第二話 織田と熱田
宿を取った
日が暮れかけても人々は
店や
さて自分はどうするかとうろついていた、ちょうどその時。
「ここに居られたか、一刀斎殿!」
「む……お前は」
目の前に、昼に見た顔が現われた。ちょっとした行き違いで互いの
「神社の番はよいのか?」
「自分の受け持ちは昼の
「俺をか?」
はて、なにか用向きでもあるのだろうかと一刀斎は首を傾げる。春丸は
「
「そういうことなら、構わんぞ」
それに、春丸はこの街の者。ならば上手い飯が食える場所も知ってるだろうと、相変わらずの
なら早速と足を動かす春丸に、一刀斎は着いていく。来た道を戻ることになったが目的の店は近く、そもそも、取った宿の真向かいだった。
「ここは今日の内に
「そのようだな。これは美味い」
あら汁を飲んでみれば、喉を鳴らす度に舌の芯まで
白身魚のなますは淡泊であり、酢の酸味があら汁の
「して、一刀斎殿は熱田の宮に行くことを勧められたと言っておられたが……それは、やはりあれに参加するためで?」
「そのあれとやらに心当たりはないな」
鳥のように串に刺されたつみれを頬張りながら、春丸の問いに答える。……うむ、つみれも美味い。荒く砕かれた骨の歯ごたえが良く、砕けば唾液に
「そうであったか……熱田神社は「
「ああ、その話は前に聞いた。武芸者が集まることもあるから、赴くのが良いだろうとな。剣の仲間に「廻国をするならば」と勧められたんだ」
「なるほど、そういう……。では、
「む?」
うんと頷く春丸を見て、魚の目を飲み込んだ一刀斎は眉を寄せる。
「好都合とは?」
「熱田神社ではこの年の暮れに、
「……ほう」
正直、胸が
しかも、と春丸は言葉を続ける。
「この尾張の地は現将軍、
織田尾張守。昼にも聞いた男の名前だ。そういえば、あの塀も尾張守によって築かれたと
「織田尾張守とは、そこまでに縁深いのか?」
「もちろん」と、春丸はあつものを野菜ごと飲み干した。
「何を隠そう喜七郎様の父、
「……うん?」
一刀斎の頭の中で、
「武士として仕えたとはどういうことだ?」
一刀斎が
「……千秋家の、武士としての織田家の関わりは、季忠様の父、
「織田尾張守の先代で、この尾張を盛り立てた
「結構。実は千秋家は、元々は
春丸は一度なますをつまみ、
そのまま、話を続ける。
「季光様は弾正様に大宮司として認められ、その
「ふむ、なるほどな……」
だいたいの事情は知れた。織田家と熱田神社の間にある縁は、二代三代と続いた相当なもの。
もし武芸者や
しかし、だ。
「あの男には、そんな一面もあったか……」
織田尾張守と相対した時、一刀斎が感じた彼の像は、人の形を取った炎の
全てを
人の先に立ち、指し示す
人に熱を与え、熱狂を
炎が持ちうるあらゆる意味を、その肉体に内包していた男。
その中に混ざっていた、安らぎさえ与える
織田尾張守を差して「あの男」と呟いたのを、春丸は聞き逃さなかった。
「む? まさか一刀斎殿、織田尾張守のことを?」
「ああ。京にいたことがあってな。その時に起きた事件で目を付けられ、仕官を誘われた」
「なんと!? 受けたのか!?」
「受けたなら、この場にはいない。まだおれは未熟の身だと感じていたからな。目的を果たすまでは
断ったと事も無げに答えた一刀斎に、春丸は目を丸くして半ば立ち上がる。だが、直ぐさま得心がいったように座り直した。
「……しかし、一刀斎殿の腕前は手前も感じた。織田尾張守が捨て置くことは思えんな。いったい、どうやって
「天下一だ」
「え?」
あら汁の椀にはもはや魚の骨しかなく、つくねもない。一口分だけ残ったなますを口に入れた。
「おれが剣を握るのは天下一の剣豪になるため。だから仕官などと言う寄り道はしていられない。――俺が天下一の剣豪となった
京で世話になっていた大野家の
あの事件を
「天下一の、剣豪か……」
一刀斎の言葉を、きょとんとした顔で繰り返す春丸。たしかに天下一など、遥か遠いもののような話だ。
だがしかし一刀斎は、「天下一に近い剣」を知っている。冴え渡る剣技を放つ剣客たちを知っている。
果てしない道ではある。しかし、決して
「感謝する、春丸殿。良い飯が食えた」
「喜んでくれてなによりだ!」
店を出れば
「お前、
「……む?」
往来の反対側が、なにやら空気が張り詰めている。文字通り剣呑とした雰囲気が漂っており、
そちらを見てみれば、
件の技競べに参加するつもりなのか、どちらも武芸者風だったが、
編笠の男は長旅をしているのだろう。纏う羽織は
一方絡んだ男の身なりは
「その刀の鞘が、私の
「…………それは、
「声が小さいのだ!
「…………
言葉通り、がなり立てる男の方の言葉には力強い思いがこもってた。
怒り、ではない。明らかな、
しかし編笠の男に同じた様子はなく、目を伏せてのらりくらりといなしていた。
「ふん、だいたいなんだその無駄に長い刀は。三尺以上の刀を使うのは恐れの表れだ。貴様は武芸者を気取っているが、その実ただの臆病者だな!」
男の言葉に取り巻き達は笑うことこそなかったが、首を大きく縦に振った。どうやら、やたら
多勢に無勢。しかし。
「…………ならばお前は、
動じることない編笠の言葉で、口うるさい男の額に青筋が浮かぶ。
「貴様……! そこに直れ! おおかた、技競べに誘われてやってきた三流剣客だろう。恥を掻かぬ前にこの俺が叩き斬ってやる!」
男が吠えると同時に、無言を通していた太刀持ちが刀を差し出す。
それを奪いたくった男は鞘をぽいと投げ返して、晴眼の切っ先をしっかりと、編笠の男の首へと向けた。
往来にいた人々はわーだのきゃーだのと叫びながらその場を離れるが、ある程度距離を付けた瞬間に振り向いて観察する気で溢れていた。……なんとも逞しい人達だ。
しかし編笠の男は全く動じず、三尺超の刀の柄に手を掛ける。
だが。
「む、なんだ貴様、本当に怖じけたか?」
編笠の男は、刀に手を掛けたままじっと動かない。その様子を見た男は、ニタリと
二人の様子を見ていた春丸が、「こりゃいかん」と止めに入ろうとする。
「気をつけろ、春丸」
「ああ、大丈夫だ。騒がしい方の気を引いて、あの編笠を逃が――」
「違う」
「は?」
訂正しつつ、一刀斎は
ただ
異常なまでに研ぎ澄まされた集中力が、注がれている。鞘の、中へと。
「
ゴシン――――ッ
街の人々は何が起きたか分からなかっただろう。一刀斎の方を見ていた春丸はなおのこと。
そして、迅速の突きを放った、男本人さえも。
突きとは全ての剣の軌道の中で
加えて男の足捌きは見事だった。矢か弾丸のような
だがしかし編笠の男は。
鞘の中に刀を秘めて、抜いてすらいなかったはずの男は。
――――突きの切っ先が届く前に、男を打ち伏せていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます