第九話 無用の火照り

先程さきほどの戦いは見事でしたね。さぞ名のある剣客けんかくなのでしょう」

「おれはまだ未熟みじゅく。名を上げるのは、これからだ」

 熱田あつた神社じんじゃおくを目指し、一刀斎いっとうさい鎮守ちんじゅもりを進む。

 先をくのは竹中たけなか半兵衛はんべえ。熱田神社にえんある織田おだ尾張守おわりのかみ、その臣下しんかである木下きのした藤吉郎とうきちろう部下ぶか

 一刀斎はその両脇りょうわきを、織田の兵らしき者らに固められている。

 気が張っている。どうやらこの竹中半兵衛という男は、木下藤吉郎の部下でも重要な地位にいるらしい。

外他とだ一刀斎いっとうさい殿どの、とおっしゃいましたね。――ふむ」

 なにか思うところでもあるのか、半兵衛が親指おやゆびで顎をこすっている。だが。

「――――さて、ではみちきがてら、御前ごぜん仕合じあいについておはなしします」

 そんな素振りを見せたのは寸時わずかばかり。さっきまでの思案した様子はさっと立ち消える。

 どうやら仕事しごと私用しようなら、前者を先に立たせる気質きしつらしい。

「赤組で勝ち残ったあなたは、これから神前しんぜんで、青組で勝ち残った者と仕合をしてもらいます」

承知しょうちしている」

 なにしろあれはそのための戦いだった。前座ぜんざにしてははげしかったが、充分すぎる運動になった。

 お陰で、身体からだ精神こころも燃えている。

「始めに、熱田あつた大神おおかみへと祝詞のりと神楽かぐらが捧げられます。その間は座して控えてください。呼吸こきゅうととのえるなり、戦闘を想起そうきするなり……心に熾きた熱は、絶やさぬように」

 半兵衛の言葉が、一刀斎の心に真っ直ぐ捧げられる。

 そういえば戦いが始まる前、半兵衛も剣の心得があるといっていた。細身ほそみではあるが纏う雰囲気は怜悧れいりであり、利剣りけんのようである。

 半兵衛はそのまま、説明を続けた。

「仕合と言うとおり、先の入り乱れての戦いではなく向かい合ってのものとなります。開始の合図は、我が方の藤吉郎が直々に行います。……あの人は話し好きなので、その際に長々ながながこうじるかもしれませんが、その時は気にせずともよろしいですので。止めます」

 半兵衛の言葉で、両脇の男達が小さく笑う。主をそのように扱うのはどうなのかと思ったが、半兵衛からも、笑っている兵達からも、「あざけり」の気配は感じない。むしろ、囲炉裏火いろりびでも囲んでいるかのような空気だった。

 鳥居とりいまえで見たあの洒落しゃれを思い返せば、あるじしんの距離も近いのだろう。さぞ心地の良い一座いちざなのだろうと、一刀斎は心中でうなずいた。

「合図の先は、存分に戦ってください。その身命しんめいして、神の御前みまえで披露するに相応しい撃剣げっけんを期待します」

「……言われずとも、死力を尽くす。そうでもしなければ、倒せぬ相手が待っているのだろう」

 脳裡のうりに浮かんだのは、神速の抜刀を放つ剣士、浅野あさの甚助じんすけ。自分と異なり、青組の方へと分けられた男。

 剣閃けんせんつばりさえも遅れるほどのりは、まるで夜空を裂く流星りゅうせいである。

 過ぎったと思った瞬間には、すでに立ち消える斬撃ざんげき

 だが流星が暗い脳裡のうりを斬り裂いたとき、瞼の裏に広がったのは、無限に広がる積雪せきせつ荒野こうやだった。

 甚助が一瞬だけ漏らした気配が見せた、恐ろしく寂しい世界。あれは、一体――。

「見えましたよ」

 思案していると、前方で木々きぎが開け始めた。第二の鳥居が堂々どうどうそびえ、一刀斎の前に立っている。

 しかし威圧いあつは感じない。まるで、到来とうらいを待ち望んでいたかのように、全てを受け入れるかのように鎮座ちんざしていた。

 そしてその先は、砂利じゃりの敷かれた広い境内けいだい。その中心には白布が敷かれ、向かって右、引かれた青布に座するのは――。


 木下藤吉郎の臣下で、青組の目付をしていた丸毛まるも三郎さぶろ兵衛べえは、己が見たものを疑った。

 りで、四人の男が一瞬で倒れた。

 いや、刀を振らずに倒すなどは当然不可能。間違いなく剣閃は斬軌ざんきを描いたが、目で追おうとした時には消えてしまい、鍔の鳴る音がひびいた。

 するとその男を囲んでいた武芸者達は、瞬く間に打ち倒されていた。

 絶技ぜつぎ。その抜刀ばっとうは、そうひょうするしかない。

 ととのった恰好かっこうをした武芸者が、なにやらわめき立てながら男に迫る。迅速じんそくの突きは火縄ひなわのようであったが、しかし抜刀は、迅速では届かぬ神速の太刀。突きははらりとかわされて、瞬く間に、否、瞬く間際には既に終わっていた。

 ただのいち動作どうさであるはずの抜刀を、魔剣まけんいきにまで押し上げていた。

 青組の戦いは、呆気あっけなく終わった。


 境内けいだいいま準備じゅんびちゅうなのか、神社の出仕しゅっし女房にょうぼう織田おだ家中かちゅうらしき者がせわしなく動いている。

「無事死ななかったな、一刀斎殿」

き刀だ、当たり所が悪くなければ死ぬことはない」

 藤吉郎に報告があるとその場を離れた半兵衛と入れ替わりに、はるまるが来た。

 いつもの動きやすそうな麻のきぬではなく、質の良い直垂ひたたれを身につけている。

 それだけ重要なもよおしなのだろう。境内にいる番兵ばんぺいらは、みな屈強くっきょうとしている。こちらを品定めするような視線をやるのは、織田、木下の兵か。

「やはり、あの抜刀の男が勝ち上がったな」

「ああ、そのようだな」

 春丸が振り向いた先には、浅野甚助がいた。青布を敷いた石畳の上に黙して座していて、その周囲には、まるで雪上がりのような冷たい気配が漂っていた。

「こちらへ」と春丸に促され、甚助を流し目に後を付いていく。

「さて、案内の織田方から話は聞いていると思うが、これから神事が行われる。鳴子なるこたち巫女が神楽かぐらって、その後から仕合になる。それまで一刀斎殿は、ここで待機していてくれ」

 春丸に連れられたのは甚助の真正面、白布の左手にある赤布だ。

 こちらが赤組だから赤布。あちらは青組だから青布。なんとも分かりやすい。

 一刀斎は指示されたまま赤布の上に胡座あぐらをかいたが、下はやはり石畳、布は柔らかいが座り心地が良いとは言えない。

 先に辿り着いた甚助にならい、静かに待つとする。

 しかし胸の内に宿った熱が、もどかしい。調息ちょうそくで心を整えてなお、こころの炎はたぎっていた。

 あまる熱は、不要らぬ。

 気が逸れば、力を込めすぎれば、技はぶれる。

 とせ。必要な分以外を、殺ぎ落とせ――――。

「一刀斎さん!」

「…………む?」

 不意ふい背後はいごに気配が生じた。

 振り向けば、そこにいたのは喜七郎だった。没頭していたせいか、全く気付かなかった。

 喜七郎は白の斎服さいふくに身を包んでいて、まだ幼い子どもながら、どこか織部おりべ面影おもかげも感じた。

 さすがに風格ふうかくは、だいぶ足りていないが。

「無事残ってくれてありがとうございます! 一刀斎さんの剣を見るのが楽しみです!」

「礼を言われても、別に喜七郎のために残ったわけではないのだが……」

 溜め息交じりに答えたが、喜七郎は満面まんめんの笑みを浮かべたままで聞いていない。

 しかし、今はそんなことよりもだ。

「喜七郎、お前はこの後――――」

「喜七郎様っ、駄目ですよ外他とださまのお邪魔になりますから!」

 訊こうとした丁度ちょうどその時、鳴子なるこが喜七郎を後ろから捕まえた。頭飾りを外してはいるが、巫女みこ装束しょうぞくの上に千早ちはやを掛けている。

「ええ……でも自分は、一刀斎さんを応援しようと……」

「アナタ様はこの後お務めがあるがあるのですから、その為に控えていただきませんと……」

「そういう御身おんみまいを舞わねばならぬのではなかったか」

「……そ、それもそうなのですが。私、したですので……喜七郎様を見守るのも私の仕事でしてえ…………」

 一刀斎の鋭い指摘に、深海ふかうみのような目があちらこちらに揺れている。愛らしい動作だが、泳いでいた目が一点を見つめてとまる。

 はてと一刀斎もそちらに目をやれば、喜七郎の母である太阿たあと、その側に控える女房にょうぼう―確か山路やまじと言ったか―がいた。

 太阿は優美なほほみのままこちらを見ているが、山路はしゅくとして座している。…………それだけなのに、相当なあつはっしている。

 人の気配けはいさとい一刀斎でも気付かなかった。

 ……いや、そうではない。そもそも圧など放ってはいないのだ。

 ただそこにいるだけでも圧倒する存在感。その強弱をあやつって、「相手の弱気」を引き起こしている。これもとしこうというものか。

「……? どうしたんですか? 二人とも?」

 感心する一刀斎と、固まってしまった鳴子。山路の圧に気付かないのは、無邪気な喜七郎ばかりである。

「さ、さてそれでは、行きましょうか喜七郎様! 装束しょうぞくを着付けねばなりませんから! では外他様、仕合の方頑張ってくださいませ~!」

「え、う、うん分かりました。頑張ってくださいね、一刀斎さん!」

 ぽかんとした喜七郎は素直に鳴子に手を引かれ、拝殿の方へと向かって言った。

 なんとも、風のような二人だった。

 それも潮風しおかぜのようにはだけず荒風あらかぜではなく、よく乾いて爽やかな、野原を抜けるそよかぜのような。

「……ふむ」

 気付けば腹の底に溜まった熱が、幾分かやわらぎ、心地よいものになっていた。

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