第十話 珍客

「それはもちろん、お前にうらみがある奴だろう」

 月白の作った飯を食い終えて、渋茶しぶちゃを飲みながら洛外の散策さんさくちゅうにおきた事を話した。

 名前も名乗らない武芸者に、なぜか一刀斎は喧嘩けんかを売られたのだ。

 あちらは自分のことを知っている様子だったが、一刀斎はその顔と太刀筋に身に覚えがない。

「怨み? ……どういうことだ?」

「私は当時上京かみぎょうにいたから、あまりお前の噂は聞かなかったが……。一刀斎はかつて、京で武を競っていたんだろう? なら、そのときにお前にボロ負けした武芸者も多いだろう。それを怨む人間も、いるんじゃないか?」

十云じゅううんねん経っても忘れないとはな……」

「屈辱は心によく刻み付けられるからな」

 わんゆすぎ終えた月白は、居間に腰掛け自分の分を茶を飲んだ。

 ふうとぬくんだ吐息といきを漏らしながら、自分の肩を揉む。

「その男は、自分で最後と思うな、と言っていたんだよな? なら、まだまだそういうやからもいるかもな。全く、武芸者そっち武芸者そっち難儀なんぎだな」

「ふむ……となると、診療所ここも離れた方が良いか。らん迷惑をかけるやもしれん」

「なんなら用心棒として残ってくれて良いんだぞ? 倒したあと私が治療ちりょうすれば、稼ぎにもなるな」

「……さっきまで、他人の不幸でなんとやらと言っていなかったか」

自業自得じごうじとくは不幸とは言わないからな。相手にもいい勉強代べんきょうだいになるだろう」

 一刀斎の呆れ交じりの視線を、澄ました顔で受け流した月白は、再び湯呑みをかたむける。

 やはり、このまま京で過ごすなら他の拠点きょてんを探した方が良いだろう。一刀斎がここにいるといううわさが広まれば、他にもいるらしい武芸者が寄ってくるかもしれない。

 月白の持つ図太さは武芸者のそれだが、そうはいっても女である。日々技を鍛えている武芸者の相手がつとまろうはずがない。

 加えてここには、蓮芽はすめもいるのだ。巻き込むようなことがあっては、彼女を気に入っている藤花ふじばなに何を言われるか分からない。

「あっと……もうそろそろ蓮芽が帰ってくる頃だな。提灯ちょうちんを出さないと」

「提灯?」

 そう言えば昨日、蓮芽をここまでおくったとき、軒先のきさきに赤い提灯が出されていた。

 明々あかあかっていたのが、やけに印象深い。

「蓮芽の為に出しているのか?」

「ああ」

 行儀ぎょうぎわるく履き物をしたまま、四つん這いになりながら居間に上がる月白。

 膝を駆使して進んでいるからか、胸に劣らない大ぶりな尻が揺れている。

 部屋の片隅にあるたなの中から蝋燭ろうそくを取り出して、そのまま一刀斎のいに答える。

「このあたりの家はおもてが全部同じだからな。暗くては見分けも付かない。明かりがあれば目印めじるしにもなるし、たまに、今朝けさむかえに来たように子どもが送ってくることもあるからな。暗いと怖がるだろう」

「それに」、と指の間に挟んだ蝋燭を見せながら。

「蓮芽はな、なぜかだけは分かるんだ」

「――――なに?」

 一刀斎の眉尻まゆじりが、ピクリと動いた。

「分かる、と言っても赤色自体を認識にんしきできるというわけではないみたいだけどね。赤みのある光を見ると、黒い視界の一部がぼんやり白むらしいんだ」

「……だから、赤い提灯か」

「ああ。治療ちりょう成果せいか……と言いたいけれども、こればかりはなんとも言えんな。それじゃあ、下げてくるよ」

 よっこいせと土間に下りた月白はそのまま戸の方に向かっていった。

「……みょうな、えんもあるものだな」

 自身がかつて目の見えない少女に名付けた色。それを、同じく目の見えない芸妓げいぎが認識できる。

 一刀斎が知るきょうというみやこは、様々な赤色にいろどられている。

 紅葉の赤が、血の赤が、人が抱く情熱の赤が。

 それらが決して混じり合わず、混在こんざいしている。そんな京の景色はおぞましいほどに、絢爛けんらんとしている。

 これが、崩れ落ちるような爛熟らんじゅくさでないのなら――――。

「おーい、一刀斎」

「……うん?」

 湯呑みの中に京の景色けしきを落としていたら、戸の方から月白の声。

 いったいどうしたのかと、そちらの方を覗いてみれば、

「早速お出ましのようだぞ」

「…………なにが、起きている?」

 そこにいたのは、いつもと変わらぬ表情かおの月白と、

 ……その月白を捕まえて、古びた脇差わきざしを握る男だった。


「見つけたぞ、外他とだ一刀斎いっとうさいっ」

 そう息巻く男の脇差は、目釘も歪んでいるのか刀身がガタガタと揺れている。

 もう片方の腕は野太く、月白の腹を腕ごとぐるりと抑え込んでいる。

 まさか、今日だけで二人におそわれるとは思わなかった。加えて、家にまで入り込んでくるとは。

「……お前も、おれが狙いか?」

「よもや、この顔を忘れたというのか!? かつて京で相対したこの俺を!」

「すまんが覚えがない。なにぶん一、二年の間、多いときには日に十数人とったんでな」

「きさっ……!」

 まなじりが吊り上がる男の顔を見て、己の直截ちょくさいさを恨む。 甕割は、飯の時から外したまま。腕を伸ばしても届く距離にはない。

 緒紐おひもで腰帯に繋いではいるし、はぐらかして時間でも稼げばバレないように引き寄せられたかもしれない。

「……とかく、そいつを離せ。月白は俺とは関係ない」

「何を言っているんだ一刀斎。お前を泊めてるんだから無関係と言うことはないだろう」

 自分がどう言う状況にいるのかサッパリ分かっていないのか。それとも一刀斎が思う以上に肝が据わっているのか、月白はキッパリ言葉を差し込んできた。

 しかも拗ねたように半眼でにらみながら。

 なぜそこで否定すると一刀斎は額を抑える。

「……武芸者でありながら、自分の腕だけに頼らずに人質ひとじちを取るとはな。自分が情けないとは思わんか」

「お前を斬れればそれでいい……!」

「やれやれ、血気盛んだな……」

 なぜこの男は、そんなに自分に怨みを抱えているのか。まるで身に覚えがない一刀斎は奥歯を噛みしめる。

 男が吼える度に腕が締まり、月白の髪が揺れる。相変わらずケロリとした表情をしているが、わずかに唇が震えて額に一玉ひとたまあせが浮かんでいる。

 一刀斎の手には、茶が入った湯呑みが一つ。一か八かこれを投げつけるのも選択肢せんたくしの一つではあるが、

 激昂げっこうして月白に手を上げられてはかなわない。

「…………なにが望みだ?」

「なにも持たずにこっちに来い! さもなきゃこの女に傷が付くぞ」

「分かった」

 とりあえず、あれ以上気を荒立てられては困る。

 湯呑みをおいて立ち上がる。だが。

(…………まずいな、これは)

 甕割かめわりを緒で腰帯に繋げたままだ。

 外そうとしたら目に止まり、気に触れる可能性もある。

「……おい、どうした!」

「…………刀の緒を、腰に結んでいてな。外すか?」

「当然だろう!!」

 たずねるだけでこの有様ありさま。脇差を大きく振り払い、月白の身体をより締め付ける。

 月白の目尻が狭まり、えくぼもゆがむ。……ついでに。

「おっと」

「――――!?」

 乱雑に抑え込まれたことで、月白の胸が男の腕にずしりと乗った。

 その重さは一刀斎もよく知っている。だからこそ、男が目を見開く理由も分かった。

「女を乱暴にしすぎだぞ、もう少し丁重ていちょうあつかえ。まったく、服も直せやしない」

 そういう月白の襟口は広がり、ふか谷間たにまとなだらかな稜線りょうせんが露わになっている。

 男のどでかい生唾なまつばが、喉仏を裏から押し上げた。

「……少しだけ、直させてくれないか? 何しろ私も三十路みそじを過ぎた大年増おおどしまでな。肌を晒すのには抵抗ていこうがある。ほら、お前もこんな身体は見たくはないだろう?」

「な、なにを言って……!」

 拘束を緩めようと、身をよじる月白。その度胸が男の腕を擦りあげて、男は口をまごまごと動かしている。鼻の頭に脂汗あぶらあせが浮いて、頬は紅潮こうちょうしている。

 目は一刀斎と月白とを交互に見遣みやり、呼吸も浅くなっていた。

(まさか、月白――)

 男の気を、引き付けているのか。戸惑う男の気配は、散漫さんまんとしている。しかしその分、意識の調子が乱れていて、己に向けられる瞬間もはかりにくくなっている。

 だが、確かに対応する機会は増えた。あとは、月白の安全さえ確保できれば……。

「……なあ、あんた、一刀斎やつ愛人めかけか?」

「何年も前に共寝ともねしたことある程度だよ、愛人めかけとは呼べないだろうな」

 そうか。と答えた男は、厭らしく笑って月白を見下ろして、一刀斎へ目配せをする。男のその目は、暗澹あんたんとした下劣げれつさが宿っていた。

 瞬間、一刀斎の身体中の毛が逆立った。

「止め――」

 品なくやりと笑った男の片腕が、月白のおびに掛けられる。そしてそのまま、緩められ――。

「よっと」

「ごくぉっ!?」

 その直後、男の眉間に細いなにかが突き刺さる。

 ここに他に人がいれば、月白の手にいきなり生えたように見えただろう。だが一刀斎は、見逃さなかった。

 男によって緩められた帯の内から、鉄扇てっせんがスルリと抜け落ちたのを。

 それをしかと拾い取った、月白の指を。

「これもオマケだ」

「ぉぇっ!」

 目を白黒させていた男の脇腹に、月白は扇の尻を深く突き刺す。

 吐息のように小さく呻いた男の眼球が、まぶたを押し退けた。

 手遊びであれを受けたことがある一刀斎も、思わず顔をしかめた。あれは、肉の上から内臓を直接ちょくせつ打ち付ける技だ。

 続く動きは見るも鮮やかだった。

 脇差を握る手をひねり折って武器を落とさせ、背後に回って背に押し当ておさえ込む。

 あれは、完璧にめられている。ああ固定された以上、身体は動かせない。

 月白はその細腕ほそうでで、己よりいくらも太い男の身体を制して見せたのだ。

 その一連の動作に、一刀斎は目を丸くする。

「いっとうさーい」

「む?」

「仕上げは任せる、ぞっと」

「っ!!?」

 大柄おおがらな男は、月白がポンと小突いただけで一刀斎の方へと押し出された。

 一刀斎は、直ぐさま緒紐を引っ張り甕割を引き寄せ踏み出し、

フンッ!!」

「ごぶぉ!」

 額の真ん中に、鞘を叩き付けた。


「ほう、一発でのしたか。一刀斎が剣を振るところは初めて見たが、やはり相当達者だな、痺れたよ」

「ただ鞘で叩き付けただけだがな……それより無事か」

 伸びた男を踏み越えて、月白に近寄る一刀斎。間に六畳間を挟んだ程度の短い距離だったが、石火のような速さで寄ってきた一刀斎に、月白は一瞬目を丸くした後、クスリと笑う。

「ああ、問題ない。あざにもならんだろうさ。流石に三十を超えると傷痕も長く残るからな。助かったよ」

「しかし驚いたぞ、なんだ、さっきの動きは」

伯父ししょうの元を飛び出したはいいものの、下京しもぎょう悪漢あっかんが多くてね。身を守るために自然に身についたよ。どこをどうすればどうなるか、しっかり頭には入ってるからね」

 片目をつむって得意げに、鉄扇で肩を叩く月白。

 武術ぶじゅつ医術いじゅつ紙一重かみひとえ武医ぶい同源どうげんとはこの女に教えられた言葉だった。

 自分は剣技を医術に昇華しょうかすることはとうてい出来ないが、月白はそれをやってのけたらしい。

 相変わらず才走った女であると、一刀斎はひとまず胸を撫で下ろす。

 だが。

「さて、一刀斎、その男を診療室に上げてくれ」

「なに?」

 続いた月白の一言で、一刀斎は面食らって大口を開ける。

 そんな一刀斎を見ても、月白は間抜けな顔をするなあとあっけらかんと笑うだけ。

「ここは診療所だ。怪我人は捨て置けないだろう?」

「だがコイツはお前をおそって……」

「しかし怪我人だ。ほら、さっさと運んだ運んだ」

 ――――全く、月白という女には感服する。自分を手込めにしようとした男でさえ、怪我を負ったなら救うという。

「天下一の医者」を目指す女が抱く、器の広さを思い知る。

「……お前は、薬師如来の生まれ変わりかなにかか?」

「女に生まれ変わるほど、薬師如来は好き者じゃないだろうさ」

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