第十七話 雅囀堂
「…………要するに、乱暴しようとしたら逆に
「その通り! 月白先生ほど清らかで慈しみ深い方はいない。まさにあの方は
「俺達はあの方の影で、あの方に近付く悪い虫をはね除けるのが仕事なのだ」
それはなんとも見上げた根性である。……大元の行いを無視すればだが。
話を聞くに三人ばかりだったはずだが、今はだいぶ
一刀斎は、はあと軽く溜め息を吐く。
この男達は月白をまるで完璧な女のように
酒に弱い癖に大量に飲むし、意識して
……ただ、しかし。
「……確かに、優れた医者ではあるな」
さすが医者の
医術の知識と腕は間違いなく優れている。十数年前の別れの際にもらった
そしてなにより、あらゆる
「そうでしょう、そうでしょう! いや、あの方と馴染みがあるというあなたなら分かっていると思っていた!」
「さっきまで叩きのめそうとして、叩きのめ返された相手に対して調子が良いな」
「あれほどの腕前で先生の
「良き用心棒になるな!」
まるで聞いていない。
もう魚も野菜も少ないだろうなあと上京の方を見ながら、一刀斎は
ともかく今は、使いの
もうこの男達に構っている暇はないのだ。
「話が終わったなら、おれは行くぞ。魚と野菜を買わねばならん」
「おや、魚と野菜をお求めだったか」
「魚だったら、俺の家の側に川があって、そこで新鮮なのが釣れるぞ」
「ウチも、爺様の代からある畑で野菜作ってる」
前言撤回。構う暇が今出来た。
「おお、なんだ一刀斎、あればかりの
「お前の名前を出したら、人の良い町人達がくれたぞ」
「むう、名前でモノを手に入れるのはあまり好きじゃないんだが……」
「人の厚意だ、好きに受け取れ」
正しくは、一刀斎に対する詫びの品も兼ねているのだが。
「さて、それじゃあ次の仕事だが」
「…………まあ、
それでもなかなか人使いが荒い。これは疾く住まいを探さねばなるまい。宿を見つけても何かにつけて使いを頼まれそうではあるが。
月白は居間から大小二つの
「これは?」
「見ての通り
重さから察するに、それなりの
大きい方は、香りはさほど強くないが、米の柔らかい甘みが鼻をくすぐる。思うに
小さい方は、少し匂った。ここの
紙には京の
「
「では頼んだよ」と、月白は入り口側の診療部屋に上がって
とかく
覚え書きに
そこに入って
「……ここか」
他と比べて、それなりに大きい
耳を澄ませば
そして、その前には。
「ああ、今日もいい
「漏れる
「はいな」
見覚えのある
なるほど確かに、立ち聞きしたくなる気持ちも分かる。壁で音がこもってはいるが、漏れ出てくる旋律から奏でる者達の腕が優れていることは明らかだ。
……だがその中に、
「失礼、そこを通して貰えるか」
「うん? なんだ、あんたは?」
「おや剣士様。魚と野菜は手に入りましたかい?」
「ああ、それで次の使いで参った
老人に大小の箱を掲げて見せれば、「そうでしたか」とうんと
「では、ワシはこの辺で失礼しますよ」
「え、もうかい
「もうちょっと、もう一杯くれ!」
「残念ながら、茶はあんた達がもう全部飲んでしまったわい。それと、ワシは
男達が、目を丸くする。……一刀斎も、
「……では、おれはこれで」
「ち、ちょっと待った兄さん、あんたこの
雅囀堂。それがこの稽古場の名前なのだろう。「
「ああ、そうだが」
「なら、その荷物俺が代わりに」
「結構だ」
さっさと入り、ぴしゃりと戸を閉める。どちらも師匠に直接手渡せと言われている。誰かに頼むわけにはいかない。
中に入れば、さっきまでこもっていた音がよりハッキリと聞こえる。中は、以前好色爺……もとい、師匠の自斎に連れられて入った
部屋ごとに、違う楽器の音がする。それぞれに異なる楽器の師匠とそれを習う弟子がいるのだろう。
「頼もう、誰かいるか!」
「はいなー!」
声を張れば即座に返事が飛んできて、一人の若い女がやってくる。年の頃は、蓮芽と同じ頃だろう。どこかそそっかしそうにも見える、
「……あれ! 剣士様やない。また会えるなんて
「……む?」
女は目を見開いたかと思うと、ニッコリ柔らかく頬笑んだ。一刀斎に、その顔に見覚えはない。だがしかし、その笑い方にはどこか覚えがあり……。
「ああ、今は化粧してへんから、分からへんの。
「……ああ、あのときの」
桐乃とは、自斎に連れられて入った遊女屋で、一刀斎の相手をしてくれた遊女だった。あまり印象深くはないが、手厚く持てなしてくれた女である。
「この前は席の途中で帰ってしもて、私、寂しかったわぁ。聞きましたえ。今は、蓮芽んとこに
「それはすまなかったな。しかし、御身はなぜここに?」
「私はここで、尺八を
「ああ、ここの主はいるか? おれの
世間話もそこそこに、一刀斎は抱えた箱を軽く持ち上げて見せる。
「ああ、いつもの」と頷いた桐乃の様子を見るに、どうやら月白はここにたびたび物を送ってるらしい。
にんまりとした表情を見るに、どうやら彼女もおこぼれを貰っている様子だ。
「ここの主……私らは
桐乃に促され、履き物を脱いで屋内に入る。
耳を澄ませば、本当に多くの音に彩られた
どれもこれも聞き心地がよく、まるで
階段を上がる桐乃の後を着いていきどんどん進んでいく。奥に行けば行くほどに、聞き覚えのある音色が聞こえてきた。
間違いない。これは、蓮芽の三味線だ。
そして一番奥の部屋に辿り着き、桐乃が襖の前に座って中に声を掛ける。
「
『……ありがとう。ご苦労様。お通し下さい』
「はぁい。それでは剣士様、中へどうぞ」
「感謝する」
一拍おいて返ってきた言葉を受けて、桐乃はそっと襖を開けて一刀斎を促した。
桐乃と部屋の中、それぞれに一礼して、一歩足を踏み入れる。
「一刀斎さん、お使い、お疲れ様です」
入ってすぐ側にいたのは、目に白い布を当てて三味線を抱える蓮芽の姿。
そして部屋の奥、上座の方に座していたのは。
「初めまして、手前はここ雅囀堂の主で、蓮芽の師をしている
「……っ」
蓮芽の師という相手を見て、初手の言葉を躓かせた。
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