第二十四話 邂逅
「うぐっ……」
その痛みで、
秋雨が降り連日の残暑が和らいだものの、この湿り気が肉体に多く刻まれた古傷を撫で擦る。
お陰で全身ヒリヒリと痛み、ろくに鍛練もできない。
この古傷は多くの戦を戦い抜き里見に奉じた証ではあるが、好んでいた武術に支障が出るのは悩ましかった。
「土佐守様、失礼します」
少し休もうかとしたちょうどそのとき、小姓が部屋の戸を開けた。その手には、
見て分かるほどの上等な紙。ああいう紙を惜しみなく使うような知り合いは一人ぐらいである。
「
「おお、もう来たか」
先ほどまでのしかめ面はどこかに消えて、ニコリと笑う土佐守。
旧友から来た文を受け取って、その場にスッと腰を下ろす。
「その使いの
「船旅でだいぶ参っている様子でしたので、客間にお通ししお休みいただいております」
「そうか、分かった。ゆっくりとお休みいただこう」
勘解由左衛門がいるのは小田原。海路ならば一度三浦を中継し二度船に乗ったのだろう。ならば疲れもたまっているはず。挨拶は文を読み落ち着いた頃にすればよい。
そう頷いて土佐守は手紙を開く。自分と比べ武の腕も立つのに、文も字も
大したものだと読み進めれば、こちらが書いた言葉の内容、一つ一つを順番通りに答えが返ってきている。
「――む」
気付けば紙の際までもう間近。勘解由左衛門に
遠く噂で耳にした、天下一を謳う剣客。畿内にいた、
この東より西へと上っていった剣が、人によって育てられ多くの剣豪を生んでいる。東の地で武に親しむ土佐守にとってそれは誇らしいことではあるが、同時に胸に火を付けられる思いでもある。
そんな多くの想いに心を馳せつつ、『末にあった、伊東一刀斎のことであるが』と冒頭に書かれた最終段に目を送る。
その段落は、たったの三行で終わっており――――――。
「――――――――な」
たったの二行を読み終えたその瞬間に、土佐守は
「なにぃぃいいいいいいいい!?!?」
屋敷を揺らす、大音声の驚愕が響き渡ったのだった。
通された客間に座り込み、柱に頭を預けていると、大音声が屋敷をめぐった。
屋敷がガタつくほどのその声で、頭を預けた柱も揺れる。お陰で未だに浮き沈みする脳ミソがひっくり返るかと思った。
そして間もなく、ドタドタドタドタと板間を踏みつける足音が、まっすぐこちらに向かってきた。
「ああ、来るか」と軽く耳の裏を抑え込むと。
「失礼いたしたッッッッ!」
襖がバンッ、と、開け放たれる。あまりの勢いに叩き戻され少し返ってきた。
「まさか本人自らが来られたとは。伊東一刀斎殿!」
「……ああ」
船を二つ乗り継いで、辿り着いたのは
まず愕然としたのは、城と海とがやたらと近いことであった。城下町どころか城下港があり、屋敷までの道のりを歩いて酔いを覚ます暇も無かった。
それで客間で休んでいたが、それでも気分は晴れぬまま。雨で船がやたらと揺れたのも、気が
そんな一刀斎の顔色の悪さを見て、ハッとしたように頭を下げる大の男。
「騒いでしまい申し訳ない。文の内容を見て、思わず、飛び出してしまい、こんなところまで遙々と」
「いや……構わん」
「改めて、手前は
やはりこの男が、勘解由左衛門の言っていた神子上土佐神か。
声は太いが品があり、武技武術や戦働きだけ持ちえているわけではないのが言葉遣いで理解出来た。とはいえ、決断の早さは相当なもののようだ。心の思うままに赴くままに、ここまできてしまったのだろう。
「
「剣の師にして槍の弟子……文に書かれていたのは本当でしたか」
一刀斎の自己紹介を聞き、土佐守は目を丸くする。この反応も久しいが、こう何度も驚かれるとやはり妙なことなのだと認識する。一刀斎も、妙なことを始めたのだという自覚が二ヶ月にしてようやく生まれてきていた。
「しかしなぜそんな妙なことに……いや確かに勘解由左衛門の槍の腕は見事な……いやそれでも師が弟子で…………ハッ! それよりも! 伊東殿、ようこそこんなところまで
「そうだな、なかなか遠かった」
土佐守もよほど困惑しているらしい。先ほどから言うことがあちらこちらに散っていって、最後にはさっきもした挨拶までしてきた。
正直、未だにぼやけている頭では指摘する気力もない。驚かせるつもりは多少あったが、ここまでとは思わなかった。
一刀斎がここにいる理由の大部分は、「小田原にいても暇だから」である。
勘解由左衛門も忙しくなり、槍の鍛練の時間も取れなくなってきた。そこに転がり込んできた土佐守の話を聞いて、文を書くなら届けるついでに顔を見せてやろうと思い立った次第である。あちらもこちらに興味を持っているのだからちょうどいいと。
しかし行く道が問題だった。勘解由左衛門は一刀斎の船嫌いを知っていながら船など用意した。しかも二つも。更には海路で。
ああ連続して船に乗ることは一度か二度あったがそれは川。道行きも短く我慢できたが今回ばかりは刻単位の移動である。心も身体も安まらない。
「この屋敷の主人に挨拶をしなかった非礼は詫びるが、すまん、慣れない船旅で心身が疲労していてな……」
「あっ、これは気も回せず……長い旅でさぞお疲れでしょう。と、にかくいまはお休みください。……話はまた、改めて」
「ああ」
詫びれば土佐守は、一度深く礼をして部屋から出て行った。
客人でありながら
「……ふぅ」
少し気がかりではあるが、こんな調子ではろくな話など出来ないだろう。取り敢えず今は、揺れる頭を落ち着かせねばなるまい。
一刀斎は改めて柱にもたれかかって頭を預ける。そしてそのまま目を瞑り、深呼吸を数度する。
積もる話は、改めて――――。
「……む」
ふと客間に近付く気配に気付いて一刀斎は目を開ける。あれからまだ四半刻と経ってないだろうか。気が逸ったままの土佐守が改めて来たのかも知れないが、人に仕える身でもあるからか、一刀斎と違ってその辺りを弁える礼節はあるように思えたからしばらくは来ないだろう。眠りこけたかといえば、障子紙が透かした光を見るにそうではないはずだ。
ならば、他の誰か来たのだろう。
「誰だ」
襖の前で気配が止まったのに合わせて声を掛ければ、半歩だけ退いた。
そのまま屋敷は静寂に包まれるが、しばらくして襖が開かれた。
「申し訳ございません。落ち着くかと思いまして、お飲み物をと」
現われたのは、思ったよりも若い男だった。年の頃は十半ば、元服を過ぎたぐらいの青年である。
「ああ、感謝する。お前は?」
「名も名乗らず、失礼しました。私は」
青年は座り
「
――――これが一刀斎と、神子上典膳の最初の出会いであった。
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