第四話 燃える誓願

 動くばかりは、二人が流す汗である。

 伊東いとう一刀斎いっとうさい古藤田ことうだ勘解由左衛門かげゆざえもんは、先ほど数合い結んで以来、向かい合ったまま微動もしない。

 お互い、相手の呼吸をはかっている。

 一刀斎の刃圏はけんに対して、勘解由左衛門の木槍は長い。普通に考えれば、勘解由左衛門の方が有利である。

 しかしながら、勘解由左衛門の方が攻めあぐねていた。

 得物の差に頼り気を緩め、下手な拍子で打とうものならば一刀斎はそれを隙として、容易たやすくかいくぐられて一撃もらうだろう。

 得物の差がありながら、精神的に余裕があったのはむしろ一刀斎の方である。

 槍をかいくぐり、叩き打つ。やるべきことは明確めいかく明解めいかいだ。を成すと定めれば、まどいや躊躇ちゅうちょは不要。

 が容易く出来ると思ってはいない。古藤田勘解由左衛門という武人を、あなどっているわけではない。

 相手にどれほど実力があったとしても、それでも、勝利のためにやるべきことは変わらない。

 間合いの違いは、一歩二歩で覆せる差だ。

ィッ……!」

 勘解由左衛門が鋭く息を吐きつけると、木槍が手の内から伸びてきた。

 本命ではない牽制のそれを、機として扱うことは不可能。

 臍の下目掛けて放たれた槍を、一刀斎は最小限の動きだけで回避する。

 だが。

ッッ!」

「っ」

 穂先が、折れた。木槍の先はかわした一刀斎目掛けて、折れ曲がるように追い掛けてくる。

 実際折れたわけではない。勘解由左衛門が、そのように槍を操っただけである。

 次に太ももを狙ってきたその穂先を、飛び退くことでやりすごすも、今度は肩口へと穂先が伸びてきた。

 しなりを利用した緩やかな円弧えんこ軌道きどうではない。その一撃一撃、手からしごきたれる直線的な、穂先の一点に力を集めた突き技である。

 勘解由左衛門が狙ってくる場所は、総じて血の大道である。

 伊東一刀斎がかつて一度だけ見た鹿島香取の槍も、肩や太ももへと強烈無比な突きを放つものだった。

 一つ一つが致命ちめい必死ひっし刺撃しげき。これが、新当流の槍なのだろう。

(油断が出来んな)

 しようとも思わないが、するとしても出来る間がどこにもない。

 少しでも隙を見せれば、電光石火の刺突に髄まで穿たれる。

 いくら仕合だろうが、一手をくれてやるつもりはない。それも最初の仕合ならば尚のこと。

「……フンッ!」

「ッ!」

 先に渡した先手を、今度はこちらに譲って貰う。あちらが僅かに零した呼気に合わせ、一刀斎は大きく踏み込み打撃を放つ。

 機を合わせ、手足の拍子を一体化させた打ちは、勘解由左衛門の目を惑わせた。

 気付いた瞬間には、一刀斎とその木太刀は眼前に迫っている。

 勘解由左衛門はすかさず木槍を振るって木太刀を払いに掛かるがしかし。

「ぐ、んぬ……!」

 重い。鋭い。止まらない。

 傍目には軽やかな打撃であったが、その木太刀に宿る力は尋常で無い。まるで石でも殴ったかのように、びくともしない。

 この一撃、そのまま食らえば間違いなく。

ェエ!」

 勘解由左衛門はすかさず槍を引き、柄を地面に突いて抑えとする。布が巻かれた穂先は、勘解由左衛門に向かう一刀斎の喉元に付いている。

 このまま進めば、突き刺さる――――!

「ぬぐッ……!」

 一刀斎はすんでの所で転じると同時に飛び退いた。もし得物が先のまま、直鑓すやりのままであったならば、そのまま終わっていただろう。

 それでもあれをそのまま食らっていれば、危うく、喉が潰れ呼吸いきが乱れたところである。

 呼吸、拍子、気組み、術理、どれか一つでも崩れれば負けるこの仕合で、その内一つでも潰されるわけはいかない。


 さてこれで、お互い一手ずつ先手と後手を見せ付けた。

(あの体格から振るわれる太刀、一撃一撃がまるで掛矢のような頑強さ……それでいて鋭さも申し分なく、無駄な力がない。なんと澄んだ剣か)

(喉に肩に腿……それと目か。一つでも食らえば動きが鈍くなる箇所ばかり狙ってくる。かわそうとしてもはしるように追い掛けてくる)

 結んだ数合を頭の中で繰り返し、相手が持ち得る理合りあいを探る。

 どのような手と技を尽くせば、相手を打ち倒せるかを考える。

 脳が弾き出した思考を心が呑んで、思うがまま最適解を弾き出させる。

 相手の理合を己の術理で崩し、己の理合で相手の術理を凌ぐ。それが立ち合いというものである。

 そして立ち合いとは、己の術理理合を、相手の術理理合でより高め、深め、研ぎ、窮めるためのものである。

 少なくとも、一刀斎はそう解釈している。

 だというならば、今まであの立て看板を見て挑んできた武芸者達としたものは、仕合立ち合いではなくなるがそれはさておき。

 ――――この古藤田勘解由左衛門俊直との戦いとくらべれば、それも当然のことであった。

「…………一つ、うても?」

「なんだ」

 日に照らされて焼けた砂を、草鞋越しにジリと踏む。

「あなたは、かつて北条ここからに仕官の誘いを断ったと聞きますが、あなたはなんのために武を修めているのです? これほどの腕、一つの誓願せいがんを抱いていなければ、手に入れられないものでしょう。あなたが剣に託す誓願は、いったいなんです」

「天下一だ」

 なんだと聞かれ、一刀斎は即座に返す。答えの速さに、勘解由左衛門は目を丸くしている。

 だが、一刀斎にとってその答えは、勘解由左衛門が言うとおり常に胸に抱いているものなのだ。

 なぜ剣を振るうのか、なにを目指して剣を振るのか。それを問われて窮することなどない。

 初めから答えなど持ち得ている。それだけを見据え、今の今まで技を鍛えてきたのだから。

「おれは、天下一の剣豪となるために武を窮めてきた」

 天下一の剣豪となる。

 その想いに、じるところなど一つも無い。

 羞じることがないからこそ、あの立て看板を軒に掲げるのだ。

 羞じることがないからこそ、不断ふだんの努力を不乱ふらんに続けてきた。

「ならば、あの噂の掛け札は……」

「無論、伊達だて酔狂すいきょうではない」

 あれを与えた師には、どこか酔狂のつもりもあっただろうが。それでも一刀斎は、他ならぬその師が語った「天下一の剣豪」の言葉に、強烈に焦がれていた。

 他ならぬその師に、「天下一」と認められ、そうして託されたあの看板を、文字通り、一刀斎は背負っている。

 その胸裡に燃えるこころほのおの中で、一刀斎の誓願は燃え上がっている。

「師の印牧かねまき自斎じさいは、おれの腕を天下一の剣術遣いと称した。ならばおれは、天下一をより高みに押し上げるだけ。――――未だおれは、斬るべきものを斬っておらず、見付けてもいないからな」

「斬るべきもの?」

「もう言葉は良いだろう」

 これは真剣を用いた勝負ではない。―よほど打ち所が悪くない限りは―いのちが潰えることなどない。

 言葉を交すのは、この仕合が終わった後にいくらでも出来る。

 だが仕合はこの瞬間しか出来ず、いつかは終わるものである。

 だからこそ、今は語るよりもまず。

「…………ええ、そうでした。言葉は始まる前に、疾うに尽きていましたね」

 古藤田勘解由左衛門が、木槍を構えた。

 半身に成り、肩の高さに槍を寝かせた上段の構え。鋭い眼光から火花が散り、構えた槍も熱を発しているかのよう。

 一刀斎もまた、改めて木太刀を構える。

 構えは下段、下げた鋒が、地面にこすれる間際まぎわの低さ。腰を大きく落とし、こころほのおが両目に浮かび、懸かり征こうという強烈な意志が発されている。

 両者は今一度、いや、真の意味で相対する。

 これより先は探りもなく、正真正銘武と武を競い、互いの得物を撃ち重ね合う仕合。いや、立ち合いという言葉でさえその烈しさを形容するには足りないだろう。

 これより行われるのは間違いなく、両者の全てを賭けて繰り広げられる、に他ならないのだから。

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