第九話 あの屍たちはどこかへ消えた

自斎じさい先生せんせいなら、今朝方けさがた堅田かたたに帰ると出て行ったよ」

「そうか……」

 ひつじこくうまこく端境はざかい

 足が覚えた下京しもぎょうを渡り歩いたあとに、昨日自斎に連れて行かれた遊女屋ゆうじょやに来た。

 昨日きのうそのまま泊まった師匠の様子を見に来たのだが、どうやらすれ違ってしまったらしい。

「おれへ言伝ことづてはあるか?」

「先に帰る、ゆっくりしていけ……と。ああそれと」

「それと?」

一晩ひとばん宿代やどだいは弟子が払う、とも言っていた」

 思わず、比叡ひえやまの奥をにらんだ。堅田かたたはちょうどあちら側にあるが、自斎はまだ帰り着いてはいないだろう。

 軽く溜め息を吐いて、仕方なしに、銭を入れた巾着きんちゃくを渡す。

「なんだ、田舎いながぜにばっかだなあ……。ま、しつは悪かないし、……これで勘弁するよ」

 中から錆と汚れの少ない銭をいくつか拾い取った男は、そのまま巾着を返してきた。

 一刀斎は男から受け取った銭を懐にしまい、世話をかけたと手を振った。

 しかしゆっくりしていけと言われても、はてさてこれからどうしたものか。

 秋の日は短いから、晩飯まではあと二刻にこく散歩さんぽだけで消費するには、贅沢ぜいたくだ。

 しかし、後は行くところなど……。

「――――」

 当てもなく東の方へ歩いていた一刀斎は、やがて京のまちを流れる大河たいがの前に辿り着く。ちょうど紅葉もみじ一片ひとひら流れていた。

 自然と、花より鮮やかな赤色を目で追った。川の流れに飲まれること無く、赤い魚が泳いでいるようにも見えた。

「…………そういえば、まだ、あそこには行っていなかったな」

 一刀斎は、その紅葉を追っていく。したしたへと、下りていく。


 かつて広がっていた屍ヶ原しかばねがはらは、あとかたちも残っていない。

 荒れていた道はすっかり舗装ほそうされていて、石ころ一つ爪先に当たらない。

 その変わり様は、京のまちよりも大きかった。

 死体が積み上がっていた川は、子ども達が寒さも気にせず水切りして遊んでいた。

 骨と肉にまぎれていた河原かわらの石を、拾い集める子どももいる。

 死臭ししゅうは遠い昔に霧散むさんして、人の営みの香りがただよう。

 なんの煩悶はんもんもなく、笑顔ではしゃぐ子ども達の姿が、かつて地獄じごくだったここにいた、あの少女の姿が浮かび上がった。

「……赤」

 布で目を隠し、汚れた赤い衣を纏った童女どうじょ

 むくろやまに潜りながら、うネズミを拾い集めていた盲目もうもく幼子おさなご

 肉が枯れ果て、人品じんぴんいやしくも生き汚い……否、逞しく生きる母と暮らしていた。

 あの死が蔓延る世界の中で、唯一命の輝きを有していた。それはまるで、黒い泥の中で咲く赤蓮華のようで。

 思わず、「赤」と名付けてしまった。

 だが、もう赤はいない。この地獄らくがいうとんだ母によって追い出されるように売り払われた。

「――――」

 周囲を見渡しても、その母の姿はない。どこかへ消えたか、それとも、衰弱すいじゃくして死んでしまったか。それを探るすべはない。

 それにしても。

「……売られた、か」

 昨日きのう出逢であった、蓮芽はすめという芸妓げいぎ

 彼女もまた、目も見えない。その代わり、音をかなでる事においては絶群ぜつぐんいきに達していた。

 あれから十年余り。年の頃も、順当に行けば合致がっちする。

「もしかしたら」という予感よかんが、終始しゅうし一刀斎いっとうさいの中に渦巻いている。

 だがしかし、赤といた時間はわずか一日いちにち半刻はんこくもない。

 まだまだ幼かった上に、目も見えなかったあの童が、一刀斎のことを覚えているわけがない。

 直接聞いたところで、確かめることなど出来ないだろう。

 秋は珍しい南風みなみかぜが、京洛きょうらくへと流れていく。

「貴様……外他とだ一刀斎いっとうさいだな」

 南から、問われてそちらを見れば。

 荒れたころもを着て、編笠あみがさを被る男がいた。

 笠は深く被られていて、その相貌そうぼうは分からない。せいぜい、顎の先に薄い無精髭ぶしょうひげが散っているのが見て取れる程度だ。

 そしてその腰には、一振りの刀を帯びている。

「たしかに、おれはかつてそう名乗っていた。今は、姓を伊東いとうを改めたが」

「どちらでもよい」

 川縁かわべりでは、無邪気な子ども達が跳ねる魚を見て笑い声を上げている。

 男は、腰の刀に手を添えた。

「……そういう貴様は?」

「俺のことなど忘れたか」

 川縁では、子ども達が思い思いに大きな石を川へ投げ込んで、浮かんできた魚を捕っていた。

 男のかいなに、血筋ちすじが浮かぶ。指の一本一本が、燃えるように赤くなっていく。

「あの時の屈辱くつじょく、晴らさせてもらうぞ!!」

 瞬間、男は道を蹴り出して、孤月こげつを描く一閃いっせんを放つ。

 まるで月が落ちてきたような、見るもまばゆ剣閃けんせんだった。

「――すまんな」

「むっ!?」

 だが、その月の閃きは一刀斎を掠めること無く。

 一歩、音もなく後ろに退いて斬撃をかわした一刀斎は、眼前を通り過ぎた男の脹脛ふくらはぎを踏み膝を折る。

 骨が砕ける鈍痛どんつうに息を漏らして、ガクンと身体からだが沈んだ。

フンッ」

 下がった頭に、抜いた甕割かめわりみねを叩き落とした。

 ボロボロだった笠が破れ、男の顔が露わになる。

 頬が張り、鼻もいかつく角張かくばっている。さっきから見えていた顎の髭は、本当に先の方にしか生えていなかったらしい。

 息がこぼれて、震える唇はただ分厚い。

「お、俺が……」

「む?」

 どうやら、身体は頑丈らしい、それなりの手加減をしたとはいえ、意識を手放していなかったとは。

「俺が、最後だと、思うな……お前は、まだ、狙われ…………ごぐっ」

 ……感心したのも束の間、すぐに落ちた。

 気を失う間際まぎわに、なにか思わしげな事を呟いていたが……。

「…………結局、誰なんだ? コイツは」

 一刀斎は首を傾げながら、甕割を鞘へと戻す。川縁を見れば、こちらのことなど一切気にせず、子ども達は魚を駕籠かごに入れていた。


「今、戻ったぞ」

「おお一刀斎、お帰り。ちょうど今出来るところだ」

 戸を開ければ、くどで月白が料理をしていた。

 自家製じかせい味噌みそでも使ってるのか、甘辛く発酵はっこうした香りが広がっていた。

「今日の夕飯は獣肉の味噌煮みそにだ」

「……お前、仏教の生まれだよな?」

栄養えいよう優先ゆうせんだよ。私の兄や師匠も、獣肉の滋養じようについては一目置いていてね。実のところ、私が料理に凝るのも兄の影響なんだ。さて、そろそろかゆも出来る。手を洗って居間に上がれ」

「ああ」

 戸を開けてすぐにある瓶から、冷たい水を柄杓ひしゃくすくい、手に流す。

 それを二、三度繰り返して一刀斎は居間に上がる。

 昨日の夜、月白に散々さんざん注意ちゅういされたことだ。病の予防には清潔せいけつにするのが一番良い。薬師やくし如来にょらいもそう言っていると。

「……蓮芽はまだ帰らないのか?」

「あの子は今日も仕事だよ。お前も聞いただろう、あの子の三味線を。毎夜まいや引く手数多あまたでね、たびたび遅くなる。……よし、出来た」

 粥を炊いていた鍋蓋を取ると、仕上げとばかりに月白は刻んだ菜っ葉を散らしていた。白く湯気と共に、穀物こくもつの持つネットリとした甘みが鼻の中に入り込む。

 喉がゴクリと、勝手に鳴った。

「蓮芽は、帰れるのか?」

「今朝、迎えに来た妹弟子達がいただろう? あとは、たまに、席が一緒になった遊女ゆうじょが送ってくる。藤花、知っているだろう?」

「そう言えば、昨日もその様なことを言っていたな」

「藤花は、一際ひときわ蓮芽がお気に入りのようでね。ほぼ毎回、連れ出しているんだよ」

 膳を持った月白が、かまち草鞋わらじを脱いで居間へと上がる。

 一刀斎の前に置かれたのは、散らされた菜っ葉が生える白い粥に、黒茶色に煮込まれた獣肉を乗せた皿。

 加えて、多めの菜漬なづけ小鉢こばちえられている。

「……豪勢だな、これはまた。こんな贅沢ぜいたくを毎日しているのか?」

「まさか。今日はたまたま肉が手に入ったから使っただけだよ。この一帯に医者らしい医者は私しかいないし、自然と銭は集まってね。……人の不幸で商売しょうばいするのは、心苦しいものがあるが」

「人のためになるのなら、問題は無いだろう」

 肩を竦めて自分の膳を取って来た月白に、声を投げ掛ける。一刀斎の向かいに座った月白は、髪を耳に掛けながら「ありがとう」と穏やかに笑う。

「それじゃあ、食べようか。一刀斎には久々の京。なにか、思うこともあったろう?」

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