第十八話 熱き旋律
「
身体を起こすことすら辛いのだろう。土気色の顔には艶はなく、頬骨も浮いている。細い
だがしかし、その眼にだけは
「すみません。吟先生、今日は、お身体の具合がいつもより悪いらしくて……」
「そうだったのか……そんな時に
「いや、こんな時だからこそ。箱をこちらに。心配は不要、
促され、抱えた箱を側まで持っていく一刀斎。
吟は歯を食いしばりながら起き上がったが、床に付く腕に肉はほぼなく、肘も骨の形がハッキリとしている。
「失礼する」
吟は大小二つの内、上の小さい箱を開ける。
そこには、親指の先程もある大きな
匂いが強く、相当な
「これは、私の生命線でね。月白先生には、感謝しなければならないよ。十年前に彼女と縁を結んでいなければ、今頃私は土の下さ」
丸薬を一つ拾い取って咬み潰し、
「月白とは、こちらに来たときから?」
「ええ、私がまだこうなる前、ここに通う芸妓が馬鹿な男に傷付けられてね。下京に下りてきたばかりの月白先生が、その治療をしてくれてね」
「いつもは、薬は先生本人が届けてくれるんですよ」
「ならば、なぜ?」
「貴方を、一目見ておきたく」
病のせいで血色が悪く、肌も渇いている。
それでも消えてない目の光が、命の炎を灯している。これに風と火種を与えているのが、月白の薬なのだろう。
いや、活力は恐らくそれだけではない。
「吟先生、あまり、無理をなさらないでくださいね? 今日のお稽古も、まだ終わっていないんですから」
「……もちろん。蓮芽には、まだまだ教えたいことがたくさんあるからね」
一刀斎越しに、愛弟子の方を見やる吟。声音こそ優しいが、目はギラギラと燃えている。
蓮芽という存在が、吟に生きる力を与えているのだろう。
「蓮芽は耳が良い。どんな曲もすぐに覚えて形にする。本当に教え甲斐があるよ。師として、これほど触発される弟子はいない」
「ありがとうございます。……では、続きを。すみません、一刀斎さん、おもてなし出来なくて」
「いや、鍛練はなにより大事だ。ますます音色が良くなることを、期待している」
「せっかくご足労いただいたんだ。なんなら、聴いていくといい。あの子の奏でる音を聴いたのは、一度きりだろう」
確かに、蓮芽は家では楽器を鳴らさない。その音を聞いたのは、前に遊女屋に連れられたときの一回きりである。
今でも、ふと気付けば脳裡であの曲が流れていることがある。
その小さな身体から奏でられるとは思えない、耳と心に焼き付いて離れぬ情熱的な演奏だった。
「……聴けるのなら、ぜひ聴きたいのだが」
「とのことだ。蓮芽、聴かせてあげなさい」
「お二人がそう仰るのなら。分かりました。しっかりと、弾かせていただきます」
コクリと、小さな頭を縦に振った蓮芽は抱えていた三味線を構える。
身に余る弦楽器を、しかとその手中に収める。
その姿に一刀斎は、かつて
兄弟子と言っても年下で、背も小さかった。だが自斎は自身の対大太刀の技術を深める為に
結果、自分の身の丈に迫る長大な木刀を、まるで
その小次郎が長木刀をしかと構えて見せた姿と、蓮芽の姿が重なった。
蓮芽は三味線を、我が物としているのだ。
「では――」
奏でられる音は
波打つ音が身体に染み入り、
心地よい
こちらに来て、自斎や月白といった見知った顔と出会っても落ち着く間もなく、己を狙う
今まで張り詰めていた緊張が、柔らかく解けていく。
奏でられる音が、
三つの弦の上で指が踊り、より複雑に絡まった音が太くなっていく。
蓮芽の
それは正しく
寒さ厳しい
思わず、全身が総毛立った。
一刀斎は、音楽について学も知識も持ち合わせていない。
だがしかし、違う分野とはいえ、一つの「技術」を求め続けてきた一刀斎は感じることが出来た。
蓮芽という女は、間違いなく。
「――あの子の持つ
「……やはりか」
各楽器を指導している、この
蓮芽の奏でる音は聞く者の心に添ってくる。聞く者の心を励まし、慰め、活を与えてくる。
それは蓮芽が持つ、献身の心によるものだろう。彼女の抱く心根の柔らかさが、深く伝わってくる。
目が見えず、鋭い耳を持ち、人の感情を感じ取ることが出来る蓮芽だからこそ、その者の心に添う音を奏でることが出来るのだろう。
生まれついての体質に、生きる過程で手に入れた技、そして、
それらに「音」という
全てが噛み合って、今の
……かつて自身が「赤」と名付けた
金で売ったとは言え、
このままならぬ事も多い世の中で赤が蓮芽となれたのは、その想いが、彼女を護ってくれたからか。
「……本当に、良い
「ああ、だがまだまだだよ。あの子はもっと伸びる。……伸ばしてみせるとも」
心なしか、吟の
医者の
さっきまで
次第に、曲が
「……終わりました」
「まだまだだね」
いったいどうしたとその顔を見やるが、まだまだと言う割には、充実したような頬笑みを湛えている。
「優れた演奏だった。でも、君はまだ腕を磨くことが出来る。達成感を覚えるのは良いが、決して満足してはいけないよ。精進するように」
「はい、お師匠様」
師匠の下した評価を受けて、蓮芽は深く頭を下げる。
吟の言葉を聞いて思い出したのは、自斎が己に語った言葉。
『天下一たるその
なんの分野であろうとも、極みなど、通過点に過ぎないのだ。
あらゆる
その
……師匠というのは、みんな、似たようなことを言うものだ。
「それで、一刀斎さん、あなたは、どうだった?」
「おれは、音楽についてなにも知らんが……体の芯に響く良い演奏だったと感じた」
「ありがとう、ございます。これからも、
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