第七話 帰郷
旅を初めて十年。堅田に旅立った時を含めれば十三年。思えば人生の半分近くを、剣の修行に費やした。
その肉体は鍛え抜かれて
練武の果てに修めた
だが、しかし。
「…………うぐ」
船には、全く慣れなかった。特に、海の船にはだ。
一刀斎は大きな商船の
揺れる
朝一で五助から回収した
さて、どうして一刀斎が
「おいおい、大丈夫かよ?」
「
「は? 普通に考えて
鼻から
そんな一刀斎を見下ろして、あっけらかんと笑う若い
名前は
そんな伊豆にいるはずの信太が、つい昨日、一刀斎が唐から渡ってきた武芸者を打ち倒した直後に現われたのだ。
「いやあまさか、
「……弥五郎で構わないぞ。信太はあのまま、三島神社にいたのか?」
「ああ、
「だけど
「……まだ帰る気にならなくてな」
なんで信太が、一刀斎が相模の
一刀斎が相模に着いて、まだ五日程度しか
その理由は、
「しっかし、兄ちゃんがあの
つい昨日、一刀斎が港で出会った船乗りだ。
そういえば「伊豆に行く」と言っていたのを思い出した。口ぶりからして三島神社とはなんらかの交流があったのだろう。
そうして昨日、この船乗りが三島神社で一刀斎のことを話して、それを知った信太をそのまま連れてきた、ということだ。
「あれから十と……三、四年は
続々と、懐かしい名前が出て来た。利市と大助は信太と共に、よく
さほりというのは、巫女の一人。たしか一刀斎や利市と同じぐらいの歳だったはず。さすがに、他の巫女と共にどこかへ
「昔話を邪魔しちゃ悪い」と、船乗りがせっせと仕事に戻っていく。波に合わせて大股で行ったからか、あの男が船自体を揺らしたかのようにも思えた。
船に揺らされた脳みそが、遠い昔の記憶を浮かせた。わずか一年ばかりの時間だったが、
その記憶の中に浮かんだ二つの影。いま名前を挙げられた中には、いなかった。
「……
一刀斎に
「織部さんはまだまだ
あっけらかんと笑う信太に、相変わらず不真面目な奴だと一刀斎は口の端を二分だけ上げた。
不真面目だが、
「一回、弥五郎のこと気にならねえのかって聞いたことあんだよ、そしたら『便りが無いのは
夏の深い青空を見上げる信太は、頭の後ろに手を組んで、そのまま
「それ以上は問われなければ言わない」。そう言わんとしているのが、
「……とじは、どうなった?」
「あのあと、すぐに
あのあと、とは、間違いなく「あのこと」だ。
とじは、島育ちで学がなかった一刀斎に、
しかし一刀斎は、思い違いによる
それを目撃したとじは、心に
その日が、一刀斎と、三島神社との分かれの日となった。
信太は、その事件を知っている。なにせ一刀斎の
「とじ様はしばらく顔を見せなくてなあ。そうだな、だいたい……半年ぐらいだったかな。桜が咲き始めた頃にようやく出て来たよ」
桜が咲き始めた頃というと、一通りの修行を終えた一刀斎が京に出た頃である。
己の
「で、とじ様が一刀斎をどう思ってるかだが…………」
空飛ぶカモメを目で追いながら、信太は言い切らず、もったいぶる。
一刀斎も、その先を
恨まれていても、許されていても、それがとじの思いならば受けきる覚悟をすでにしている。
カモメが真後ろに飛び去って、信太はようやく口を開く。
「…………本人に会ったときのお楽しみって奴だな」
口はニタリと、目はニコリと、
「ほら、話しているうちに見えてきたぜ」
信太が顎で
「
一刀斎が、遠い昔に流れ着いた場所。
一刀斎にとって、全ての始まりとなった場所――――。
「あの頃と、何も変わっていないな」
見える山の
かつて暮らしたあの村の姿と、
肌を
暑さも盛りの
広い村の
「ああ、なんも変わんねえよ。オッサン達は酒飲んで、バアさん達は愚痴こぼして、ガキらはお
言葉だけ聞けばつまらなそうなことを、心底楽しそうに信太は言う。
そう言えば、信太の口から「つまらない」という言葉が出た記憶は無かった。
「お、見えてきたな」
「どうした? 弥五郎。……怖いのか?」
「うん? なにがた?」
鳥居をくぐる
だがその顔に、不安の色はない。単に、不意に過ぎった記憶を見ていただけだ。
この鳥居前で、一刀斎は、生まれて初めて
だが確かに、あれも一刀斎の始まりであった。
「さて、行くか」
甕割の
甕割も、
不思議と、入ることに不安はなかった。むしろ、心踊ってさえいた。
この十年余り鍛えてきた己を、誰よりも見せたい
――だから。
「――――――っ」
木々に囲われた
神社や寺は、旅の中でも
それでも
そしてその、
「――久しぶりだな、弥五郎。…………お帰り」
穏やかに笑う、
「……ああ、ただいま戻ったぞ。
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