第十一話 切り離せないもの

 戸を入ってすぐ側にある診察部屋。

 月白は薬棚を探り、一刀斎は目の前で気を失っている男を視ていた。

「む、うん……?」

「……起きたか」

「うん? 早いな。さすが武芸者だ」

 どうやら、心はともかく肉体はしっかり鍛えていたらしい。

 額に一刀斎の一撃を受けて倒れていた男は、意外にも早く目を覚ました。

「ぬ……!! 一刀さ……うぐっ!」

 目の前に仇敵きゅうてきである一刀斎を見つけて、ハッとして辺りを見渡たす男。

 だがまだ額に痛みが残るのか、すぐさま頭をおさえてうずくまった。

脇差わきざしならうばわせてもらった。また暴れられたらかなわんからな」

「起き抜けに暴れるモノじゃあないぞ。ほら、打ち身に軟膏なんこうだ。タンコブは確実に出来るが、これを塗れば痛みと共に引っ込むぞ」

「なに……? 女、お前、医者の真似事まねごとなど……」

「はっはっは、名実めいじつともに私は医者だぞ患者かんじゃ。ここをどこだと思っている」

 麻布あさぬのにべっとりと、渋い色をした塗薬ぬりぐすりをつけて、笑顔のまま男の皺の寄った額に叩き付ける月白。

 武芸者は目を白黒しろくろさせて、不安げに額の麻布をゴシゴシ触る。

 だが、薬の染み入る感覚が心地良いのか、すぐに手を離した

「患者……俺は、アンタを襲った男だぞ」

「それを許す気は毛頭ないが、それでも怪我けがにん治療ちりょうはせねばなるまい? なんせ私は医者なんだからな」

 月白は、「医者」という言葉を一段と強調きょうちょうしながら大振りな胸を張る。

 さっきまで欲しいままにしようとしていたそれを見ずに、男はふか瑠璃るり色に照るその目をしかと見つめていた。

「…………立派なお方に、大変、申し訳ないことをした。外他とだ一刀斎いっとうさい、そちらも、済まぬ」

 さっきまで暴れていたはず男は、居住まいをただしてれいととのえだした。

 あれほどうらんでいた一刀斎にさえだ。こころみていた毒気どっけが、すっかり抜け落ちている。

「構わないよ、元より金は取るつもりだ。薬代くすりだい診療代しんりょうだい、あと騒ぎを起こした迷惑料めいわくりょう。占めて……こんなところか」

 さらさらりと、紙に墨で文字を引く月白は、男にそれをさっと渡す。

 男は一瞬怯んだ様子だったが、「安い方だ」とうなずいた。

「一つ、聞いて良いだろうか? 実はおれを襲ったのは、お前が二人目だ。なぜ追われている?」

「惚けた事を言うな……。決まっているだろう? 二十年近く前、まだ小僧こぞうだったお前にやられたことを根に持ってる連中がいるってことだ。それも相当な数な」

 男から一刀斎への怨みは消え、一応の礼を見せたとはいえ、その吐き捨てるような言葉には、いまだ嫌悪感けんおかんが宿っている。

「お前自身、さっきも言っていただろう。日に十数人も相手にしたと。全員がそうだとは言わないが、「外他一刀斎が帰ってきた」と聞いて、黙っていられる連中は少なくないはずだ。敗北した武芸者の怨みは、鍛えてきた年月と、負けた相手の歳に比例するもの。己の未熟と切り捨てるにも限度がある。特に、ああも容易たやすく切り越えられればなおのことだ」

「一刀斎、お前どれだけ暴れたんだ?」

 男の諫言かんげんみたうらぶしを聞いて、呆れ混じりの笑顔で聞いてくる月白だが、一刀斎はもくして己をかんがみる。

 ……確かに、一時期いちじき自棄やけになり、雑な仕合を繰り広げていたころがあった。

 そんなおり雲林院うじい松軒しょうけんと出会って目標を見付けたことで気を持ち直すことが出来たが、それでも、それまでの行いが解消されるわけがない。

「……俺は女医殿に救われた恩義おんぎと、じがある。だから、ここで引く。……俺が言えた事ではないが、その人を巻き込むようなことはやめておけよ、外他一刀斎」

「……そうだな」

 もう、自分は伊東一刀斎と名を変えたのだが。

 しかし「外他一刀斎」という名前は、奴の人生に深く刻まれてしまっているのだろう。

 訂正しても、直すことは恐らく無いだろう。

「その布はしていけ。額の痛み止めもだしてやろうか?」

「いえ、結構です」

 もはや月白に対して敬語まで使い出した武芸者は、巾着きんちゃくから銭を握り出して、畳の上にザッと置いた。

 大きな拳の内にあったのは、十文じゅうもん二十文にじゅうもんでは足りない銭。

「それでは、今宵こよい失礼しつれいした」

 深々ふかぶかと―月白にだけ―礼をして、そのまま外へと出て行った。

 外の気配もなくなって、ようやく一息、心休めることができた。

「……今夜は、本当に迷惑を掛けたな、月白」

「なに、男に絡まれるなんて日に何度なんどあったか分からん。ここに酔っ払いが上がり込む事なんて茶飯事さはんじだったよ」

 月白は一仕事を終えたからか、薬棚を開け、在庫ざいこ確認かくにんをしていた。

「…………それは、ずいぶん苦労したな」

「自分が選んだ上での苦労だ。弱音は言えんよ。私が泣きじゃくるような生娘きむすめでないことは、お前が一番知っているだろう?」

「……ああ」

 確かに、月白という女はさいばしり、大胆不敵だいたんふてきで、我我が道を行く自在な女だ。

 しかし。

「本当は、涙もろいことも覚えているぞ」

「――――」

 月白が、静かに息を飲む。

 確かに彼女には、孤独に耐え、寂寥せきりょうから目を背け、艱難かんなんを乗り越えてくる強さがある。

 だが、辛抱強いからと言って、辛みを感じないことなどない。

 あの日、月白の瞳から零れた熱涙ねつるいを、一刀斎はしかと覚えている。

「お前は強いが強すぎだ。弱音を言える相手ぐらい、いないのか?」

 一刀斎のいで、月白の手が止まる。

 月白はなかなか答えず、こちらも見ず、ただ静かに、棚を撫でていた。

「……そうだな。実家も飛び出したし、ただでさえ治療が必要な患者達に、いらぬ心労はかけられない。よくよく考えれば、そういう相手はいないかも知れないな」

「思った以上に孤独だなお前は」

「バッサリ言うなあ、一刀斎は。……だが、うん、一人だけ、心当たりがある」

「ほう、誰だ?」

「お前に決まってるだろう?」

 事も無げに、さも当然であるように、月白はそう即答そくとうしてみせた。

 間髪入れずに帰ってきた言葉で一刀斎は目を丸くする。

 そんなの方をやっと見て、月代はその呆けた顔に思わず吐息のような笑い声を漏らした。

「なるほど、即答するのは小気味こぎみ良いな。鳥肌とりはだが肌をこす感覚かんかくが癖になる」

 頬をわずかに赤くして、こそばゆそうに二の腕をこする。

 まるで少女のような微笑みは、あの日柳生の郷でほころんだものと変わりない。

「……冗句じょうく、ではないな」

「もちろん。思い返してみたって、私が心を晒したのはお前以外いないよ。……例え目指す先は違えども、お互い、天下一にいどむ仲間でもあるのだから」

 天下一。その言葉で、一刀斎がこの場に訪れた理由を思い出す。

 織田おだ尾張守おわりのかみ。先日横死したあの男もまた、「天下一」を目指していた。

 その道は、先人のわだち足跡あしあともないてなき荒野。

 共に進む者もなく、一人で征く無限むげん旅路たびじだ。

「……懐かしいな。あの時も、秋だったか」

「ああ。月が綺麗な夜だった」

 隣に座った月白は、通り庭の天井を見上げる。

 けむり逃しのために高く設けられた天井は、窓から入ってくる月明かりでわずかに木目が見えた。

 あの青い光だけは、どれほどの年月をても変わらない。

「一刀斎」

 静寂を打ち破るように、不意に声をかけられて、「なんだ」と月白を見下ろした。

 そこにあった月白の目は夜半よわそらのように黒々として、それでいて、わずかな光でもきらめいていた。

 相変わらず、夜空をたまにして嵌め込んだような瞳である。

 月白は、一刀斎と同い年だと言っていた。ならばもう、本人も言うとおり三十路みそじを越えて折り返す直前まで来ているはず。

 だというのに、あの頃あった溌剌とした魅力は薄れておらず、一方で、纏う色香いろかはよくかもされている。

 あの頃から順当に、いい女へと成長していた。

 思わず、顔が近付いた。仏頂面のまま近付く顔を、しかし月白は恐れることなく、阻むことなく、ただ穏やかに待ち構えている。

 鼻の影と鼻の影が、重なり合った――――

「ただいま、帰りました、先生」

 ちょうどその時戸が開かれた。

「ぐむっっ!」

「のわだっ!?」

「…………あれ、どうしました? 先生? 一刀斎さん?」

 引き戸がガラリと開くように、一刀斎と月白は全く同時に反対方向へ身を退かす。

 お陰で一刀斎は障子の縁に頭をぶつけ、月白は、かまちから足を外して土間に転がった。

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