第三話 陽射し

 稽古より戻った古藤田ことうだ勘解由左衛門かげゆざえもんがまず目にしたのは、門の前にいる小姓こしょうである。

 小姓と言っても、城で技を教えている弟子の一人から「鍛えて欲しい」と託されたその者の従弟いとこである。

 子がいればあれほどの年であろうし、鍛えれば鍛えるほど身体が出来上がる体質だった。それ故、よく目を掛けている。

「主様! お待ちしておりました!!」

 おいどうしたと声を掛ける前に、小姓は勘解由左衛門の元に駆け寄ってきた。

 なにやら烈しく興奮しているようで、顔が熱い。

 この熱射ねっしゃにやられたかと思ったが、それならここまで元気が有り余ってはいないだろう。 

 改めてなにがあったかと、聞こうとしたが。

「お客様です! 主様にお客様がいらっしゃいました!!」

 またもや先んじられた。なにがあればここまで火が付くものなのか。武を知り始め落ち着きを得てきたと思ったが、またはしゃぎ足りない小僧の姿へと戻っている。

 お陰で一度も声を発せていない。

 いったいどうしたのかと再三聞こうとしたが――――聞くまでも、なかった。

 塀の向こうにある自らの屋敷、今朝も鑓を振るった荒れた庭。そこからはしる、強烈な音。

 夏の湿る空気を消し飛ばす、凄烈とした気配。

 尋常ならざる武人が、この塀の向こうにいる。

「お客様は、伊東いとう一刀斎いっとうさい様です!!」


「お待たせして申し訳ない!!」

 不乱に素振りをしていたら、大きな音を立てて門が開いた。

 手で押したにしては大きな音、掛矢でも使ったかとそちらを見れば、地べたを転がる男が一人。

 どうやら、体当たりで開けたらしい。文字通り打ち開いたわけである。

 そそくさと立ち上がった男がこちらに向き直る。

わたしがこの相模は北条の武術指南役を仰せつかっております、古藤田ことうだ勘解由左衛門かげゆざえもん俊直としなおであります!!」

 溌剌とした鋭い声。

 服に付いた土埃を払い、居住まいを正して名乗る古藤田勘解由左衛門。

 年の頃は、一刀斎と対して変わらないだろう。東国とうごく覇者はしゃたる北条の武術指南役と聞いて、勝手に屈強な男を想定していた。

 しかし目の前にいるのは、やたら丁寧な男である。肌は小麦色をしているが、やや赤みを含んだそれは、日焼けではなく一刀斎と同じく潮焼けしたものだろう。

 ふと思えば、武術が嫌いなとじでもこの男について語る時、特別厭味を発露させていなかった。

 この物腰の柔らかさが、いい印象を与えたのかもしれない。

 顔付きもこざっぱりしていて、纏う気風はいかにも好漢こうかんといった風だが顔にクセや特徴が無い。

 ざっくり言うと、どこにでもある普通の顔だ。彼を知る者百人に「普通の顔をした小麦色の肌をした男」と言えば、百人が彼と答えるだろう。

「そうか、御身がか」

 ――だがしかし、あなどる気は全く起きなかった。

(出来るな……)

 放たれる闘志が肌を走る。敵意も害意も悪意も、そして殺意もない、純粋な戦意。

 夏の湿った空気と異なる、乾いた意志。久々に感じた心地良い、「武を試そう」という気魄のみを宿している。

 一刀斎もあの看板を掲げている身である。いどまれればおうじ、相手の選り好みをすることはない。

 相手からどのような思いを向けられようと唯一つ、「剣を振るいたい」という己の思いだけに従ってきた。

 そしてあの、古藤田勘解由左衛門が抱いているものもまた、己の武に対する誇りであり、それを発揮する機会への歓喜である。

 ただ、古藤田勘解由左衛門は身震いこそすれど。

伊豆いずの地からご足労いただき、なんと光栄でしょうか。お噂は、かねがね。天下一の剣術遣いを名乗り、その通り、無類の剣腕を見せるその腕前。……そう、かつて三浦の港で手練の武芸者相手に扇一本で立ち向かった話を聞いたときはまさかと思いまして……しかし流れ来る噂を聞く度に、ならばその話に間違いはないと確信し……」

 性根が真面目なんだろう。挨拶を、しっかりこなそうとしている。

 それでもこころが滾り訴えるのか、舌が放つ言葉は、段々と詰まり始めている。

 左手が、鑓を握る形をしている。右手が、使うべき鑓を探している。

「そろそろ言葉も尽きるだろう」

 言い淀む回数が増えた頃、一刀斎は腰の愛刀に手を伸ばした。

 瞬間、勘解由左衛門の目の色が変わった。一刀斎が発した火花が、勘解由左衛門を塞き止めていた理性に火を付ける。

「――――礼を尽くそうとしましたが、それが最も礼を失する行いでした。謝罪いたします。近次きんじ

「は、はい、こちらに」

 近次と呼ばれたのは先ほどの小姓。その手には、屋敷の中から持ってきたであろう直鑓すやりが握られている。寸法は八尺五寸から九尺ほどか。

 近次から直鑓を受け取った勘解由左衛門は、左半身になり腰を落とした。

 両手で握られた鑓は、地面と垂直。穂先は一刀斎に、真っ直ぐ向かっている。

 その構えで、確信する。この男は、達人だ。

 応じるように一刀斎は、甕割を引き抜いた。すると勘解由左衛門は、感嘆の代わりに唾を呑んだ。一目見て、その剛刀振りを察したらしい。

 互いに武芸者。いくら言葉を積み重ねて向け合っても、それで武を競えるはずもなく。ならば互いに、得物を手に刃を交え、鉄火てっかの花を散らす他ない。

 両者ともに、臨戦態勢。熾烈な陽射しをも受け流し、二人の間に満ちる空気は、鉄の冷たさを纏い、乾いている。

「あ、あの……」

 なにかのきっかけ一つで動く。そんな気配があったのだが。

 張り詰めた空気に物申す声。二人同時に、声の主を見る。そこにいたのは申し訳なさそうに、絵を上げた近次である。

「なんだ、近次、水を差してはいかん」

「それは、承知なんですが…………ええ、ハッキリ言わせてもらいます」

 主の圧にたじろいだ近次だが、それでも意を決して大きく頷く。まだ若いながらいい心持ちをしている。とはいえ、の勝負を止められいい気分では――――。

「達人である二人が白刃しらはで仕合などしたら、死体が一つ出来上がるのは避けられない気が……」

 ――――――――――――――。


 改めて。

「よろしく頼みます」

「こちらこそ」

 一刀斎が握るのは木太刀きだち、勘解由左衛門が持つのは木槍もくやりである。

 近次の諫言かんげんがなければ危ういことになっていた。

 小僧の言葉を聞き入れて勝負を中断してでも武器を持ち替えたのは、一刀斎たちもになりかねないと察したから。

 殺さぬような手加減も余裕も、不可能であるとこころが告げている。

 なにより一度止まって、無駄な粗熱あらねつが取れた。

 古藤田勘解由左衛門俊直という武芸者が強者ならば、ただ競うだけでは勿体ない。

 その武の技倆ぎりょう、技の真髄しんずいこころで見て、こころべねばならない。

 くらべるだけでは飽き足らない。天下一と誇る剣を、より高みへと押し上げてゆかねばならない。

 一度中断しながらも、今一度相対すれば二人の集中は途切れていない。

 得物が変わっていなければ、先ほど向かい合っていた姿と連続しているように見えた。夏場で動かぬ太陽が影を全く動かさない故、余計にそう思ってしまう。

「合図は」

不要いらん

「では――――!」

「では」の「は」を言い切る前に、左目の前にが迫る。脳が認識した瞬間には既に魂が身体を動かしていた。

 たれた木槍を弾き、そのまま大きく踏み出し首筋目掛け木太刀を振るう。

 しかし勘解由左衛門の対応も早い。木槍の柄で木刀を受け抑え込む。

 いは続くことなく、一刀斎は木太刀を寝かして抑えから抜け出すと左へ転じ死角である背中に回った。

 全ての動きが淀みなく繋がり、当人からして見れば視界から唐突に消えたようにさえ見えるだろうその動きに、勘解由左衛門は対応する。

 脳天目掛け振り下ろされた左袈裟は、勘解由左衛門がいたはずの場所をするりと抜ける。やにわに起きた土煙つちけぶりが、きっさきを包み込んでいる。

 瞬足の足捌きを以て、勘解由左衛門は即座に脱していた。

 木太刀相手だろうと変わらぬ危機感。一手たりとも食らわぬという意志が宿る眼差し。

 木槍の穂先は、今度は一刀斎の臍へと付いている。

(やはり、出来る)

 数合すうあいのやり取りの中、瞬時に選択した一つ一つの解に対して、あちらも誇る解を打つ。

 やはり、加減は不要である。

 久方振りの強者相手に、一刀斎の血が、夏の陽射しより苛烈に燃える。

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