な木が邪魔してそちらは見えなかった。

 だが、一人二人ではない。十人に迫るほどの、頭数。

「どうか、考え直してはくれませぬか!」

「あなた様がいれば、俺たちはきっと!」

「お前さんたちも飽きんのう。ならぬと言っておろうに。儂はもう娘婿むすこに全部任せて隠居しておるでの」

「しかし! あなた様の方が!」

「一体何事だ」

 あまりの騒がしさに、一刀斎は履き物も履かず外に出る。木の陰から露わになった男共の風体ふうていは、あまり良いとは言えない。

 身形みなりは整えている。だが、服の内から溢れ出ているのは剣呑な気質。皆一様に目付きは鋭く、余裕がなく、憔悴しょうすいしているようにもうかがえる。

「なんだ、貴様は……」

「おやお客人、すまんのう朝から。こやつらはちょっとした知り合いでの。いま帰らせるでの」

「お、お待ちください! まだ話は……」

「見ての通り、今は客がおるでの。また今度にしてくれんか。……その方が、儂としてもありがたいんだがの」

「……っ」

「……また、来ます」

「それを恩と考えて良いでしょうかね」

 一人は、なにも言えず喉を詰まらせた声を出し、一人は、諦めきれぬのを忍んで頷き、一人は、厚かましいことを口にする。

 残る者共も、それら三つと同じような反応であり、皆揃って、踵を返す。

 …………思うところはまばらだったようだが、全員一度に、一刀斎を恨めしそうに睨んでいた。


「いや、迷惑を掛けたのう」

「構わん。気にするな」

 何者か共が消えたあと、左衛門入道は庭の草木に水を与えていた。

 もう、この寺がどういうものなのか、形を理解しきっているのだろう。目も見えないはずなのに、庭木のある場所をしかと把握し、高さは手で持つ柄杓で確かめ、水をゆるりと与えている。

「それどころか、感謝しかない。御坊に拾われたお陰で体中の凝りがほぐれた」

「かっはっは、図太いのうお前さんは。なに、困っておる者は捨て置けんからのう」

 相当年を召しているだろうが、相変わらず笑う声には活気が漲り溌剌としている。

 正直、こういう老体は好ましい。少ない生気を惜しんで無気力に暗く生きる老人よりも、命を使い尽くしてやろうという思い切りの良さがある老人の方が、見ていて気持ちが良い。

 人生五十年。それを大きく越えて生き残っているのだから、生き生きとしているのは当然のことであろうが。

「ところで、庭仕事は御坊の仕事なのか。小僧がいるのではないのか」

「お客人に出す分の飯の材料が足らんようでの、使いに走らせておるところだわい。お前さん、どうせたらふく食うだろう?」

「粗食でも構わんが、そうまでして持て成して貰えるのはありがたい」

「かっはっは、素直でよろしい!」

 笑うと、流石に力が入るのか。水が庭木を飛び越えて奥の地面を湿らせた。

 和らいだとはいえ残暑の残るこの秋、草花も水が惜しいだろうと、一刀斎は話を変える。

「あの者共は?」

「ほれ、あれがあぶれ者たちじゃよ」

 あぶれ者。昨日、左衛門入道が語っていた者達だ。朝倉は富田一門に名を連ねた者達であり、朝倉が滅びると同時に行き場を無くした半武芸者の男達。

 ちまたで騒ぎを起こすこともあるという、なんとも厄介な連中だそうだ。

「ずいぶん慕われていたようだが……」

「年寄りに甘えて尊いのは孫か小僧ばかりだわい。ああ年を食っても爺離れ出来ぬのは気持ちが悪いでの~」

「バッサリと吐き捨てるな」

 まるで切り口鋭い快刀である。言葉は辛辣しんらつながら、本気半分冗談半分と言ったところか。

 しかしながらあの男達の様子を見るに、やはりこの左衛門入道とやらは重職にいた存在らしい。

 それらしき素振りを全く見せないが、隠居した老人を頼りにするなど、本人が言う通りよほど甘えているか、あるいはこの左衛門入道が相当な立場にいたからかのどちらかだ。

 自斎のことも知っているようだし、いよいよ持って興味が湧いてきた。

 とはいえこののらりくらりとした態度。聞いたところでまともな答えが返ってくるかも分からない。

 察することが出来るのは唯一つ。この老体は間違いなく、富田流の芯、そのすぐ近くにいた存在だろうと言うことである。

「む……?」

 左衛門入道が門の方に顔を向ける。はてどうしたと首を傾げたが、一刀斎もすぐに理由に気付いた。

 人が、来ている。

「爺様! おりますか!」

「おやまあ、今日は尋ねて来る者が多いのう。しかもこの声……かっはっは、今度は悪くない」

 先ほどの素浪人と相対したときと違い、左衛門入道はにこやかに顔をほころばせた。爺様というのがこの左衛門入道のことであるならば、この声の主は。

「おお、儂はおるでな! 善左衛門ぜんざえもん!」

 枯れていながらよく通る声で、返事をする。

 左衛門入道のこの様子に、一刀斎は先の言葉を思い出す。

 年寄りに甘えて尊いのは、孫か小僧ばかりだと。


「まさかお客人がいらしたとは……。大声を張ってしまい申し訳ない」

「いや、気にすることではない」

「そうじゃ、儂と小僧で過ごせるこの程度の寺。他にも寺社や宿がある中で客が来るなどそうそうあるまい」

 左衛門入道の伏せられた目が、より柔らかく優しく見える。

 元々気の良い老人だったが、今ではより溌剌とし、好々爺こうこうやと化している。

「改めまして、俺は善左衛門といいます」

「儂の自慢の孫じゃよ」

 客間の畳に手を着いて、頭を軽く下げる若者、善左衛門とその横で楽しそうに笑う左衛門入道。爺と孫ともなれば年も離れて似てるかどうか判じるのも難しいが、顔の形は同じに見える。

 善左衛門の年の頃は、かつて出会った御子神みこがみ典膳てんぜんと同じぐらいだろう。

「善左衛門はの、時折こうして尋ねてきてくれての。爺冥利に尽きるわい」

「加賀に来てくれれば楽なんだけれどもな」

 そう溜め息を吐く善左衛門だが、それでも加賀からこうして足を運ぶ労をまるで苦にしていないのは見て分かる。よほど家族仲が良いのだろう。

 ――――それとして。一刀斎には一つ、気がかりがあった。

「ところで、お客人。あなたはいったい。お見受けしたところ……相当な達者なようですが」

 そしてそれは、善左衛門も同じだったらしい。

 善左衛門の一刀斎を見る目は、間違いなく己と技を、そしてこころを鍛え上げることを生き甲斐とする武芸者のひとみである。

「この方はの、どうやら通家みちいえの弟子らしい。ほれ、子どもの時分によく聞かせとったろ。あの印牧通家じゃ」

「おお、あの小太刀と受けの名手だったという!」

 善左衛門が目を煌めかせる辺り、である左衛門入道の目にとっても、自斎の腕はかなりのものだったらしい。

 あの自慢も強ち自己評価だけではないと言うことか。

「師匠は近江では「近江おうみ堅田かたた金剛刀こんごうとう」と吹聴ふいちょうしていてな、今は印牧自斎と名乗っている。おれは小太刀はからきしで、中太刀の技と心法を、斬るとはなにかを叩き込まれた」

 そこで学んだ技の数々は、一刀斎の根幹となっている。

 数十年と旅をして身に付けた技法は数あれど、それでもその奥、あるいは初めに存在するのは、自斎から学んだものである。

「なんでもこのお客人、その通家から「天下一」と認められた腕前らしい。儂もこの目では見られんが、心持ちは相当なものだろう」

「――――天下、一? ……申し訳ない、お客人、御身のお名前は」

「む? そういえば聞いていなかったのう……?」

「たしかに、名乗った覚えがないな」

 折は幾度かあっただろうが、それに気付かず全く名を告げていなかった。第一聞かれた覚えすらない。

「改めて名乗らせて貰おう。伊東いとう一刀斎いっとうさい景久かげひさ、かつては外他とだ一刀斎いっとうさいとも名乗っていた」

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