第二十六話 縁(えにし)
「よう
「……ずいぶん久しく感じるな」
会ったのは二日ぶりだろうに。
一刀斎は布団から半身を起き上がらせて、部屋の外に立つ
――その気配は、澄んでいる。だが冬空のような
「ああ、
「そうか、お互い、親父殿にも感謝せねばな」
一刀斎がいるのは、千治の実家、
その一室を借り、一刀斎はその身を休ませていた。
「お前の方は、傷は大丈夫なのかよ?」
「いい薬があるからな」
とはいえ、しばらく千治の屋敷でしばし
なにしろ目で見える肉や触れる骨と違って
「――あの
「ああ、一刀斎の言うとおりあの
「そうか」
知らぬ間に因縁を作ってしまっていた男。
あそこまで
自分の
「お前の方は、どうだ。奴になにかされたんじゃあなかったか」
「うん? ……ああ、まだ、なんとなく力が有り余ってる感じはある。だけど、あん時みたいに暴走したりはしねえよ」
己の不覚を悔やむ素振りを見せたが、それでも目に宿る力はよく輝いている。
あの時、思い悩んだ中でした覚悟は
だが今の千治がしている決意は地に足がしっかりとついている。
「……
「そうか。……お前の
それが義からとはいえ、千治は
千治はくたびれた顔をして「それがよ」と話し始めた。
「
「じゃあ、
「そうは
ばつが悪そうに萎びた顔をして、「はぁあ~」と
「あまり気落ちはしていないようだな」
「え?」
「嬉しそうだぞ」
嫌がるような感情が、
千治とは
己が成した悪行に
一刀斎に嬉しそうだと指摘された千治は一瞬面食らったように目を丸くしたが、
「――ああ、いくら血が繋がってようが、
「そうか……」
思えば千治があの倉に入ったのは、己に義理を教えながら、それでも金儲けのため、悪事に手を出した父への絶望も理由に
理由の
「それで、報いというのは」
「
あっさりと、事も無げにきっぱり言い切った。
だがしかし、その言葉が意味するところは。
「親子の縁を切ると」
「ああ、そういうことだ」
当然と言えば当然の話だ。子が盗人だったというのはさておいて、大切な働き手である手代に怪我をさせた上に盗みに入ったのである。
縁を切られても仕方ない、としかいえない。
だが、千治は「だけどな」と言葉を続けた。
「俺は、
「……どういうことだ? ……売られるのか?」
「違うわっ! ……いや、あながち間違いでもないのか? どうなんだ?」
一刀斎の返しを即座に払う千治は、顎に手を当ててうんうんと唸る。
はてどうしたとぼうっと見ていた時、千治は大きく頷いた。
「港にはよ、
言葉の最後に「信頼できる人だよ」と付け加え、千治は頭の後ろを掻いた。
「ようするに、一からやり直しか」
「ようするに、一からやり直しだ」
千治は横目に、外を見る。その方角にあるのは、共に
この街から離れ、
それはつまり、思い人である
「穂波殿には、別れは告げておいた方が良いぞ」
「…………会わないわけには、いかないか?」
「いかないな」
珍しく吐かれた
あの時千治へ立ち向かったのは
「なにせ、「明日には戻っている」と言ってしまったからな。顔を見せずに港へ行けば、戻ったお前の姿も見られなかった穂波殿は、悩み続けるぞ」
千治は穂波を好いているが、穂波は千治を嫌っているらしい。
根が明るく誰とでも親しくなれる千治に対して嫉妬を抱き、そしてその明るさに眩しさを感じて、
「だけど、穂波ちゃんは俺を……」
「嫌われたぐらいでなんという。幼い頃から
キッパリ言い切った一刀斎は、一瞬間を置いて「それとも」と言葉を繋げる。
「捨てられるような、縁だったか?」
「まさか!」
一刀斎の言葉で、千治は勢いよく立ち上がる。そのまま部屋の中をあちらこちらに、腕を組んで歩き回る。
「俺にとって穂波ちゃんとのは縁は大事なもんだ。だから、それを斬るなんてそんなこと――」
「ならば会いに行け」
聞きたかった言葉を聞いて、一刀斎はごろんと再び寝転がる。
仁に沿うとは人と縁を紡ぐこと。義に沿うとは人との縁を守ること。
なにより千治にとって一番大事なのは、「楽しむこと」だろう。
己の楽しさを
港に行けば、当然それは難しくなるだろう。なにしろ一からやり直すために港へと向かうのだから、誰かと遊ぶ暇もない。
そんな中千治を奮い立たせる物と言えば、それはもはや、誰かと縁が生んだ思い出のはずである。
千治は、この街の人々に愛されていた。それはあの夜、千治を
特にその縁の中でも、穂波とのものは、きっと千治の中でも特別だ。
逆に言えば穂波と会わず港へ行っても、彼女が気がかりで日々のことが手つかずになってしまうのは間違いない。
後悔をしながら、日々を生きることになる。
「逃げたら楽だが、楽しくはないぞ、千治」
楽しくない。そう聞いた瞬間に、千治の纏う気配に色が付く。
足を止めた千治は、布団に寝転がった一刀斎をふっと見て、目を細めてくしゃりと笑う。
「……楽だが、楽しかないか。ああ、一刀斎の言うとおりだな。……ふん、怖いことから逃げちまうような、本物のネズミになるとこだったぜ!」
その小さな頬笑みは段々と力強いものへと変化していく。
「最後になっちまったけどさ――――今回のことは、本当に世話になった。ありがとう、一刀斎。俺を、止めてくれて」
千治は眉と目をピンと張って。深々と頭を下げる。
頭皮が見えないほど黒々とした髪が、ふわりと揺れた。
「構わん。――俺も、縁を大事にしたかっただけだ」
千治には、最初この街で拾われた恩もある。たった二日ばかりの交流だった。
ただそれでも、一刀斎にとっては得難い縁であったのに違いない。
「ありがとう千治、お前のお陰でこの街は、楽しかったぞ」
やはり、
このような縁と、出逢えることが、出来るのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます