第二話 織田と熱田

 さるこくも終わりかけ、黄昏たそがれどきになったころ。

 宿を取った一刀斎いっとうさいは、門前町の散策さんさくに出た。熱田あつた神社じんじゃは噂に違わず尾張おわり有数ゆうすうの宮なのだろう。

 日が暮れかけても人々は往来おうらいを行き来しており、盛り上がりはあの商都と変わりがない。

 店や家屋かおくから、夕餉ゆうげの匂いがあちらこちらから漂っていた。

 さて自分はどうするかとうろついていた、ちょうどその時。

「ここに居られたか、一刀斎殿!」

「む……お前は」 

 目の前に、昼に見た顔が現われた。ちょっとした行き違いで互いの得物えものを一合い合わせた、熱田神社の番兵ばんぺいであるはるまるだ。腰に大小は差しているが、あの短槍は持っていない。

「神社の番はよいのか?」

「自分の受け持ちは昼のあいだ、今は交代して……あなたのことを探していた」

「俺をか?」

 はて、なにか用向きでもあるのだろうかと一刀斎は首を傾げる。春丸は精悍せいかんな印象を与える細くも濃い眉を、申し訳なさそうにキュッと寄せた。

あやまりはしたが、謝意だけでは収まることがなくてな……一つおごらせてはもらえんだろうか」

「そういうことなら、構わんぞ」

 草間くさまから影縫かげぬいらえ、そして陰陽師をった謝礼しゃれいはもらっているから金に困ってはいないが、好意を無碍むげにするのは忍びない。

 それに、春丸はこの街の者。ならば上手い飯が食える場所も知ってるだろうと、相変わらずの見当けんとうの早さで即座に承知した。

 なら早速と足を動かす春丸に、一刀斎は着いていく。来た道を戻ることになったが目的の店は近く、そもそも、取った宿の真向かいだった。

 灯台とうだいもとくらしとはまさにこのこと、良い店というのはすぐそこにあるものだと、鼻から息を漏らして肩をすくめた。


「ここは今日の内にわんれた魚がでる。作る者の腕も良いぞ」

「そのようだな。これは美味い」

 あら汁を飲んでみれば、喉を鳴らす度に舌の芯まで出汁だしる。

 白身魚のは淡泊であり、酢の酸味があら汁の濃密のうみつな塩辛さを解消し、逆もまた然り、なますでさっぱりとした口は再びあら汁の美味さを初めて食したときのように演出する。

 海魚うみざかなは生まれてから散々さんざん食べてきたが、どうやらまだ捨てたものではなかったらしい。

「して、一刀斎殿は熱田の宮に行くことを勧められたと言っておられたが……それは、やはりに参加するためで?」

「そのとやらに心当たりはないな」

 鳥のように串に刺されたつみれを頬張りながら、春丸の問いに答える。……うむ、つみれも美味い。荒く砕かれた骨の歯ごたえが良く、砕けば唾液にずいの味が広がった。

「そうであったか……熱田神社は「つるぎみや」とも呼ばれ、武士や武芸者にも信仰を集められていて、集う者も多くいる」

「ああ、その話は前に聞いた。武芸者が集まることもあるから、赴くのが良いだろうとな。剣の仲間に「廻国をするならば」と勧められたんだ」

「なるほど、そういう……。では、好都合こうつごうだな」

「む?」

 うんと頷く春丸を見て、魚の目を飲み込んだ一刀斎は眉を寄せる。

「好都合とは?」

「熱田神社ではこの年の暮れに、神代かみよつるぎへの奉納ほうのうとして、わざくらべ……つまり武の腕をきそもよおしをおこなうんだ。日の本全土とは言わないが、噂を聞きつけた武芸者が、己を腕を試すために来るだろう」

「……ほう」

 正直、胸がおどる話だ。多くの武芸者が集まる機会などそうそうない。京にいたときは多くの武芸者と相対した。実力に程度の差はあったものの、それでも一刀斎の剣技は、多くの武芸者との立ち合いで磨かれたものだった。

 しかも、と春丸は言葉を続ける。

「この尾張の地は現将軍、足利あしかが義昭よしあきこうの右腕と言える織田おだ尾張守おわりのかみのお膝元。さらに熱田神社は織田家ともえんぶかく、織田家への仕官しかんを夢見て挑む者も現われるはずだ」

 織田尾張守。昼にも聞いた男の名前だ。そういえば、あの塀も尾張守によって築かれたと喜七郎きしちろうが言っていた。

「織田尾張守とは、そこまでに縁深いのか?」

「もちろん」と、春丸はを野菜ごと飲み干した。

「何を隠そう喜七郎様の父、千秋せんしゅう加賀守かがのかみ季忠すえただ様は、織田尾張守に武士としてつかえたお人だからな」

「……うん?」

 一刀斎の頭の中で、齟齬そごが起きる。たしかその千秋家というのは、熱田神社の大宮司だいぐうじではなかったか? 何を隠そうこの春丸と、あと一人、鳴子なるこという巫女からはっきりとそう聞いた。

「武士として仕えたとはどういうことだ?」

 一刀斎がえば、「少々込み入った話ではあるが……」と、春丸は箸を置いた。

「……千秋家の、武士としての織田家の関わりは、季忠様の父、季光すえみつ様の代からある。一刀斎殿は織田おだ弾正だんじょう信秀のぶひで様のことは?」

「織田尾張守の先代で、この尾張を盛り立てた才人さいじんだったと聞き及んでいるが」

「結構。実は千秋家は、元々は武家ぶけとしての色が強く、京にて将軍家の奉公ほうこうしゅうとして活動していたのだ。しかし世が戦乱に飲まれたとき、本家たる熱田神社を手ずから守るために戻ってきた。それが先々代の千秋せんしゅう季光すえみつ様で、当時急激に成長を遂げていた織田弾正信秀様と手を組んだ」

 春丸は一度なますをつまみ、で喉をうるおした。

 そのまま、話を続ける。

「季光様は弾正様に大宮司として認められ、その弓馬きゅうばの腕を持って弾正様の力となった。しかし季光様は美濃みの斎藤さいとうとの戦いにて倒れ、後を継いだのが、季忠様。織田尾張守と同い年だった季忠様は尾張守につかえていたのだ。――八年前、遠江とおとうみ今川いまがわとの戦いで命を落としてしまったが、その労を知る織田尾張守は熱田神社、そして身重だった奥方様を支援した。熱田神社と織田家は、切っても切れない関係にあるんだ。」

「ふむ、なるほどな……」

 だいたいの事情は知れた。織田家と熱田神社の間にある縁は、二代三代と続いた相当なもの。

 もし武芸者や在野ざいやの武人が織田に取り入りたいならば、まずは熱田神社で行われるわざくらべに参加しようと考えるのも当然だった。

 しかし、だ。

「あの男には、そんな一面もあったか……」

 織田尾張守と相対した時、一刀斎が感じた彼の像は、人の形を取った炎の魔人まじんであった。

 全てを侵略しんりゃくする苛烈かれつな炎。

 人の先に立ち、指し示す先導せんどうの炎。

 覇気はきみ、天にすら火の手を伸ばそうとする野心やしんの炎。

 人に熱を与え、熱狂を伝播でんぱさせていく種火たねびの炎。

 炎が持ちうるあらゆる意味を、その肉体に内包していた男。

 その中に混ざっていた、安らぎさえ与える囲炉裏いろりの火のような優しい炎の正体が、わずかに垣間かいま見えた。

 織田尾張守を差して「あの男」と呟いたのを、春丸は聞き逃さなかった。

「む? まさか一刀斎殿、織田尾張守のことを?」

「ああ。京にいたことがあってな。その時に起きた事件で目を付けられ、仕官を誘われた」

「なんと!? 受けたのか!?」

「受けたなら、この場にはいない。まだおれは未熟の身だと感じていたからな。目的を果たすまではろくめんと、断った」 

 断ったと事も無げに答えた一刀斎に、春丸は目を丸くして半ば立ち上がる。だが、直ぐさま得心がいったように座り直した。

「……しかし、一刀斎殿の腕前は手前も感じた。織田尾張守が捨て置くことは思えんな。いったい、どうやってことわった? 納得させられるような「目的」だったのか?」

「天下一だ」

「え?」

 あら汁の椀にはもはや魚の骨しかなく、つくねもない。一口分だけ残ったなますを口に入れた。

「おれが剣を握るのは天下一の剣豪になるため。だから仕官などと言う寄り道はしていられない。――俺が天下一の剣豪となったあかつきは、織田家中に入ると約束はしたが」

 京で世話になっていた大野家の処遇しょぐうと引き替えに、というのは秘した。

 あの事件を武勇伝ぶゆうでんの如く語るのは、大野家に対する不義理に感じていたからだ。

「天下一の、剣豪か……」

 一刀斎の言葉を、きょとんとした顔で繰り返す春丸。たしかに天下一など、遥か遠いもののような話だ。

 だがしかし一刀斎は、「天下一に近い剣」を知っている。冴え渡る剣技を放つ剣客たちを知っている。

 果てしない道ではある。しかし、決して無駄むだ無為むい無益むえきな道ではないと、確信していた。


「感謝する、春丸殿。良い飯が食えた」

「喜んでくれてなによりだ!」

 店を出れば逢魔おうまどき。そろそろ、ちょうどいい時間である。このまま宿へ戻ろうとした、ちょうどその時。

「お前、礼儀れいぎも知らぬのか!」

「……む?」

 往来の反対側が、なにやら空気が張り詰めている。文字通り剣呑とした雰囲気が漂っており、尋常ただ事ではない気配が放たれている。

 そちらを見てみれば、編笠あみがさを深く被った男が、服数人を連れた男に絡まれていた。

 件の技競べに参加するつもりなのか、どちらも武芸者風だったが、形姿なりすがたには大きな差があった。

 編笠の男は長旅をしているのだろう。纏う羽織は風雪ふうせつにさらされたくたびれており、袖や裾にところどころやぶけがある。

 一方絡んだ男の身なりはととのっていて、羽織も一点ものだろう。太刀持ちや取り巻きがいることから、それなりの家格にいることは見て取れた。

「その刀の鞘が、私の小姓たちもちに当たったぞ」

「…………それは、失礼しつれいしたと、言ったつもりだが」

「声が小さいのだ! 誠心せいしんさえあれば声に力と思いがこもり自然と大きくなろうだろう!」

「…………われの声が小さいのは、元からだ」

 言葉通り、がなり立てる男の方の言葉には力強い思いがこもってた。

 怒り、ではない。明らかな、侮蔑ぶべつ嫌悪けんおの思いだ。

 しかし編笠の男に同じた様子はなく、目を伏せてのらりくらりといなしていた。

「ふん、だいたいなんだその無駄に長い刀は。三尺以上の刀を使うのは恐れの表れだ。貴様は武芸者を気取っているが、その実ただの臆病者だな!」

 男の言葉に取り巻き達は笑うことこそなかったが、首を大きく縦に振った。どうやら、やたら気位きぐらいがある集団らしい。

 多勢に無勢。しかし。

「…………ならばお前は、暇人ひまじんと見えるな。他人の刀に口を出す」

 動じることない編笠の言葉で、口うるさい男の額に青筋が浮かぶ。

「貴様……! そこに直れ! おおかた、技競べに誘われてやってきた三流剣客だろう。恥を掻かぬ前にこの俺が叩き斬ってやる!」

 男が吠えると同時に、無言を通していた太刀持ちが刀を差し出す。

 それを奪いたくった男は鞘をぽいと投げ返して、晴眼の切っ先をしっかりと、編笠の男の首へと向けた。

 往来にいた人々はわーだのきゃーだのと叫びながらその場を離れるが、ある程度距離を付けた瞬間に振り向いて観察する気で溢れていた。……なんとも逞しい人達だ。

 しかし編笠の男は全く動じず、三尺超の刀の柄に手を掛ける。

 だが。

「む、なんだ貴様、本当に怖じけたか?」

 編笠の男は、刀に手を掛けたままじっと動かない。その様子を見た男は、ニタリといやらしく笑った。どうやら家格に剣格けんかくが付いていってないらしい。

 二人の様子を見ていた春丸が、「こりゃいかん」と止めに入ろうとする。

「気をつけろ、春丸」

「ああ、大丈夫だ。騒がしい方の気を引いて、あの編笠を逃が――」

「違う」

「は?」

 訂正しつつ、一刀斎は瞠目どうもくしていた。

 ただ静謐せいひつ。しかし濃密のうみつ

 異常なまでに研ぎ澄まされた集中力が、注がれている。

あやういのは、仕掛けた方だ」

 ゴシン――――ッ

 街の人々は何が起きたか分からなかっただろう。一刀斎の方を見ていた春丸はなおのこと。

 そして、迅速の突きを放った、男本人さえも。

 突きとは全ての剣の軌道の中で最速さいそくのものであり、それはくつがされない事実である。

 加えて男の足捌きは見事だった。矢か弾丸のような俊足しゅんそくだった。

 だがしかし編笠の男は。

 鞘の中に刀を秘めて、抜いてすらいなかったはずの男は。

 ――――突きの切っ先が届く前に、男を打ち伏せていた。

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