第十八話 熱き旋律

貴方あなたが、一刀斎いっとうさいさんか。お話は蓮芽はすめからかねがね。このような姿で、申し訳ない」

 ぎんと名乗った女は、布団ふとんに横たわったまま、頭だけをこちらに向け、目を伏せることで挨拶とした。

 身体を起こすことすら辛いのだろう。土気色の顔には艶はなく、頬骨も浮いている。細い咽喉のどから出る声も、渇いていた。

 だがしかし、その眼にだけは活力かつりょく宿やどっている。肉体と精神が、まるで一致いっちしていない。

「すみません。吟先生、今日は、お身体の具合がいつもより悪いらしくて……」

「そうだったのか……そんな時におとずれて悪かった」

「いや、こんな時だからこそ。箱をこちらに。心配は不要、感染うつる病ではないので」

 促され、抱えた箱を側まで持っていく一刀斎。

 吟は歯を食いしばりながら起き上がったが、床に付く腕に肉はほぼなく、肘も骨の形がハッキリとしている。

「失礼する」

 吟は大小二つの内、上の小さい箱を開ける。

 そこには、親指の先程もある大きな丸薬がんやくが幾つも入っていた。

 匂いが強く、相当な滋養じよう効能こうのうがあると察せられる。

「これは、私の生命線でね。月白先生には、感謝しなければならないよ。十年前に彼女と縁を結んでいなければ、今頃私は土の下さ」

 丸薬を一つ拾い取って咬み潰し、枕元まくらもとに置いた白湯さゆで飲みくだす。

「月白とは、こちらに来たときから?」

「ええ、私がまだこうなる前、ここに通う芸妓が馬鹿な男に傷付けられてね。下京に下りてきたばかりの月白先生が、その治療をしてくれてね」

「いつもは、薬は先生本人が届けてくれるんですよ」

「ならば、なぜ?」

「貴方を、一目見ておきたく」

 一際ひときわ調子が悪いというのに、吟は寝直すこともせず真っ直ぐと一刀斎の顔を見やる。

 病のせいで血色が悪く、肌も渇いている。

 それでも消えてない目の光が、命の炎を灯している。これに風と火種を与えているのが、月白の薬なのだろう。

 いや、活力は恐らくそれだけではない。

「吟先生、あまり、無理をなさらないでくださいね? 今日のお稽古も、まだ終わっていないんですから」

「……もちろん。蓮芽には、まだまだ教えたいことがたくさんあるからね」

 一刀斎越しに、愛弟子の方を見やる吟。声音こそ優しいが、目はギラギラと燃えている。

 蓮芽という存在が、吟に生きる力を与えているのだろう。

「蓮芽は耳が良い。どんな曲もすぐに覚えて形にする。本当に教え甲斐があるよ。師として、これほど触発される弟子はいない」

「ありがとうございます。……では、続きを。すみません、一刀斎さん、おもてなし出来なくて」

「いや、鍛練はなにより大事だ。ますます音色が良くなることを、期待している」

「せっかくご足労いただいたんだ。なんなら、聴いていくといい。あの子の奏でる音を聴いたのは、一度きりだろう」

 確かに、蓮芽は家では楽器を鳴らさない。その音を聞いたのは、前に遊女屋に連れられたときの一回きりである。

 今でも、ふと気付けば脳裡であの曲が流れていることがある。

 その小さな身体から奏でられるとは思えない、耳と心に焼き付いて離れぬ情熱的な演奏だった。

「……聴けるのなら、ぜひ聴きたいのだが」

「とのことだ。蓮芽、聴かせてあげなさい」

「お二人がそう仰るのなら。分かりました。しっかりと、弾かせていただきます」

 コクリと、小さな頭を縦に振った蓮芽は抱えていた三味線を

 身に余る弦楽器を、しかとその手中に収める。

 その姿に一刀斎は、かつて近江おうみ堅田かたたの地で互いに研鑽し合った兄弟子、小次郎の姿が重なった。

 兄弟子と言っても年下で、背も小さかった。だが自斎は自身の対大太刀の技術を深める為に長木刀ながぼくとうばかりを使わせていた。

 結果、自分の身の丈に迫る長大な木刀を、まるでわらべが木の枝でも振るうかのように自由自在じゆうじざいに操る技倆ぎりょうを手に入れていた。

 その小次郎が長木刀をしかと構えて見せた姿と、蓮芽の姿が重なった。

 蓮芽は三味線を、我が物としているのだ。

「では――」

 ばちが、げんはじく。

 奏でられる音は緩徐かんじょとしていて、一つ一つ丁寧に音が響いている。

 波打つ音が身体に染み入り、心髄しんずいにまで達し、深く緩やかな拍子に耳をかたむけてしまう。

 心地よい音調おんちょうは強ばる心を解きほぐし、久方振りに気が安らいだ。

 織田尾張守おだおわりのかみ横死おうしの知らせを聞きつけ一夏を越し、その間、ずっと気を逸らせてきた。

 こちらに来て、自斎や月白といった見知った顔と出会っても落ち着く間もなく、己を狙う刺客しかくが現われた。

 今まで張り詰めていた緊張が、柔らかく解けていく。

 奏でられる音が、徐々じょじょに激しくなる。大きく、熱が乗る。

 三つの弦の上で指が踊り、より複雑に絡まった音が太くなっていく。

 蓮芽のつまく三味線はたった一つだというのに、文字通り音が重なっている。

 それは正しく巧緻こうちきわみ。

 盛夏せいか彷彿ほうりつとさせる情熱的な旋律せんりつの中に、暑気しょきを吹き飛ばすかぜが如き音が鳴る。

 寒さ厳しい晩秋ばんしゅうながら、爽快そうかいさがほとばしる。

 思わず、全身が総毛立った。

 一刀斎は、音楽について学も知識も持ち合わせていない。

 だがしかし、違う分野とはいえ、一つの「技術」を求め続けてきた一刀斎は感じることが出来た。

 蓮芽という女は、間違いなく。

「――あの子の持つ天稟てんぴんは間違いなく、音の極北きょくほくに至れるものだよ。あの子は、天才だ」

「……やはりか」

 各楽器を指導している、この雅囀堂がてんどうの主が言うのなら相当なものなのだろう。

 はず調子ちょうしは、普段は物静かな蓮芽が出しているとは思えないほど力強い。

 術理わざとは、積み重ねてきた理念りねんが浮かび上がるものである。捧げてきた情熱じょうねつあらわれるものである。

 蓮芽の奏でる音は聞く者の心に添ってくる。聞く者の心を励まし、慰め、活を与えてくる。

 それは蓮芽が持つ、献身の心によるものだろう。彼女の抱く心根の柔らかさが、深く伝わってくる。

 目が見えず、鋭い耳を持ち、人の感情を感じ取ることが出来る蓮芽だからこそ、その者の心に添う音を奏でることが出来るのだろう。

 生まれついての体質に、生きる過程で手に入れた技、そして、生来せいらい備えた温良おんりょう気質きしつ

 それらに「音」という技法ひょうげんを与えた吟との出逢い。

 全てが噛み合って、今の蓮芽はすめと言う芸妓げいぎが生まれた。

 ……かつて自身が「赤」と名付けた童女どうじょが、巡り巡って大成たいせいしている。

 金で売ったとは言え、いやしくもたくましかった母親が、愛でもって手放した。

 このままならぬ事も多い世の中で赤が蓮芽となれたのは、その想いが、彼女を護ってくれたからか。

「……本当に、良い音色おとだ」

「ああ、だがまだまだだよ。あの子はもっと伸びる。……伸ばしてみせるとも」

 心なしか、吟の血色けっしょくも良くなっているようにも見える。

医者の月白つきしろから何を言われるかは分からないが、病は気からと言うのは本当だろうと思い知らされる。

 さっきまで衰弱すいじゃくしていた吟の顔には、生気せいき宿やどっていた。

 次第に、曲がしまいに向かう。生じた熱を途切らせないように、余韻よいんを残らしながら、蓮芽はげんを指で止めた。

「……終わりました」

「まだまだだね」

 先程さきほどまでその才と技を称賛しょうさんしていたはずの吟が、かなで終えた蓮芽に向けて、真逆のことを言う。

 いったいどうしたとその顔を見やるが、まだまだと言う割には、充実したような頬笑みを湛えている。

「優れた演奏だった。でも、君はまだ腕を磨くことが出来る。達成感を覚えるのは良いが、決して満足してはいけないよ。精進するように」

「はい、お師匠様」

 師匠の下した評価を受けて、蓮芽は深く頭を下げる。

 吟の言葉を聞いて思い出したのは、自斎が己に語った言葉。

『天下一たるその剣術わざを、天上てんじょうたかみに押し上げるだけ』

 なんの分野であろうとも、極みなど、通過点に過ぎないのだ。

 あらゆる技倆ぎりょう際限さいげんはなく、技を深め、その先を希求ききゅうする。

 その熱心ねっしんを、絶やしてはいけない。

 ……師匠というのは、みんな、似たようなことを言うものだ。

「それで、一刀斎さん、あなたは、どうだった?」

「おれは、音楽についてなにも知らんが……体の芯に響く良い演奏だったと感じた」

「ありがとう、ございます。これからも、はげんでいきますね」

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