第四話 遥かを望む

 潮風しおかぜが頬の傷に触る。熱田あつた神社じんじゃは、海の方を向いて立っていた。

 社殿しゃでんが一直線に並ぶやしろもそうだが、なんとも不思議なつくりである。

「面白いですよね? ここに初めて来た方は、皆様みなさまそうやって海をながめます」

「む、御身おんみは……」

 つい昨日、この熱田神社で出逢った顔である。まだ幼い喜七郎きしちろうに、手を焼かされていた巫女みこ。確か名前は、鳴子なること言ったか。

 立ってるだけでゴミが入りそうな思うほど、目がパッチリと開かれている。しかし深海ふかうみからそのまま掬い上げたような青黒い目には、それらしきものはまるでなく、水面みなものようにきらめいていた。

「ですけど、武芸者ぶげいしゃさま即座そくざ拝殿はいでんへとおもむきますから、アナタのような人は珍しいですね」

「……まあ、海には色々とえんがあるからな。伊豆いずの島で生まれたこともある」

「まあ、ではお好きなんですか? 海」

「嫌いだ」

「…………え」

 いた鳴子は海が好きなのだろう。満面の笑みのまま、一刀斎いっとうさいの答えを聞いて固まってしまった。

 だが仕方ない。一刀斎は船から叩き落とされて、海でおぼにかけた。しおにおいも好きじゃない。

 だから、逆に気になっていた。

「なぜ、この神社は人の方ではなく海を向いているんだ?」

「え、ああ、そ、それはですね」

 コホン、と咳払いと共に気持ちをととのえて、鳴子は透き通った声で語り始める。

「……この熱田神社が、つるぎみやと呼ばれる理由はご存じですか?」

「確か神代かみよつるぎまつっているからだろう」

 それは松軒しょうけんに聞いたことだ。それが本当かどうかは知らないが、かつ縁起えんぎとしては最上さいじょうのものだろう。

 鳴子は「その通りです」と、頷いた。だが。

「ですがその剣は、かつての源平げんぺいいくさで海に沈んだと伝わります」

「――――なに?」

 源平の戦。それは一刀斎も記憶している。かつておきた大きな戦だが……。  …………その内容はサッパリ忘れた。

 だがしかし、その折に海に沈んだというなら、祀られているというのは、いったい。

贋作がんさくか? 作り直したか? それとも」

 ないのか、と言いかけた時、鳴子はそれを制止するように首を横に振る。その表情はとても穏やかで、諧謔かいぎゃくかんじさせず、負い目らしいものを感じている様子もなく。

「私も、熱田あつた大神おおかみ――――草薙剣くさなぎのつるぎも見たことはありません。本殿ほんでんの奥に秘められて、大宮司だいぐうじであった千秋せんしゅうかたはもちろん、先代の藤原ふじわらの方であっても、中をあらためたことはないそうです」

 でも。と言葉を紡ぐその小さなうみは、大海たいかい全てをうつしている。

「大切なのは、伝わる真贋しんがんではありません。実在の真偽しんぎでもありません。そして、神代の剣があるかどうかでもないんです。――大切なのは、人の想いがあるかどうか。信じる心を、その人が持てるかどうかなんです」

「――――」

 ものがあるか、ではなく、ものを信じる心が持てるか。

 その概念がいねんを、一刀斎は飲み込み、武芸者おのれなりに解釈してみる。

 刀を持っているだけでは、武芸者ではない。刀を扱う、「心」があるから武芸者となる。

 もし刀を手放したなら、己は武芸者とは呼べないか? その答えは「否」だろう。

 身におさめた剣技は、心髄しんずいてっした術理じゅつりは、一刀斎自身に宿やどったもの。

 乗せる剣が無かろうと、放つことが無かろうと、存在しない、わけではない。

 少々しょうしょうほがらかで賑やかな少女だが、その内は、しかと巫女の精神ものらしい。

「……っとと、話が逸れてしまいましたね。先も言った通り、つるぎは海に沈んだと伝わります。ですから、この岬から遥か海を望み、通し見ることで「草薙剣を抱いている」としているんです」

「……ほう、なるほどな」

「そう、太阿たあさまが喜七郎様に語っていました!」

「…………子へのはなしをさも縁起えんぎのように語るんじゃあない」

 巫女の気質なのはともかくとして、やはり調子が良いらしい。


 一刀斎が通されたのは、昨日と同じ社務所しゃむしょである。

春丸はるまるさんと違って私は昨日のお詫びが出来ていませんので!」と鳴子に通された。春丸から飯をおごられて、鳴子を別にするのはたしかにどうかと思って応じたが、その判断は間違っていなかったようだ。

 出されたのは海鮮かいせんと違いただの茶と菓子だが、寒空さむぞらの、しかも海風にさらされた身に熱い茶はよく染みる。身をぬくませる茶を堪能たんのうしていたら。

「こんにちは、一刀斎さん!」

「ようこそいらっしゃいました、外他とだ様」

 この神社の次期大宮司である喜七郎と、その母、太阿である。

「春丸から聞きました、一刀斎さんもわざくらべに参加するんですね!」

「うむ、そういうことにした」

 喜七郎はどうやら、剣技に興味があるらしい。いや、剣技だけではない。武術や、あるいは武、そのものに好奇を寄せている。

 さすが剣の宮のせがれと言ったところだろうか。

「そういえば、海を見ていたそうですね。武芸者様はすぐお参りに来るのですが、外他様は、少し変わっていますね」

「それは鳴子殿にも言われたな。なんとなく不自由だなと思ってな。門前もんぜんまちに背を向けている。祭殿さいでんも町に近くなるだろう。あやうくはないか?」

「でも、安全ですよ? 尾張守おわりのかみ様に頂いた塀もありますし、なにより、神社に盗みに入ろうだなんて罰当たりなお人はいないでしょう」

「いるところにはいるぞ」

 その罰当たりなお人のお陰で伊東の地を離れた自分が言うのだから間違いないと、一刀斎は力強く頷いた。

 しかし太阿は「そんなまさか~」とたおやかに頬笑ほほえんで、冗談だと思っているらしい。なんとも脳天気だが、ここには番兵ばんぺいもいるし、尾張おわり領主りょうしゅ織田家おだけとも関わり深い。

 そんなところに盗みに入るのは、どんな大泥棒おおどろぼう御免ごめんだろう。

「ところで、一刀斎さんはどこで剣を覚えたのですか?」

近江おうみ堅田かたたと言う場所だ。その前は伊豆いず三島みしま神社じんじゃというところで、一年学んだ」

「まあ、外他様は神社に縁がお有りなんですか?」

「というか、その一年は神社に厄介やっかいになっていた。おれは故あって生まれの地から離れた身でな――――この甕割かたなも、神社を出る時に餞別せんべつに貰ったもので、元は神刀しんとうとして奉納ほうのうされていたものだった」

 腰から外した甕割に、そっと目をやる。長らく差料さしりょうとして使ってきた愛刀あいとうだが、いまだ骨肉こつにくをスパリと断ち割るその切れ味におとろえはない。

「神刀……では熱田大神様と同じなんですね!」

「さすがにそこまでの縁起えんぎはない。だが、面白い話はある」

 目を輝かせる喜七郎を見て、興が乗った。

 一刀斎はかつて自分がそうされたように、甕割が持つ鬼斬おにぎりの縁起を語り始める。

 一刀斎は語りは上手くない。ただ言い切り口調で、装飾も誇張もなく聞いたままを伝えるだけで面白味に欠ける。

 だが喜七郎は、心を前のめりに、耳を傾けていた。まぶたを大きく開かせて、じっと聞いている。

 そして来歴を語り終えれば、無邪気に手などを叩いてみせた。

「すごいです! そのような御刀おかたなを振るえるなんて、一刀斎さんも神様の生まれ変わりなのですか?」

「俺は只人ただびとだ。……甕割が実際鬼神を斬ったかどうかは分からん。ただ、鬼神を斬ってもおかしくない切れ味はある。……技競べでは木刀でも使うとする」

「それならご安心ください、当日には木刀やきしたかたなやりを用意してますから、そちらをお貸しいたします」

「そうか、助かる」

「そうなのですね……」

 興味を抱いた太刀を見られぬのかと、喜七郎は沈み込む。

 甕割を振れぬのは、一刀斎にとっても惜しいところがある。だがしかし、それでも神の御前ごぜんを血で汚すのは、なんとなく気が引けた。

 どうやら海や船だけが己の弱みではないらしいと、一刀斎は心の中で軽く溜め息を吐く。

 丸まった喜七郎の背中を、太阿はぽんっと、撫でるように優しくたたいた。

「そう気落ちするものではありませんよ。技競べで見るのは刀ではなく、参加する方々の武の腕なのですから。……さあ、そろそろお勉強の時間ですよ。山路やまじのところへ行きなさい」

「はい、分かりました母様かあさま。一刀斎さん、お話をありがとうございました!」

 さっきまで気落ちしていた童子どうじはどこへ行ったか。母に励まされた喜七郎はさっと立ち上がり、一刀斎に深く礼をしたら駆けて部屋から出て行った。

 襖の奥で控えていた、巫女上がりらしき女房が喜七郎に付いていく。おそらくあれが山路であり、喜七郎の教育係なのだろう。

「喜七郎は、本当に武を好むのだな」

「……はい」

 太阿が、我が子が消えた方を見遣みやる。

 武を好むという言葉で、その優美ゆうびな瞳が憂いで揺れた。

「…………外他様は、聞きましたか? あの子の父の顛末てんまつを」

「それならば昨日きのう、春丸に。…………確か、戦の最中さなかたれたとか」

「ええ、その通りです。千秋家は元は武士ともいえる家系かけいですし、それをしとは言えません。……血は争えないとは、この事を言うのでしょうね」

 一刀斎が思い出したのは、自ら光を発しているかのように、まばゆくすら見えた喜七郎の眼差まなざし。

 武に強い興味を示す、純真じゅんしん無垢むくひとみ

「……実は私は、四郎様の死後は、喜七郎を連れて実家に帰っていたのです。ですが、次代じだい大宮司だいぐうじである喜七郎様の顔を披露ひろうしたいと。そう願われました」

 一度言葉を句切り、太阿は呼吸をととのえる。

「……私は正直悩みました。しかし喜七郎自身が、「剣の宮に興味がある」と言ったので、私はそれに応じた次第です」

 親の心子知らずとは、この事を言うのだろう。とはいえ喜七郎は元服げんぷくまで半分も行った様子がない。はかれと言う方がどだい無理な話だろう。

 まことに、母というものは偉大だと思い知らされた。

 己のつらみがあったとしても、子に献身けんしん奉仕ほうしする。

 伊東でとじから厳しく育てられた一刀斎としては、もう少し圧をかけてもよいのではと思うが、喜七郎は子どもらしい奔放ほんぽうさがあるものの物分かりがいい。

 そういう子をきつく叱りつけるのは、不必要だとも思う。実際、喜七郎は利発りはつで礼儀をわきまえていた。叱るのはひどいイタズラをしたときと、聞き分けないときぐらいで良い。

「おれは経験がないが…………ままならんようだな、子を育てるのは」

「ええ、ままなりません。ですが、楽しいものです」

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