第五話 尾張の将

 坊主ぼうずかたわらを走り去った。今日だけで、三人目である。師走しわすとはよく言ったものだと、一刀斎いっとうさいは見送った。

 もはや年の瀬、今年最後の晦日つごもりも、すぐ目の前に迫っている。

 白い息が口から漏れる。排出た分を取り戻そうと息を吸えば、乾いた寒気かんきが内に入ってきた。寒さはともかく、この冴えた空気は嫌いではない。

 尾張おわりの冬はきびしい。みやもり防風林ぼうふうりんとなっているが、それでも海から冷たい風が流れ、町を吹き抜ける。

「……む」

 その風に逆らって行く三人の集団とすれ違った。鋭い目付きに鍛えられた肉体。そして立派な腰の刀。間違いなく武芸者だろう。今日だけで、八人目だ。

 武芸者の数は日に日に増えていて、宿やど食事しょくじどころ盛況せいきょうである。坊主だけでなく、街人もせわしない様子だ。

 武芸者達の目的は、熱田あつた神社じんじゃで行われる武芸者同士の腕試し、わざくらべだろう。

 一刀斎が門前町に来てから三日目、技競べを明日に控えたこの街には、認知にんちただけで二十人ほどの武芸者が集まっていた。

 中にはやり棍杖こんじょうたずえた者もおり、立ち合いはけん一辺倒いっぺんとうということにはならないだろう。

 一体どれほどの武芸者が現われるのか、今から楽しみでならない。

 少なくとも、一人は達者たっしゃがいる。

「…………おや、お前さんは」

「ほう、また会ったか」

 脳裡のうりさぐれば、影が出た。

 浅野あさの甚助じんすけ剣閃けんせんつばりさえ遅れる流星の如き抜刀を放つ剣客けんかく

 京で何人もの武芸者と相対してきたが、彼のように居合の術理わざ主軸しゅじくえた者はいなかった。

 年の頃はまだ二十歳はたちなかばだろうが、その技は練達れんたつと言い切れる。

「…………外他とだ一刀斎いっとうさい、と言ったか」

「うむ。ここ数日会わなかったな。広い町だが、行き会わないほどではないはずだが」

「…………目立つのはあまり好かない。武芸者も増えてきたから、紛れられると思った。それまでは、街の片隅にあった廃小屋はいごやにこもっていた」

「この寒天かんてんの下でか」

「…………これぐらいの寒さならば、故郷くにでもままあった、苦ではない」

 そういえば甚助は、出羽の生まれと言っていたか。

 東国、常陸ひたちくにより北は深い森や山におおわれ、寒さはこの尾張よりも厳しく、雪もよく降ると聞いていた。

 さらに言えば甚助は鹿島かしま香取かとりで剣を学び、それからここまで旅してきたというのだから、己よりよほど旅慣れをしているだろうと一刀斎は心の中で頷いた。

 よそおいも裾先がところどころ破けていて、羽織はおり年季ねんきが入っていた。

 いたみも激しく、染め直しや縫い合わされたあともある。

 どこか、甚助のたけと少々ずれているようにも見えた。

「ふむ……鍛練はどうしていた? わざくらべも近い。仕上げなくて良いのか」

「…………戦いとは、常に仕上がった時に起こるとは限らない。むしろいさかいの種は、そこら中に転がっている」

「確かにな」

 仏頂面ぶっちょうづらのまま頷いて、一刀斎は同意する。

 自分も一寸前まで予知していなかったのに、いきなり戦うことになったのはかずおおくある。

 しかもそう語る当の本人こそが、先日往来の中で突如とつじょからまれたのだ。

「それに」と、甚助は言葉を続ける

われも、鍛練をしていなかったわけではない。吾の技は、室内の方が、都合が良い」

「……なるほど」

 甚助は、相手方あいてがた刺撃しげきを極限まで引き付けてから、三尺はあろう刀を抜き放っていた。

 刃圏を活かすのであれば、相手方が使っていた定寸じょうすんの中太刀が届かぬ距離から打ち放つのが道理だろう。

 だがしかし甚助は、相手の間合に踏み込んでから抜刀した。しかも、しかと物打ちに当てていた。

 一刀斎が思い出したのは、新当流の達者たっしゃであった雲林院うじい松軒しょうけん

 三尺の間合、必死ひっしの距離を松軒は悠々と生き延び、刃圏に入った相手を瞬く間に斬り伏せていた。

 甚助も鹿島香取で剣を学んだと言うし、似た息吹いぶきを感じるのも無理はないか。

「ただの抜刀動作を、技として扱えるまで練り上げるとは、よほどのこだわりがあると見えるな」

「――――こだわりか」

 ひそむ空気が、変わった。

 それまではゆるりとしていた間が、今度はピンと張り詰めたものに変わっていた。

 今まで心中しんちゅうに秘められていた感情が対外へと漏れ出て、一つの気配を生む。その気配の色に、一刀斎は思わず動じた。

 荒涼こうりょうと朽ち果てた岩垣いわがき

 悲愁ひしゅうを乗せた乾いた微風びふう

 寂寞せきばくと広がる無限の雪原せつげん

 それらが意味する感情ものは、晴れる事なき

「…………では、また会おう」

「――――ああ、そうだな」

 しかし一刀斎は、その理由をわなかった。甚助も、話そうとはしなかった。

 ならばこれ以上、語らうことはない。

 その背にどんな道が広がっていようとも、それを知ったとしてなんになろう。

 大切なのは、なのだから。


「これまた、大量だな」

 背に海が広がる大鳥居の前には、多くの武芸者がひしめいていた

 見る限り、三十さんじゅうは越えている。おそらく四十しじゅうはいるだろう。

 これが全て、熱田神社のわざくらべの参加者だ。

 身形みなりが整った者、粗雑そざつころもを纏った者。そんな彼らに付き添う者ら。

 腰に大小だいしょう二振り差す者や、やり棍杖こんじょうたずさえる者。

 種々しゅじゅ様々さまざま十人じゅうにん十色といろの武芸者達がつどっている。

 集団の傍らを見てみれば、神社の番兵ばんぺい達が短槍たんそうを握り控えていた。みな一様に、白い上等な衣に赤いタスキを掛けている。神社側の者であると、一目見て分かるようにするためだろう。

 しかし、番兵らの中には「神社の者以外」が交じっているらしかった。

 装備や恰好は番兵らと変わらないが、纏う雰囲気が異なった。

 役目上、「守」に重きを置き、周囲からの意を受け止める番兵と違い、能動的にこちらに意をる者達がいる。中には取って食わんばかりに、前のめりに意識をこちらに差し向ける者もいて、それに気付いた何人かの武芸者はちらちらとそちらを気に掛けていた。

 一刀斎も少し気になったが、そちらではなく番兵達を見渡した。

(……春丸がいないな)

 ここにいないのであれば、社内しゃない守護まもりか。若いが腕は買われているらしい。

 東の空では太陽が、重たい腰を上げていた。ちょうど朝と昼、辰巳たつみさかいだ。予告では、そろそろ時間。

 言葉を交わしていた武芸者達の声が次第に小さくなっていき、とうとう誰も喋らなくなった。

 瞬間。

 ――パァァン!

「な、なんだ!?」

「なんの音だ!?」

 鳥居の前で、唐突に破裂はれつおんが響き渡る。

 なんの前兆まえぶれもなく生じた音に、一部の武芸者がわめきだし、思い思いの武器に手を掛けた。

 そのかんも断続的に音は鳴り続け、潮騒しおさい松風まつかぜに紛れ大音たいおんを鳴らしている。

 一刀斎は、音の方へ目をこらす。

 よくみれば鳥居や鎮守の森が、白んで見える。……けむりだ。日の光で気付かなかったが、よく見れば火花が散っていた。

 煙と火花、要するにこれは――花火?

「ちょ、これいかんかあ! お、多すぎだがねー!!」

 鳥居の影から、何者かが大慌てで飛び出した。

 目端めはしに映った番兵達は、「はぁ」と肩を落として頭を抑える者もいれば、必死で笑いを堪え、それでも我慢できず体を曲げて噴き出す者もいた。

 番兵達が動かないということは、技競べの一興いっきょうと言うことか。

 躍り出てきた男は黄染めの羽織を脱いで真っ白な煙をあおいでいるが、方向を間違えている。海の方へとやったところで、より強い海風が逆に吹き付け戻ってくる。

「わぎゃー! 煙が目ぇにー! げっほ! おえっほ!!」

 などと愉快に叫んでいるが、その煙は次第に空の方へと立ち消えていく。

 煙の中から現われたのは、頬の痩けた男だった。額は広く鼻の下が長い。煙でしみたその涙目は真円まえんであり、まるでその顔は、猿のようであった。

「ああもう! 誰だがや花火使おうなんて言ったのは! ……俺か!! 次からは気をつきゃーいかんがこれ!」

 ……火花は海風で湿気しけるから鎮守の森に引火することはないだろうが、万が一を考えなかったのだろうか。

 武芸者達はぽかんと、猿顔の男を呆然と見遣みやる。

「は、こりゃあかん」

 ひとしきり、独り言をわめいていた男はようやく気を取り戻し、黄染めの羽織を着直した。

 細い体に羽織はあまっているが、男はそんなことを一切気にする様子はない。威風いふう堂々どうどう、仁王立ちしてこちらを見ていた。

 さっきの愉快ゆかいな姿が頭の中に残っているから、なんとも締まらない。

(……うん?)

 一刀斎ははたと気付いた。ピンと張っていたはずの空気が、いつの間にかたゆんでいた。

 前を見れば猿顔の男は、納得したようにうなずいている。

(緊張をほぐすためにやったのか……?)

 いやまさかな、と一刀斎は首を振りかけたが、それでもやはり、その表情が気になった。

 猿顔の男は、ゆるりと武芸者を右から左、前から後ろまでざっと見た。

「こりゃーだいぶたくさん集まったがや! 信な……織田おだ尾張守おわりのかみ様も、これを見たら大笑たいしょう間違いなしだがね!!」

 織田尾張上。目の前のとぼけた、粗忽そこつな男から飛び出た名前に、武芸者達はざわついた。

 当然だろう。この熱田神社は織田尾張守にゆかりある神社。技競べの参加理由は腕試しもあるだろうが、「もし結果を残せば、織田家に参じることが出来るかも知れない」という期待を持っていたからだろう。

 ある意味で、この場にいる大部分の「目標」であった。

 その「目標」の名を口にしたと言うことは――――。

「では自己紹介だがね! 俺は木下きのした藤吉郎とうきちろう秀吉ひでよし。京で多忙たぼうな我が殿、織田尾張守に代わって技競べを見物けんぶつに来た、尾張おわり織田おだの将だがや!!」

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