第二十三話 朋友の便り

「お早うございます主様、文が届いていましたよ」

「また主馬之助しゅめのすけか。奴も懲りんな……」

 起きてそうそう、近次が濡れた手拭いと文を持って部屋にやってきた。

 夜も続く暑さで寝汗も相当かいているが、濡れた手拭いを持った後の手で紙に触れるのは気が引ける。いくら字が下手で誇張を重ね、主語も立ち消え話も変わり、読み解くのに三度は読み返さねばならない伝鬼房でんきぼうの文であろうと、書かれたものに違いはない。

 この不快感の中あれを読むのかと思うと憂鬱になるが、それはさておき文の方を先に受け取ろうとする。――が。

「いえ、こちらは井手いで伝鬼房でんきぼう様からのものではなくて……」

「なに?」

 受け取った文を開き、内容も読まず先に書き手の名を見やる。すると、そこには意外な名前が記されていた。

神土重みとしげ…………。……よもやまたこの名を聞くことがあるとは」

 それは、神子上みこがみ土佐守とさのかみしげからの文。

 勘解由左衛門かげゆざえもんがまだ、里見の家臣かしんとして安房あわにいたころ、肩を並べた同僚どうりょうである。


「みこがみ……?」

 まだ熱くなりきらず、さわやぐ風が心地良いこく

 太陽が本気を出す前にとおこなった鍛練に一区切りつき、冷えた茶を飲み始めたころ、勘解由左衛門が口を開いた。

「ええ、かつて私が里見に身を寄せていたときの友人でした。安房を離れてからの六年間、一度も文のやり取りはなかったのですが……」

 曰く、その神子上土佐守という男は勘解由左衛門よりも半回り以上年が上であったが、しかし土佐守は武人気質の男であり、勘解由左衛門と同じ新当流を嗜んでいたという。

 そのため年が離れていてもなにかと馬が合い、面倒なども見てくれ、暇を見付けては鍛練を行っていたという。

「里見を離れる前、土佐守殿に共に来ないかとも誘いましたが、彼は父の代から里見に仕える恩義があると残ったのです。特に別れに問題があったというわけではありませんが、文のやり取りは行いませんでした。彼は文が、どうも苦手なようで」

「ふむ……」

 ならば気になる。文が苦手な男が、文を書いてまで働こうとする悪事は、いったいなんであろうというのか。

 気になって、つい訊ねてしまった。

「その文には、いったいなにが記されていたんだ?」

「それが……」

 何を言い淀んでいるのか、勘解由左衛門は二拍ほどを置いた。そのとき勘解由左衛門の目は困惑の色が浮かんでいる。

 このままもったいぶられるかと思ったが、本人の口から答えはすぐに帰ってきた。

「それが、本当に他愛の無い話でして」

「………………ほう」

 ………………余計に、「はてさていったい」と言いたくなる答えだった。

 普通に近況報告の文が送られてきたのならば、それはそれでいいのではないかと思う。だが勘解由左衛門の様子を見るに、やりなにかが気がかりなのだろうが、それがなんなのか、一刀斎は見当も付かない。

「ただ、その文の最後には、あなたのことについてのいがありました」

「おれについて?」

「ええ」

 どうやら勘解由左衛門の懸念はそこにあったらしい。一刀斎の名は相模以東にも届いているということだろう。

 一刀斎が小田原に逗留してはや二ヶ月、人の行き来も多いこの小田原に来た行商人かが東にも赴いて噂が広がったと見える。

「おれが勘解由左衛門の世話になっていると知っていたのか?」

「いえ、「剣名高い剣客がいま小田原にいるらしいが、交流はあるか」という訊いです。彼も武門に名を連ねる身ですから、気になったのでしょう」

「おれの名は出てないではないか」

「小田原にいる剣名高い剣客といえば今はあなたしかいません」

 見事に言い切られた。確かに小田原には人は多いが武芸者は少ない。を掛けても町人は寄り付くが武芸者はまるで来なかった。

 今の時勢、やはり武芸者というのは道楽らしい。

「続きにはこう、「己も剣腕を高めているものの、流れ伝わるその剣客は古今無双、天下一の看板を挙げているという。その剣客と相見えてみたいものだ」……とのことです」

「…………ああ、なるほど」

 聞けば確かに、他愛も無い話だった。

 同じ武芸者である勘解由左衛門ならば一刀斎のことを知っているかもしれない。そんな希望を込めつつも、「ならば良いな」というもしの話で書いているらしかった。

「そして最後に、「我が息子も、日に日に強くなっている。天下一のその目で、資質を見て貰いたい」と」

「息子?」

「ええ、土佐守には子息がいまして。たしか六年前で、九つか十つだったので……もう元服を迎えたでしょうか。父に似て剣に興味を示し、幼いながらも筋がよく思えました」

「ほう……」

 親子揃って剣術の家系とは、子は親に似るとはこのことか。一刀斎が京で世話になった大野家も剣術一家であったし、大和国で出会った今世無双も確か、子が剣客だと言っていた。

 ――――そもそも一刀斎自身も、親代わりによって剣術の道に導かれたのだった。織部がいたからこそ、天下一を誇るに至る剣士となれたのだから。

「やはり、一刀斎殿は見事ですな。遠くまでその名を轟かせているとは」

「相模よりも東に行ったのは、夏に常陸国に行ったのみなのだがな」

 人と人とのかたぐさとなっているのか、いつしか見知らぬ土地にも自分の名は届くようになったらしい。安房という国の影は港から見遣ったことがあるが、ほぼ隣国といえども遠くに見えた。

「その神子上土佐守とやらの剣腕はどれほどのものなのだ?」

「そうですね……腕は確かなのですが、彼は戦にも出ますので多くの傷を受けました。お陰か身体が軋むようで、その実力を存分に発揮することがなかなか出来なかったかと」

 裏を返せばそれは、戦に出て、傷を負ってなお生き延びていると言うことだ。よほど受けが巧みなのだろう。

「返事は書くのか?」

「もちろん。久しい友人からの便りですから。返さぬ道理がありません」

 その割には伝鬼房に返事は送らないのだが。

 それはそれとして、だ。

「ふむ……」

 度重なる怪我で達人とはなれずとも、剣士としての質は悪くなさそうだ。そうなると、一刀斎としても興味がある。

「勘解由左衛門、これからも多忙は続くか?」

「はい? ええ、そうですね……兵が引き上げたこともありこの先ひと月はこの調子が続くかと思います。修練の時間が取れず、申し訳ない」

「いや、構わん。それで、一つ相談なのだが」

 はてさてなと、勘解由左衛門は小首を傾げる。一刀斎にものを頼まれることは多々あれど、武を尊び最優先にする一刀斎が、修練や鍛練をさておいての相談をするなどこれまでなかったことだ。

 一刀斎の表情は、普段からあまり変わらない。常に仏頂面で半眼の目は常に何かを睨んでいるようだが、目の輝きが澄んでいる。

 その輝きは時として―多分にして武に関することにおいて―、燃え立つ火や照る白刃のように鋭くなることがあるが、今正に目の輝きが、火や刃のようにぎらついている。

 要するに修練や鍛練をさておいたとしても一刀斎は、武のことについて考えているのだ。

 そう得心した勘解由左衛門はうんと頷き。

「相談とは、如何なることなのでしょうか?」

「いやなに、お前がしばらく暇になるというのならば――――」

 一刀斎が語ったその相談の内容に、勘解由左衛門は思わず目を丸くする。

 だがしかし、先ほど首を傾げてから納得するに至ったように、勘解由左衛門は一刀斎の思惑を聡く理解する。

 かれこれ二ヶ月は共に過ごし、顔を合わせれば剣や槍を合わせているのだ。ナラバ当然、相手のことはそれ相応に理解出来る。

「と、言うことなんだが、構わないか」

「――――――なるほど」

 勘解由左衛門は目を伏せて考え込むような素振りを見せるが、しかしそれは、残暑を乗せたぬるくて短い南風が、止むより早く答えが出る。

「承知しました。では一筆書かせて戴きましょう。ですがそれは後にして」

「ああ、まだ少し、鍛練を続けよう」

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