第十話 珍客
「それはもちろん、お前に
月白の作った飯を食い終えて、
名前も名乗らない武芸者に、なぜか一刀斎は
あちらは自分のことを知っている様子だったが、一刀斎はその顔と太刀筋に身に覚えがない。
「怨み? ……どういうことだ?」
「私は当時
「
「屈辱は心によく刻み付けられるからな」
ふうと
「その男は、自分で最後と思うな、と言っていたんだよな? なら、まだまだそういう
「ふむ……となると、
「なんなら用心棒として残ってくれて良いんだぞ? 倒したあと私が
「……さっきまで、他人の不幸でなんとやらと言っていなかったか」
「
一刀斎の呆れ交じりの視線を、澄ました顔で受け流した月白は、再び湯呑みを
やはり、このまま京で過ごすなら他の
月白の持つ図太さは武芸者のそれだが、そうはいっても女である。日々技を鍛えている武芸者の相手が
加えてここには、
「あっと……もうそろそろ蓮芽が帰ってくる頃だな。
「提灯?」
そう言えば昨日、蓮芽をここまで
「蓮芽の為に出しているのか?」
「ああ」
膝を駆使して進んでいるからか、胸に劣らない大ぶりな尻が揺れている。
部屋の片隅にある
「この
「それに」、と指の間に挟んだ蝋燭を見せながら。
「蓮芽はな、なぜか赤色だけは分かるんだ」
「――――なに?」
一刀斎の
「分かる、と言っても赤色自体を
「……だから、赤い提灯か」
「ああ。
よっこいせと土間に下りた月白はそのまま戸の方に向かっていった。
「……
自身がかつて目の見えない少女に名付けた色。それを、同じく目の見えない
一刀斎が知る
紅葉の赤が、血の赤が、人が抱く情熱の赤が。
それらが決して混じり合わず、
これが、崩れ落ちるような
「おーい、一刀斎」
「……うん?」
湯呑みの中に京の
いったいどうしたのかと、そちらの方を覗いてみれば、
「早速お出ましのようだぞ」
「…………なにが、起きている?」
そこにいたのは、いつもと変わらぬ
……その月白を捕まえて、古びた
「見つけたぞ、
そう息巻く男の脇差は、目釘も歪んでいるのか刀身がガタガタと揺れている。
もう片方の腕は野太く、月白の腹を腕ごとぐるりと抑え込んでいる。
まさか、今日だけで二人に
「……お前も、おれが狙いか?」
「よもや、この顔を忘れたというのか!? かつて京で相対したこの俺を!」
「すまんが覚えがない。なにぶん一、二年の間、多いときには日に十数人と
「きさっ……!」
「……とかく、そいつを離せ。月白は俺とは関係ない」
「何を言っているんだ一刀斎。お前を泊めてるんだから無関係と言うことはないだろう」
自分がどう言う状況にいるのかサッパリ分かっていないのか。それとも一刀斎が思う以上に肝が据わっているのか、月白はキッパリ言葉を差し込んできた。
しかも拗ねたように半眼で
なぜそこで否定すると一刀斎は額を抑える。
「……武芸者でありながら、自分の腕だけに頼らずに
「お前を斬れればそれでいい……!」
「やれやれ、血気盛んだな……」
なぜこの男は、そんなに自分に怨みを抱えているのか。まるで身に覚えがない一刀斎は奥歯を噛みしめる。
男が吼える度に腕が締まり、月白の髪が揺れる。相変わらずケロリとした表情をしているが、わずかに唇が震えて額に
一刀斎の手には、茶が入った湯呑みが一つ。一か八かこれを投げつけるのも
「…………なにが望みだ?」
「なにも持たずにこっちに来い! さもなきゃこの女に傷が付くぞ」
「分かった」
とりあえず、あれ以上気を荒立てられては困る。
湯呑みをおいて立ち上がる。だが。
(…………まずいな、これは)
外そうとしたら目に止まり、気に触れる可能性もある。
「……おい、どうした!」
「…………刀の緒を、腰に結んでいてな。外すか?」
「当然だろう!!」
月白の目尻が狭まり、えくぼも
「おっと」
「――――!?」
乱雑に抑え込まれたことで、月白の胸が男の腕にずしりと乗った。
その重さは一刀斎もよく知っている。だからこそ、男が目を見開く理由も分かった。
「女を乱暴にしすぎだぞ、もう少し
そういう月白の襟口は広がり、
男のどでかい
「……少しだけ、直させてくれないか? 何しろ私も
「な、なにを言って……!」
拘束を緩めようと、身をよじる月白。その度胸が男の腕を擦りあげて、男は口をまごまごと動かしている。鼻の頭に
目は一刀斎と月白とを交互に
(まさか、月白――)
男の気を、引き付けているのか。戸惑う男の気配は、
だが、確かに対応する機会は増えた。あとは、月白の安全さえ確保できれば……。
「……なあ、あんた、
「何年も前に
そうか。と答えた男は、厭らしく笑って月白を見下ろして、一刀斎へ目配せをする。男のその目は、
瞬間、一刀斎の身体中の毛が逆立った。
「止め――」
品なくやりと笑った男の片腕が、月白の
「よっと」
「ごくぉっ!?」
その直後、男の眉間に細いなにかが突き刺さる。
ここに他に人がいれば、月白の手にいきなり生えたように見えただろう。だが一刀斎は、見逃さなかった。
男によって緩められた帯の内から、
それをしかと拾い取った、月白の指を。
「これもオマケだ」
「ぉぇっ!」
目を白黒させていた男の脇腹に、月白は扇の尻を深く突き刺す。
吐息のように小さく呻いた男の眼球が、
手遊びであれを受けたことがある一刀斎も、思わず顔を
続く動きは見るも鮮やかだった。
脇差を握る手を
あれは、完璧に
月白はその
その一連の動作に、一刀斎は目を丸くする。
「いっとうさーい」
「む?」
「仕上げは任せる、ぞっと」
「っ!!?」
一刀斎は、直ぐさま緒紐を引っ張り甕割を引き寄せ踏み出し、
「
「ごぶぉ!」
額の真ん中に、鞘を叩き付けた。
「ほう、一発でのしたか。一刀斎が剣を振るところは初めて見たが、やはり相当達者だな、痺れたよ」
「ただ鞘で叩き付けただけだがな……それより無事か」
伸びた男を踏み越えて、月白に近寄る一刀斎。間に六畳間を挟んだ程度の短い距離だったが、石火のような速さで寄ってきた一刀斎に、月白は一瞬目を丸くした後、クスリと笑う。
「ああ、問題ない。
「しかし驚いたぞ、なんだ、さっきの動きは」
「
片目を
自分は剣技を医術に
相変わらず才走った女であると、一刀斎はひとまず胸を撫で下ろす。
だが。
「さて、一刀斎、その男を診療室に上げてくれ」
「なに?」
続いた月白の一言で、一刀斎は面食らって大口を開ける。
そんな一刀斎を見ても、月白は間抜けな顔をするなあとあっけらかんと笑うだけ。
「ここは診療所だ。怪我人は捨て置けないだろう?」
「だがコイツはお前を
「しかし怪我人だ。ほら、さっさと運んだ運んだ」
――――全く、月白という女には感服する。自分を手込めにしようとした男でさえ、怪我を負ったなら救うという。
「天下一の医者」を目指す女が抱く、器の広さを思い知る。
「……お前は、薬師如来の生まれ変わりかなにかか?」
「女に生まれ変わるほど、薬師如来は好き者じゃないだろうさ」
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