第三話 流星の剣

 仕掛けた男が、ぐったりとその場に沈む。今まで自若じじゃくとした態度を崩していなかった取り巻き達が、目に見えてほうけている。

 ハッとして見てみれば、編笠あみかさの男はとうに納刀のうとうを済ましている。

(今のは、抜き放ったのか?)

 定寸じょうすん、二尺半ばの刀による突き。仕掛けた方も腕に覚えがあったらしい。その刺撃しげき迅速じんそくと言って良かった。気位きぐらいはとかく、剣技はよく練られていた。

 だが、しかし。

「…………ふむ」

 編笠の男は、その上を行っていた。神速しんそく。そう形容する他なく、三尺さんしゃくちょうなが太刀たちが描いた剣閃けんせんは、後に尾を引くほどだった。

 夜空を走り、切り裂く流星りゅうせいの如きぬきわざ。ただの抜刀でありながら、その技倆ぎりょう一個いっこの技として完成し、術理じゅつりとして存在していた。

「見事だな……あの長大ちょうだいな刀をああもたやすくばつのうするとは」

 感嘆の声を漏らすのは、熱田あつた神社じんじゃの若き番兵ばんぺいである春丸はるまるだった。

 春丸はしかと目を細め、とうに過ぎた剣の軌道きどう見据みすえていた。

「ほう」と一刀斎はうなずいて。

「お前はあれが見えたか」

「ああ、生来せいらいから目は良いのでな。――と言っても、こう離れていたから見えたようなものだよ。あの間合まあいの内で応じるのは、まず無理だろうな……」

 ごくりと喉を鳴らした春丸の頬には、冷や汗がしたたっている。

 確かにあれほどの剣速けんそく、いくらとらえ、抜く刹那しゅんかんを察そうとも、対応するまえに斬り伏せられているだろう。

 正直言って、きもが冷えた。

 いったいどれほどの鍛練たんれんめば、抜刀ばっとう動作どうさに力を宿やどすことが出来るのだろう。

 どれほどの情熱じょうねつそそげば、どれほどの想念そうねんいだけば、ああも技をきわめることが出来るのだろう。

「き、貴様よくも!」

 胸に満ちる感慨かんがいに飲まれかけたとき、放心していた取り巻き達が瞬く間に狼狽うろたえだし、刀を抜いて編笠に向ける。

 だがああ動揺どうようしていれば、豆腐とうふだろうとろくに切れないだろう。

「…………このような往来おうらいで、切った張ったの立ち回りをするのは、われはどうかと思うのだが」

 ぼそりとつぶやくような声で止められても、男達は応じない。それどころかますます目を血走らせる。

 あわや道端みちばたが血で染まるかと、今まで好奇の目で見ていた人々もざわつき始める。

「そんなことをしている場合か」

「…………む?」

 思わず、一刀斎は口を出した。声の主を見遣る男達の目は揺れている。なんとも頼もしい男達だ。しかし。

「それが主だか兄弟子だか師匠だかは知らんが、それを放っておくのはどうなんだ。かたきちにもならんだろう」

 後に続いた春丸の言葉に、男達は怪訝けげんに顔をゆがませる。一刀斎は軽く溜め息を吐いて、顎で倒れた男を差した。

「そいつ、死んでいないぞ。その編笠がしたのは、峰打ちだ」

 隣の春丸が、大きくうなずいた。どうやら本当に目が良いらしい。一瞬の返しを、見逃していなかった。

「そうだろう、編笠」

「……………………うむ。本人は、いつの間にか気絶したとしか、感じていないだろうな」

 取り巻きが倒れた男の周りでしゃがみ込み、口元に耳をやり、手や脇やらに手を当てた。そこで呼吸と脈があることにようやく気付いたのか、あからさまに安堵の表情を浮かべた。

 春丸は、そこを突く。

「さて、どうする。主をさっさと連れて行くか。それとも主と同じようにその者の抜剣ばっけんの餌食となるか……。それと言い忘れたが、手前てまえは熱田神社の番兵をしている。ここでこれ以上の騒ぎを起こせばわざくらべに参じるのは」

 あっと言う間に影が消えた。

「熱田神社」の名を聞いた瞬間に取り巻きは男をかついで、番兵と聞いた時に駆けだして、そこから先は耳にしていたかも分からない。

「熱田の宮の名は出しただけで厄介やっかいごとが逃げるのか」

「なにしろ熱田はつるぎみや霊験れいげんあらたな剣をまつっているから悪縁は簡単に切れる」

 二人並び、一団を見送る。そんな一刀斎らの元に、あの編笠がゆるりと近付いてきた。たいはこびの所作しょさに乱れはなく、纏う雰囲気も、冷ややかに澄んでいる。

「…………助け船、感謝する。峰や腹で、四方よもりするのは刀がいたむ」

 その口ぶりには、己の技倆ぎりょうに対する確かな信頼があった。

 だが声は小さく妙な間があり、どこかかたくるしくめたところがある。ところどころ方言ほうげんじっているのか、発音がみょうであった。

 それを気にしての堅い口調か。

 六尺ろくしゃくはんある一刀斎と比べればさすがに小さいが、それでも上背うわぜいはある方で、肩幅かたはばはしっかりとある。年の頃は、一刀斎より五つぐらい上だろうか。

 声だけでは頼りなさげに思えたが、確固かっことしてそこに立っていた。

「お前さんがたは、つるぎみやの?」

「手前はそうだが、こっちは違う」

「おれはただの廻国かいこく修行者しゅぎょうしゃだ。名は外他とだ一刀斎いっとうさい近江おうみで剣を学んだ」

「近江……」

 編笠は「たしか、畿内きないに近い……」とポツリと呟いたが、あまり見当が付いていないらしい。どうやら畿内や西国さいごくの出ではなさそうだ。

「…………われ浅野あさの浅野あさの甚助じんすけ。生まれは出羽でわで、鹿島かしま香取かとりで、剣を学んだ」

鹿島かしま――――刀を抜き放つわざもあったのか」

 脳裡に浮かんだのは、雷を秘めた夏の入道雲のような男、雲林院うじい松軒しょうけん

 言葉遣いは間延びしていて、態度こそゆるいものの、剣ややりを握れば剣体けんたい一致いっちの雷速の技を放つ男だった。

 仕合こそしたことはないが、今まで会った剣客けんかくの中でも三指さんしに入り、ごうの剣士と表する事が出来る存在だ。

 しかし記憶の限りでは、松軒は抜刀をつかっていなかった。

「…………ぬきは、われの趣味だ。鹿島香取の理合りあいを、学ぶ前から行っていたのでな」

「そうだったか――」

 ふと、肌がひりつく気配を感じた。

 辺りを見てみれば、さっきまでざわついていた人々が拍子抜けしたような顔で、興味深そうにこちらを見ていた。

 技競べがあるからか、どうしても武芸者は目を引くらしかった。

「…………人目は、あまり好かない。われは行く」

「浅野甚助、お前も技競べがあるから、ここに来たのか?」

 甚助が立ち去ろうとしたそのきわに、一刀斎はいかけた。

 笠をわずかに上げ、こちらに振り向いた甚助は、その長い柄を握って軽く掲げる。そのひとみは、力強く眼球のど真ん中に据えられていた。

「然り」と、言葉よりも雄弁ゆうべんに目は語る。甚助はサッと向き直り、そのままどこかの宿へと帰っていった。

 春丸と肩を並べ、その背中を見送った。

「これは、相当な手練が参加するようだな。一刀斎殿は、どう思う? 攻略出来るか、あの抜刀を」

「……ふむ」

 珍しく、即答しなかった。

 流星りゅうせいのように、剣閃さえも遅れ光の尾を引く神速の抜刀。あれほどの速度の剣は一刀斎も見たことが無く、そもそも、一つの技として昇華しょうかされた抜き技自体、体験したことのないものだ。

 更に鹿島香取の技を得ているのならば、松軒のように近間であってもあなどれない技術を修めている可能性もある。

 己の腕に自信がないわけではない。だがあの技を捌けるかと聞かれれば。

「分からん……というのが正直なところだが」

 だが、しかし。

 相変わらずの仏頂面ぶっちょうづらに、わずかに赤色が差す。逆八を描く眉がより深くなり、口のが多少吊り上がる。

 今まで見たことのない術理わざというものは、どうしても胸がおどるものだ。

「――――浅野甚助。その抜刀術。ぜひとも相対したいものだ。春丸殿、技競べの参加は自由か?」

「無論だ。腕に覚えがあるなら、誰だろうと参加は許されている」

「そうか」

 それは重畳ちょうじょう。熱田に辿り着いた途端とたんに、武芸者達と腕比べをする機会が転がってるとは。

 しかもその相手の中には、未だ見ぬ流派りゅうは理合りあいを駆使する者がいるだろう。

 例え少なかろうと、あの浅野甚助さえいるならば問題ない。

 俄然がぜん、面白いことになってきた。やはりけんには、くことはない――。

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