第二十話 ろくでなし

「……久方振りだな、この手のやからは」

 京の東限とうげん、八条の河原。

 月白に「今日は仕事がない」とほうられて、散歩にでもと出たのだが。

「見つけたぞ、外他とだ一刀斎いっとうさい!」

「かつての恨み、ここで晴らさせてもらう!」

「覚悟しろ!」

 武芸者が三人、各々おのおの武器を構えて仁王立ちしている。

 自分を狙って武芸者が出てくるのは久しぶりであるが、ここで遭遇した理由はなんとなく察しが付く。

 この京は、かつて武芸者達が好き放題に跋扈ばっこしていた時代とは変わった。

 街中まちなか騒動そうどうなど起こせば、所司代しょじだいの市中取締が飛んで来るだろう。

 だから前の者たちも、洛外らくがい家屋かおくの中と言った場所を選んでおそいかかってきた。

 ここは下京も下京、加えて東のきわということもあって一目にも付かない。

「……すまんが、俺はお前等が誰か覚えていない」

「ぐっ……!」

 新しくなった京の街に、再び血を流すのは忍びない。

 拳骨げんこつ一本いっぽんで済むなら良いが、武芸者相手にそれは無理だろう。

 一刀斎は仕方なく、川上から流れてきただろう太めの棒きれ一本と、大きめの石ころをいくつか拾う。

「貴様、我らにあれほどの蛮行を働きながら……!!」

「お前等のおれに対する因縁いんねんについては、さっぱり分からん。だが、晴らしたい思いがあるならば付き合おう。こっちも久しく、人相手に技を試していなくてな」

 一尺ばかりの木の棒の先を、武芸者達の方に向ける。

 武芸者達は、まなじりを決して忿怒ふんぬの相をその顔に浮かべた。

「貴様、ふざけているのか!」

「おれは木の棒で鍛練し続けてきたんでな。ただ振るのなら、なたかこちらの方が得意だ」

「……ふざけているな!」

 別に、そういうつもりはないのだが。得物えもので真剣かどうかが決まると言うわけでもあるまいに。

 一時期は、木刀でをしていたこともあるし、達人たつじん相手あいて鉄扇てっせん一本いっぽんでやり過ごしたこともある。

 武器がなんであるかなど、戦いの場には関係ないだろう。

「このっ……、うぶっ!」

 前のめりに駆けてくる武芸者の顔面に、拾った小石を投げつける。

 出鼻をくじかれた武芸者は、石河原でたたらを踏み、顔を大きく揺らしたことで上体じょうたいれた。

ッッッ!」

 短く鋭く吐き出した呼気こきを、追い抜き置き去りにするように地面を蹴出す。

 驚き顔の喉元目掛けて横一文字。細かく分かれたせぼねを一つ、弾き出すような勢いで振るう。

「こぉっ……!」

 しぼられた喉から空気が漏れ出て、情けない声が上がる。

 その眼が白黒している間に、一刀斎はその股ぐらに腕を突き込み持ち上げて、川の中へと放り投げた。

「エェエエイア!」

「ハァアアアイ!」

 残る二人が、縦に並んで迫り来る。

 一刀斎は再び石を投げつけるが、二番目の男は二の舞を演じてたまるものかとでも言いたげに、片手で小石を打ち払った。

 その振り抜かれた手首目掛け、一刀斎は棒を叩き付ける。

「ぐっ……!」

フンッ!」

 顰めっ面に石を握ったままの拳を叩き付け、男の手から刀を分捕り、先に川へと放った男に向かって投げつけた。

 そして。

ェェイ!」

 振り下ろされる剣に合わせて、奪い取った刀を振り落とす。しのぎを持って相手の撃剣を反らし、額へと突き付けた。

「っ……!」

 声にならない悲鳴が出た頃には、既に刀は寸止めされていた。

 眼前の刀に釘付けになり、達磨のように寄った目は一刀斎を映していない。

ッ!」

 手に柄を打ち付け刀を落とさせ、うわついた足を蹴り払い、襟首えりくびを掴んで三度みたび川へと放り込む。

 その時勢い余って、着流しが破けた。半裸はんらで冬の川にぶち込まれた男には気の毒だが、元はと言えばそっちが喧嘩を売ったのだ。

 因果いんが応報おうほう、と言う奴である。

「貴様……一刀斎……!!」

「許さんぞ!」

 川を見れば、男達が起き上がっている

 一刀斎はそれを流し目に見て、男が離した刀を拾った。

「許さないのは構わんが、お前等は武器にこだわるんだろう。そいつを除いて全員無手だが、どうするつもりだ?」

 刀の切っ先を、唯一刀を持ったまま放られた男に向ける。

「おれはこの通り、武器を持っているが」

 すると、他の二人は、互いに顔を見合わせて。切っ先を突き付けられた男は、そんな二人の顔を見比べた。

 そして。

「その刀、こっちに寄越せ!」

「いや、こっちだ!」

「ふざけるな! これは俺のものだぞ!」

 一本の刀を賭けて、みっともない奪い合いが始まった。一刀斎がそんな連中を白眼視はくがんししていると、川縁かわべりにいた僅かな人々が騒ぎ始めた。

 この具合なら、そう間もない内に警邏けいらの者が来るだろう。

 ならば。

「さて、と」

 あんな連中に刀を持たせておくのも具合が悪い。

 破けた着流しをまた二枚に裂いて、男から奪った刀に巻き付ける。これを売り払えば、多少の金になるだろう。

 騒ぎが大きくなる前に、刀を抱えて足早に立ち去る。

「待て、一刀斎!」

「お前が待て! 俺の刀を持っていくな!」

「元はこっちの刀だろう!!」

 騒がしい男達をさておいて、一刀斎はさっさと街に戻る。

 平穏において武芸者とは、とかく難儀なんぎなものである。


「それはまた、災難だったなあ一刀斎」

 日も暮れてきて、一刀斎は散歩から帰っていた。

 二人で縁側に座りながら一刀斎の愚痴を聞き、月白はくすりと頬笑む。

 いつもの打掛うちかけもどきを首元までしっかり覆って、とろみのある葛湯くずゆを飲んでいる。

「とはいえ、人様のものを奪うのは感心しないな」

「近江にいた頃はぞくの武器を奪って金にしていたからな。そのせいでモノを奪って咎める良心はどこかに消えた」

 特に、武芸者と賊にその手の容赦ようしゃ呵責かしゃくはない。

 武器を奪われる方が悪いのだ。

「それに、出したのは質屋しちやだ。金さえあれば取り戻せるだろう」

「それが良心とは、武芸者はつくづくろくでなしだな」

「日がな一日棒を振るうだけの人間が、健全なわけがないからな」

 ごろんと、縁側に寝転ねころがる。

 秋の空は、とにかく暮れるのが早い。空に、赤と青が混ざり始めていた。

 ――――パンッ。

「どうした?」

「どうやらハエがいたらしい」

 縁側を叩いた手を退ければ、掌のくぼみにハエがしがみついていた。

 ヒラヒラ手を振ると、ハエは弱々しくどこかへ飛んでいく。

「ふむ……虫も冬ごもりする場所を探しているんだろう。今年の寒さは特に厳しい」

「ああ、そうだな。……そういえば」

「うん? どうかしたのか?」

「いやな……近江にいたときも似たことがあってな」

 虫の一匹が、腕に止まったから剣の妙技を悟れたのだ。

 心に応じて体は動く。自然のままで良い。考えてから動かなくても良いのだと、一刀斎は一匹の虫でそれに気付けた。

「ふむ……虫一匹で技の妙を悟れるとは、本当に、一刀斎は常に剣のことばかり考えていたんだな」

「考えすぎて駄目になりかけたこともあったが、それ以外特に考えることもなかったからな」

「なるほど、ろくでなしだな」

「ああ、ろくでなしだよ」

 はたけたがやすこともせず、いくさで手柄を立てることもせず。

 その壮健な肉体を人のために使わずに、ただ人を斬る技ばかりを研鑽けんさんする。そんな人間を、ろくでなしと言わず何というのか。

「ただ、武芸者として普通なのは、新左衛門しんざえもん松軒しょうけんのような存在だろう」

柳生やぎゅう殿に雲林院うじい殿か。懐かしい名前を聞いたな……今頃、なにをしているかな」

「さてな……立場上、面倒事に立ち合わなければならないからな。苦労してるだろう」

 柳生新左衛門は、大和で柳生のさとを預かる身、雲林院松軒は北伊勢の城持ち一族だ。

 織田おだ尾張守おわりのかみの将軍追放から続いた畿内きない動乱どうらんで、相当な苦労をしたのは想像にかたくない。

 二人とも、ままならない立場を惜しんでいた覚えがある。二人は一様に、一刀斎の自由な身の上に羨望せんぼうさえ抱いていた。

「さて、私はそろそろ蓮芽のことを迎えにいってやらないと」

雅囀堂がてんどうか?」

「いや、今日は藤花ふじばなさんのところに行っているよ。お互いが休みの日は、蓮芽を呼んで三味線を弾かせているようでね」

 思い返せば、蓮芽と藤花に初めて会った夜、藤花からは蓮芽に対する強い思い入れを感じた。

 後日ごじつ相対あいたいしたときも、蓮芽への強い想いを抱いていた様子だった。

「よほど、お気に入りのようだな」

「ああ、だいぶ長い付き合いだと言っていたよ。それじゃあ、留守を頼んだ。来客が来たら近所だからすぐに帰ると伝えておいてくれ」

「分かった。頼んだぞ」

 葛湯を飲み干した月白は、通り庭を介して玄関の方へ向かっていった。

 一刀斎はしばらく縁側えんがわにいたが、空があかねに染まり始めた頃に屋内に戻る。

「……そういえば」

 色々と使いを頼まれたが、留守番るすばんを任されたことは一度もなかった。

 常に人影があった部屋の中に誰かがいないことに、妙な違和感がある。

 この瑠璃光るりこうで過ごしてはや数日。すっかり慣れきっていた。

 思えば、一刀斎はだいたい誰かの家に厄介やっかいになっている。やはりろくでなしだと、自分を鼻で笑った。

 せめて湯呑みだけでも冷やしておくかと、甕から桶に水を移して軽くゆすぐ。

 と、ちょうどその時。

「すみません、誰か、おりませんか」

「む……? 少し待て」

 戸の外から、声が掛けられる。まさか本当に来客があるとは。急患でなければいいのだが。

 そう思いつつ、一刀斎はたもとで手を拭いて玄関の戸を開けた。

「すまんが、医者はいま出払っている。近所だからすぐに帰ると言っていたが、急用でないならば中でしばし待てば……」

「え、あ、手前は病人ではなく」

 戸の前に立っていたのは、一刀斎と同じ年頃の男だった。

 よほど健康なのだろう。血色はよく生気に満ちている。袈裟は来ていないが、剃髪ていはつしているところを見ると仏門にいる者のようだ。

 目は小刀のように細いが、鋭さは感じられない。まるで半眼の仏像にも見えるほど、柔和な雰囲気をしていた。

「……なら、薬がいるのか? すまんが、薬売りも出来ない。おれはただの留守番でな」

「いえ、薬が要るわけでもなく」

「……では、何用で?」

「申し遅れました。手前、曲直瀬まなせ玄朔げんさくと申しまして」

曲直瀬まなせ……?」

 その名前には、一刀斎にも覚えがある。

 それは柳生の郷で出会った、柳生新左衛門と友好ゆうこうを結んでいた僧侶で、医聖いせいと勝されるほどの医者の達者である曲直瀬まなせ道三どうさんと同じ姓だ。

 そして、曲直瀬道三と言えば。

「よもや御身は」

「はい。手前は曲直瀬道三のおい……養子ようしで、この瑠璃光るりこうの主、月白の兄です」

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