第二十六話 縁(えにし)

「よう一刀斎いっとうさい息災そくさいかよ?」

「……ずいぶん久しく感じるな」

 会ったのは二日ぶりだろうに。

 一刀斎は布団から半身を起き上がらせて、部屋の外に立つ千治せんじを見る。

 ――その気配は、澄んでいる。だが冬空のようなさびしさはない。一足早い春のような爽快そうかいさがひそんでいた。

「ああ、謹慎きんしんで真っ暗な倉ん中に入れられてたが、ついさっき解けたよ」

「そうか、お互い、親父殿にも感謝せねばな」

 一刀斎がいるのは、千治の実家、草間くさま

 その一室を借り、一刀斎はその身を休ませていた。

「お前の方は、傷は大丈夫なのかよ?」

「いい薬があるからな」

 ったのは枕元、甕割かめわり鉄扇てっせんの間に挟まれた薬入れ。その内に入っていた打ち身にくという薬を飲んでみたら、痛みはあっと言う間に消え去った。

 とはいえ、しばらく千治の屋敷でしばし安静あんせいすることにした。

 なにしろ目で見える肉や触れる骨と違って内臓なかみは見えない。ケイによって打ち込まれた力の毒。それが抜けたかどうかはまだ不明だ。

 正直しょうじき、まだ食事を食いにくいところがあった。

「――あの陰陽師おんみょうじは?」

「ああ、一刀斎の言うとおりあの竹藪たけやぶの中でぶっ倒れてたらしい。そのままその場に埋めたってよ」

「そうか」

 羊目ヤンイェンと名乗る、わいがんの陰陽師。

 知らぬ間に因縁を作ってしまっていた男。

 陰陽術おんみょうじゅつだけでなく唐土とうど武術ぶじゅつや、天竺てんじく仙術せんじゅつさえおさめていた。

 あそこまで苦戦くせんいられたのは、振り返ってみてもそうなかった。……また一つ、天下一へと近づけただろうか。

 自分のてのひらをぼうっと見ていた時、はっとして千治の方を向き直った。

「お前の方は、どうだ。奴になにかされたんじゃあなかったか」

「うん? ……ああ、まだ、なんとなく力が有り余ってる感じはある。だけど、あん時みたいに暴走したりはしねえよ」

 己の不覚を悔やむ素振りを見せたが、それでも目に宿る力はよく輝いている。

 あの時、思い悩んだ中でした覚悟は堅固けんごな石だったが、それ故に過った方へ転がされた。

 だが今の千治がしている決意は地に足がしっかりとついている。

「……稲毛いなげの旦那の倉からも、金は回収した。親父が預かってた金と一緒に、給金きゅうきんとして支払われるはずだった分はいて、あとはしっかり、織田家の方におさめたよ」

「そうか。……お前の処遇しょぐうは、どうなる?」 

 それが義からとはいえ、千治は影縫かげぬいという盗賊とうぞく行為こういを行った。

 酌量しゃくりょう余地よちはあるが、数度に渡る大金の盗みはそれだけでも問題となるだろう。

 千治はくたびれた顔をして「それがよ」と話し始めた。

結論けつろんから言うと、影縫はおとがめなし。手を付けずに耳揃えて納めたのと、どうやら親父が手を回したくさくてな。もしかしたら俺が影縫だってことすら分かってねえかもな」

「じゃあ、ばつはなしか」

「そうは問屋おやじおろさねえ。手代てだいに怪我させしちまったこともあるし、ここに盗みに入ったのを容認するわけにもいかないってさ。その分のつぐないはさせられる」

 ばつが悪そうに萎びた顔をして、「はぁあ~」と冗長じょうちょうな溜息をく千治。だが。

「あまり気落ちはしていないようだな」

「え?」

「嬉しそうだぞ」

 嫌がるような感情が、れていない。

 千治とは道楽どうらく者で享楽きょうらく優先に動く男だが、仁と義と理に沿う気質きしつがある。

 己が成した悪行にむくいがないのは、千治としても居心地いごこちが悪いだろう。

 一刀斎に嬉しそうだと指摘された千治は一瞬面食らったように目を丸くしたが、即座そくざに「フッ」と頬笑ほほえんだ。

「――ああ、いくら血が繋がってようが、すじは通さなきゃあならねえ。親父はそこら辺しっかる締める人だ。なんせ俺に義理を教えたのはあの人だからよ」

「そうか……」

 思えば千治があの倉に入ったのは、己に義理を教えながら、それでも金儲けのため、悪事に手を出した父への絶望も理由にげられたのだろう。

 理由の大分だいぶは、そんな父の悪行の発端となってしまった自分への怒りであろうが。

「それで、報いというのは」

勘当かんどうだとよ」

 あっさりと、事も無げにきっぱり言い切った。

 だがしかし、その言葉が意味するところは。

「親子の縁を切ると」

「ああ、そういうことだ」

 当然と言えば当然の話だ。子が盗人だったというのはさておいて、大切な働き手である手代に怪我をさせた上に盗みに入ったのである。

 縁を切られても仕方ない、としかいえない。

 だが、千治は「だけどな」と言葉を続けた。

「俺は、伊勢湾いせわんにあるみなとに飛ばされることになったよ」

「……どういうことだ? ……売られるのか?」

「違うわっ! ……いや、あながち間違いでもないのか? どうなんだ?」

 一刀斎の返しを即座に払う千治は、顎に手を当ててうんうんと唸る。

 はてどうしたとぼうっと見ていた時、千治は大きく頷いた。

「港にはよ、草間屋ウチ分店ぶんてんがあんだよ。草間屋には長いこと勤めてた番頭ばんとうがいてさ、頭も良いし商才もあったから、一年くらい前、親父がその番頭に店をくれてやったんだ。で、俺はその店の方に」

 言葉の最後に「信頼できる人だよ」と付け加え、千治は頭の後ろを掻いた。

「ようするに、一からやり直しか」

「ようするに、一からやり直しだ」

 千治は横目に、外を見る。その方角にあるのは、共におもむいたあの村だ。稲毛いなげ高蔵こうぞうという名主なぬしが治める、大きな農村のうそん

 この街から離れ、商人しょうにんとして学び直すこととなれば、もうあの村に向かうことも出来ないだろう。

 それはつまり、思い人である穂波ほなみにも会えないと言うことだ。

「穂波殿には、別れは告げておいた方が良いぞ」

「…………会わないわけには、いかないか?」

「いかないな」

 珍しく吐かれた弱気よわきを、一刀斎はぴしゃりと両断する。

 あの時千治へ立ち向かったのは高蔵こうぞうの頼みだけではない。その娘の穂波のためでもあったから。

「なにせ、「明日には戻っている」と言ってしまったからな。顔を見せずに港へ行けば、戻ったお前の姿も見られなかった穂波殿は、悩み続けるぞ」

 千治は穂波を好いているが、穂波は千治を嫌っているらしい。

 根が明るく誰とでも親しくなれる千治に対して嫉妬を抱き、そしてその明るさに眩しさを感じて、憧憬どうけいの念を抱いている。

「だけど、穂波ちゃんは俺を……」

「嫌われたぐらいでなんという。幼い頃からつむいだえにしだ。思い入れが強いならなお、斬る必要はないだろう」

 キッパリ言い切った一刀斎は、一瞬間を置いて「それとも」と言葉を繋げる。

「捨てられるような、縁だったか?」

「まさか!」

 一刀斎の言葉で、千治は勢いよく立ち上がる。そのまま部屋の中をあちらこちらに、腕を組んで歩き回る。

「俺にとって穂波ちゃんとのは縁は大事なもんだ。だから、それを斬るなんてそんなこと――」

「ならば会いに行け」

 聞きたかった言葉を聞いて、一刀斎はごろんと再び寝転がる。

 仁に沿うとは人と縁を紡ぐこと。義に沿うとは人との縁を守ること。

 なにより千治にとって一番大事なのは、「楽しむこと」だろう。

 己の楽しさを希求ききゅうする。日々を楽しく愉快に生きる。

 港に行けば、当然それは難しくなるだろう。なにしろ一からやり直すために港へと向かうのだから、誰かと遊ぶ暇もない。

 そんな中千治を奮い立たせる物と言えば、それはもはや、誰かと縁が生んだ思い出のはずである。

 千治は、この街の人々に愛されていた。それはあの夜、千治をかばった人々の様子から容易に見て取れる。よほど強い縁を、結んできたのだろう。

 特にその縁の中でも、穂波とのものは、きっと千治の中でも特別だ。

 逆に言えば穂波と会わず港へ行っても、彼女が気がかりで日々のことが手つかずになってしまうのは間違いない。

 後悔をしながら、日々を生きることになる。

「逃げたら楽だが、楽しくはないぞ、千治」

 楽しくない。そう聞いた瞬間に、千治の纏う気配に色が付く。

 足を止めた千治は、布団に寝転がった一刀斎をふっと見て、目を細めてくしゃりと笑う。

「……楽だが、楽しかないか。ああ、一刀斎の言うとおりだな。……ふん、怖いことから逃げちまうような、本物のネズミになるとこだったぜ!」

 その小さな頬笑みは段々と力強いものへと変化していく。

「最後になっちまったけどさ――――今回のことは、本当に世話になった。ありがとう、一刀斎。俺を、止めてくれて」

 千治は眉と目をピンと張って。深々と頭を下げる。

 頭皮が見えないほど黒々とした髪が、ふわりと揺れた。

「構わん。――俺も、縁を大事にしたかっただけだ」

 千治には、最初この街で拾われた恩もある。たった二日ばかりの交流だった。

 ただそれでも、一刀斎にとっては得難い縁であったのに違いない。

「ありがとう千治、お前のお陰でこの街は、楽しかったぞ」

 やはり、廻国かいこくをして良かった。

 このような縁と、出逢えることが、出来るのだから。









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