煉武編

第一話 剣の宮

 大海たいかい潮騒しおさいと、老松ろうしょう古杉こさんもり葉音はおとが重なる。冬の潮風しおかぜは、ただ厳しい。

 門前町を抜けた一刀斎いっとうさいの目の前に現れたのは、みさきに立つ大きなやしろであった。恐らく正面は海側なのだろう。一刀斎が着いたのは、側面だった。

「これが熱田あつたみやか」

 名は熱田あつた神社じんじゃ。この尾張おわりくにで五指に入る寺社じしゃのようで、門前町の盛り上がりもそれは大層なものであった。

 一方いっぽうで神社のほうは大きくも絢爛けんらんとしているということはなく、むしろやしろを囲むかわらがさねの築地塀ついじべいは、豪壮ごうそうという方が合っているように見えた。

 厚みのある塀はしっかりとしており、文字通り内を守るためのものに見えた。

「どうです? 立派でしょう!」

「む?」

 可愛らしい声が、潮騒しおさいに紛れて聞こえてきた。

 境内けいだいにも入らず、まじまじと塀を見ていた一刀斎に声をかけたのは、ニッコリと笑う少年だった。

 神社の出仕しゅっしだろうか。まだ顔立ちも出来上がっていないのだろう、どこにでもいそうな童子どうじがおで、とても愛嬌あいきょうがあった。年齢もまだ十に入っていないだろう。

「ああ、大したものだ」

「そうでしょう? 出来たのは八年ほど前。織田おだ尾張守おわりのかみ様により寄進されたものなんです! じぶんはまだ、生まれてなかったんですけどね」

 聞き馴染みのある名前が出て来た。

 織田尾張守。この尾張より出た大名であり、破竹はちくいきおいか燎原りょうげんか。京で起きた戦乱せんらんで、落ち延びていた前将軍の弟を次代としてほうじ、今や将軍の右腕みぎうでとなった、炎のような男。

 一刀斎にとっては仕官しかんさそわれた男であり、「天下一の剣豪」となったあかつきにはつかえると、口約束ではあるがわした男だ。

「そうか……織田尾張守がか……」

 一瞬いっしゅん思いにふけりそうになったが、織田はこの尾張と縁深いのだ。己の国にある由緒ある神社に目を掛けるのも当然のことか。

 一刀斎は改めて塀を見て、沿いながら歩き始める。先を見れば鎮守ちんじゅもり木陰こかげに飲まれてなお続いて、いったいどれほどの長さがあるのかも想像が付かない。

 ふと、なにか気配を感じて後ろを見てみれば、少年が付いてきていた。

 やたらと目を輝かせ、己の背の倍近い一刀斎を見上げている。

「おにいさんは、武士ぶしですか?」

「いや、武芸者ぶげいしゃだ」

 それにしても、ハキハキと喋る子どもだった。少し舌足らずなところはあるが、口から出る丁寧でなめらか。聞き心地が良い。

 武芸者、と聞いた少年は、小首を傾げる。

「それは武士とどう違うんですか?」

「武士は生業なりわいとして技を売り込む者、武芸者はただ武をきわめようとする者だ」

「へえ……?」

 どうやら見当が付かないらしい。一応の相槌あいづちは打ったが、芯を掴めてはいないようだ。

小僧こぞう、名前は?」

「あ、申し遅れました、自分は……」

「見つけましたよ、喜七郎きしちろう様!」

 少年が名乗り掛けたちょうどその時、門の方から緋袴ひばかまを着た若い巫女が現れた。目は大きく、垂れも吊りもしないぱっちりと開かれた綺麗な丸で、瞳も大きい。頬はふっくらとしていて、さっぱりとした気質を感じる面立ちだった。年の頃は、十三、四ほどだろうか。

「うわ、鳴子なるこさんだ!」

「うわ、ではありませんよ! 勝手にいなくなったりして、母君ははぎみが……ひゃあっ!?」

 膝をかがめて少年――喜七郎に目線を合わせた鳴子と呼ばれた少女は、少し遅れて一刀斎の姿に気付いたらしい。

 鎮守の森の手前にいる黒衣こくい大男おおおとこ。しかも頬や鼻に傷のある顔立ちはいかめしく、驚くのも無理はなかった。

「ま、まさかかどわかし……!?」

「違うぞ。その小僧が付いてきただけ――」

「何事ですか、鳴子!」

 何事だとはおれが聞きたい。と、溜め息を吐きたくなるのもこらえて視線を上げる。すると今度は二十歳そこそこの男が現れた。

 二人と違いあさ着物きものを纏っていて、鉢金はちがねやタスキ、そして手に持つ短い槍を見るに、神社の番兵ばんぺいだろう。肩幅も広く、精悍せいかんとしている。

 鳴子の悲鳴を聞いて飛んできたのだとしたらよほどの地獄耳。その体躯たいく相俟あいまって門番としては申し分ない。だが。

「こ、この人が喜七郎様を後に連れていて……」

「なに……! まさか拐か」

「おれはただの旅の武芸者だ」

 そのやりとりはは今さっきその女とやったと、番兵の言葉をさえぎる一刀斎は、そのまま言葉を続ける。

「旅の途中、尾張にあるつるぎみやに行ってみると良いとに勧められてな、だからこうしておもむいただけ――」

「ならなぜ喜七郎様を連れて森に入ろうとした!」

「おれは塀を見るために沿って歩いていただけで、その小僧が勝手に」

「問答無用なり!」

 一刀斎の言い訳を最後まで聞くこともなく、番兵は一直線にこちらに身を弾き出す。

 喜七郎と鳴子を挟む二人の距離は六間はあった。だが番兵は瞬く間に眼前に迫っており、一歩の速さと長さは並の武芸者を越えている。背負う気魄きはくの力強さは武芸者であってもそういないだろう。

 直情径行ちょくじょうけいこう。真っ直ぐ突き出された槍はゴウと雄叫びを上げた。

 しかし――。

 キィィィン!

「なにっ」

「わぁ!!」

 潮騒、海風、葉風はかぜの音を打ち消すような、カネカネが打ち合う音が響き渡った。

 槍を突き出した番兵は目を見開いて、喜七郎は無邪気に声を上げた。鳴子の方は、いまいち状況を飲み込めていないようだ。

「問答無用ならば、なぜいた」

 呆れ混じりに、一刀斎は己が止めた番兵にう。

 鞘から半身はんみ、抜かれた刀は、その柄頭つかがしらでもって短槍たんそう穂先ほさきを受け抑えていた。


「まことに失礼いたした! まさか喜七郎様が勝手に付いていっただけだとは……!」

「申し訳御座いません! 申し訳御座いません!」

「誤解が解けたようで何よりだ」

 平謝りする巫女と番兵、そして喜七郎らと一刀斎がいたのは、熱田神社の境内けいだい、その片隅にある社務所しゃむしょであった。

 あの一合いで衝撃を受けた番兵は、一刀斎の話を落ち着いて聞くことができ、なんとかことの顛末てんまつを伝えられた。

「ごめんなさい、おにいさん。鳴子さんとはるまるが……」

「お前もお前で、誰にも言わず姿をくらませるのは如何いかがなものかと思うぞ」

「それは……はい、僕も反省します」

 しょんぼりと肩を落とす姿は、なんとも素直だ。きっと良き育て役がいるのだろう。子どもらしい純真さはあるものの、礼節をわきまえて己にあやまりがあれば意地を張らずに謝れる。なかなかの大器たいきを感じさせた。

 ただ。

「い、いえ! 喜七郎様は悪くはないんです! 私がちょっと目を離してしまったのがそもそもの原因で……」

「手前も番をしていながら出たのを見逃してしまうとは……! 手前がしっかりと止めていれば…………!!」

 なぜか分からないが、鳴子と春丸はやたらといている。

 子ども一人にこのあわてよう。いったいどういうことなのかと思った時、ふっと部屋の外に気が向いた。誰かが、近付いてくる。

「――入りますよ」

「そ、その声は……!」

 その数呼吸後にふすまが開かれる。

 襖を開けたのは、巫女上がりだろう老媼ろうおうの女房。

 彼女が座り頭を下げ、それに多少遅れて部屋に入ってきたのは、凝った刺繍ししゅうがされた打掛うちかけを纏った美貌びぼうの女。

 まだ二十半ばだろうが、馥郁ふくいくとしたかんばしい艶気いろけがあり、嫁入り後であろうことが感じ取れた。

 そしてどうやら、その勘は当たったらしい。

母様ははさま!」

「喜七郎、また抜け出しましたね? いけませんよ、みやものを困らせては」

 女を「母」と呼んだ喜七郎が顔をパッと明るくして、しかしうやうやしく頭を下げる。無垢さと慎み深さを両立させたその振る舞いを見て、微笑みながらもしかと叱るその様は、正しく慈母じぼであった。

 ……同じ母でもこう違うかと脳裡のうりぎったのは、伊東の地で一刀斎に厳しく学を叩き込んだとじの姿。でもまあ、厳しくはあったが優しさ故だと思い直し、頭を軽く振る。

 すると喜七郎の母が、一刀斎を見遣った。

「この度は私の子と、宮の者がご迷惑を。申し訳ございません」

「構わない、当人達の謝意しゃいは受け取っている。……おれは、外他とだ一刀斎いっとうさいという。御身おんみは」

「ええ、私は……この熱田神社の大宮司だいぐうじ千秋せんしゅうとつぎました者で、この子の母、太阿たあで御座います」

「ふむ、そう…………か?」

 はて、今この女、さらりとえらいことを口にしたような。

「大宮司、とはつまり……」

「ええ、この方は、熱田神社の先代せんだい大宮司――つまり、神社の長であった千秋せんしゅう季忠すえただ様の奥方おくがた様でございます」

「そしてこの喜七郎様は次期の熱田神社大宮司となられる方なのです」

 鳴子と春丸が、二人それぞれ、やたらかしこまって補足ほそくする。

 しかし当の母子おやこは事も無げに、ただニッコリと微笑みあいながら、たわむれていた。

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