第三十三話 火照り
胸に積もる熱の正体は、いまだ分からない。
「まだ一本、お願いします……!」
あれからいったい何度「一本」を求めたか。
もう一本、まだ一本、そればかりを求め、一を重ね続けているのみで数えてなどいなかった。だが、十や二十では足りないだろう。
その間、お互いの木太刀は相手に一度も触れていない。
だが典膳が覚えている限り、
典膳も一手ごとに構えも技も変えているが、一刀斎は全てに対応する。正道も奇襲もまるで通じず、間合いや拍子を外しても事も無げに対応してくる。
懸からず待とうと腰を据えても、気を落ち着かせる間もなく間合いを詰められされるがまま。
まるで終い以外は
そして幾度となく一本を重ねたことで、ようやく一刀斎の流儀が見えてくる。
剣で剣を抑え込み、真っ向からの縦一閃。全てにおいて共通する最後の形。その動きは、群を抜いて出来上がっている。
人生全てを賭して手にしたような信頼と、力強さがその剣には宿っていた。
だからこそ、その形に移さないための工夫が必要である。
しかしそれは。
(いったいそれをどうやれと!)
なにをしようとそう「成る」のに、果たして止めようがあるのだろうか。
思考はまるで纏まらず、次になにをすればいいのか、まるで思い浮かばない。
剣とは、剣というものは。
(ここまで、見えないものだったか?)
教えられた技をなぞり、技が持つ意味を察し、意味が宿す効果を発する。
用意された技と意味と効果はどれも最適であり、相手の動きに対する答えは必ずある。
そしてその答えは、効果と意味と技さえ知っていれば容易く分かるものだった。
とても容易いことなのだと、年が近しい剣を学ぶ者達全員を打ち倒して思い至った。
兄弟子や師である父や父に近しい者達に打太刀を頼んでもやることは変わらず、その腕は大きく上がっていようとも、やることが変わらないのであれば問題は無かった。困難な問題と相対したことも、幾度かはあった。例えば今は小田原にいるという父の友人である。
しかしながら一刀斎が出す問題は、その父の友人が出すものと比べても遜色なく、あるいは、それ以上の難度を持っていた。
その不可解さにもう一本、もう一本と、挑戦を止めることが出来ない。
本来、負ければそれで終わりなのだという覚悟を持って稽古に当たる典膳は、もう何回死んだか分からない。死んでいるはずなのに活力はどこまでも生え上がる、猛烈な違和感が頭の中で渦を巻く。
その違和感を、撃ち出すように。
「アァアアアアア!!」
自分でも意味を解せない、絶叫にも等しい
一刀斎と剣を合せる中で学んだ、剣で剣を抑え込む
半分突き打ち、半分圧し打つような軌道になるがしかし、典膳の頭にはもう、一本を取るどころか一刀斎に剣を当てることしかない。
だが、しかし。
「アッ……」
一刀斎が、
そして代わりに、もはや見慣れて木目の形さえ焼き付いた、木太刀の物打が眼前にある。
またもや、
「もう一ぽ」
「いや、終わりだ」
最後まで言い切る前に、言葉と同時に制止した木太刀がコツンと、典膳の額を小突いた。
するとなにごとか、典膳の身体は崩れるようにへたれ込んでしまった。
いかなる
今のは、一刀斎がなにかしたわけではない。単純に典膳の体力が、もはや底を突いていたのだ。ただ軽く押されただけで、倒れるほどに。
「どう、して」
「疲れも忘れて熱中していたのだろう。止まっている間も頭を回し続けていたようだからな」
そう言われ、疲れを意識した瞬間に、身体からドッと汗が噴き出した。
長雨上がりの板間はかなり蒸し、溢れる汗が止まらない。
何かを話そうとしても膨らんだ肺が取り込んだ吸気を離そうとせず、呼気には言葉を乗せられない。
真夏の風呂で火鉢をかけていようとも、ここまで
白湯のような唾をのんでも、喉はまるで潤わなかった。
「とりあえず、休むとしよう。誰かに茶を頼もう」
身体の火照りは、冷えた茶を三杯飲んだことでようやく落ち着いた。
それでも腹の底はまだ熱く、飲み干したお茶が胃の中で沸かされているようだった。
「……聞きしに勝る、という言葉さえ余るものでした。終始、遊ばれているようでした」
「いや、御身も見事に冴えていた。練度も相当、御身ほどの歳で技の引き出しがあれほどあるのは見事と言うほかない」
「どれもこれも付け焼き刃です。届かそうと思って振るったものとはいえ、どれもこれも拙い
「大事なのは出来ではなく当てようと工夫を凝らしたことだ。この立ち合いは仕合ではなく鍛練だからな」
鍛練、己を鍛え、行うことを増やすための立ち合い。
そういう意味では、今回の立ち合いは極めて実りのあるものだった。
だがしかし、典膳の中に
多分にあるのは一度も剣を届かすことが出来なかった悔しさと、己の
神童と持て囃されてなおこの有り様かと、剣を見限っていた自分の浅はかさに目を覆いたくもなる。
剣をつまらぬものだと、冷ややかな心を掻きだし握りつぶしたくなる。
「相当、悔しかったと見えるな」
「当然です」
膝の上で握りしめた拳を見て、一刀斎がそう告げる。
即座に出した言葉は、またもや意識や思考の外から飛び出た言葉だった。それが腹の底に未だ溜まる熱から放たれた言葉だというのは、喉と舌に、その熱と同じものが乗っていることで気付いた。
「だが、得たものもあっただろう」
「あなたに振るった付け焼き刃ですか」
「いや、それもあるが、それよりも大事なものだ」
一刀斎は腰に収まる愛刀に手を添えて、目を伏せる。
そして、一拍おいて。
「先ほど御身は、身体を置き去りにして動いていた。
「魂が、剣を……」
ならば、この腹の底に宿る熱は、
「これが、魂というものなのですか」
臍の下に掌を当てても、皮と肉があるばかりで手に熱は伝わらない。
決して触れることができないのに、見えてもいないものなのに、「在る」と確信できるものが、そこには在った。
「典膳。御身の魂はそれほどまでに熱い。それでも御身は、剣を好いていないと言えるか?」
一刀斎のその
顔を上げ、一刀斎を見ながら典膳は、口を開き――――。
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