第八話 怒濤を食らえ

 風を切り刀を打ち払う音は海嘯かいしょうの如く。

 止まることなく繰り出されるのは怒濤どとう飛沫しぶき

 旋回せんかいしこちらをとらえて逃さないのは、渦潮うずしおである。

 なめらかにうごく棒は、まるで液体えきたいのようですらあった。

 今度のわざくらべは浅野あさの甚助じんすけが目当てだったが、これほどの武芸者までいたとは、一刀斎いっとうさいにとっては嬉しい誤算ごさんだった。

 しかし、嬉しいと言っても。

ァアアアアアアイ!!」

ェェイ!」

 素直に喜ぶほどの余裕は今はない。

 四半しはんこくをさらに五つに割った数だけ、一刀斎と江浪えなみ由之丞ゆいのじょうは休まず打ち合っている。

 過去の一刀斎の名を聞き知った、棒術ぼうじゅつを扱う近江おうみ武芸者ぶげいしゃ

 その勝負は拮抗きっこうしていた。

「いやはやうわさ以上いじょうだねえ! いったいどういう感覚かんかくを持ってんだ、あんた!」

「話してる余裕は、ないがな……!」

 寄せては返す波のような連撃れんげきを、一刀斎は的確てきかくに受けさばき始めている。

 距離を取ろうとする由之丞を逃すことなく一定の距離をたもっているが、それでもあと一歩がとおい。

 得物がかたな同士どうしであったならば、攻防こうぼう一拍子いちびょうしの斬撃を打てる機会は何度かあった。

 しかし棒は打ちおさえたとしても、手を滑らせ打突だとつ部位を反転はんてんされ、反撃はんげき起点きてんを崩される。

 加えて、その変幻へんげん自在じざい軌道きどうもまた一刀斎を苦しめている。

 一刀斎は相手の気配の機微きびを読み取り、刹那すぐに対応する剣士である。

 しかしどこからでも放てる棒と、棒を振るう由之丞が纏う気配は一刀斎に多くの可能性を与えぶつけてきた。

 無数の打撃のうち、どれを繰り出すかの一瞬いっしゅんの意志決定を感じ取るには、深い集中が必要だった。

(頭が戦いを考えるな……頭は勝つ道筋みちすじを見抜くためだけに動け。判断は、心に任せろ――!)

 心法しんぽう。剣とは心で振るうものだと、師である自斎じさいによって教えられた術理である。

 いかに飛沫しぶきが散ろうとも、真に対応すべきは大波濤だいはとう

 どれほど手数の引き出しがあったとしても、選べる選択肢は棒の数ひとつでしかない。

 最も意が乗せられた軌道に、一瞬でも生じる心中しんちゅう発声はっせいを読み食らい、技を返す――!

ァァ!」

 身体の影に隠されていた棒が振り上げられる。――見えた!

ッッッ!」

 一刀斎はその下段打ち上げをかわしてみせる。そのまま一歩踏み込んで刀で打ち据えれば――――

ォラ!」

「なにっ」

 だがしかし、一刀斎の足は止められた。

 由之丞は即座に手の内で棒をはかますそへと突き出した。裾は地面に縫い止められて、歩みを無理くり止められてしまった。

ォォラ!」

「ぐぬっ……!!」

 距離を詰め損ねた。首に放たれた牽制けんせいの一撃を一刀斎はやり過ごしたが、またも由之丞との距離をちぢそこねた。

 再び由之丞のギリギリ間合まあいなか。荒れ狂う波のように襲いかかる棒の技を払いながら、一刀斎の目はひたすら勝利と、敵手の挙動きょどうに向けている。

 由之丞は笑ってはいるもののひたい首筋くびすじには汗が浮かんでいる。

 それもそのはずだ。この波のような連続攻撃をほぼ休まず繰り出して疲れないことはない。

 戦いで昂揚こうようしたこころは疲れと痛みをねじ伏せるが、それも限界というものがある。

 このまま耐久たいきゅうし続ければ、隙が生まれるだろう。だがしかし、それはただの賭け。

 己もその連撃を斬りさばき続けているし、いつ読み違えてもおかしくはない。

 由之丞の棒は、的確に一刀斎の急所を狙っている。打ち込まれれば即座にしまいだ。

 ならば。だというのならば。

(こちらから、斬るしかあるまい……!)

 それが前原弥五郎。否。外他一刀斎の理合りあい流儀りゅうぎである故に。

 なにものをも斬る。ことごとくを斬り越える剣士となると、一刀斎は柳生やぎゅうさとで決意した。

 迫る波濤を、寄る海流を、飲み込まんとする大渦を乗り越えろ。

 荒海あらうみを、怒濤を食らえ。

 みず相手あいてほのおおもい。それも海ならなおのこと。ただの炎では決して足りぬ。

 大海すら飲み込むほどのねつを生め。己の今を全てべろ。

 この後にも戦があるからと温存おんぞんするな。その時にまた、こころを燃やせば良い。

ァアアアアアアア!」

「ッ……!」

 裂帛れっぱく気勢きせいと共に放つ唐竹割りの切り下ろし。

 棒をかえし、後ろ部分で打とうとした由之丞は、咄嗟とっさに身体を入れ替えつつ、横薙ぎに移行いこうして一刀斎の剣を撃ってきた。

「ぐう……!」

 しかし、一刀斎の一撃は重い。剣を打ち払うことが出来ず、逆に棒は抑え込まれている。

 瞬間由之丞は足を引いて紙一重で斬撃を避け、腰を低くして棒を引いた。

 今までの流れるような動きに、キレが増した。

 一刀斎の意識が一段階より研ぎ澄まされたのを感じ取ったか、由之丞もまた意を心身に満たしたのだろう。気に、激しい意が乗った。

ァアアアアアアアア!」

 面白い! おれに見せろお前の全力を! それも全て己の内へと飲み込んでみせる。

 たける一刀斎は、一撃いちげき袈裟けさに刀を振るう。

 対する由之丞は先と同じく横薙ぎ一閃、一刀斎の剣を打つ。先よりも意と力の乗った打撃は一瞬ながらその斬撃を止めてみせ、更に。

ェェエエエ!」

 瞬時に棒を手の内で旋回。反対側も打ち付けてきた。

 一度のみならず、二重におそった衝撃は一刀斎の剛刀ごうとうさえ払い退ける。

 だがそれでもとまらない。今度は縦に廻転かいてんさせて、あごへと片端かたはしを打ち上げてきた。

 一刀斎は上体を逸らしつつ刀を振り上げ、眼前を棒が過ぎるやいなや振り下ろす。

 一方由之丞はそのまま棒の手を一周させて引きつつき、立ち上がる勢いをも乗せて大振りに棒を払う。

 打ち合ったかたなぼうは、にぶい音を戦場いくさばひびかせる。

 だがそれでも棒の連撃は、なおも止まることない。由之丞は競り合う刃の直ぐ下に手を滑らせて、すねを目掛けて片端かたはしを撃ち出した。

「ぐ……!」

 一刀斎はすかさず足を引いた。それを見た由之丞が豪快ごうかいに棒を振り回す。まるで岸壁がんぺきに打ち付け、岩肌いわはだけず津波つなみのようだ。その振りだけで、由之丞が見るものを圧倒する荒海あらうみ具現ぐげんしゃにさえ思える。。

 恐らく次は、渾身こんしんの打突。全ての意が、棒の先へと傾いた。

 次の一合いちあいまで一瞬いっしゅんもない。

 ――ならば!

 腹の底に練った意気を爆発させる。炎の芯がかたむけば、火の手の先まで揺れるように。

 小分けにした肉体を連動れんどうさせて、一個いっこの形へと変質へんしつさせる。

 炎となれ。相手の剣を受けさばきながら、相手を焼く炎となれ――!!

ェエエエエエエエエイ!」

ァアアアアアアアアア!」

 由之丞の打ち下ろしに、刹那遅れる。否、

 落とされる棒は弧をえがき、こちらをおさまんとする高津波たかつなみ

 しかし一刀斎のわざは、その巨濤きょとうさえ斬り割った。

「なに……!」

 ぼうが、かたなもてあそばれる。

 力強く、大きく放たれた棒の一撃は、細やかに動いた太刀たちさばきに巻き抑えられる。

(しまった……!)

 存分に力を乗せるため、由之丞の手は、棒の端を掴んでいる。これでは、返し打てない――!

(いやっ……!)

 由之丞は諦めていない。全力で棒を手繰たぐせば、突きを打てる。

 逡巡かんがえる間もなく棒を引き寄せた由之丞のその眼前で――黒い瞳が燃えていた。

 彼我ひがの距離は、三尺さんしゃくを切っている――――!

ァアアアアアイ!」

「ごごぁっ……!!」

 踏み込むと同時に、切り込んだ。

 足と同時に、剣が動いた。

 剣と体が、一体となった。

 剣体けんたい一致いっちのその袈裟けさは、由之丞の肩を、打ち付ける――。


 肩をさん上下させた一刀斎は、すかさず深い呼吸に切り替えた。

 真冬だというのに汗が止まらない。本当に、熾烈しれつ激烈げきれつの戦いだった。

 しかし。

「お見事!」

 伏目がちの線が細い男…………この組の目付めつけであった竹中たけなか半兵衛はんべえが、よく通るてい音声おんじょうで手を打った。

「素晴らしい戦いでした、外他一刀斎。赤で勝ち残ったのは、あなたです」

 そうだ。この熱田あつた神社じんじゃでの技競べ。この戦いは、しょせんは前座に過ぎない。

 真の戦いは、神代かみよつるぎでの御前ごぜん仕合じあいは、終わっていない。

「では、案内しましょう。――最後の戦いの場所、熱田あつた大神おおかみ御前ごぜん、我が主、藤吉郎とうきちろうが待つ拝殿はいでんへと!」

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