第十七話 雅囀堂

「…………要するに、乱暴しようとしたら逆にさとされたと」

「その通り! 月白先生ほど清らかで慈しみ深い方はいない。まさにあの方は現世げんせい大医王だいいおうに違いなく!」

「俺達はあの方の影で、あの方に近付く悪い虫をはね除けるのが仕事なのだ」

 それはなんとも見上げた根性である。……大元の行いを無視すればだが。

 話を聞くに三人ばかりだったはずだが、今はだいぶ人数きぼが膨らんでいるらしい。

 一刀斎は、はあと軽く溜め息を吐く。

 この男達は月白をまるで完璧な女のように信奉しんぽうしているが、月白という女には、正直言ってだらしないところがある。

 酒に弱い癖に大量に飲むし、意識して恰好かっこうつけることもままある。

 天衣無縫てんいむほうと言えば聞こえは良いが、悪く言えば子どもっぽい。三十路みそじを越えてもそれに変わった様子はなく、逆に安心感すらあった。

 ……ただ、しかし。

「……確かに、優れた医者ではあるな」

 さすが医者のひじりわざを盗み取り続けてきただけはある。

 医術の知識と腕は間違いなく優れている。十数年前の別れの際にもらった丸薬がんやくには、何度なんどすくわれた。

 そしてなにより、あらゆる病毒びょうどくから患者かんじゃを救いたいと思う情念じょうねんは、天下一の医者になろうと願う信念しんねんは、一辺の曇りもない本物である。

「そうでしょう、そうでしょう! いや、あの方と馴染みがあるというあなたなら分かっていると思っていた!」

「さっきまで叩きのめそうとして、叩きのめ返された相手に対して調子が良いな」

「あれほどの腕前で先生のふるい友人だというなら、私らも安心だ!」

「良き用心棒になるな!」

 まるで聞いていない。

 もう魚も野菜も少ないだろうなあと上京の方を見ながら、一刀斎は今一度いまいちど溜め息を吐く。

 ともかく今は、使いの最中さいちゅうだ。用心棒だけが仕事ではない。

 もうこの男達に構っている暇はないのだ。

「話が終わったなら、おれは行くぞ。魚と野菜を買わねばならん」

「おや、魚と野菜をお求めだったか」

「魚だったら、俺の家の側に川があって、そこで新鮮なのが釣れるぞ」

「ウチも、爺様の代からある畑で野菜作ってる」

 前言撤回。構う暇が今出来た。


「おお、なんだ一刀斎、あればかりの小銭こぜにでこんなに買えたのか?」

「お前の名前を出したら、人の良い町人達がくれたぞ」

「むう、名前でモノを手に入れるのはあまり好きじゃないんだが……」

「人の厚意だ、好きに受け取れ」

 正しくは、一刀斎に対する詫びの品も兼ねているのだが。

 自称じしょう現世げんせい大医王だいいおう眷属けんぞくたちからの献上品は、旬の野菜に大振りの川魚。この先三日みっかは食事に困ることはないだろう。

「さて、それじゃあ次の仕事だが」

「…………まあ、寝食しんしょくを恵んでもらっている手前てまえ文句もんくはないが」

 それでもなかなか人使いが荒い。これは疾く住まいを探さねばなるまい。宿を見つけても何かにつけて使いを頼まれそうではあるが。

 月白は居間から大小二つの折箱おりばこと、なにかが書かれた小さい紙を持って来て、一刀斎へと手渡した。

「これは?」

「見ての通り菓子折かしおりだ。それを届けてきて欲しい」

 重さから察するに、それなりの所帯しょたいであるのははかれる。

 大きい方は、香りはさほど強くないが、米の柔らかい甘みが鼻をくすぐる。思うにもちかなにかだ。

 小さい方は、少し匂った。ここの箱階段はこかいだんを踏む度に香るのと似ているから、恐らくなにかの薬だろう。

 紙には京のとお筋道すじみちと、家屋かおくの特徴が書かれている。

蓮芽はすめのところだ。蓮芽の師匠と、姉妹しまい弟子でしに差し入れだよ。場所はそのおぼきに書いてある。どちらとも、師匠に直接お渡しするように」

「では頼んだよ」と、月白は入り口側の診療部屋に上がって薬研やげんを取りだした。これから薬を作るのだろう。

 とかく月白やぬしが働いているのに自分が怠けるわけにはいかないと、預かった箱を持って診療所を出る。秋の空は、まだ青い。


 覚え書きにされていた場所は、中央大通りを挟んだ向かい側、三条と四条の間にある小さなすじ

 そこに入って十六件目じゅうろっけんめ

「……ここか」

 他と比べて、それなりに大きいつくりの家だ。はば瑠璃光るりこうの倍はある。

 耳を澄ませばげんはじき、ふえき、奏でられる音が聞こえる。

 そして、その前には。

「ああ、今日もいいだなあ……」

「漏れるおとだけでも、気分が休まる。あ、もう一杯くれ」

「はいな」

 見覚えのある一服一銭いっぷくいっせんの足を止めて、何人かの男達が何銭も渡して茶を飲んでいる。

 なるほど確かに、立ち聞きしたくなる気持ちも分かる。壁で音がこもってはいるが、漏れ出てくる旋律から奏でる者達の腕が優れていることは明らかだ。

 ……だがその中に、三味線しゃみせんの音は聞こえない。蓮芽は来ているはずなのだが。

「失礼、そこを通して貰えるか」

「うん? なんだ、あんたは?」

「おや剣士様。魚と野菜は手に入りましたかい?」

「ああ、それで次の使いで参った次第しだいだ」

 いぶかしむ町人達に反して気安く対応した一服一銭は、やはりつい先程茶と情報を買った老人だった。

 老人に大小の箱を掲げて見せれば、「そうでしたか」とうんとうなずく。

「では、ワシはこの辺で失礼しますよ」

「え、もうかいじいさん!?」

「もうちょっと、もう一杯くれ!」

「残念ながら、茶はあんた達がもう全部飲んでしまったわい。それと、ワシはばあさんだ」

 男達が、目を丸くする。……一刀斎も、爺さんおとこだと思っていた。

「……では、おれはこれで」

「ち、ちょっと待った兄さん、あんたこのてんどうに入るのか!?」

 雅囀堂。それがこの稽古場の名前なのだろう。「みやびさえずる堂」とは、直裁ちょくさいてきだが良い名前だ。

「ああ、そうだが」

「なら、その荷物俺が代わりに」

「結構だ」

 さっさと入り、ぴしゃりと戸を閉める。どちらも師匠に直接手渡せと言われている。誰かに頼むわけにはいかない。

 中に入れば、さっきまでこもっていた音がよりハッキリと聞こえる。中は、以前好色爺……もとい、師匠の自斎に連れられて入った遊女屋ゆうじょやにも似て、部屋数が多く二階もあるようだ。

 部屋ごとに、違う楽器の音がする。それぞれに異なる楽器の師匠とそれを習う弟子がいるのだろう。

「頼もう、誰かいるか!」

「はいなー!」

 声を張れば即座に返事が飛んできて、一人の若い女がやってくる。年の頃は、蓮芽と同じ頃だろう。どこかそそっかしそうにも見える、闊達かったつさが見て取れた。

「……あれ! 剣士様やない。また会えるなんておもぉてなかったわあ」

「……む?」

 女は目を見開いたかと思うと、ニッコリ柔らかく頬笑んだ。一刀斎に、その顔に見覚えはない。だがしかし、その笑い方にはどこか覚えがあり……。

「ああ、今は化粧してへんから、分からへんの。ウチです、桐乃きりのどす」

「……ああ、あのときの」

 桐乃とは、自斎に連れられて入った遊女屋で、一刀斎の相手をしてくれた遊女だった。あまり印象深くはないが、手厚く持てなしてくれた女である。

「この前は席の途中で帰ってしもて、私、寂しかったわぁ。聞きましたえ。今は、蓮芽んとこに間借まがりしとるって」

「それはすまなかったな。しかし、御身はなぜここに?」

「私はここで、尺八をなろおとるんどす。芸事の一つ二つ、出来でけへんと。……あ、それで剣士様はどうしてここへ?」

「ああ、ここの主はいるか? おれの家主やぬしから、差し入れの品を預かっている」

 世間話もそこそこに、一刀斎は抱えた箱を軽く持ち上げて見せる。

「ああ、いつもの」と頷いた桐乃の様子を見るに、どうやら月白はここにたびたび物を送ってるらしい。

 にんまりとした表情を見るに、どうやら彼女もおこぼれを貰っている様子だ。

「ここの主……私らは大先生だいせんせいと呼んだはるんですけど、大先生なら、二階に上がって一番奥の部屋にいてはります。今ちょうど、蓮芽に三味線を教えてる頃やと……案内します。どうぞお上がりください」

 桐乃に促され、履き物を脱いで屋内に入る。

 耳を澄ませば、本当に多くの音に彩られた建物たてものである。

 どれもこれも聞き心地がよく、まるで多種多様たしゅたようの鳥を集めたかごの中にいるようだ。

 階段を上がる桐乃の後を着いていきどんどん進んでいく。奥に行けば行くほどに、聞き覚えのある音色が聞こえてきた。

 間違いない。これは、蓮芽の三味線だ。

 そして一番奥の部屋に辿り着き、桐乃が襖の前に座って中に声を掛ける。

大先生だいせんせぇ、月白つきしろ先生せんせの使いの人が来はりました」

『……ありがとう。ご苦労様。お通し下さい』

「はぁい。それでは剣士様、中へどうぞ」

「感謝する」

 一拍おいて返ってきた言葉を受けて、桐乃はそっと襖を開けて一刀斎を促した。

 桐乃と部屋の中、それぞれに一礼して、一歩足を踏み入れる。

「一刀斎さん、お使い、お疲れ様です」

 入ってすぐ側にいたのは、目に白い布を当てて三味線を抱える蓮芽の姿。

 そして部屋の奥、上座の方に座していたのは。

「初めまして、手前はここ雅囀堂の主で、蓮芽の師をしているぎんと申します。このような姿で、失礼」

「……っ」

 蓮芽の師という相手を見て、初手の言葉を躓かせた。

 ぎんと名乗ったその女は、土気色の顔をして、布団に横になっていた。

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