第二十五話 そして谺す断末魔

「ぐ、ごぶ……っ」

 激烈げきれつ。一刀斎を打ち付けたのは、ただの拳の一撃が九度きゅうど

 しかし一刀斎をおそ苦痛くつうはそれとくらぶべくもない。

 剣山けんざん刀樹とうじゅに身をなげうったかの如き鋭い激痛げきつうが、一刀斎の肉体を撃ち抜いた。

致命ちめい末魔まつまを打ったつもりだったんだけども。わずかに外した……いや、外されたか。やはり勘がいいね」

「あそこまで、殺気を放っていればな……ッ」

 それこそきりのように、引き絞られた殺意さついだった。お陰で狙いが容易にさとることが出来たものの、ケイの余波がつちとして身を何度も打ち据えてくる。

 脳天まで響いた衝撃は、深刻しんこくな痛手を一刀斎に与えていた。

 しかし一刀斎は甕割かめわりを離さず、下段に構えて羊目ヤンイェンへと向き直った。

 羊目のその名の由来である、潰れた楕円だえんを描く重瞳ちょうどうが、まぶたによって細められる。

死節マルマン微少びしょうな点だけども、近くを打ったからそれなりの損傷は受けたはずなんだけどもね……常人ならまず骨や臓器ぞうきが傷付くはずだが。呆れるほど頑丈がんじょうらしい」

鍛錬たんれんすれば、なんてことはない」

 思い出したのは堅田かたたでの日々。木刀ぼくとうとも呼べない、横枝よこえだいだだけの粗雑そざつな木の棒。

 それで師匠の自斎じさいによって打ち付けられた個所かしょは数え切れない。

 だがそれらの打撃だげきのお陰か、多少たしょうなりに体が頑丈がんじょうになったし、それなりに強い痛みにも耐える地金じがねが出来た。多少は感謝の気持ちが湧いてこないこともない。ほんの少しであやふやなものだが。

 だが。

を吐くね」

「言わねばやってられん」

 いくら耐えたと言っても、勁とは力の毒である。長引けば長引くほど、一刀斎の肉体をむしば臓腑ぞうふんでいく。

 これ以上時間を掛けるのは許されない。時間はない。だが焦燥しょうそうは技をおとろえさせる。

 吸気でもって心王しんおうに気を込めて、呼気と一緒に痛みを吐き出した。

 一心いっしんを研ぎ澄ませ。雑念ざつねんを削ぎ落とせ。

 痛む体が心を邪魔するならば、そんなものは捨ててしまえ。

 ふるえる脳天が肉体からだを止めるならば、心髄しんずいから奮い立たせろ。

 ――一を成すために必要なのはたったの二つ。心と剣。

 予想以上の手練であった。ならばこそ、己の絶対すべてを賭さねばならない。全力を、全身を、全霊を、たばくくってまきにして、こころほのおに放り込む。

「――さっき言っていたな」

「…………む?」

 羊目が、訝しむようにこちらを見遣みやる。一刀斎の目は、そのたましいに燃える炎を映すかのように燦爛さんらんと輝かせ、灼熱しゃくねつの視線を羊目の視線に乗せた。

「意識を弄って、力を増したと。……それは、あの牛童子や無頼共に、あるいは千治にしたようにか」

「――ああ、僕が天竺てんじくで覚えたものだよ。人の意識を麻痺まひさせて、力を増幅ぞうふくさせる術だ」

「どこで覚えたかはさておいてだ。なるほどお前も、正念場しょうねんばらしい」

 羊目は、本気を出している。本来ほんらい手勢てぜい手駒てごまに対して振るったであろう秘術ひじゅつ

 羊目風にいうならば、「式神」を強化するために使うわざだろう。

 だがそれを、奴は己自身に使った。己自身を鬼神に変えた。そうせねばならないほど、羊目は追い詰められている。

 ――だから気力を振り絞れ、苦しいのは奴も同じだ。

 確かに相手は得体が知れない相手である。見えた底は深いだろう。

 だが、それがどうしたというのだろうか。

 一度斬ると定めたならば、斬るためだけに技を尽くす。――一刀斎と言う男は、ただそれだけでいい。

 肉体はまだ痛みを訴える。知らんだからほっとけどうした

 剣を振るのに痛みは要らん。そんなものはそこらに捨て置け。

 今おれに必要なのは、剣を振るう意気だけだ――!

フンッッッ!」

 体の痛みをねじ伏せて、一刀斎は羊目目掛け竹林たけばやしを駆け抜ける。

「――馬鹿な、奴だ……! あし!!」

 目を剥いた羊目は、拳を構えて竹の葉の散る大地を踏み抜き、肉体を前へと弾き出した。

 あの様子、やはり牛童子や千治と同じように、心にもなんらかの作用が働いているとみた。

 判断に躊躇ちゅうちょがない。纏う気配は妙に鮮明で、己の思いに対して従順だった。

 羊目のそれは、あの男達と同じである。一つのために全ての判断を捨て去った。

 ――そう考えれば、今の一刀斎と大して変わらないのかも知れない。

 痛みを意識で封じ込め、一のためにそれ以外の全てを削ぐ。

 一刀斎のものが鍛錬による習得であるのなら、羊目達のものは人為的に引き出されたもの。

 一刀斎のそれが理想の極致きょくち一端いったんならば、羊目達のそれは、無理に心身をねじ曲げたもの。

 どちらが冴えているかと問われれば、答えるまでもない。

 

うるきあし!」

「勢ェェェヤ!」

 足で四角を結びつつ、打ち放たれる拳を流しながら、返す刀で羊目の肉体に甕割を振るう。

 横薙ぎのそれは羊目の複雑な足運びを止め、その隙を逃さない一刀斎は続けざまに首を狙って剣を弾き上げる。

なかごあし!」

 しかしその剣は届かない。身をかがめて斬撃をさっと避け、刃の下をくぐった羊目は一刀斎の側面に回る。

「逃がさん……!」

「でしょうね……! ちりこあし!!」

 後ろ向きのまま、竹の葉を巻き上げながら足をなめらかにすべらせる羊目は、追いすがる一刀斎に前方三方向から小刻みな二連撃、合わせて六つの拳が放たれる。

 尖錐せんすいのような撃拳げっけんを、一刀斎はしかとさばいた。

 腕を切り落とそうとしても拳を引き、足を運ぶ速度に追い付かない。やはり、肉体を直接断ち斬るしかない。

 しかし常人よりも広い視野を持つ特殊な目と、狭霧さぎりのようなあの運足うんそく。そしてあの、勁による打撃だげき

 無闇みやみに攻め立てたところで霧を裂くようなもので、払うことは出来ないだろう。

 瞬間。

「角足……!」

「っ!」

 鋭い殺意ほこが、一刀斎の鳩尾に据えられる。

 それを感じた瞬間に、向い打つように刺撃しげきを放った。しかし羊目は惑うことなく真っ直ぐとこちらに突き進んでくる。

 刺し違える覚悟でもしたかと一層踏み込み、突きを打つ。

 しかし。

「……フッ!!」

 甕割の切っ先が眉間三寸の距離を切ったとき、目を見開いた羊目が身をぐらりと揺らした。

(しくじったか……!?)

 先の殺気は、確かなものだった。だが羊目は即座に横へと抜けていく。全てきょだったかと重心で肉体を転がして、無理やりに羊目の方へ向く。だが。

(――――なに?)

 そちらに向いても羊目は打撃の準備に入っておらず、刃圏はけんの遠くへと離脱りだつしている。

 羊目は無表情のまま拳を構え、仕切り直した様子であった。 

 突きは協力ながら、かわされれば大きな隙を生む。羊目の拳に迫真の気勢が乗っていたからこそ、一刀斎は突きを放った。

 しかしそれが避けられ隙だらけであったのに、羊目はそこを打たずに距離を置いた。

 なにかが妙だと、一刀斎は脳裡のうりを探る。心王を正しく燃やすために、必要な情報をべるために。

「どうした、じけたか?」

「死にたくはないんでね……ひきつあし――!」

 左右に揺れながら懸かり来る羊目を、じっくりと観察る。潰れた瞳はただ真っ直ぐとこちらを見遣り、ピクリとも動かない。焦点しょうてんがあってるとも思えず、不気味さが際立った。

「スンッ!!」

 鋭い吸気と共に、眼前から羊目が消える。しかし、目で追うことはせず。

ォァア!」

 炎が揺れて風を避けるように。一刀斎もまた殺気に応じて揺れれば良い。

 心の芯を炎心えんしんに、そして肉体を燃える炎にそれぞれ変えて、振り向き様に切り上げる。

 しかし羊目は斜め下から迫る分厚い刀身とうしんをふらりと躱し、そのまま拳を伸ばしてくる。

 迫る腕に肘を打って突きを阻み、手首を返して羊目の肩を狙って袈裟斬りに振るう。だが。

「フッ!」

 くばせすることもなく、半歩はんぽ分上半身を退くだけで避けて見せた。やはり視野は広いらしい。一厘いちりんも瞳を動かすことなく、一刀斎の動きをとらえきっている。

 ほぼ真上から、殺意を纏って繰り出される手刀しゅとうが迫った。

「こなくそっ……!」

 良ければまたあの足運あしはこびをされる前に、一刀斎は一歩大きく踏み込んでかい潜り、我武者羅がむしゃらに、その鼻先目掛けてひたいを突き出す。

 正直しょうじき咄嗟とっさ行動こうどうで、牽制にもなるかどうかの一撃だった。しかし。

「ぐがっ……!!」

 額の中心、そのやや上。一際ひときわかた頭蓋ずがいが羊目の眉間をしたたかに打ちつけた。

 先程さきほどたいさばきの冴えはどこへ行ったのか、羊目は顔を抑えてさん後ろによろついた。

 瞬間、頭の後ろで火花が散った。

 さき指弾しだん、突きに対して回避を選ぶ。そして並んだ二つの瞳孔と、眉間に寄った皺に細められた目。

 ――瞳の形に覚えはないが、目の形には覚えがあった。

 伊勢の山中で切り抜けた強烈な弓矢。猿臂えんぴ之勢のせいと賞されるほどのゆみ巧者こうしゃ

 その記憶が意味するところに気付いた瞬間にはもう、一刀斎の肉体は大地を蹴っていた。

 一間いっけんもないわずかな距離を、正しく石火のような速度で詰める。苦悶に歪む羊目の眉間にはより深い皺が刻まれ、著しく細められた瞳からはもはや黄色い虹彩さえも見えなかった。

ァ!!」

「ごぐッ!?」

 一刀斎は半身になり、柄を打ち出した。柄頭が鳩尾みぞおちのやや下に深くめり込み、羊目は口から息を吐き出して細めた目を見開かせる。

 間違いない、確信した。この男は確かに広い視野を持つのだろう。だが、しかし!

「貴様……前だけはまともに見られないか!!」

「ぐっ!」

 ガチン、と音が聞こえるほど強く、羊目は口を噛みしめた。直後下腹部に当てられたのは、白いてのひら

 ――来る!!

ァツッッッ!」

「ごぁ……!」

 即座に身を捻り腹から手を外したものの、すんでのところで勁を打ち込まれた。

 勁の一撃は外炎がいえんさえ通り抜け、炎心にさえとおり、今まで忘れ去っていた力の毒を励起れいきさせる。

 闇夜だというのに眼前が白に染まり、脳漿のうしょうが内から頭蓋ずがいを叩く。

 臓腑はらわたが収まっていた場所からズレたかのように、体内に言い知れない違和感が襲いかかった。腰が揺れ、足が震える。

 思わず甕割から手を離しかけた。その刹那。

(離すな――――!)

 一刀斎の中心で燃えるこころほのお、その炎心に鎮座する一刀斎の支配者、心王が吼えた。

(握れ――――!)

 白い世界を切り裂いたのは、黒く燃える一条いちじょうの鋼。

 冷たい鉄の色をしていながらも、その刀身は力強い熱を発していた。

 ――そうだ、俺は今、勝機しょうきを掴みかけている。

「フッ!」

 割れてひらけた世界の中で、袖も裾も乱さず飛び退く影が見えた。

 追え、などとは考えない。

 追おう、などとも思わない。

 思考した瞬間にはもう、心は一刀斎を動かすのだから――!

ァアアアアアアアアアア!!」

 振り切れ、今は痛みのことをすっかり忘れろ。

 削ぎ落とせ、痛みが生じさせる驚懼きょうく疑惑ぎわくの死病を払え。

 研ぎ澄ませ、肉体ではなく心で剣を執り、腕でなく心で剣を振れ。

 そして、己全てを魂の炎へき上げろ。

 こころまとえ。炎にわれ。

 ただ、「ねん」の一念を抱く炎に変われ。

 ただ、「ざん」を思う者となれ!

「オォオオオオオオオオオオ!」

 羊目が、二つの拳を同時に構えた。あちらもケリをつけるつもりらしい。――――上等!!

「発ツ、発ツ、発ァァァァァァツ!」

 繰り出される拳を、一刀斎はひたすらかわす。尖鋭せんえいの殺意は正しく一刀斎を貫きに掛かる。

 なぜこの陰陽師が、ここまでの武を鍛えたのかは知らない。

 知らなくて良い。相手の背にある道など興味はない。

 武芸者にとって見るべき道はただ一つ、己が目指す、天下一への道のみである!!

ァアア!」

 真っ直ぐな機動で、一刀斎の心の臓目掛け放たれる撃拳げっけん

 勁により打ち込まれる力の毒が生命の根底である心臓に打たれればどうなるのか、想像に難くない。

 だがしかし、脳みそは「避けろ」などと水を差すようなことは言わない。

 理性は心を止めることなく、むしろ燃える心王が行くべき道を全力で探す。

 しんが混ざり、力を発する。

 羊目の拳が、死の風を帯びて発射はっしゃされた。力の毒の経路けいろとなる呪手しゅしゅ凶拳きょうけん

 くら濃霧のうむから襲いかかったその拳を一刀斎は。

「ムッ……!?」

 ――身に触れる一瞬を見切り、下段に据えた剣に合わせ、即座に膝を折る。

 真正面を上手く捉えることが出来ない羊目にとって、一刀斎の姿は文字通り、狭霧の中に消えたが如く。

 体を、使え。ただ流すな。繋げて、流せ。

 体の中に経路を作れ。身体中にあるに通せ。

 炎と化したこの肉体が持ちうる力を、全て、流せ!

ァアアアアアアア!!」

 地を摺るほど低い晴眼から放たれた、唐竹割りを逆になぞるような振り上げは、散った竹の葉を舞い上がらせる。

 切り上げに乗せられた灼熱しゃくねつの意気は飛鳥ひちょうが如く。そびえる大竹おおたけを追い越して、暗雲さえ切り裂くように思えた。

「――――――――ァッッッ」

 そして飛鳥の意気を追うように、こだましたのは断末魔だんまつま

 人々の心を握ってきた陰陽師の、声にも成らぬ、断末魔――――。




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