第二十三話 ケイ

 その勢いは、野太い竹さえへし折った。ち飛ばされた一刀斎いっとうさいはその肉体をくの字に曲げ、三間さんけんばかり吹き飛ばされた。

 腹の肉が、臓腑ぞうふが、はじけたかのような衝撃は、まさしく力のかたまりと言っても良い。

 だがそれを生んだのは、ただ腹に添えられただけのてのひらだ。

 大きく振るわれていない。拳の形すら取られていない。

 力みすらなく、そも、動かしすらしていなかったように見えた。

 そしてこの威力ちからは、今まで受けてきたあらゆる打撃だげきかえりみてなお、最上位さいじょういにおけるほどの――!

「ぐ、うぅ……!」

「……直撃ちょくげきしたはずですがね。どうやらその体躯たいくは飾りではないらしい」

 よろけつつも立ち上がる一刀斎を目にして、珍しく不機嫌そうに呟く博士。

「なん、だ、今の力は……」

「ああ、日の本こちらでは知られていないものですからね。これは、の技術ですよ」

大陸たいりくだと……?」

 大陸。話に聞いたことはある。西海さいかいの彼方にあるという土地。

 とうという土地に今は明という大国があり、その西には、天竺てんじくを初めとした国々くにぐにがあるという。日の本よりはるか広いと言われる場所だ。

「ええ、私、故あって唐土とうど天竺てんじくを回っていましてねえ……その最中さなか、得たものです。その名を、「ケイ」と呼称します」

 博士が竹に触れるや否や、なにかに押し出されかのように竹は激しくしなる。いや、もはやそれはしなって力を受け流すと言うより、苦悶くもんに暴れ回っていると言う方がてきしているとさえ思えた。

チカラとはもの。対して勁はもの。力は目に見えませんが、あらゆるものが有するものです。外においては天地てんち蔓延はびこり、内においては筋骨きんこつが秘めるもの。勁とは即ち、それらを束ね、運ぶことを言います」

 博士の言葉を、一刀斎はいぶかしむ。束ねて運ぶ、それは自分らが言うところの「力」と大して変わらない。

 力を込め、相手に打ち付ける。それは常にしていること。だが、なにかが絶妙に噛み合わない。

 字が多さは表すものの多さである。

 それはかつて、己にある程度の学を叩き込んだ女に教わった言葉である。

 字を知り、目で見て、内に修める。そうして初めて理解したと言える。

 ――ならば。

 吸気きゅうきでもって気を溜めて、呼気こきでもって整える。

 耳目じもくまし、刀は晴眼せいがん体中たいちゅうに合わせてきっさきを置き、博士へと付ける。

 ――勁とやらを見切り、対応する。

 内海ないかいにない大陸の技術。なるほど本当に世界は広い。

 この日の本だけに、技が有るわけではない。この日の本の技だけが、世の果てまで広まっているわけではない。

 人がいれば武技ぶぎが生まれる。ならばもちろん、外にも即した技がある。

 ああ、それはなんて。

「……なにを、笑っているんです?」

「いや、お前をどう斬り捌くか、考えていただけだ」

 胸が高鳴ることなのだろう。

 その技を食らい、こころほのおべられたなら、おれは先より強くなれる――!

「はあ、そうですか。やはり武芸者というものの考えることはサッパリ分かりませんねえ!」

 駿足しゅんそく八方はっぽう無尽むじん変幻へんげん自在じざい運足うんそくは、本来動きをはばしげる竹さえ、いている。

 つちかってきた常識が、得体が知れぬと理解をこばむ。

 魔道まどう魔法まほうの類だと、早計そうけいにも結論けつろん付ける。

 うるさい黙れ。頭はただ心王しんおうに従え。恐れるなと心王が言うならば、ただ解決かいけつするためだけに脳漿のうしょうついやせ!

「フッ!」

 右から飛んでくる拳を寸ででかわし、回避に合わせて甕割かめわりを振るう。しかし刀の腹を手の甲で押えられ、直ぐさま抜けられた。

 相変わらず攻め気が読めない。感慨かんがいのないはつ

 心法しんぽうかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 単純たんじゅん作業さぎょうをするような、単に「意気を込めるまでもない」と言う意識が故か。

 心を離れたその技は、自由にさえ思う。

「大した技倆ぎりょうだな」

「ええ、ここまで修得しゅうとくするのにざっと四十しじゅうねんは掛かりました」

「――――なに?」

 あごに飛んできた掌に突きを返す。交差した手と剣はお互いの顔をすり抜ける。

「そうは見えんな――!」

 四十年鍛錬したなら、五十六十にはなってるだろう。

 だがどう見積もろうと三十さんじゅう間際まぎわ。あの老齢ろうれいに差し掛かっていた騎馬武者きばむしゃ雲江くもえ賢達かたたつと比べれば、その外見は博士の方が遥かに若く見える。

 飛びかかる方へと牽制けんせいを放つ。

「ええ、天竺で少々!」

 しかし牽制の一撃はななめへので意味を成さず、背後に回られる。

「陰陽術の次は、仙術せんじゅつとでも言うつもりか」

 軸足に芯を立て、振り向き様に薙ぎ払う。しかし緩急かんきゅう高低こうていを付けた体捌きに薙ぎはすかされ不発に終わる。

 懐に入られる前に軸を入れ替え蹴りを入れれば、いやがるように逃げていった。

「あながち間違いではありませんね。仙術の具現化ぐげんかこころみる方はおりますので」

 激しい動きをしていながら、博士は一切息を切らしていない。面で視界しかいも狭いだろうに、そんな素振りを全く見せない。

 体力が無尽なのか。それとも呼吸こきゅう効率こうりつがいいのか。体捌きのキレは変わらない。

「クンッ!」

 一間以上離れた距離から、縮地の如く迫る歩行ほこうは正に仙術と差し支えない。繰り出された拳が腹に触れかける瞬間に後ろに飛び勁をかわす。――が。

ツッッッッッ!」

「なに……!?」

 博士の身が沈むと同時に突かれ切った拳が伸びる。当然振りがきわまった以上力が生じる訳がない。だがしかし、伸びてきた拳が当たった刹那、先の衝撃が再び肉体にとどろいた。

 轟く。それはもはや例えではない。

 撃ち放たれた後だというのに、未だ残り響いている。一刀斎の知る打突だとつ刺撃しげきの一撃は、痛みが残ることがあったとしても立ち消える。

 だがこのは毒でも流し込まれたかのように、臓腑や肉に痛みを残す。

 ――ああ、文字通りそうなのだろう。勁とは力のように打ち付けるのでなく打ち込むものなのだ。

 乗せた力を矢のように射出する。それが、勁。なるほどつまり。

「勁とは、竹か――」

「ッ!!」

 ピクリと、固まったまま動かなかった博士の口の端が動いた。

 竹を振った時の感触を、一刀斎は思い起こす。

 竹は、節で力を生かしている。力を受け止めず、流している。己に生じた力を全て、飛ばしている。そうすることで我が身を生かす。

 一刀斎は竹にならい、力の経路けいろを繋げて流した。

 ただ、それだけではなかったのだ。もっと竹に倣うべきだった。

 竹はその身に生まれた力を、全て外へと流していたではないか。

「勁とは力の、使い方か。力自体を得物として振るう。それが勁か」

「――――いやはや、これは。私も長く生きてきたが、ほどの逸材は初めてだ。才気さいきが武に寄っている」

 博士はうつむき、顔をおさえる。

 ――初めて声に、色が付いた。純粋になるまで混ぜ込まれた、雑多な負の色。

厄介やっかいだ」「迷惑めいわくだ」「面倒めんどうだ」。

鬱陶うっとうしい」「苛立いらだたしい」「面白味おもしろみがない」

 棘を生やした悪感情の紅花べにばなを、多々集めて混ぜ合わせた黒い色。

 集約するならば、たった一言で済む感情。

 ――――「にくたらしい」。だがしかし、その濁った黒一色の感情に、わずか一点、異なる色が混じっている。

「武の申し子。武を成すためだけに生まれてきた存在。つまり貴様は武しか行えない。――斬ることでしか生きられない。けると知りながら、その瞳に日輪にちりんしか映さず、大天に羽撃はばたくしかない無謀むぼうの鳥です。ああそれは。なんと憐憫あわれ

 博士の手が、張り付いていた面を外す。

 面の内側は、恐ろしいほど端整だ。額にも、目尻にもしわは無い。

 しかし、顔の下半分と多少なりに日灼ひやけの差が出ており、晒された上半分は病的な土気つちけ色をしていた。それだけで、整った顔がおぞましく見える。

 上を向いた月のように吊り上がっていた口は、今度は真逆。強く結ばれた口先に従って、両の口の端はそれぞれ下を向く。

 そして――――。

「……人が何十年と重ねた技を二合で見抜くその眼力がんりきに、狂憤きょうふんを込めよう。《僕》は君を、殺したくて仕方が無い」

 ――露わになったその瞳は、人のものではなかった。

 横に潰れた瞳は、両端りょうたん瞳孔どうこうらしき黒点こくてんがある。

 黒か黒褐くろかっ色であろう虹彩は、黄色きいろにごっていた。眉間には何重にもしわが寄り、まぶたは閉まり、白目など無いように。

「その目は――」

「僕はこの目のせいで、凶相きょうそう鬼子おにこだとうとまれてねえ……。留学りゅうがくだなんて分かりやすい都合を付けられて、海の荒れる時期に大陸に島流しだよ」

 己の額を震えるほど握り込み、歯をギリギリと鳴らす。

 先の慇懃いんぎんな口調はどこへやら。穏やかでよく通る声ながら、吐かれる言葉に乗せられているのは、この世に対する強い呪詛じゅそ

 思わず全身から脂汗が噴き出して、今まで引くことが無かった心王しんおうでさえも一瞬跳ねた。

「なんとか生き延びて明の国に辿り着いてね。そこで、この目に渾名を付けられたんだ。それ以来僕は、大嫌いなでの名前を捨てて、それを名乗るようになった」

 キリと二つの――否、の瞳でもって、一刀斎を睨みつける。

「――改めて、自己紹介だ。外他とだ一刀斎いっとうさい。僕の名前は――羊眼ヤンイェンという」






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る