第十五話 眷属

「毎度ありぃ」

 道行きの老いた煎茶せんちゃりに、一銭いっせん渡して一服いっぷく貰う。

 ぬくかった茶は、この季候きこうでもう人肌ほどに冷めている。

 一刀斎いっとうさいは、たもとから一片ひとひらの紙を取りだした。

 こうじに、野菜と川魚。

 紙片しへんに書かれた文字は達筆たっぴつながら読みやすい。月白の奔放な性格から、この字が生まれるとは正直意外だった。

 しかし。

「……なんの野菜となんの魚だ」

 麹以外の内容は適当である。その辺り、月白は期待を裏切らない。

 麹は甘酒こさけに使うらしい。冷え込む冬に温めたものを町人に向けて売るそうだ。

 それ以外は特別指定これと書かれていないし、なにも言われていなかったからなんでもいいのだろうか、あるいは好きなものを買えと言うことだろうか。

「それなら鳥が食いたいんだが……」

 なにぶん月白は料理に明るく、滋養じよう栄養えいようを考えているらしい。魚の代わりに鳥を買っていけば、予定が崩れたと叱られかねない。

 ……指示通りの買い物をするのが吉だろう。

「すまんが、魚と野菜を売ってる者を見ていないか」

 からになった湯呑みを返し、ついでに茶売りに聞いてみる。

 京は今も整備が進んでいるし、たなもぽつりぽつりと増えている。

 それでもやはり、美味いものを持っているのは天秤棒てんびんぼうを担いだ行商人ぎょうしょうにんだ。

「それなら……もう少し上ったところにいると思いますなぁ。背中を見送ったので」

「む、そうか、礼を言う」

 もう一銭、加えて渡す。さっきと全く同じ、間延びした「毎度ありぃ」を口から出して、一服一銭はその場を去った。

 上がった、というなら出来の良いものでも出たのだろう。

 先に買われてしまう前に、一刀斎は大股になって広い道のはしく。

 正面しょうめん、大通りに出る少し前。一刀斎は足を止めてふと横を見る。

 そこにあるのは、家屋かおく家屋かおくの間の狭い路地ろじ。冬も近いから日は低く光は入らず、うっすら暗い。

 袂に入れた手でかいなを掻きながら、「ふむ」と一刀斎はその中へ入り込む。路地は一刀斎が二人並べば肩が着くほどの狭さで、窮屈きゅうくつだ。

「……で、お前達はなんだ?」

 意識を感じ取るのをやめた一刀斎でも感付くほどの、分厚い敵意てきい

 振り向かずとも、尋常ならざる圧が押し付けられている。

 先を急ぎたいというのに、厄介な連中がついてきたものだ。

「…………」

 なんだ、と聞いても返事はなかった。

 ただ、大きな鼻が漏らす荒い息だけが返ってくる。

 とはいえ、見当が付かないわけではない。めっきり来ないと思っていたが、こうして徒党を組んでいたのだろう。

 かつてちまたと化していた京の街で、一刀斎に完膚無きまでに叩きのめされたことで怨みを持っている、武芸者達。

 しかし、ここまで乱れた気配を放つとは、兵法家ひょうほうかとしては下の下ではないだろうか。

 取るに足らない、と吐き捨てるのは簡単である。

 だが逆に気になった。いったいどんな連中ぶげいしゃが、この気配をはなっているのか。

 そして小道を振り向けば――――、

 「――――――――は?」

 とうてい武芸者に見えない男達が、みっちり詰まっていた。

 思わず、すっとぼけた声を上げてしまった。恐らくこの先、こんな間の抜けた声が出ることはないだろう。

 刀こそ携えているが、その見てくれは、間違いなく町人そのものである。どう見積もっても鍛えた人間のそれではない。

 この雑な気配も、納得である。

「……お前等、おれに何か用でもあるのか?」

「お前の胸に……聞けっ……!!」

 苛烈に燃える気を吐きながら、先頭にいた男が斬りかかってくる。しかしその動きは素人しろうとそのもの。そもそも、だ。

 ゴシィ!

「ぐぬぅ!?」

 男の刀は、そのまま軒先にぶつかり引っかかる。

 このように狭い場所で、派手に刀を振り回すものではない。掲げればこの通り軒にぶつかる。もし薙げば壁を斬り付ける。強いて効果的なものを挙げるなら、突きである。

フンッ!」

「げぶっ」

 だが一刀斎は甕割も抜かぬまま、その大きい手で作った拳を繰り出した。

 男はそのまま吹っ飛んで、男垣おとこがきに突っ込んだ。

 軒にぶら下がったままの刀を軒から引き抜いて、一刀斎は後ろに放り捨てる。

 一人殴り飛ばしたぐらいでは、男達の気はくじかれないらしい。冬も近く凍える晩秋ばんしゅう、なぜそこまで熱くなっているか分からないが、ここは頭を冷やしてもらおう。


「で、どうしておれをおそった?」

 狭い路地の中、男達は地べたに座っている。

 一刀斎もそんな彼らを見下ろすことなく、膝を曲げて屈み込む。

 ついさっきまで、この路地で一刀斎は目の前の男達を相手していた。自分も甕割もだいぶ大きかったから、刀は抜かず素手で相手せざるを得なかったが、この男達には武術の心得はなかったらしい。

 囲まれれば分からなかったが、大人三人が並んでやっとの道である。正面に相手が集まっているならばどうということはない。

 しばらく、沈黙が続く。

 痺れを切らした一刀斎が再び口を開きかけた時、冷たい風が通り抜けた。

「…………なあ、あんた」

 それに合わせて。

 ようやく一人の男が口を開いた。

「月白先生と、どういう仲なんだ!?」

「……………………は?」

 ……ついさっきまで、この先出ることがないだろうと思った間抜けな声が、またも出た。

「……どういう、とは?」

「あんた、ここしばらく瑠璃光るりこうで暮らしているだろう!?」

 瑠璃光、とは月白のいとな診療所しんりょうじょの名前である。

 確かに男の言うとおり、一刀斎はあそこに間借りしている。

 他に逗留とうりゅうする宿を探してはいるが、飯も上手いし過ごしやすいところである。迷惑を掛けないうちに出て行きたくはあるのだが……。

「まさか、あんた……月白さんの旦那」

「違うが」

 食い気味に否定してしまったが、実際月白とはそういう関係にはない。

 一夜を共にしたことこそあるものの、より深い関係になったかと言えば考えどころである。

 ……どう、と訊かれれば確かに分からない。よく考えたこともあまりない。

 己と月白は、いったいどういう……。

「じゃあどういう関係なんだ!?」

 今一度考え直そうと思ったとき、他の男たちも前のめりになって聞いてきた。

 これでは考える間もないと、一刀斎は嘆息たんそくする。

「……で、そういうお前たちはなにものなんだ?」

「俺たちは、薬師如来の生まれ変わりである月白先生を陰に日向に応援する者……」

「言うなれば、現世げんせい大医王だいいおう眷属けんぞくだな!」

「現世大医王の眷属」

 思わず、そっくりそのまま返してしまった。

 今まで長く旅して色んな人々と交流をしてきたが、今まで出会ったことのない毛色の手合いである。

 女に入れ込む連中はそこそこ見てきたが、こういう風に信仰心にまで昇華しょうかしているのはそういない。というか、知らない。

「……その、現世大医王というのはもしや」

「当然、月白先生に決まっているだろう!?」

「あの美しさ、あの医術の腕、あの慈悲深さとあの美しさ、正しく薬師やくし如来にょらいさまのよう!」

「今美しさって二度言わなかったか」

「あの犯しがたい高潔こうけつさには、あの日意地いじきたな下心したごころを抱いたことに後悔せざるを」

堂々どうどう無視むししたな……」

 あるいは聴いていないのか。

 いったい月白は、この男共になにをしたのだろうか。

 ここまで盲信もうしんされるのだから、なにか大きな事件があったんだろうが……。

「で、結局あんたは月白先生のなんなんだ?」

 散々さんざん反れに反れた話が戻って来た。

 反れに反れた話しで分かったが、彼らにとって、月白という存在はよほど大きなものらしい。

 下手を打てば、面倒な事になりかねないだろう。

 ついさっきものの、なにしろあの熱狂ねっきょうぶりである。刺し違えるつもりで来られてはかなわない。

 その気になれば全員斬ることなど分けないが、しかし、今この京を荒らすつもりにはなれない。

 なにせ一刀斎が京に来た目的は、第一に織田おだ尾張守おわりのかみいたむためである。

 それ故に、天下の往来を赤く濡らすのは気が引ける。そもそも所司代しょじだいに目を付けられれば月白達にも迷惑が掛かる。

「……もう二十年近くまえのことだが、月白と、その伯父上おじうえである曲直瀬まなせ道三どうざん殿と同じ宿で数日共に過ごしたえんがあってな。偶然ぐうぜんここで出会って居候いそうろうしている次第だ」

「ふむぅ……」

 男達はいぶかしむように目を細め、じっとりと一刀斎を見つめている。

 あまり居心地はよくないが、彼らを納得させねばならない。

 正直言えば面倒めんどうである。だが、男のしつこさは酷く鬱陶うっとうしい。解決するならば、早々そうそうに終わらせたい。

 ……もう、いい野菜と魚はなくなってしまっただろう。

「なんなら、今から月白に聞きに行くか?」

 諦念交じりに、聞いたのだが。

「…………」

「うん?」

 男達は、バツが悪そうに視線を逸らす。

 今まで敬念を抱く月白について滔々とうとうと喋っていながら、会いに行くことを渋っている。

 ……そういえば、とハッとする。

「さっき、意地汚い下心と言っていたな」

 一刀斎の指摘に、男達は同時に肩を振るわせた。今度は、一刀斎が目を細める。

 しかし彼らのじっとり絡まる訝しむものとは違う、確かなあつさえ有した眼光。

 その視線に観念したのか、一番前に座る男が口を開く。

「…………すまなかったな、あんた。……話すよ。俺達が、あの人に、なにをしようとしたか」

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