第八話 年月経ようと変わらぬもの
その風の中でまっすぐ立っているのは、島から流れ着いた若き一刀斎を拾い、剣を教えてくれた父の如き存在。三島神社の
あれから十余年。顔には
かつてと変わらぬ穏やかな目が、より
「連れて帰ったぜ、織部さん」
「ああ、お疲れ信太。……連れ帰るのは良いが、勝手に神社を空けるのは止めなさい」
どうやら信太は、誰に命じられるでもなく
信太は、
「だってどうせみんな、会いたかったろ? そのくせ弥五郎が帰ってこないならそれはなにか理由が~なんて適当なこと言ってハッキリしない。正直になればいいのによ」
そういう信太は正直過ぎるところがあり、叱られたことは一度や二度ではない。だがしかし、その
「……ああ、確かに、
悪びれもしない信太の言い分に、思わず
苦笑いでさえも眉は下がらず、
そんな二人のやり取りを、一刀斎はただじっと見ている。
なにもかにも、懐かしい。昔のままだ。
織部はその柔らかい目を、一刀斎の方へと向けた
「……大きくなったな、弥五郎。……いや、確かな名を変えたのだったな」
「今は、弥五郎で構わない。……大きくなったと言っても、背丈は
「いや、確かに大きくなった」
一つ
その目は
一刀斎の中で燃える、
「あの頃は、まだまだ小さな
「ああ、
「おおっと、そこまでそこまで」
深く話し込もうとした矢先、信太が止めに入ってきた。
いったいどうしたと、一刀斎は信太へ目をやる。
「立ち話もなんだろ? みんな、待ってるんだぜ」
「本当に久しぶりだな、弥五郎!」
「いやあ、背はあまり変わらないけど、
神社で働く織部や巫女達の住居を兼ねた、
一刀斎の
それだけでなく、一仕事終えて家で涼を取っていると思っていた村人達まで集まっている。
村の男衆たちは織部を囲って、なにやら豪快に笑っていた。
おおかた、「弥五郎がようやく戻って来て良かったな」とでも言っているのだろう。
一刀斎はそちらに目を流した後、真正面に向き直る。
すると、そこでは。
「あなたが仕事を放って出て行ったから、昨日は大変だったんだからね!」
「ったくホントに勝手な奴ねアンタは!」
「反省しなさい」
「はい……すいません……ごめんなさい……」
向かいの席で、信太が三人の
言葉を深く交わしたことはないが、その面立ちには見覚えがあった。
全員、三島神社にいた
「……彼女らは、
「ああ……
「それに次の神主になるはずの信太もあんな調子だからねえ、しっかり仕事出来る人がいないと」
「なるほど」
全て
あの信太が仕事が出来るとは思えない。利市はとじの側仕えと言っていたが、その仕事の大半は信太の手伝い……あるいは、尻を蹴り上げる役目も担っているのだろう。
こってりしぼられ
あの三人には、
一刀斎は、今一度広間を見渡した。
しかしその中には、探し求める
鼻をぴくりと動かしてもても拾う匂いは飯と男達の汗臭さばかりで、かつて嗅いだ、清く
今の利市の言の通りなら、まだここにはいるはず――。
「どうした弥五郎、食わないのか?」
「だったら、おいらが貰って良いかな~?」
「やらんぞ。……ところで、信太は
箸を伸ばす大助の手を押し退けて、無作法ながら
訊かれた利市は、丸ごと干されて肉厚な魚の身を
「オレの所は、下の兄が戦に参加してぽっくり逝ってな。上の兄も酔っ払いながら夜道を歩いていたら、肥溜めに頭を突っ込んで死んだ。で、オレが家を継ぐことになった。商売を始めたら上手く行ってな。お前が乗ってきたあの船も、オレの
「おいらは妹が利市の弟に嫁いでお金が入ってさ~。そのお金で山を買ったら温泉が出て来て、
「ほう、そうだったか」
どうやら、波乱があったようだがなかなか上手く行っているらしい。みな
だからこそ、気になった。今この場にいない、とじのことが――――。
一刻続いた宴も終わり、利市や大助を初めとした男衆は村へと戻っていった。
信太も巫女達に
一人残った一刀斎は
目の
といってもあの頃の一刀斎は、
不意に思い出したのは、この三島神社を出たあの日、鼻に漂った
匂いというものは時を経ても、いつまでも
頭の冴える、清涼とした甘い香り。いつの間にか用意されていた
その
「とじ殿のことが、気になるんだろう?」
思いを
記憶に残る
「――――ああ、当然な」
「どの辺りまで聞いている?」
「あの後、
船の中で信太が言っていた通りの言葉を返す。織部は「その通りだ」と頷いた。
「あの方は、特別
織部に言われ、はたと気付いた。
今思い起こせば、この
「この
他人に穢れを移さぬように、他人に穢れを移されぬように。
別の家屋で過ごす
織部の言葉を信じるのなら、とじはずっとそういう生活をし続けてきたのだろう。
「――会いたいか?」
「……無論だ」
過去に起こした罪が、
会うべきではないと思ったこともある。
だが、しかし。
「おれはこの十年余り、ひたすら武を
剣の道の始まりこそ、血臭漂う
だが、培ってきたその
織部に教えられた
京の街で知った、綺麗な剣という理想。
見えないものを断ち斬った、大上段の唐竹割り。
それらが「穢れ」などと、吐き捨てることなど不可能だった。
「おれはまだ、理想に届かぬ未熟な身だ。だが、確かにおれは、今のおれを
そう断じきった一刀斎を見て、織部はより目を細め、えくぼを深くする。
「……迷いがあったならば、会わせまいと思っていたが。心配ないな」
一刀斎の中にある魂の炎。揺らめくことなく、しかと強く燃える炎を、織部は見ていた。
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